映画でも『ラストサムライ』があったが、ラストサムライと呼ばれる楠本端山は、幕末から明治維新にかけての激動の時期に活躍し、「四海の大儒」と呼ばれた儒学者で、勝海舟や西郷隆盛など多くの志士に感化を与えたという。
引用が続くが、理論の構築と裏付けの為に必要な作業なのでご容赦願いたい。
太田龍氏は「日本人は西郷隆盛の遺志を尊重すべき」とし、次のように述べている。
「フリーメーソンは明治新政権の軍の頂点に立つ西郷隆盛を、ユダヤの陣営に引き入れるべく様々な誘惑の手を伸ばしたが、西郷は全くこれに乗らなかった。
逆に、彼はユダヤ・フリーメーソンの謀略に気付き始め、それに対決する姿勢を見せたのではないか。
するとユダヤ・フリーメーソンは、すぐさま西郷排斥と西郷を葬るべく謀略の布石を打ち始めたのではないか」
白峰氏は次のように述べている。
『西郷隆盛さんは鹿児島の開聞(ひらきき)神社の神様に、「日本の国はこれでよいのか?」と願をかけたのです。
そうしたら、ニギハヤヒの神様が西郷さんの後ろ盾となり、明治維新の切っ掛けを作ることになったのです。
勝海舟という人が、西郷さんと会談して江戸城を無血開城しましたね。
その勝海舟は江戸城を守るために、あるところに祈願をしました。
これは歴史的な文献などには一切書いてありません。
どこで祈願をしたのか。
それは日光でした。
日光東照宮というのは、江戸を守るために鬼門に建てられたものですが、海舟は風水を解っていたのです。
江戸を守るための霊脈の最たるものは日光にあると。
その日光に、「何とかこの日本を守ってくれ」と祈願したのです』
武士道精神をダイレクトに受け継いでいるのが「剣道」で、剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道だとされる。
剣道修錬の心構えは、「剣道を正しく真剣に学び、心身を錬磨して旺盛なる気力を養い、剣道の特性を通じて礼節を尊び、信義を重んじ誠を尽くして常に自己の修養に努め、以って国家社会を愛して、広く人類の平和繁栄に寄与せん」とするものである。
神道に仏教や儒教が導入され「武士道」が形成されたが、その根幹はやはり神道である。
そして、神道儀式である稲作が、日本特有の民族精神「大和魂」を形成していったのだ。
「勇」は「マ+田+力」に分解できる。
「マ」は……言霊学的に、音の響く肉体を意味する。
そして田と力、即ち、国常立尊の肉体である土に勤しむ農耕が「勇」を培ってきたのだ。
それは人体の「田」、即ち「丹田」から発するが、この続きは実践編で解説しよう。
アリオンは次のように説明している。
『欧米は、狩猟民族意識から形成された社会を持つので、日本やアジアの稲作意識とは当然、異なる。
戦後40年間の間に、日本人たちの「場」の文化を切り捨てることで、欧米式の工業や商業の発展を手に入れたのだ。
しかし、いかんせん大地(ツチ)の心はそこに生まれ育った者に呼びかける。
「これでいいのか?」とね』
大地(ツチ)とは、「国常立尊=スサノオ=鬼」である。
では、「場」とは何か……。
『人は、そろそろ気付かねばならないだろう。
人、と呼ぶ自分達の仲間である生物自体の生活基盤というものが、既に個化され共通基盤となり得る生活と呼ばれる「場」が崩壊してしまったことを。
特に日本という国の文化は、「場」と呼ばれる共通磁場形態を介しての成立を持つ文化だっただけに、その「場」の崩壊は文化の崩壊を意味する。
特殊な「場」の文化形態が崩壊してしまった時に、人の取る行動は何か?
「群れる」という代替行為にも、文化の崩壊後の人の混乱が映し出される』
『こういった生活基盤や文化の崩壊の中で、「私」意識を保つために人が進んで行おうとすることは何だろうか?
「私」を構成する要因となる「自分」の特色を映し出すモノの認識、そしてそれらのモノが確実に自分自身の存在理由を示すかどうかの確認……。
その上、それらのモノに関連する者や物を探す、探して仲間になり仲間同士で結束してゆこうとするのだろう。
何故、結束しようとするか?
それは「自分」の存在理由を映し出すモノの正当性と確実性を高める為だ。
不安や自己の脆弱性を「群れ」になることで補おうとするのは、弱小生物の基本的な生活本能だからだ。
イワシや蚊も群れになって行動する』
『日本の「場」を介する文化や習慣は、人々の意識によって支えられ、そしてその文化形態としての家屋や通りの様式などにも支えられてきたが、戦後の欧米化の波をまともに受けて、それらの家屋や通りの様式は崩壊した。
それらの形態の変化と共に、家族のあり方や人間関係のあり方も変化した。
今まで「お国(という場)の為」や「社会(という場)の為」に働いた人々は「自分と呼ぶ認定範囲の中だけの為」に働くようになった。
そして、欧米化の波を受けた家屋形態は、閉じる方向へと進路を変えていった。
家族も核家族化して、益々「自分と呼ぶ認定範囲」は狭くなった。
地域の場は崩壊し家庭の場も崩壊している今、人の「場」は自分の立つ40〜50センチメートルの小さいものとなり、既に「場」と呼ばれ得ないシロモノと化した。
元々、人々が働いて築いてきた「場」の文化は終焉の時を迎えようとしている。
それと共に、稲作民族として栄えた日本のアジア的なルーツのもたらす安心感も揺らいで来ている』
『狩猟民族である欧米人の社会は、元々「場」というものを可変なモノとして認識し、その「場」の構成員である「個」に帰属させるという考え方であったので、アジア的な稲作民族の「場」の意識と、欧米的な「場」の意識とでは雲泥の差がある。
その雲泥の差のある欧米意識が練り上げた人間関係のノウハウと、そもそもアジア的な意識の日本人の人間関係のノウハウは、基盤となる人間関係の「場」意識が異なる』
『アジア的稲作民族意識からの脱落が、アジアの人々の意識からの脱落を意味するとしたら、これは日本の存続という観点から見ると、大変に危険な事だと言える。
どんなに姿形が欧米化しても、日本人の成り立ちを構成している素因はアジアからのものなのだから。
そして如何に欧米の思想や哲学、そしてそれらに関連するノウハウを身に付けても、日本という場の記憶素子は、脈々と受け継がれてゆくだろう。
この記憶素子に抵抗すればする程に、日本人の不安感や焦燥感は増すだろう』
『東洋的な認識方法は「面」であって、西洋的なそれは「点」であると認識して欲しい。
東洋、特に日本の場合、個人は「面」の一要員であって「点」ではなかった。
西洋では、個人は「点」であって、集合してもやはり「点」の集合でしかなく、決して日本的な「面」に成り得ないものだ。
だからこそ、西洋では「契約」システムが発達し、個人と個人の繋がりを明らかにし、お互いの利害関係によって、暫定的な「面」が築かれるのだよ。
しかも、この人間同士の契約システムで成立する「面」は、個人の人間性という非常に脆弱な基盤の上に成り立つので、日本的な「面」の持つ社会の暗黙の了解的な安心感や半永続性を持つことは不可能だ』
『戦後の西洋的教育法や産業能率を考慮した政策によって、日本でも、個人は「点」であるという認識が生まれた。
従って、現在の日本は非常に変わった状況に置かれていると言える。
現在日本人は、その「血」の中に「面」の文化性や性質を備えながら、西洋的な「点」の個人思想を思考しているのだ。
日本の強さは、この「面」指向性にあると言っても過言ではないが、これが足元から揺らいできている。
揺らいではきていても、まだ倒れてはいない。
これを倒すには、日本人の「血」の総入替えをせねばならないだろう。
「血」の中の伝統的チップの数は毎年減っているのは確かだが……』
『あなたがた日本人を含むアジア人は、自分たちで米を栽培し、自分たちの土地で取れた米と野菜を食卓に乗せている間は、まだ余力があり、希望的なんだが、この「米」が輸入に頼る比率が大きくなればなる程に、本来の力は消え失せるんだよ。
本来は、もっと米や野菜を栽培して完全自給の国になると良いのだが』
アリオンの解説で、武士道の源泉が農業(神道)にあり、その真髄が「面」にあることが確認できる。
この日本人の「面」認識は、武士道の「公」に相当する。
京大名誉教授の故・会田雄次氏は、『日本人として言い残しておきたいこと(大和出版)』の中でこのように述べている。
「明治時代の立身出世を、現代の利己的欲望に収斂する傾向が色濃いそれと同列に並べるのは誤りである。
精神的支柱としての武士道が健在だった当時は、立身出世は社会的地位を得、金持ちになることによって国の為に尽くすことができる、というイメージで捉えられていたのである。
国家に対する使命感が立身出世と表裏一体のものだったのだ。
この国の為に尽くす使命感こそ、公の概念の実体なのである」
片岡都美氏はこう語る。
『「公」の概念こそが、「明治時代の日本人の品格の基盤となるものだった」のであり、「人間の品格にとって公の概念が重要な要素である」ことに私たちは気付かねばならないのです』
「公」は「ハ+ム」で、ハは「背く」、ムは「私」の意であり、「私に背く」という字義である。
これは半田氏のいう「うしろの正面」と同じで、「自己と他社とは進化の方向へ反転した空間においては背中と背中がくっつき合った同一のアダム」であり、オコツトのいう「意識進化の方向性とは、他者をも自分自身と同一のものと見なす意識の方向性」と同義である。
また、「ハ」は広がりで、「ム」は無であり、自分を広げていくと公となり、個は無となる。
つまり、私(個)の反対が公、私(自力)を含む全ての他力が公(全体力)で、行き着くところが「一神則多神則汎神」で「天人合一」となる。
「公」として生きるか、公から孤立して「個」として生きるか、どちらが強いかは明白だろう。
また、「木+公」で「松」となる。
松は鬼の木であり、『公=鬼=素戔嗚尊=国常立尊=大地』なのだ。
『日月神示』には次のように示されている。
「一切が神であり、一切が喜びであるぞ。一切が自分であるぞ。
全体の為奉仕するは良いが、自分すてて全体なく。
自分ないぞ、全体を生かし、全体と共に部分の自分が弥栄えるのであるぞ、早合点禁物。
自分が自分生むのであるぞ。公のことに働くことが己のため働くこと。
大の動きなすために小の動きを為し、小の動きなすために個の動きなすのであるぞ…
肉体のみの自分もなければ霊だけの自分もない。
自分のみの自分はないぞ。縦には神との繋がり切れんぞ。
限りなき霊との繋がり切れんぞ。故に、神は自分であるぞ。
一切は自分であるぞ。一切が喜びであるぞ。
自分は自分一人ではなく、タテにもヨコにも無限に繋がっているのであるから、その調和を図らねばならん。
それが人間の使命の最も大切なことであるぞ…山も自分、川も自分、野も自分ぞ。
草木動物悉く自分ぞ、歓喜ぞ。その自分出来たら天を自分とせよ」
これが「大なる和」の「大和魂」であり、これを最も恐れるアメリカは、日本人が二度と脅威とならないように「農業壊滅」「畜産奨励」などの骨抜き政策によって、日本人の大和魂は抜き取られていったのである。
読者より頂いたメールを紹介しよう。
「あしたのジョーにせよ仮面ライダーにせよスーパーヒーローは常に全ての瞬間がクライマックスで生きているのですね。
だからこそ勇気と言うモノが生まれるんですね」
「全ての瞬間がクライマックス」とは、仮面ライダー電王のセリフだが、これは意味深い。
私の解釈では、持ち越し苦労や取り越し苦労などなく、「常に今を生きている」ということである。
『取り越し苦労、過ぎ越し苦労はやめて下され』(日月神示)
河野薬品の社長は「取り越し苦労は一家を滅亡に導く想念なので銀行強盗より悪い」と述べているが、発明家の橋本健氏や他の心理学者なども同様の事を述べている。
最後に、私の好きな曲の歌詞の一節を紹介しよう。
【サムライダイナマイト】(ガーゴイル)
逆らってぶつかって駆け回ってやる 思う存分生きていく
1分の1の自分だから 進め進めサムライダイナマイト
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