古代インドの『ヴェーダ』は、宇宙開闢の様子をこのように伝えている
「この世界はその昔、暗黒に包まれ、捉えどころがなく、物と物を差別する目標もなかった。
悟性によってその概念を得るということもできず、またそれを示現することもできず、全く眠りに沈んだような有り様だった。
この溶合の状態がその終末に近づいた時に、主、すなわちこの世界の創造者で、しかも我々の官能には捉え難い主は、5つの元素と他の原始物質とによってこの世界を知覚するようにした。
彼は至純な光で世を照らし闇を散らし、天然界の発展を始めさせた」
この意味については、もう説明は不要だろう。
話を戻すが、『古事記』において「五柱の神」が現れた後、次のように続く。
「次に成れる神の名は、國之常立神。次に豊雲野神。
この二柱の神も亦、独神と成り坐して、身を隠したまひき」
國之常立神と豊雲野神は夫婦神だが、別れて独神となり、身を隠したとされる。
これは『日月神示』が示している通り、悪神の台頭によって東北(鬼門)に押し込められた国常立尊と、南西(裏鬼門)に押し込められた豊雲野尊の隠退を表している。
『日月神示』には、次のように示されている。
「次、国常立命、次、豊雲野命と鳴り成りて、現れ出で給い、命澄みきり給ひき」
この続きは、古事記では次の通りとなっている。
「次に成れる神の名は、宇比地邇神、次に妹須比智邇神。
次に角杙神、次に妹活杙神。
次に意富斗能地神、妹大斗乃弁神。
次に於母陀流神、次に妹阿夜詞志古泥神。
次に伊邪那岐神、次に妹伊邪那美神。
上の件の國之常立神以下、伊邪那美神以前を併せて神代七代という」
『日月神示』でも同じことが示されている。
「三柱、五柱、七柱、別天津神、次、宇比地邇、次妹須比智邇、次、角杙、次、妹活杙、次、意富斗能地、次、妹大斗乃辨、次、於母陀流、次、妹阿夜詞志古泥、命と、現れ成り、いきいきて、いき給ひき。
次、伊邪那岐神、伊邪那美神、現れ出で坐しき」
『古事記』によると、豊雲野神までの独神は各一代で、宇比地邇神から伊邪那岐までは夫婦二柱(妹=妻)で一代と数えると説明されている。
尚、宇比地邇と妹須比智邇は生命の土壌を整える神で、その土壌に芽生えた生命に形を与えるのが角杙と妹活杙、その形に男女の性別を与える神が意富斗能地神と妹大斗乃弁、そして国土を豊かにし、人間の姿を整え、繁栄と増殖を促すのが於母陀流と妹阿夜詞志古泥の神とされている。
そして、最後に登場するのが「伊邪那岐(イザナギ)」と「伊邪那美(イザナミ)」である。
くれぐれも述べておくが、これは人間界の話ではなく、神霊界での話である。
神霊界といっても、人間の似姿をした人格神ではなく、天地創造のエネルギーを神格化して表現した物語である。
『日月神示』では次のように続く。
「ここに天つ神、諸々の命もちて、伊邪那岐命と伊邪那美命に、これの漂える地、造り固め成せと、詔て、天の沼矛を賜ひて、言依さし賜ひき」
前項の冒頭で割愛したが、これも『古事記』の原文とほぼ同じで、次に続く。
「次に伊邪那美命、伊邪那美命に、天の沼陰を賜ひて、共に、漂へること地修理固成なせと言依さし賜ひき」
何故か「伊邪那美命」が2回連続で記されているが、イザナギの「沼矛」に対して、イザナミの「沼陰」という言葉が出てくる。
これは男女の部分の比喩的表現で、地上の修理固成を命じた別天津神(五柱の神)が、イザナギに「沼矛」を与えて、イザナミには「沼陰」を与えなかったということになる。
その事は『古事記』に示されているが、『日月神示』にも「国土をつくり固める為に、根本大神が何故にヌホコのみを与えたまひしか?」と示されている。
日月神示で「?」が出てくるのはこの部分だけで、天明はこの謎について、『古事記数霊序説』の中で次のように述べている。
「天神の総意によって、ナギ・ナミ二神に対して、タダヨヘルクニの修理固成を命じながら、なにゆえに固成の具としてヌホコのみをお与えになったのか。
なにゆえにヌホコと共にヌホトをお与えにならなかったのか。
言うまでもなく、ヌホコとは男性の具であり、ヌホトとは女性のそれでありますが、ここに、はかり知られざるほどの神策があったと思われます。
今日の世界大混乱の遠因はここにあり、したがって大転位的な岩戸開きが必然的に行われねばならないのであります。
これを数霊的に申すならば、奇数(男)的配列ないし奇数的用によって修理固成せんとするもので、結果は当然、未完成となるのであります。
ですから、局部的に見るならば、神策の真意が判らなくなるのであります」
中矢伸一氏の見解によると、これは男性原理のみで世を造ろうとしたことにより、いずれは行き詰まる世界が生じてしまったことを示唆し、これからは男性原理と女性原理とを融合させて、国造り、世造りをしていかなければならず、それが本来の国生みのあり方だとしている。
だがそれは、物質文明の完成の為に、一旦は行き詰まる世の中を造る必要があったからなのだ。
では、イザナギ・イザナミが、オノコロ島を造った続きを『古事記』に見てみよう。
「其の島に天降り坐して、天の御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき。
是に其の妹伊邪那美命に問曰ひたまはく、『汝が身は如何に成れる』ととひたまへば、『吾が身は成り成りて成り合はざる所一所あり』と答へたまひき。
ここに伊邪那岐命詔りたまはく。
『我が身は、成り成りて成り余れる所に刺し塞ぎて、國土を生み成さむと以為ふ。生むこと如何に』
と詔りたまへば、伊邪那美命、『然善けむ』と答へたまひき」
これは明らかに男女の性交を比喩したもので、夫婦の契りを結んで国生みしたことが表現されている。
『日月神示』では次のようになっている。
「ここに伊邪那岐命、伊邪那美命は、沼矛、沼陰、組み組みて、国生みせなと詔りたまひき、伊邪那岐命、伊邪那美命、息合わしたまひて、アウ、あうと、詔らせたまひて、国、生みたまひき。
初め日月の国生みたまひき、Θ(ヒ)の国生みたまひき、月の国生みたまひき、次に地生みたまひき」
聖書の「創世記」では、3日目に地が造られ、4日目に太陽と月と星が造られたとされている。
これについては様々な解釈ができるが、次に進もう。
『古事記』には次のように記されている。
「ここに伊邪那岐命詔りたまひしく、『然らば吾と汝とこの天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまくはひ為む』とのりたまひき。
かく契りて、すなはち『汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はむ』とのりたまひ、契りおへて廻る時、伊邪那美命、先に『あなにやし、えをとこを』と言ひ、後に伊邪那岐命、『あなにやし、えをとめを』と言ひ、各言いおへし後、その妹に告げたまひきしく、『女人先に言へるは良からず』と告げたまひき」
『日月神示』では、この部分は簡略に示されている。
「おのころ国成り、この国におりましてあめとの御柱見立て給ひき。
ここに伊邪那岐命、伊邪那美命、島生み給ひき」
『古事記』が伝えていることを簡単にいうと、イザナギとイザナミが天の御柱を廻って婚姻の儀式を行なった。
そして、イザナミが先に「あぁ、何と良い男でしょう」と言い、イザナギが「何て良い女でしょう」と言ったが、イザナギは「女が先に言うのは良くない」と告げた。
陰陽原理でいえば、陽・男・左・霊・精神が主で、陰・女・右・体・物質が従となる。
従って、イザナミが先に言葉を発したことによって、物質主義の「体主霊従」の世の中になったのである。
そして、最初にどうなったか、『古事記』に見てみよう。
「然れどもくみどに興して生める子は、水蛭子(ひるこ)。
この子は葦船に入れて流し去てき。
次に淡島を生みき。これも亦、子の例には入れざりき」
『日月神示』には次のように記されている。
「初めに水蛭子、淡島生み給ひき。この御子国のうちに隠れ給ひければ…」
「今度の岩戸開きには水蛭子生むでないぞ。淡島生みでないぞ」
水蛭子については諸説あり、飛鳥昭雄氏によれば、UMA河童(一般に異星人グレイと呼ばれている両生類)のことだというが、確かなことは不明だ。
そして、イザナギ・イザナミは再び天の御柱を廻り、今度はイザナギが先に言葉を発し、次にイザナミが言葉を発したところ、淡道の穂の狭別島(淡路島)が誕生した。
この国生み神話で最初に誕生した淡路島は、岩戸開きの合図だった阪神大震災の震源地であり、断層が東北(艮)線上に走ったことは、単なる偶然とは思えない。
話を戻すが、淡路島が造られた後、イザナギ・イザナミは、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州の計8島「大八島国=日本列島」を生み終えた。
「八尋殿」や「大八島国」で気付いた方もおられると思うが、素戔嗚尊を象徴する「八」が付いている。
神代七代の神々の誕生で見てきたように、国常立尊を筆頭として、最後にイザナギ・イザナミが生まれた。
だが、イザナギ・イザナミによって日本列島(国常立尊=素戔嗚尊=八)が造られた。
国常立尊は、泥海だった原始地球の修理固成を総指揮した神とされている。
これは既に述べた通り、電磁力を意味する。
国常立尊は、イザナギ・イザナミに、国常立尊がマグマとして鎮まる本体「日本列島」を形成するように命じたということだろう。
国生みを終えたイザナギ・イザナミは、続いて次々と神を生み出していった。
この神々誕生の順番は、『古事記』と『日月神示』では若干の食い違いが見られるが、ほぼ同じ内容となっている。
ここで全てを紹介できないが、興味深いのが3番目に誕生する「石巣比売神」である。
『古事記』や『日本書紀』では「イハスヒメ」と呼び習わされているが、『日月神示』では「イシスヒメ』となっている。
学説では、石の神格化と考えられているが、古代エジプトのフリーメーソン(自由石工)が崇めた女神「イシス」ではないかという説もある。
イシスはオシリスの妻神であり、その息子がホルスである。
ピラミッド・アイに描かれる「ホルスの目」は、メーソンでは「ヤハウェの目」とされ、それは「イエス・キリストの目」である。
グノーシス主義やフリーメーソンの最高階級では、それは「ルシファーの目」だと教えられるが、いずれも同じである。
『ホルス=ヤハウェ=イエス・キリスト=ルシファー』
ということは、オシリスとイシスの夫婦神の息子ホルスは、イザナギとイザナミの夫婦神の息子アマテラスと同義ということになる。
イルミナティが主張するように、ホルスの目がシリウスを意味するならば、確かにアリオンの自己紹介「イザナギ・イザナミと呼ばれし天子の来たれり星系の天の御使」と一致する。
長くなるので、機会があれば続きを述べたい。
ちなみに、神を「柱」として数えられているのは、カッバーラの「生命の樹」に因んでいる。
さて、『日月神示』を書記した岡本天明は、イザナギとイザナミが生んだ神の数と順序が、「メンデレーフの原子の周期律」と同じことを発見している。
ここでは結論だけ紹介するが、以下の通りである。
「ヒルコ=水素(H)」
「アハシマ=ヘリウム(He)」
「アハジ=リシウム(Li)」
「フタナ=ベリリウム(Be)」
「オキ=ホウ素(B)」
「ツクシ=炭素(C)」
「イキ=窒素(N)」
「ツシマ=酸素(O)」
「サド=ホルマリン(E)」
「アキツシマ=ネオン(Ne)」
これがイザナギとイザナミが生んだ神々の正体であり、この原子の集合体によって国常立尊の肉体である国土や物質、生命が誕生していった。
従って、万物に神が宿っているというのは道理なのだ。
数霊的解釈では、イザナギは「二」、イザナミは「三」で、両者が融合してこの世の根本数「五」となる。
イザナギとイザナミが御柱を廻った融合の儀式「ミトノマグワイ」は陰陽の回転であり、それは虚数の世界(神霊界)から実数の世界(物質界)に現出させる素戔嗚尊の力を生み出しているともいえるのだ。
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