ニューヨークのウソ発見器技術研究学校のバクスター校長は、ウソ発見器を使った4年間に渡る実験の結果、植物にも感情があることを突き止めている。
マンモステレビや伝言ニュースなど約300件の発明をしている超科学会の橋本健工学博士も、4Dメーターという霊界通信機を開発し、「動植物の単細胞には原始的な心があるとしか考えられない」と結論付けている。
意識物理学者の半田広宣氏は、「素粒子レベルで意識が存在する」と述べている。
総ての物質は素粒子で構成されており、真空にも素粒子が詰まっている。
つまり、物質も非物質も「素粒子の塊」ということだ
般若心経の有名な一句 「色即是空」「空即是色」は、「見える物は即見えない物」「見えない物は即見える物」という意味だが、一例を挙げると、個体である氷は水で出来ており、水は目に見えない水蒸気で出来ている。
科学的に言えば、水(H2O)は、酸素と水素という目に見えない物質の化合物である。
もっといえば、水を入れているコップも原子レベルで見ると本来形のない非物質であり、コップを置いているテーブルさえもが本当は存在しないことになる。
極論を言えば、目に見えない音波や電波も物質であり、個体・液体・気体に次ぐ「第4の物質形態」と呼ばれるプラズマで形成されている霊魂も「物質」ということになる。
逆に、目に見えない物質を「非物質」と呼ぶなら、目に見える物質は全て「非物質」で構成されていると言える。
原子を構成しているのは原子核と電子だが、原子核と電子の相対距離の比率を考えても、物質の実体の構成比率は超極微であり、核物理学では次のように結論づけられている。
「仮に原子核を物質の究極としても、万物は隙間だらけで、真の実体は10万分の1でしかない」
「物質=空間」と言っても過言ではなく、物質と非物質は究極的に同じことなのだ。
つまり、「唯物論」と「唯心論」は究極的には同じ真理ということになる。
形態波動研究所の足立育朗氏は、著書『波動の法則』(PHP研究所)の中で、「魂の形態=原子核の集合体=中性子(意識)+陽子(意志)」であると述べている。
要は、素粒子の集合体、或いはプラズマの塊である宇宙は、我々人間の意識をも含めた大いなる超意識体なのだ。
という事は、「神は目に見えない存在」、或いは「神は高次元にいる」という概念は正確ではなく、神はどこにでも存在し、目で見える存在でもあり、目に見えない存在でもあるということになる。
太陽、月、海、山といった大自然も神であり、空気、電波、音波などの目に見えない大自然も神である。
また、「鰯の頭も信心から」という言葉があるが、『日月神示』でも 「一本の箸を拝んでも良い」と示されており、食器、扇風機、テレビ、パソコン、自動車などの人工物も神であり、野獣や害虫などの総ての生物も神の一部分ということになる。
そして、人体が小宇宙なら当然、人間も神である。
では、死んでいる人間はどうだろうか。
物質と非物質が同一であれば、例えば「霊」も当然ながら「神」ということになる。
もっと言えば、幽霊も悪霊も先祖霊も神である。
「宇宙=神」と考えると分かりやすいが、万物万象が神の一部なのだ。
これが多神教やアニミズムの原理だが、総てを「神」と呼ぶと3次元的に区別がつかず、また、善霊も悪霊も「神」と呼ぶのは適切な表現とは言えない。
そこで、呼び方を明確にしておいた方が良い。
日本では、「人間は死後において神になる」という概念があり、守護霊や指導霊が「神」と呼ばれることが多いが、それは神の部分的・一面的な顕れに過ぎない。
既に述べた通り、神は大宇宙という空間と、過去・現在・未来という時間を包含し、宇宙に充満する素粒子・エネルギーそのものであり、人間が考えているような人格神ではない。
その意味では、私は「無神論者」である。
聖書によると、「神は自らの姿に似せて人間を作った」というが、この意味は別の機会に述べる。
宇宙に誕生したものは、総て「神の一部」であると同時に「神そのもの」だが、神の被造物といったほうが適切だろう。
その点、聖書は神を「唯一神」とし、それ以外を「天使」として位置付けて区別しているので理解しやすい。
但し、天使の上に「神」という1人の人格神がいる訳ではない。
問題は、宇宙が本当に意思を持った「神」と呼ぶべき存在か否かという点である。
そこが、「唯物論」と「唯心論」の決定的な違いである。


