聖徳太子の母・間人皇女は、救世観音が胎内に入る夢を見て太子を身籠もったが、これは聖母マリアの夢に、天使ガブリエルが現れてイエスを受胎したことに似ている。
救世観音は「イエス・キリスト」の象徴であり、イエスと同じ星の下に生まれた太子は、キリスト精神(ヤハウェ)の受肉だということである。
国宝第一号に指定された広隆寺の仏像「弥勒菩薩半跏思惟像」は、再臨するイエス・キリストの象徴で、右手の親指と中指で三角形を作り、キリスト教の三位一体を表している。
中国で発見された景教(キリスト教)の牧師の壁画にも、太子の頭の冠に十字架が描かれ、指は弥勒菩薩像と同じように親指と中指で三角形を作っている。
「冠位十二階」はイエスの12使徒、「十七条憲法」はモーゼの十戒を彷彿させる。
原始キリスト教は、イエスの使徒によって日本に持ち込まれ、卑弥呼の鬼道(神道)を併合して神社神道の基が形成された。
さて、日本最古の建築家である聖徳太子は、紛れもない「イスラエルメーソン」である。
そこに、日本神話を解く鍵が隠されているが、それについては別の機会に詳述する。
「太子は仏教を導入したが、実は隠れキリシタンだった」という説があるが、神道自体が「隠れキリスト教」だと言える。
もっとも、キリスト教という表現は適切ではなく、「原始キリスト教」であるが……。
やはり太子は、何らかの理由で仏教を取り入れたものと思われる。
では、なぜ仏教を広めたのか・・・まず、聖徳太子は大予言者である。
やがて押し寄せてくる「西洋キリスト教文明」に対抗する為だったと考えられる。
現在のキリスト教は、白人社会によって築き上げられたものであり、「原始キリスト教」とは別物である。
また、ここでいう「キリスト教文明」とは、それを背後から動かす「ユダヤ勢力」を指す。
そして、仏教と日本も無縁ではない。
釈迦がイエスの予型として誕生したことは既に述べたが、釈迦族は「日種」と名乗り、それは「イエス・キリスト=天照大神」の象徴であり、日本の国旗にも象徴されている通り。
そして、封印された天皇のルーツであるイスラエル10支族のカド族は、釈迦族のルーツでもある。
『日月神示』に「悪抱き参らせよ」という言葉があるが、善と悪を二分化する西洋キリスト文明に対して、「慈悲を強調する仏教が日本と人類を救う」と太子は感じていたのではないだろうか。
フリーメーソン研究家の赤間剛氏も、仏教的なイデオロギーによる世界の経済革命を説いている。
しかし『日月神示』に「キリスト教は七重、仏教は八重、今の神道は九重であるぞ」と示されているように、日本神道にはキリスト教も仏教も包み込む器量があるはずだ。
なぜ太子が仏教に拘ったのか・・・この問題はかなり奥が深い。
渡部勇王氏は、『2001年世界大終末(廣済堂)』の中で、世界の文明を次のように大別している。
「アマテラス(日本)」
「ツキヨミ(インド)」
「スサノオ(欧米)」
「ツキヨミとスサノオにまたがるイスラム圏アラブ」
長くなるので要点のみまとめると、以下のようになる。
「太子は、諸外国から押し寄せる儒教や仏教を日本化することで、それぞれのマイナス面を克服した。
そして、日本民族のルーツを秘匿し、後、千数百年にわたる日本民族の理念の方途を定めた。
この政策は、スサノオとツキヨミを衝突させる施策と不可分の施策であった。
太子は優れた霊能者で、アマテラスの意図を深層意識で感じ取っていたが、日本の歴史と呼応して、アマテラスの足跡を消し去ったのが、日本民族の移動ルートだった地域に版図を広げた秦の始皇帝とマホメットだった。
秦の始皇帝の大規模な焚書抗儒は有名だが、秦の始皇帝の末裔の秦氏・聖徳太子も同じことをしたのだ。
一般的には、悪の権化のように言われているが、歴史のダイナミズムという観点から見ると、一般常識では考えられないような功績を上げている。
また、マホメットはローマ・カトリックの勢力に対抗して、聖戦によって領土を広げる過程で、その版図となった地域からアマテラスの足跡を消し去った。
マホメットはアマテラスを助けるという自覚はなかったが、結果としてアマテラスの意志を代行して動いていたのだ」
アマテラスを「イエス・キリスト」に当てはめると面白い。
そして、この説の正しさは『日月神示』 によって証明できる。
さて、「仏教」と一言でいっても、宗派によって内容は大きく異なる。
それは、ユダヤ教やキリスト教、イスラム教も同じことで、天啓を受けた信徒から、新たな宗派が生まれて独自の発展を遂げていくからだ。
つまり、元々の教えと変わるだけでなく、趣旨や目的が大きく変わっていくことも往々にしてある。
太子が広めた仏教は、中国輸入の法華経である。
詳細は機を譲るが、法華経は、原始仏教に原始キリスト教の奥義が注入されたもので、当時の法華経はまだ、釈迦が説いた原始仏教に近かったと考えられる。
太子が法華経の中に、原始キリスト教との共通点を見い出したとすれば、全ては自然な流れで謎は氷解する。
原始仏教は、六道輪廻から解脱して涅槃(ニルバーナ)に入ることを目的とし、幽界と人間界を生まれ変わるサイクルから解脱して、天界に帰る方法を説く。
その方法は「タンハー(欲望)の滅却」である。
聖書の記述によれば、堕天使ルシファーは「欲望」による人類の堕落を狙っている。
ルシファーは、イブをそそのかして「禁断の木の実」を食べさせ、釈迦やイエスの修行中にも様々な誘惑をしてきた。
そのルシファーが支配する西洋キリスト教文明の政策によって、現代の日本は際限のない欲望のるつぼと化している。
太子が、やがて日本に押し寄せる西洋文明の正体が「欲望」だということを見通していたとすれば、それに対抗できる国造りの為に「仏教」を根付かせようとしたと考えられる。
何故なら、聖書には仏教のような「宗教的道徳」が少ないからだ。
だが、私も含めて、今の人類が欲望を捨てることはまず不可能である。
しかし、考え方の視点を変えれば、「欲望」は全く性質の異なるものになる。
欲望を超える「大欲」、釈迦の教えを超える「大欲」については、いずれ詳しく述べたい。
また、ルシファーの正体についても、徐々に明らかにしていきたい。
さて、聖徳太子が生まれた同時期(火星・木星・土星のトリプル・コンジャンクションの時)に、メッカに生まれた預言者がいた。
その男の名は、ムハンマド(マホメット)。
彼は釈迦・イエスに続く、絶対神ヤハウェの受肉で、聖徳太子と同時期に誕生した「キリスト精神」の双子だったといえる。

