半田氏は5次元対称性を認識した時、「自分自身が宇宙そのものになった」と語っているが、森田健氏も「5次元では個が確立したまま時空と合一する」ということを体験している。
また、5次元では過去・現在・未来が同時存在するという半田氏の体験を紹介したが、まさに霊界は過去・現在・未来が同時に存在するといわれている。
1960年4月28日、モンロー研究所のロバート・モンローは次のような体験をしている。
「体外離脱の前段階の状態の時、何かが背中に這い上がってきた。
手を伸ばしてそれを背中から引き剥がし、ソファーの隣にある本棚に押し込んだが、それは出てこようとする。
必死に押し止めていると、2匹目が背中に上がってきた。
片手で1匹目を押さえ、もう片方の手を背中に回して2匹目を引き剥がし、大声で助けを求めた。
よく見ると、それは自分の2人の娘の姿になったが、それがカモフラージュだと気付くとまた別の姿に代わり、泣きながら助けを呼んだ。
すると、従兄弟に似た真剣な眼差しの男性がやってきて、2匹を取り去ってくれた。
男は2匹を抱くと、2匹はリラックスしておとなしくなり、モンローは礼を言って肉体に戻った」
モンローの3冊目の著書『究極の旅』に、この話の続きがある。
「体外離脱中、誰かが自分に助けを求めて呼んでいる。
眼下に建物が現れ、中に入ると、ベッドで男がのた打ち回っていた。
男の背中には4、5歳の子供が2人しがみついていて、男は恐怖で泣きながら必死で子供を背中から引き離そうとしていた。
モンローは、その子供たちを男から引き離した。
そして、腕の中でおとなしくなった子供たちをよく見ると、ペットの猫だった」
つまり、モンローは未来の自分に救出されたのだ。
逆にいうと、過去の自分を助けたということになる。
お互いに「自分」だという認識はなかったが、一種の「ドッペルゲンガー」だと言って良いだろう。
ちなみに、ペットの猫も体脱中だったわけだが、モンローはなぜペットを悪霊と勘違いしたのか。
半眠状態の時や体脱前段階の時に霊に遭遇した場合、そのまま把握できずに想像や連想が入ることが多い。
坂本正道氏は、モンロー研究所のセッションで、幽界にいた過去世の自分を救出している。
内容は割愛するが、そのことについて坂本氏はこのように結論づけている。
「過去世の自分を今の自分が救出するというのは、論理的に考えて次の2点で矛盾しているようにも思える。
過去世と今生という2つの自分が、同時にほぼ同じ場所に存在するという点、救出された過去世の自分の未来が現在の自分のはずで、過去世の自分がフォーカス23に閉じこめられていたのなら、現在の自分は過去世の自分が救出されて初めて存在できるのではないか、という2点である。
しかし……自己の意識というのは同時にいくつにも分離して存在できる。
バイ・ロケーション(2つの場所に同時に存在すること)やマルチ・ロケーション(いくつかの場所に同時に存在すること)と言われるものである。
23に閉じこめられた過去世の自分と今の自分は、分離して存在していたと考えれば、論理的に説明可能だ」
同様の事象は想念の世界だけではなく、亜空間(異3次元)でも存在し、1960年の『アメリカ連邦航空局年間』にミステリアスな記録がある。
1960年1月25日、ジョン・ウォールが操縦するセスナ182型機がアメリカのオハイオ州上空を飛行中、奇妙な雲が出現し、その雲に突入した次の瞬間、前方から木製の複葉機が飛んできた。
ウォールは慌てて機体を旋回させたが、複葉機の翼がセスナ機のボディに接触し、複葉機はそのまま消えていった。
ウォールは着陸後、セスナ機の片翼のくぼみと塗装の剥がれを確認し、接触事故の報告をした。
連邦航空局は、複葉機が逃げたことについて、航空法のもとに調査を始め、3ヶ月後、オハイオ州の古い牧場の倉庫で複葉機が発見された。
複葉機の翼に、ウォールのセスナ機と同じ塗装の付着が確認され、事件は解決したかに思われたが、その複葉機は長年飛行していない状態で放置されていたことが判明した。
更に、1932年の複葉機の飛行記録が発見され、「見たこともない金属製の飛行機と接触事故を起こした」と記されていたのだ。
調査員は、飛行記録が書かれたインクの成分分析をFBIに依頼した結果、時間経過を測る化学テストにより、確かに1930年代に書かれたインク跡だという結果が出ている。
この事件について、飛鳥昭雄氏の見解は次の通りである。
「この事件は、タイムスリップ事故としてアメリカでは有名だが、ウォールが過去に行って事故を起こしたか、複葉機が現在(同時)に来て事故を起こしたのかどちらかという見解が出されている。
しかし、真相はどちらも正しくなく、そしてどちらも正しいのである。
つまり、プラズマ・トンネルの内部の亜空間で両者が出会い、接触事故を起こしたというのが真相なのだ。
だが誤解がないようにしたいのは、亜空間を通れば過去や未来に行って、そこに住めるというのではない。
過去と現在が接触できるのは、共に両者が亜空間の中にある場合だけなのだ」
(「UFO2&世界統一政府計画」ワニの本)
また、ドイツの文豪ゲーテは、次のような奇妙な体験をしている。
21歳の時、ゼーゼンハイムに向かう小道を馬に乗って進んでいた。
すると、向こうからも馬に乗った男がやって来た。
近くまで来てよく見ると、その男は何と、少し歳をとった自分だったのである。
その少し歳をとったゲーテが着ている服は、明るいグレーで金色の縁取りがついているものだったが、当の本人は見た事もないものだった。
そして、馬の背で白昼夢を見ていたゲーテが目覚めると、夢の中の少し歳をとった自分も消えた。
その8年後、29歳になったゲーテはまたその道を通ったのだが、その時、自分が着ている服が、昔その道を通った時に夢に登場した歳取った自分が着ていたものと同じ服である事に気づいた。
それだけならただの予知夢だったという事になるが、何と今度は逆に、現在より若い自分が馬に乗ってやって来るのに遭遇したのである。
このミステリックな現象をどう説明するのか……。
一種のタイムスリップという解釈がされているだけで、明確な解明はされていないが、真相はこうである。
実は、人は誰しも、睡眠時にアストラル・トリップ(体外離脱)をしている。
「夢」というのは、その時の記憶の断片なのである。
「霊界は過去・現在・未来が同時存在している」と言われている通り、過去や未来に行く事も可能で、未来に行けばそれが予知夢となる。
まず、21歳のゲーテが見た夢の真相は、睡眠時に体外離脱をして8年後の自分に遭遇したのである。
そして、この3次元世界での8年後、今度は若い自分と遭遇する事になったのだ。
21歳のゲーテが未来にタイムスリップしたのか、29歳のゲーテが過去にタイムスリップしたのか、或いはそれが同時に起きた現象なのか……。
先述の飛行機事件と同じく、どちらも正しく、どちらも正しくない。
厳密に言えば、時空を超越した亜空間の中で両者が遭遇したのである。
これは一種の「ドッペルゲンガー」だと言えるだろう。
量子力学のアプローチから見ても、人間界は霊界の投影であることは既にご理解頂けていると思うが、『日月神示』には次のように示されている。
「物質界は、霊界の移写であり、衣であるから、霊界と現実界、また霊と体とはほとんど同じもの、同じ形をしているのであるぞ。
故に物質界と切り離された霊界はなく、霊界と切り離した交渉なき現実界はないのであるぞ」
「死んでも物質界とつながり無くならん。
生きている時も霊界とは切れんつながりあること、とくと会得せよ」
「死後に於いても、現実界に自分がある。
それはちょうど、生きている時も半分は霊界で生活しているのと同じであるぞ」
「霊人は、その外的形式からすれば地上人であり、地上人は、その内的形式からすれば霊人である」
スウェデンボルグは次のように記している。
「幼い頃に死んで内的な天界へ入って来た者たちは、時間や空間が何であるかを知らない。
時間に関して言えば、その理由はこうである。
すなわち、そこの太陽はこの世の太陽のように回転しないために、年や日を生み出さないからである。
彼らはまた空間のことも知らない。
なぜなら、空間は彼らの生命の状態の変化に応じて様々に変化しているからである。
それゆえ、そこの空間は生命の状態に応じて、また距離や大きさの点で変化している。
そして彼らの空間はそうした性質をもつので、空間は依然存在してはいるものの、彼らは空間の概念を持っていない」
「私は彼らの幾人かと話し、『空間とは何ですか?また時間とは何ですか?』と尋ねたが、彼らは全然それについて知らなかった。
彼らは空間を、外観の変化に従って、美しい、または美しくない、と呼んだ。
時間については異なり、『時間とは生命の本質です』と彼らは言った。
しかし、そうしたものもやはり空間と時間であることが知られねばならない。
天使たちは空間・時間のどんな観念ももっていないということは、ここに述べたいくつかの理由によってそうなのである」
「彼らはまた、春・夏・秋・冬が何かも知らない。
それでも、彼らは熱と寒冷、光と陰の観念はもっている。
しかし、その観念を時間からではなく、彼らの生命の状態から得ている。
さらに彼らは、そこにあらゆる事物をこの世にある事物のように見ているが、それでもそうした事物を空間に応じてではなく、彼らの生命の状態に応じて認めている」
『日月神示』は次のように示している。
「霊界に空間はない。それは内にある情動によって定まるが故である。
また、その理によって一定せる方位もない。
また、時間もなく、ただ情動の変化があるのみである」
「霊界には、時間がない。故に、霊人は時間ということを知らない。
そこには、霊的事物の連続とその弥栄があり、歓喜によって生命している。
即ち、時間はないが状態の変化はある。
故に、霊人たちは時間の変化はなく、永遠の概念をもっている。
この永遠とは、時間的なものを意味せず、永遠なる状態を意味するのである。
永遠ということは、時間より考えるものではなく、状態より考えるべきである」
「霊界には、物質界の如く空間はない。
このことを地上人はなかなかに理解しないのである。
霊界に於ける場所の変化は、その内分の変化に他ならない。
霊界に距離はない。空間もない。ただ状態の変化のみである。
故に、離れるとか、分かれるとかいうことは、内分が遠く離れていて、同一線上にないことを物語る。
物質的約束に於ける同一場所にあっても、その内分が違っている場合は、その相違の度に、正比較、正比例して、遠ざかっているのである。
故に、地上的には、同一場所に、同一時間内に存在する幾つかの、幾十、幾百、幾千万かの世界、及びあらゆる集団も、内分の相違によって、感覚の対象とならないから、無いのと同様であることを知り得るのである」
スウェデンボルグも同様のことを語っている。
「近づいていることは、内分の状態が類似していることであり、離れていていることは、それが類似していないことであることが明白である。
このことから、類似した状態にいる者たちは、互いに他の近くにおり、類似していない状態にいる者は遠ざかっており、天界の空間は内なる状態に相応した外なる状態以外の何ものでもないことが生まれている」
「霊界では、人は他の者に会いたいと切に望めば、その者の前に現れるのである。
なぜなら彼はその者に会いたいと切望することによって、その者を思いの中で見、その者の状態に自分自身をおくからであるが、反対に他の者に反感を抱くなら、その者から遠ざかってしまうのである」
「また誰でも、一つの場所から他の場所へ行くときは、それが自分自身の都会の中のことであれ、また中庭内のことであれ、または自分自身の社会の外にいる他の者のもとへと行くことであれ、その者がそのことを切実に願う時は、速やかにそこに到着するが、そうでない時はのろのろと到着し、道そのものは同一ではあるものの、願いのいかんによって長くも短くもなるのである。
このことを私は再三眺めて驚いたのである」
では、半田氏の続きを見てみよう。
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