『西遊記』は、三蔵法師玄奘が仏典を授かりにインドへ向かう物語であるが、その内容は『聖書』や『日本神話』と共通する部分が多く、また王仁三郎の『霊界物語』を彷彿させる。
つまり、西遊記は「預言書」であり、「中国神話」だと言える。
暴れん坊の孫悟空が、釈迦如来に岩に閉じ込められたのは、ルシファーや素戔嗚尊の天界追放、天照大神の岩戸隠れにも符合する。
悟空は最初の頃、桃園の番を言い付けられたが、この貴重な桃に手をつけてしまったのは、禁断の樹の実を食べたアダムとイブにも符合する。
ここでは取り上げないが、西遊記の中に登場する地名や名称には、須弥山に関連するものが多く、天界(太陽)を舞台にした神話であることが窺える。
また、三蔵法師の「三」は日向族、八戒の「八」は出雲族を象徴する数字である。
そして、悟空の敵で牛頭夜叉(牛魔王)というのが登場するが、牛は破壊神「シヴァ」、または「バアル」信仰に由来する「スサノオ」を意味している。
悟空は「スサノオ」に対応するが、それは「スサノオとヤマタノオロチ」の一人二役の戦いに符合する。
悟空という名は「空を悟る」と書き、仏陀やキリストと同義語である。
つまり、「ヤハウェとルシファー」「アマテラスとスサノオ」が神一重の同一神であるように、「釈迦如来=孫悟空」とも表現できるのだ。
そして、金斗雲に乗った悟空は、新エルサレムの「イエス・キリスト」と符合する。
または、金斗雲のスピードからすると、UFOのことだと考えられなくもない。
三蔵法師が悟空の頭に嵌めた金の輪っかは、須弥山の金輪に因んだものだが、十字架のイエス・キリストの茨の冠を示唆し、それが悟空の行動を制御するというのは、出雲族が日向族に呪縛されていることを意味している(このことは別の機会に詳述する)。
また、観音様が天界から降臨し、龍の体に息を吹きかけると馬の姿に変わる場面があるが、いずれも「イエス・キリスト」を象徴する。
もっとも、この龍は悪事を働く龍なので、この場面では聖書的に堕天使「ルシファー」だと言える。
だとすると、西遊記は「再臨のイエス・キリストがルシファーを改心させる」という近未来予言だという解釈も成り立つ。
また、悟空の偽物が登場するのは、終末に現れる「反キリスト」を彷彿させる。
悟空は1200匹のサルの家来を集め、戦いの訓練をしていたが、1200はゲマトリアで「12」となり、「イエス・キリスト率いる12神軍」、即ち、ハルマゲドンと共に地上に帰還する「イスラエル10支族+イエスの12使徒で構成される2支族」と一致する。
孫悟空は「スサノオ=出雲族=鬼」であるが、サルの姿で描かれていることから、鬼門(丑寅)の反対の「サル(申)」、すなわち裏鬼門を象徴する「日向族」にも通じ、やはり一人二役を演じている。
つまり、「孫悟空=桃太郎」と表現しても間違いではない。
ここでまた、「牛頭夜叉を倒した悟空=鬼退治をした桃太郎」という構図になる。
そして結局、悟空や八戒は三蔵法師のお供をして旅をするのだが、これは「日向族と出雲族」の和合を意味する。
西遊記のクライマックスは、三蔵一行が釈迦の住む雷音寺へ到着。
「光」でありプラズマである「雷」が、「ルシファー」と「イエス・キリスト」の象徴であることは既に述べた通り。
そして、雷音はユダ族の象徴である百獣の王「ライオン」に通じ、ユダ族の王であり天界の王である「イエス・キリスト」を意味していると言える。
イエスと釈迦は別人だが、共に「ヤハウェ・スピリット=キリスト精神」の受肉で、釈迦がイエスの予型として生きたという意味では、霊的に「釈迦=イエス・キリスト」となる。
さて、三蔵一行が長安に帰ると、三蔵の修行の場であった洪福寺では、『松の枝が東に向く』という奇怪な現象が起こっていた。
そして、坊主がこう言った。
「境内の松の枝が東に向く時、天竺への旅の役目を終えた時だ」
改めて解説するが、「松=鬼=スサノオ」である。
それが中国から見て東、つまり日本に向いていたというのだ。
これは、聖書の「光は東方より」という予言と一致する。
つまり、日向族と出雲族の和合により、日本を中心とする「至福千年王国」の到来を予言したものなのだ。
それは「洪福」という寺の名前にも暗示されており、「イスラエル2支族と10支族の合体」にも通じる。
その時、悟空の頭から金輪はなくなっていた。
これは太陽の須弥山が金輪から外れて、地球に飛来(イエス・キリストの再臨)することを暗示。
また、日向族の呪縛が解け、鬼門に封印されていた出雲族(鬼=スサノオ=国常立尊)の復権と、真の天照大神の岩戸開きによって、「ミロクの世」が到来することを示している。
そして悟空は、「戦闘勝仏」という仏の位に昇格した。
つまり、神と悪魔の最終戦争で、「悟空=イエス・キリスト=スサノオ=国常立尊」が地上の神権を取り戻したことを意味する。
それは、地球を支配する宇宙エネルギーのシフトが起こるということで、現在は魚座から水瓶座の時代への転換期であることからも頷ける。
魚座の時代は左脳が支配する「競争」「闘争」を意味し、水瓶座の時代は右脳が支配する「共生」「調和」を意味する。
さて、三蔵法師が授かった仏典は「大般若経」で、このエッセンスが「般若心経」である。
「般若心経」は、量子力学の究極真理である「色即是空」「空即是色」という「空」を説いた経典で、空を悟ることを「悟空」という。
だから、「悟空=仏陀=キリスト」なのだ。
アニメ「ドラゴンボールGT」の最終回でも、子供に戻った悟空が神龍の背中に乗って、空の世界に昇天(キリストと一体化)した。
そして偶然にも、7つのドラゴンボールは「七つの星を持って立っている貴人」とシンクロしている。
また、「貴人イエス・キリスト=鬼神スサノオ」でもある。
そして、「般若心経」の最後に次のようにある。
ギャーティ ギャーティ(往ける者よ、往ける者よ)
ハラ ギャーティ(彼岸に往ける者よ)
ハラ ソウギャーティ(彼岸に全く往ける者よ)
ボウジ ソワカ(悟れよ、幸あれ)
「彼岸」とは様々な解釈が出来るし、実際に様々な意味が含まれていると思うが、「霊界」のことだと私は解釈している。
ハルマゲドンの時、空中携挙されて須弥山に往ける者は幸せだが、もし肉体が死ぬ運命であっても、向こう岸(霊界)に往ける者は幸いだということだ。
仏教では、「一切衆生が救われる」とされている。
しかし、その門に入れない人たちもいるようだ。
「その門から都の中に入れる者たちは幸である。
その外にいるのは犬、心霊術を行う者、淫行の者、殺人者、偶像を礼拝する者、また偽りを行い続ける者である」
(「ヨハネの黙示録」第21章14節)
要は、「モーゼの十戒」が守れない者は、新エルサレムの門を通れないというのだ。
「モーゼの十戒」の真意については機を改めて検証するが、知識として左脳で知っても意味はなく、右脳で空を悟ることが重要なのだ。
自らが「悟空」になった時、即ち「キリスト」となった時、イエス・キリストの都城「新エルサレム」の門をくぐることが出来る。
「般若心経」は、そう説いているのだろう。
空を悟る為には、右脳(厳密には両脳の活性化だが)の開発しかない。
七田眞氏によると、「般若心経」を暗誦音読することで右脳が開けるという。
日蓮に言わせると、『「南無妙法蓮華経」の7文字を唱えるだけで良い』ということになるだろう。
久保有政氏よると、法華経のルーツは、イエスの使徒「トマス」がインドで布教した原始キリスト教で、達磨大師の正体は「トマス」だという。
興味のある方は『仏教の中のユダヤ文化』(学研)をお読み頂きたいが、簡単に紹介しておこう。
「使徒トマスがインドへ原始キリスト教を伝えたとき、お釈迦様が説いた仏の教えは、一般衆生を救う大乗仏教へと成長。
シルクロードを通って倭国へ伝来すると、まったく新しい「日本仏教」を生み出した。
日本仏教の祖「聖徳太子」が受け継ぎ、ユダヤ人原始キリスト教徒「秦氏」が守った仏の神秘と神々の真実に迫る!!」

