2009年08月06日

日蓮が予言した「天空の城ラピュタ」と月の謎

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1ヶ月(陰暦29日半)の内、月が見えるのは28日間で、二十八品(章)から成る法華経は、月のテレパシー波(月読命の預言)を受信したものだと考えられる。
中国の暦法は、星座を二八宿に区分しているが、これは中国がツキヨミ系の国だからである。
少し前に紹介したが、世界は「アマテラス(天照大神)系」「ツキヨミ(月読命)系」「スサノオ(素戔嗚尊)系」に分類でき、その象は「アマテラス=太陽」「ツキヨミ=月」「スサノオ=星」として、各国の国旗に表されている。
ヤマタノオロチを退治して、その尻尾から剣を手に入れたスサノオ(星)は武力を意味し、星が描かれているアメリカやイスラエル等は「武力」を象徴する国なのだ。
ツキヨミ圏を代表するインドの使命は、ガンジーに顕れており、無抵抗主義の宗教を意味する。
トルコ等のように、月と星の両方が描かれている国は、イスラエル圏を見ても分かる通り、アラブの大義を実現する為に、宗教を後ろ盾に武力を行使する国である。
そして、アマテラス(太陽)を象徴する国は、基本的に「日本」だけである。

長くなるので要点だけ述べると、国家の象徴は国名にも表れている。
インド(Indo)はヒンドゥー教の主神インドラ(Indra)が原型で、インドラはバラモン教の主神ブラーフマナ(梵天)と同一神である。
そして、中国ではインドのことを「梵天」とも呼び、「月氏」とも表現した。
そのインドラの原型はチャンドラ(Chandr=月)を表したもので、ヒンドゥー教は「月教」と訳しても間違いではない。
中国では、シリアルやペルシア(イラン)のことも「月氏」と呼んでいたそうだが、ペルシア(Persia)の意味は「ビーナス」で、それは月の女神「アルテミス」と同義である。
そして、シュメールの月神「シン」が、中国で「神」と音写されたと考えられる。
印欧語族というように、インドとヨーロッパは同系統の言葉で、キャンドル(candle)やシャンデリア(chandelier)はチャンドラ(月)が語源になっており、中国(China)も明らかにチャンドラ(月)を意味する国名なのだ。

さて、法華経の「見宝塔品(第11章)」に描写されている「宝塔」は葉巻型UFOのことで、釈迦もそれに乗ったことが記録されているが、この空中に浮かぶ巨大な宝塔に移されることを、法華経で「虚空会」と呼ばれている。
これは言うまでもなく、聖書でいう「空中携挙」のことだ。
空中携挙された人々は、天で「イエス・キリスト」に会うという。
葉巻型UFOで新エルサレムに運ばれて、「イエス・キリスト」に会うのだ。
法華経でいう「虚空会」も「虚空で会う」と書く。
誰に会うのかといえば、日蓮が予言した「地涌菩薩」である。
地涌菩薩とは、釈迦が予言した「弥勒菩薩」のことである。
「弥勒菩薩の下生」と「イエス・キリストの再臨」が同義語であることは、説明不要だろう。
また、「地涌」とは地下から出てくるという意味で、アルザル人を示唆していると同時に、本質的な意味は「国常立尊(ルシファー)の顕現」であろう。
また、空中携挙(虚空会)の本質的な意味は、天人合一、即ちアセンションのことであり、肉体が霊化して虚空との一体化を体験する事だと思われる。

そして法華経では、新エルサレムのことを「須弥山」という言葉で表現されている。
仏教の宇宙観に須弥山という山があるが、簡単に説明すると、直径120万3450由旬、高さが80万由旬(1由旬=約7km)の円盤状の水輪上に、同じ大きさの金輪が乗っており、金輪の表面上に、山や海などが乗っている。
この7つの同心方形の金山(ピラミッド)に囲まれて、中央で虚空に浮いているのが須弥山である。
密教ではこれを、「金剛界曼陀羅」と「胎蔵界曼荼羅」で表している。
金輪上には8つの回廊状の海があり、内側の7つの海は淡水で、外の大きなのが塩水の海である。
この塩水の海の中に4つの島が浮かんでいる。
須弥山の水上部分は正立方体で、どの辺も長さ8万由旬あり、その下半分が四天王たちが住んでいるという。
そして、水面から1万由旬の高さの所で四周が1万6千由旬張り出し、そこから1万由旬の高さの所には8千由旬の張り出しがある。
更に、1万由旬高い所は4千由旬張り出していて、更に1万由旬の高さに2千由旬張り出している。
この須弥山の構造は、どう考えても「階段ピラミッド」である。
そして、一番上の張り出しには四大天(四天王)が住み、須弥山の頂上に 『三十三天の住居』 があり、その中央にインドラ(帝釈天)の都城がある。
その都城は金で建立され、様々な宝石で装飾され、地面は綿のようなもので出来ているという。
まるで、都城が雲の上に浮いているかのようである。
須弥山とはまさに、「天空の城ラピュタ」なのだ。

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釈迦はシャンバラ(地球内部世界アルザル)を説いた。
アルザルにも階段ピラミッドが存在し、ジャングルや大河も確認されているものの、山や海は確認されていない。
もし海があったとしても、それは淡水だろうと『Mファイル』に記されているという。
須弥山の場所がアルザルではないとすれば、法華経が「月の預言書」だけに、月内部に須弥山が存在するのだろうか。
確かに、須弥山の頂上の都城に住む「インドラ」の名前の由来も 「月」であることを思えば、話の筋は一応通る。
しかし、(見た事はないが)月内部に海や島は存在しないはず。
そして、月神インドラも「イエス・キリスト」に対応する。
という事は、須弥山は太陽に存在する「新エルサレム」のことではないだろうか。

太陽なら、超弩級大陸「ナタン」も超弩級太陽「ダーマ」も存在し、都城の素材である金銀も大量に存在する。
何よりも、超巨大ピラミッドである須弥山の都城は、雲の上に浮いているのである。
太陽プラズマ大気圏を飛翔する階段ピラミッドの存在が確認されている今、「須弥山=新エルサレム」と考えて良いないだろう。
釈迦族は「日種」と名乗り、日蓮も「日」を冠している。
そして両者共に、末法の時代に、アマテラス国家である日本に、菩薩(イエス・キリスト)が救世主として現れることを予言している。
更に、日蓮は『日蓮全集』の中で、須弥山のことを次のように述べている。

「最終臨終(この世の終末)を持って御覧ぜよ。
妙覚の山に走り登って四方をきっと見るならば、あら面白や、法界寂光土にして、瑠璃を以て地とし、金の縄を以て八の道を界へり……
諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、娯楽快楽楽し給うぞや……
遊戯し楽しむべきことは近づけり」


「須弥山」と「新エルサレム」は、あまりにも描写が酷似している。
須弥山の都城は金で建立され、様々な宝石で装飾されているとされているが、「ヨハネの黙示録」でも、新エルサレムの都市はガラスに似た純金で、城壁の土台はあらゆる種類の宝石で飾られているという。
更に黙示録には、新エルサレムについて次のようにある。

「その都は太陽や月が照らす必要がない。
神の栄光がそれを明るくし、その灯は子羊だからである。
その門は1日中閉ざされることはない。そこには夜がないからである』

(第21章23〜25節)

太陽と地球内部アルザルは、大気プラズマによって常に光り輝いている状態で、月内部も人工プラズマの照明で常時明るい状態だが、とりあえずここでは太陽のことだと仮定しよう。
子羊は「イエス・キリスト」の象徴で、ヨハネはその光源を「太陽」だと述べているのだ。
聖書には、「ヨハネの黙示録」以外にも、「新エルサレム」らしき記述がある。
聖書外典「パウロ書」「バルク書」「エノク書」には、「UFOによる太陽旅行記」と思われる記述がある。

長くなるのでストーリーは省略するが、エノクやバルクは、「第一の天から第七の天」までを飛ぶ鳥のように旅行するのだが、これは法華経の須弥山の九山八海の外洋を除いた「七山七海(仏教の七金山)」と符合し、「ヨハネの黙示録」の「七つの黄金の燭台」と「七つの星」にも符合する。
ヨハネは、「七つの黄金の燭台の中央に、長い衣をまとった白髪で牙のある貴人が七つの星を持って立っていて、その貴人は強く輝く太陽のようだった」と幻視している。
幻視は神によって視せられるヴィジョンであり、夢占いと同じく象徴に満ちている。
「七つの黄金の燭台の中央」は、七つの金山に囲まれた須弥山、つまり「新エルサレム=イエス・キリストの神殿」である。
「長い衣をまとった白髪で牙のある」というのは、「威厳のある王」というところだろうか。
「その貴人は強く輝く太陽のようだった」ということは、その貴人が「イエス・キリスト」であることを象徴している。
具体的には、「白」「牙」「7」「太陽」がキーワードで、白はイエス・キリストを象徴する「光」の色で「白い王=皇」。
牙は、イエスを生んだユダ族の象徴である百獣の王「獅子」。
7は聖数で、七つの燭台は「七つの頭を持つ龍」と同じであり、ルシファー(イエス・キリスト)の象徴。
そして、太陽神の受肉が「イエス・キリスト」であり、貴人の正体は「イエス・キリスト」ということになる。

また、「バルク書」では「平野の長さは南北等しい」と、天使がバルクに語っているが、これも「ヨハネの黙示録」の新エルサレムや、「法華経」の須弥山の記述とも一致している。
これ以上の説明は不要だろう。
「須弥山=新エルサレム=エノクの街=太陽の超巨大階段ピラミッド=天空の城ラピュタ」なのだ。
そして、須弥山は『西遊記』の舞台でもある。
因みにに、悟空は「空を悟る」と書くが、瞑想などで左右両脳が活性化すると、般若心経の「色即是空」を悟ることができ、釈迦と同じニュートラル思考になることができる。
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 00:15| Comment(2) | アセンション浪漫的複合解釈 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつも勉強させていただいています。
七という数字はコーランにも頻繁に登場しますし、仏陀が誕生した時すぐに七歩歩いて「我、世界の中心に立てり」と言ったのも、最高神が住まう第七天に到達したという事でしょうか。
まだまだ勉強不足なので、他の記事もゆっくり拝見させていただきたいと思います。
Posted by はじめまして at 2010年04月21日 22:44
釈迦が言った「我、世界の中心に立てり」の「我」とは、全ての人に当てはまることで、イエスが言った「私は神の子である」の意味も同じですね^^
Posted by 夢蛇鬼 at 2010年04月22日 20:35
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