2009年08月13日

第4の岩戸開きの予型「大本とニギハヤヒの復活」

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「4度目の岩戸閉め」について、『日月神示』には次のように示されている。

「神武天皇の岩戸閉めは、御自ら人皇を名乗り給うより他に道は無きまでの御働きをなされたのであるぞ。
神の世から人の世への移り変わりの事柄を一応、岩戸に隠して神倭盤彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト)として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるぞ」


神武天皇については諸説あり、調べれば調べるほど謎が深まり、神武天皇自体が架空の人物だと断言する研究家も多い。
分かっている事は、神武天皇は日向族出身の初代天皇で、「神倭盤彦命」という名前を持っていたという事である。
神武天皇の詳細については、日本古代史の中で改めて詳述するので、ここでは簡潔に説明しておこう。

神武天皇と言えば、日向から大和への東征神話で有名だが、この東征神話は、「アレクサンドロスの東征」がモデルになっている。
アレクサンドロスはアケメネス朝ペルシアを征服し、「スサの王」を名乗った。
これが「スサノオ」の語源となっている。
つまり、神武天皇の正体は「スサノオ」なのだ。
だからと言って、出雲族のスサノオの正体が「アレクサンドロス」という訳ではない。
アレクサンドロスの子孫でもない。
「スサの王」の肩書きを継承しているのがスサノオなのだ。
だが、神武天皇は「日向族」という事になっている。
これは一体どういう事なのか。

スサノオは「牛頭天王」と呼ばれている。
『日本書紀』によると、スサノオは朝鮮から出雲に渡ってきた渡来人だとされ、韓国の牛頭山がそれに該当する。
そして、神武天皇の正式名「カムヤマトイワレヒコノミコト」の敬称を省いた「ヤマト・イワレ・ヒコ」は、ヘブライ語で「神の民の高尚な創設者」という意味」だと言われている。
また、天皇の古語「スメラミコト」はヘブライ語で「サマリアの王」となり、「帝」はガド族出身を意味する「ミ・ガド」から来ているという。
つまり、初代天皇である神武天皇は、イスラエル10支族のガド族の王にして、出雲族の「スサノオ」だった事になる。
イスラエル10支族は、スキタイと合流して日本列島に渡来したと考えられているが、スキタイとアレクサンドロス軍に何か関係があったのだろうか。

実は、イスラエル10支族は大陸から渡来した集団ではない。
牛頭天王のルーツは、インドの祇園精舎にある。
アレクサンドロス軍はインド遠征を目指したが、部下の疲労を理由に兵を引き返すことになった。
が、アレクサンドロスは、後にマウリヤ朝を樹立するチャンドラグプタに大きな影響を与えている。
チャンドラグブタは、アレクサンドロスの後継者セレウコスと友好関係を結ぶ為、セレウコスの王女を妃として迎えた。
そのインド統一事業を継承し、マウリヤ朝の全盛期を現出したのが第3代の「アショーカ王」である。
アショーカ王は、世界各地に仏教宣布団を派遣し、日本列島には2つのグループが向かった。
これが、アリオンのいうアマ族で、陸路で日本に向かったのが「日向族」、海路で東南アジアの島々を経由して朝鮮に渡り、壱岐島から出雲に渡ってきたのが「出雲族」である。

そして、出雲族と釈迦族の家紋が酷似しており、それは「ガド族」の紋章が原型となっている。
釈迦は「サカ」とも発音され、スキタイを意味する。
つまり、釈迦族は「イスラエル10支族」と「スキタイ」の統合民族の王家で「牛」をトーテムとしているが、アレクサンドロスも牛を象徴して「双角王」と呼ばれていた。
結論を言えば、スサノオは、アレクサンドロスの名乗りを継承する釈迦族(ガド族)の王で、アショーカ王に派遣された仏教徒だったのだ。
イスラエル10支族がインドで仏教徒になっていたと言うと奇異に思うかも知れないが、釈迦自体が仏教の開祖であり、ユダヤ人原始キリスト教徒の子孫の聖徳太子ですら仏教を賞賛した。
しかも、アショーカ仏教は単なる仏教ではなく、ヒンドゥー教やギリシア神話も混合されていた。
特にスサノオの部族(出雲族)は、牛神「シヴァ」を主とするヒンドゥー教徒だったようだ。
そもそも、イスラエル10支族は牛神「バアル」を主とする多神教徒だった。
そうすると、ヒンドゥー教シヴァ派の成立には、釈迦族が関与していた可能性が高い。
ヒンドゥーはペルシアで「シンドゥ」と発音し、これが日本で「シンドウ教」となり「神道」のルーツとなったのだ。
実際に九州には、今でも「神道教」という民俗宗教が残っている。

また、騎馬民族は本来、遊牧民であり、パミール高原を通ってモンゴルとインドを往来していたことは想像に難しくない。
要は、出雲族のスサノオの正体は、スキタイと合流したイスラエル10支族のガド族の末裔であり、釈迦族の王だったと言える。
そして、アレクサンドロス伝説の影響を受け、「スサノオ」を名乗っていたという訳だ。
だが、「スサノオ」は代々の名乗りであり、1人ではない。
我々が「スサノオ」と呼ぶ人物の本名は「フツシ」で、父を「フツ」という。
アリオンによると、フツシは出雲で誕生したらしい。
という事は、朝鮮半島から出雲に渡ってきたスサノオは「フツ」だった事になる。
では、「神武天皇=スサノオ」の正体は、「フツ」か「フツシ」か……。

正解はどちらでもない。
アレクサンドロスが東征したように、日本に於ける神武天皇も大和に東征している。
それは、フツシから王位を継承した、フツシの第5子「ニギハヤヒ」である。
ニギハヤヒは大和を征服し、事実上の「初代天皇」となったのだ。
その後、大和の歴史は、日向族の大和朝廷へと繋がっていく。
そして、神武天皇は「日向族」という事になり、ニギハヤヒは日向族の象徴数である「三」が付く三輪山に葬られた。
三輪氏は賀茂氏と同族の「秦氏」である。
それ故、日向族が編纂した正史、つまり捏造された歴史書である『記紀』には、ニギハヤヒの名前は殆ど出てこない。
これ以上の話はここでは避けるが、ニギハヤヒは日向族に封印された初代天皇「神武天皇」の正体だったのだ。

当然ながら、ニギハヤヒも「スサノオ」であるが、男神「天照大神」とも呼ばれている。
何故なら、神武天皇(スサノオ)のモデルとなったアレクサンドロスもエジプトでファラオに即位し、太陽神「アメン」の子を名乗っているからだ。
アメンは「アモン」とも発音し、それはイスラエル10支族が崇拝した「黄金の子牛」であり、牛神「バアル」と同一神である。
バアルは暴風雨の神で、神「スサノオ」と対応する。
即ち、「スサノオ=天照大神」で、イエスが「天照大神」であると同時に「スサノオ」でもあった事と同じ道理である。

では、『日月神示』が示す「神の世から人の世への移り変わりの事柄を一応、岩戸に隠して神倭盤彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸閉めの一つであるぞ」とは、どういう意味なのか。
神道の概念では、人は死後に於いて「神」となる。
即ち、真の皇祖神「天照大神」の正体は「ニギハヤヒ」なのだ。
だが、ニギハヤヒは皇祖神ではなく「初代天皇」に位置付けられ、しかも人物像の削除、またはすり替えが行われている。
そして、皇祖神「天照大神」は女神として卑弥呼の影を残しつつ、「イエス・キリスト」にされているのが現状なのだ。
勿論、卑弥呼やイエスが悪者という訳ではなく、日本の史実が改竄されて封印されている事が、「岩戸閉め」となっているのである。
では、その「第4の岩戸開き」と大本に、どのような関係があるのかを見ていこう。

posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 01:14| Comment(0) | 日月神示の暗号と5度の岩戸開き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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