2010年10月30日

567のルシファー「大日月地大神=神素戔嗚尊=イエス・キリスト」

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日月神示には次のように示されている。

「世の元と申すものは火であるぞ、水であるぞ」
「クモ出てクニとなったぞ。出雲とはこの地の事ぞ。スサナルの神はこの世の大神様ぞ」
「間違の神々様、この世の罪けがれを、この神様にきせて、無理やりに北に押込めなされたのざぞ。
それでこの地の上を極悪神がわれの好き候に持ちあらしたのざ」


「火」は陽でイザナギであり、「水」は陰でイザナミであり、火と水が合わさって「火水=神」となる。
この火と水が世の元、つまり「天御中主神=国常立尊」だと神示はいう。
「クモ」とは、国常立尊の妻神「豊雲野尊」を連続させる。
国常立尊と豊雲野尊は本来一体であると同時に、国常立尊と素戔嗚尊も表裏一体である。
原始地球でマグマ(国常立尊)が地下に鎮まり、素戔嗚尊は海原を治めるようにイザナギに命じられた。
「クモ出てクニとなったぞ」とは、海水が蒸発して雲となり、海と大地に分かれたことを意味しているようだ。
「豊雲野」は文字通り、雲と野(大地)であり、更に「出雲とはこの地の事ぞ」とあり、国常立尊と素戔嗚尊と豊雲野尊の密接な関係が窺える。
そして火は「日」を、水は「月」をそれぞれ象徴し、それが融合して「雲=地」が誕生した。

表現こそ違うが、アリオンは「日と月が合わさって星となる予定だった」と述べているが、国旗でいえば「日=アマテラス圏」「月=ツキヨミ圏」「星=スサノオ圏」ということに符合する。
出雲族と日向族が融合できなかった為に、スサノオが「神スサノオ」になれなかったということなのだ。
だが、これも神のシナリオだったことは既に述べた通り。

それは次の記述を見ても明らかだ。

「一神で生む限度は七乃至八である。
その上に生まれおかれる神々は皆七乃至八であるが、本来は十万十全まで拡がるべきものである。
或る時期までは八方と九、十の二方に分かれてそれぞれに生長し弥栄し行くのであるぞ」


「日月地」は「火水地」だが、『日月神示』には次のように示されている。

「……地の六(水)に・の一霊が加わりて地は七となりたから、世の元から申せばミロクは六六六なり。
今の世の立直しの御用から申せばミロクは五六七と成るのであるから、六百六十六の守護は今までのミロクで、是からのミロクの御働きは五六七と成るのであるぞよ」


数霊では「火=五」「水=六」だが、これに「地=七」を加えると、「火水地=日月地=五六七」となる。
つまり、666として地下に鎮まっていたルシファー(国常立尊)が、スサノオとして地上に顕現し、悪神と形容される体主霊従主義のエネルギーと融合し、「神スサノオ=五六七(ミロク)」となるということである。

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この経綸が、まず世界の雛型日本に現れたのが、恐らく出雲族と日向族の融合による親王誕生で、これが世界規模で拡大するのがイスラエルと日本の融合、ひいては西洋と東洋の融合、そして宇宙規模で神霊界と物質界が融合し、「ミロクの世」になるのだ。

「ナミの神はやがて九と十の世界に住みつかれたのであるぞ」

「国常立神も素戔嗚命も大国主命も、すべて地にゆかりのある神々は皆、九と十の世界に居られて、時の来るのをお待ちになっていたのであるぞ」

「ナルの仕組みとは成十の経綸であるぞ、八が十になる仕組、岩戸開く仕組」

「七は成り、八は開くと申してあろうが、八の隅から開きかけるのであるぞ、開けると○と九と十との三が出てくる」

「七重の花が八重に、八重が九重、十重に開くのであるぞ、七重はキリストぢゃ、八重は仏教ぢゃ、今の神道ぢゃ、今までの教えは潰れると申してあろうがな」

「八とは開くことぞ。今が八から九に入る時ぞ、天も地も大岩戸開き」

「一日の日の間にも、天地引っくり返ると申してあろがな。
ビックリ箱が近づいたぞ、九、十に気付けと、くどう申してあろがな」


つまり、「富士と鳴門の仕組み」によって、いよいよ地球の完成「ミロクの世」となるのだ。

「八方的地上から十方的地上となるのであるから、すべての位置が転ずるのであるから、物質も念もすべてが変わるのであるぞ。
これが元の元の元の大神の御神策ぞ。
今までは時が来なかったから知らすことが出来んことでありたなれど、いよいよが来たので皆に知らすのであるぞ。
百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが、今日の為であるぞ、岩戸開きの為であるぞ。
今までの岩戸開きと同様でない、末代に一度の大岩戸開きぢゃ」


ちなみに、日月神示は昭和初期に岡本天明が自動書記したものだが、「百年も前からそら洗濯ぢゃ、掃除ぢゃと申してありたが」ということは、やはり江戸末期から興った「黒住教」「天理教」「金光教」「大本」「日月神示」は同じ神からの啓示を、場所と年代を変えて別々の人物が受信したものなのだ。
聖書も同様、書記した人物も年代も場所も様々だが、それらが一連の歴史書・預言書として編纂され、一つのバイブルとなっている。
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 22:07| Comment(0) | カテゴリ未決定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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