2009年08月08日

エド・ミッシェルの神秘体験

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「私はキリスト教の神を信じていない。
キリスト教が教える人格神は存在しないと思っている。
神というのは、この世界で、この宇宙で現に進行しつつある神的なプロセスを表現するために用いられている言葉にすぎない」

「私は熱心なクリスチャンだった。
私は南部バプティストのファンダメンタリストだった。
ファンダメンタリストの教義は、ご承知のように、科学が教えることにより、聖書に書いてあることのほうがすべて正しいという立場だ。
しかし、私は一方で科学者であり、技術者だった。
だから、私の人生は四十年間にわたって、科学的真理と宗教的真理の対立を何とか解消できないかと悩みつづけた人生だった。
結局、ある日、どちらの真理も、より高次のレベルの真理を、より低次のレベルで部分的にしかつかんでいないことから対立が生じているのだと考えれば、問題はすべて解消してしまうではないかということがわかって、悩みを脱することができた」

「宗教の側には部分的真理という以上の問題がある。
それは教団として組織化されることから生じた、真理の道の踏み外しだ。
すべての宗教は偉大なスピリチュアルな真理をつかんだ指導者の教えにはじまる。
しかし、信者は、その教えの本質を充分に理解していない。
各宗教の教祖となったような人々は、イエスにしても、ブッダにしても、モーゼにしても、モハメッドにしても、あるいはゾロアスターや老子にしても、みな人間の自意識の束縛から脱して、この世界のスピリチュアル・ワンネスにふれた人々なのだ。
だから、彼らはみな同時に超能力でもあった。
彼らはみな奇跡を起こした。奇跡というのは超能力現象の別の表現だ。
しかし、その教えを受けて、追随した人々のほうは、自意識の束縛から逃れきれていないために、教えられた真理をそこまでの深みにおいて把握していない。
だから、指導者が世を去ると、信者集団はスピリチュアルな真理から人間的自意識の側に引き戻されてしまう。
そして教団が組織され、教団全体としてますます原初の真理から離れていくことになる。
教団化された既成宗教はどれをとっても、いまや真のリアリティ、スピリチュアルなリアリティから離れてしまっている。
私がいう宗教的真理というのは、教団教義のことではない」

「私は二つの真理の相剋を抱えたまま宇宙にいき、宇宙でほとんど一瞬のうちに、この長年悩み続けた問題の解決を得た」

「無数の星が暗黒の中で輝き、その中に我々の地球が浮かんでいた…
それを見ながら、いつも私の頭にあった幾つかの疑問が浮かんできた。
私という人間がここに存在しているのはなぜか。
私の存在には意味があるのか。目的があるのか。
人間は知的動物にすぎないのか。何かそれ以上のものなのか。
宇宙は物質の偶然の集合にすぎないのか。
宇宙や人間は創造されたのか、それとも偶然の結果として生成されたのか。
我々はこれからどこにいこうとしているのか。
すべては再び偶然の手の中にあるのか。
それとも、何らかのマスタープランに従ってすべては動いているのか。
こういったような疑問だ。
いつも、そういった疑問が頭に浮かぶたびに、ああでもないこうでもないと考えつづけるのだが、そのときは違った。
疑問と同時に、その答えが瞬間的に浮かんできた。
問いと答えと二段階のプロセスがあったというより、すべてが一瞬のうちだったといったほうがよいだろう。
それは不思議な体験だった。
宗教学でいう神秘体験とはこういうことかと思った。
心理学でいうピーク体験だ。
詩的に表現すれば、神の顔にこの手でふれたという感じだ。
とにかく、瞬間的に真理を把握したという思いだった。
世界は有意味である。私も宇宙も偶然の産物ではありえない。
すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。
そのプランは生命の進化である。生命は目的をもって進化しつつある。
個別的生命は全体の部分である。個別的生命が部分をなしている生命がある。
すべては一体である。一体である全体は、完璧であり、秩序づけられており、調和しており、愛に満ちている。
この全体の中で、人間は神と一体だ。自分は神と一体だ。
自分は神の目論見に参与している。宇宙は創造的進化の過程にある。
この一瞬一瞬が宇宙の新しい創造なのだ。進化は創造の継続である。
神の思惟が、そのプロセスを動かしていく。
人間の意識はその神の思惟の一部としてある。
その意味において、人間の一瞬一瞬の意識の動きが、宇宙を創造しつつあるといえる。
こういうことが一瞬にしてわかり、私はたとえようもない幸福感に満たされた。
それは至福の瞬間だった。神との一体感を味わっていた」

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「神とは宇宙霊魂あるいは宇宙精神(コスミック・スピリット)であるといってもよい。
宇宙知性(コスミック・インテリジェンス)といってもよい。
それは一つの大いなる思惟である。
その思惟に従って進行しているプロセスがこの世界である。
人間の意識はその思惟の一つのスペクトラムにすぎない。
宇宙の本質は、物質ではなく霊的知性なのだ。この本質が神だ」

「人間というのは、自意識を持ったエゴと、普遍的霊的存在の結合体だ。
前者に意識がとらえられていると、人間はちょっと上等にできた動物にすぎず、本質的には肉と骨で構成されている物質ということになろう。
そして、人間はあらゆる意味で有限で、宇宙に対しては無意味な存在ということになろう。
しかし、エゴに閉じ込められていた自意識が開かれ、後者の存在を認識すれば、人間には無限のポテンシャルがあるということがわかる。
人間は限界があると思っているから限界があるのであり、与えられた環境に従属せざるをえないと思っているから従属しているのである。
スピリチュアルな本質を認識すれば、無限のポテンシャルを現実化し、あらゆる環境与件を乗り越えていくことができる。
人が死ぬとき、前者は疑いもなく死ぬ。消滅する。人間的エゴは死ぬのだ。
しかし、後者は残り、そのもともとの出所である普遍的スピリットと合体する。神と一体になるのだ。
後者にとっては、肉体は一時的な住み処であったにすぎない。
だから、死は一つの部屋から出て別の部屋に入っていくというくらいの意味しかない。
人間の本質は後者だから、人間は不滅なのだ。
キリスト教で人が死んで永遠の生命に入るというのも、仏教で、死して涅槃に入るというのも、このことを意味しているのだろう。
だから、私は死を全く恐れていない」

「真理を瞬間的に獲得するとともに歓喜が打ち寄せてきた。
その感動で自分の存在の基底が揺すぶられるような思いだった。
より正確にいえば、いま言葉であれこれ説明しているように、論理的に真理を把握したわけではない。
言葉では表現できないが、とにかくわかった、真理がわかったという喜びに包まれていた。
いま自分は神と一体であるという、一体感が如実にあった。
それからしばらくして、今度はたとえようもないほど深く暗い絶望感に襲われた。
感動がおさまって、思いが現実の人間の姿に及んだとき、神とスピリチュアルには一体であるべき人間が、現実にはあまりにあさましい存在のあり方をしていることを思い起こさせずにはいられなかったからだ。
現実の人間はエゴのかたまりであり、さまざまのあさましい欲望、憎しみ、恐怖などにとらわれて生きている。
自分のスピリチュアルな本質などはすっかり忘れて生きている。
そして、総体としての人類は、まるで狂った豚の群が暴走して崖の上から海に飛び込んでいくところであるかのように行動している。
自分たちが集団自殺しつつあるということにすら気づかないほど愚かなのだ。
人間というものに絶望せずにはいられない。
私の気分はどんどん落ち込んでいった。
ところが、またしばらくすると、先ほどの神との一体感がよみがえってきて、感動的な喜びに包まれる。
するとまたしばらくして絶望感に打ちひしがれる。
こうして無上の喜びと、底知れぬ絶望感と、極端から極端へ心が揺れ動き続けた。
それが三十時間にもわたって続いたのだ……。
しかし、地球に戻ってから、この体験を反芻し、哲学書、思想書、宗教書などを読みふけるようになった。
もともと哲学、神学に興味をもって読んではいたが、やはりそれまではキリスト教の立場からのものが中心だった。
しかし、今度は心をもっと広く開いて、あらゆる宗教、あらゆる思想に偏見なく接するようになった。
私が持ったあの神との一体感、あれが特定宗教の神との一体感であって、その神だけが真実の神であり、他の宗教の神は虚妄であるとは私には思えなかったからだ」

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「ジム(アーウィン)とそう深く話し合ったわけではないが、たしかにジムの体験は私の体験と質的に非常に近いものだったと思う。
彼はその体験を伝統的キリスト教の枠組の中で表現している。
それが彼にとっては最上の表現方法だったからだろう。
しかし、キリスト教の枠組は狭い。あまりにも狭い。
あらゆる既成宗教の枠組は狭い。
既成宗教の枠組の中で語ろうとすると、その宗教の伝統の重みにからめとられてしまう。
伝統による人間の意識の束縛は大きすぎるほど大きい」

「宗教はすべて、この宇宙のスピリチュアルな本質との一体感を経験するという神秘体験を持った人間が、それぞれにそれを表現することによって生まれたものだ。
その原初的体験は同じものだと思う。
しかし、それを表現する段になると、その時代、地域、文化の限定を受けてしまう。
しかし、あらゆる真の宗教体験が本質的には同じだということは、その体験の記述自体をよく読んでいくとわかる。
宗教だけに限定する必要はない。哲学にしても同じことだ。
真にスピリチュアルな体験の上にうちたてられた哲学は、やはり質的には同じものなのだ」

「人間的エゴから離脱すると、この世界が全く違って見えてくる。
エゴの目からは見えない知覚の向こうにあるスピリチュアルな世界が見えてくる。
自分がこれまで真理だと思っていたことが、より大きな真理の一部でしかないことがわかってくる。
この意識の変革、視点の転換がすべてのカギであることを、あらゆる宗教が語っている。
イエスが、『悔い改めて神の国に入れ』というとき、意味していることはそれなのだ。
ギリシア語で『悔い改め』とは、『メタノイア』という。
何か悪いことをしてそれを反省すれば天国にいけるという意味ではなく、世界を全く違った視点から見れば神的世界がすでにここにあるということなのだ。
ヒンズー教の伝統でソマティというのも、仏教のニルヴァーナも、あるいは神秘思想でいう照明体験もすべて同じことなのだ」

「どんな神秘体験にも引き金になるものがある。
私の場合は、たまたまそれが宇宙から地球を見るという体験だったということだ。
同じ体験を別の人は高い山に登って地上を見たときに得られるかもしれない。
私が何万マイルもの高みに登らなければ、その体験が得られなかったのは、多分、私の精神がかぶっていた殻が固すぎたからだろう」

「神秘的宗教体験に特徴的なのは、そこにいつも宇宙感覚があるということだ。
だから、宇宙はその体験を持つためには最良の場所なのだ。
歴史上の偉大な精神的先覚者たちは、この地上にいてコスミック・センスを持つことができた。
これは凡人にはなかなかできることではない。
しかし、宇宙では凡人でもコスミック・センスを持つことができる。
何しろそこが宇宙だからだ。
宇宙空間に出れば、虚無は真の暗黒として、存在は光として即物的に認識できる。
存在と無、生命と死、無限と有限、宇宙の秩序と調和といった抽象観念が抽象的にではなく即物的に感覚的に理解できる。
歴史上の賢者たちが精神的知的修練を経てやっと獲得できた感覚を、我々は宇宙空間に出るという行為を通して容易に獲得できたのだ。
だから私は、私の体験が個人的体験にとどまらず、人類にとって大きな意味があると思っている。
私の体験は人類の進化史における転回点だといっても良いと思う」

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「人間は宇宙に進出することによって地球生物から宇宙生物に進化した。
人間の地球生物時代は、宇宙生物としての人間の前史にすぎない。
前にもいったように、宇宙は創造的進化の過程にある。
サルから進化した人類が誕生したところで、進化はその頂点に達し、ストップしてしまったわけではない。
人類の時代になってから、進化は人間の意識の拡大という面で急速に進んできた。
そしていま、宇宙生物となり、コスミック・センスを獲得するようになった。
ここから人類の新しい時代が始まる」

「進化の方向ははっきりしている。
人間の意識がスピリチュアルに、より拡大する方向にだ。
つまり、イエスとか、ブッダとか、モハメッドとかは、早くからこの進化の方向を人類に指し示していた先導者なのだ。
どんな進化でも、種全体が大きく変わる前から、進化の方向を先取りして示す個体があるのと同じことだ…
そして、この宇宙をより正しく、つまり、よりスピリチュアルに理解するようになる」

「私も進化の方向は、神との同一性に無限に近づいていく方向にあると思っているが、私の考える神は、キリスト教の神ではない。
ちなみに、ユングからも私は影響を受けている。
人間が集団的無意識を共有しているという彼の考えは正しいと思う。
しかし、その集団的無意識の根拠は人間が原始時代から蓄積した経験の集積に求められるべきではなく、エゴから離れた意識の面においては、すべての人間がそれぞれに神につらなっているのだということに求められるべきだろうと思う」

「天動説を信じ込んでいた人々は、コペルニクスが地動説をとなえたとき、それをイメージすることができなかった。
この不動の大地が動いているだって、バカなことをいうなと怒ったのだ。
地球が平面であることを信じきっていた人々は、地球が球体であるという説を聞いたとき、地球が球体なら、地球の下側にいる人がなぜ落ちないのか、どうしても理解できなかった。
私がよく用いるたとえ話でこういうものがある。
地球が平面で、その上に生きている人間も、二次元の生物であったとする。
三次元の物体は、彼らは見たことも考えたこともない。
そういうものが存在することさえ知らない。
そこに、宇宙からヤリが飛んできて、地球を貫いたとする。
地球人はそのとき、ヤリを三次元の物体として認識できるか。
地球人は二次元の生物だから地球平面上にはないヤリの三次元部分が見えない。
従って、ヤリを円柱状の細長い物体とは思わず、平面上の小さな円としか思わない。
宇宙のスピリチュアルな構造を知らず、それをマテリアルの側面からしか見ない人は、二次元の世界に生きているが故に三次元の世界が見えず、見えないが故にそれが存在しないと思っている二次元地球人のようなものだ。
あるいはこうもいえる。
我々現代人はみなアインシュタインの理論を一応は知っている。
時間と空間は絶対的なものではなく、相対的なものであるという相対性理論を常識として知っている。
しかし、それをイメージとしてつかんでいる人間がいるだろうか。
人間がイメージできる世界は、依然としてニュートン的世界にとどまっている。
現実の知覚の対象として入ってこなければ、人間にはイメージがわくものではない」

posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 22:02| Comment(0) | アポロ宇宙飛行士の神秘体験 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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