2010年11月17日

カタカムナ人が説く「時空と生命の本質」と「科学=宗教」の証明

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■時間と空間の相対性を示す歌

アマカムナ アマカムヒビキ
アマウマシ トキトコロウシ
モコロコロ トコロチマタシ
トキオカシ ソコソギトコタチ
メグルアマ


これは次のように解読されている。

「時間と場所は、アマから発生したマリ(アマ始元量の究極粒子)であり、アマが本来もっている微分性と粒子性を受け継いで、現象に現れているものである。
時間と場所は、相互に転換し、常にアマに重なり合う状態にある。
正進するとともに、反転するという循環を続け、膨張・収縮し、その逆性が同時に共存している。
トキとトコロのマリは、物質系・生命質系の最下限の粒子(モコロ)に変換する。
モコロは原子や細胞などの粒子に変遷していく前の微粒子で、電気(イカツミ)、磁気(マクミ)、力(チカラ)の位相が集積した状態のもので、電気・磁気・力などの現象に遷移する性質がある。
トキ・トコロのマリは、アマ始元量から出発し、アマ始元量と交流しつつ、様々な変遷を経て、やがでアマ始元量に還元するという循環を繰り返している」


アインシュタインは「相対性理論」で、時間と空間が相対的であることを明らかにしたが、カタカムナ人は超古代からそのことを熟知していたのだ。

■素量に関するサトリの歌

イカツチノ トマベイツツミ
マノウツリ イカツミマクミ
カラミツミ マジハリカハル
トモフルミ


これは次のように解読されている。

「電気を帯びた粒子(イカツチ)に常に伴う(トマベ)付属性の個々の素量(イツツミ)は、いずれも始元量アマの変遷したもの(マノウツリ)であり、電気素量、磁気素量、力素量である。
それらは互いに交換されて成り立つ振動性の素量(トモフルミ)である」


■ミツゴとモコロのサトリの歌

オキミツゴ イカツミマクミ
カラミマリ イキチツクシノ
モコロシマ オキヤマハシラ
ヒトヘヤヘ マワリテメグル
ヤシマコロ


これは次のように解読されている。

「生命質や物質になる基礎粒子の内部構造は、電気素量、磁気素量、力素量のミツゴが、モコロ(潜象の基礎粒子)の内部の六方八軸上に配列し、一重と八重の軸上を旋転しながら循環することによって、安定した粒子の形を保つのである」

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■生命質モコロのサトリの歌

アマヌウツリミ イツノオメ
イカツミマクミ カラミマリ
ヤヘオキミツゴ イキモコロ


これは次のように解読されている。

「アマ始元量から変化した現象に潜象している目に見えないミには、素量の個々の雌雄配偶(正反構造)のものが移し伝えられている。(ミ=アマ始元量の実質の意味)
それは、電気素量の配偶(イカツミの正と反)、磁気素量の配偶(マクミの正と反)、力素量の配偶(カラミの正と反)で成り立つ潜象のマリである。
それら三種のマリが一組になって(ミツゴ)、モコロ粒子の内部に六方八軸の立体的配列を構成し、旋転しつつ回転しているのを、生命質モコロという」


■物質の潜象構造を示す歌

アマカムナ アマカムヒビキ
サドツクシ アメノヒトツネ
アメフタヤ アメノサデヨリ
ワクムスビ イワツチイワス
オメタグヒ イカツカタワケ
サヌキアワ ホグシオシコロ
オホタマル ヤクサイカツチ
メグルマリ


これは次のように解読されている。

「自由に個々の性質に分かれている様々な物質は、いずれもアマの微分されたアメから生成されたものであり、極限的には正の物質と反の物質の2つの性質に分かれている。
その正反性の物質は、それぞれアマ始元量の密度差によって、性質の異なる粋を形成している。
その形成する粋は、例外なく雌雄配偶の形をもつ微細な粋の集積したものである。
すなわち、物質は大別して正と反の性質に分類されるが、電気的には陰性電気を帯びたサヌキと陽性電気を帯びたアワの微細構造で成り立っており、いずれも始元量アマから分化したものである。
そして、正反の電気性を荷う微細な素量の雌雄の対が消滅することによって、アマ始元量に還元するという循環系である」


■諸粒子にアマナの存在を示す歌

アマタマノ ヒダリミギリノ
サカウヅメ ソコソギツガヒ
メグルシマ ムスヒマトマリ
ウヅメクソ アカアオクミヌ
アマナヒメ


これは次のように解読されている。

「アマでできた宇宙球には、左向きと右向きの互いに逆向く二重の渦巻きが存在し、膨張性と収縮性とを調和した(ソコソギツガヒ)循環系の流れ(メグルシマ)になっている。
そして、そのマトマリが根元(ムスヒ)となって、渦巻きから排出される諸粒子(ウヅメクソ)を生み出すのである。
それらの諸粒子には、アカ・アオ、正反対称性となる要素を組み込んだアマナが秘められ潜在している」


これは、電子、陽子、中性子、それらで構成される原子にもアマの分身であるアマナが潜在しているということで、一言でいうと「万物に神が宿っている」ことを説明しているのだ。

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■生命に関する歌

アマカムヌ メグルホラミチ
カヨフミチ アマタマイノチ
ウマシミチ ウツリマトマリ
カハルツミ


これは次のように解読されている。

「アマ始元量の宇宙球がカムの無限世界から生成され、カムの無限世界へ回帰する。
無限の循環の洞道(ホラミチ)が宇宙球(アマタマ)を囲み、アマ―カムの通り道になっていて、その道が宇宙のイノチを生む道である。
そしてその宇宙のイノチがマトマリに受け継がれ、アマの変化した個々の実(ツミ)になっている」


■生命に関する歌A

アマカムヌ イノチウツシミ
カハリヌシ アマナカムナノ
フタハシラ イツツミイノチ
コロムスビ


これは次のように解読されている。

「アマとカムの循環によって生ずる宇宙のイノチを移し授けるヌシは、アマナ、カムナの2つの柱である。
このアマとカムのヌシが個々の素量の連帯(イノチ)によって、諸粒子(コロ)を現象させる根元となっている(ムスヒ)」


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■心に関する歌

アマカガミ ヤホアメヨロヅ
アマイノチ アトマリイノチ
ココロワケ アワセカサナル
マノココロ


これは次のように解読されている。

「アマを規範(カガミ)とする万物万象(ヤホヨロヅ)は、アマ始元量のイノチ(アマ―カムの連帯)によって現れたものであり、アマ(マ)が疎通し融合するマリ(マトマリ)のイノチの機能が配分されて賦与されている。
それがマリのココロ(心)であり、そのマリに与えられた機能(心)には、常にアマのイノチの機能配分、すなわちマのココロ(アマの心)が重ね合わせられている」


■心に関する歌A

ヤヘヒトカサネ モコロシマ
アマノサカマキ ヤヘネサク
クラオタケフツ ミツハノメ
クラミツハヤビ イキココロ
クラヤマツミノ ヤクササネ


これは次のように解読されている。

「物質系モコロの単軸と生命質系モコロの八軸とが重なり合ったモコロシマは、アマにおける逆向きの渦流によって、ミツゴの並ぶ八軸が分裂する。
そして軸から分離したミツゴは正反配偶の素量子集団となる。
自由に掛け合わされた接続子(ハヤビ)によって大量の螺旋体に転移する。
それが自己増殖能をもつ基礎生命質であり、心の元の相である。
したがって、心は物質系モコロと生命系モコロの多数の小塊が自由に積み重なり合ったものであり、万物万象のサネ(実)である」


つまり、心とは小さいマリ(アマから分けられた小粒子)で、思念を持った極微の物質の集合体ということになる。
神道では、人間の魂は神の分け御霊(魂)だというが、それは事実なのだ。
バクスターが、4年間に渡るウソ発見器での実験の結果、植物にも喜怒哀楽の感情があることを発表したことは有名だが、超科学研究家の橋本健氏も同様の実験で確認しており、名古屋商大の千島喜久雄医学博士も「動植物の単細胞には、原始的な心があるとしか考えられない行動を取ることがあり、どんな下等生命体にも超エネルギーが存在する」と述べているが、事実はそんなレベルではなかったのだ。

カタカムナ人は、鉱物や無機質は勿論、それを構成する原子、更にそれを構成する電子、中性子、陽子などの素粒子にも「アマナ」が存在するといっている。
カタカムナ人は、万物万象に「ミナカヌシ(天之御中主神)」が潜在しているともいっている。
つまり、万物万象に「アマナ」「ミナカヌシ」「ココロ」などのアマ始元量が潜在しており、総てに生命(心)があるということになる。
万物を統括するのが宇宙だが、それを神と呼び、八百万の神々の名称は、万物万象に潜在するエネルギーや粒子のことで、厳然たる意志を持っている。

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オコツトは次のように述べている。

「電磁波(光)とは、人間の意識が生み出されているところです」

「プレアデスは私たちの世界から見ると、ミクロ空間に存在しています。
宇宙精神にはこのミクロの世界に自らの全体構造を射影として投射する仕組みが存在しており、あなたがたが物質として見ている存在は、宇宙精神全体の影のようなものです」


オコツトと交信した半田氏は科学者であり、「素粒子の正体は、われわれの意識だった」と結論づけている。
お分かりだろうか。
カタカムナ人が説いているのは、宗教の本質(「宇宙=神」の本質)である。
これはまさに、最先端の科学が追求していることである。
科学とは、自然の法則を解明し、それを利用することにある。
古代宗教はそれを既に実現していた。
要は、本質的に「科学=宗教」なのだ。
それが、現代科学は物質偏重となって自然破壊を極限まで推し進め、現代宗教は霊的偏重となって迷信地獄に陥り、どちらも本質から脱線して片輪となっている。
これが統合されるのがミロクの世であり、超科学文明の幕開けとなる。
その時、重要且つ不可欠な役割を担うのが、シークレット・ガバメントなのだ。

話を戻すが、カタカムナ人はシュメールから古代日本列島に移住した民族であり、カタカムナ文明はシュメール(メソポタミア)文明を受け継いだものである。
一方、シュメール神話を色濃く継承したオリエント宗教を死守してきた、バアル信仰のユダヤ教徒イスラエル10支族が日本列島に渡来し、それらが融合して神道が形成された。
これを継承した女王様が卑弥呼であり、鬼道と呼ばれている宗教である。
後に、エルサレム教団が日本列島に渡来し、縄文人(カタカムナ人+イスラエル10支族)を東北地方に追いやって大和朝廷を樹立し、日本の古代史を封印した。
そして、イエスの説いたカッバーラの奥義を軸に日本神道を体系化し、天照大神(イエス・キリスト)を祖神とする天皇中心の神話が編纂されたといえるだろう。

ちなみに、ユダヤ教祭司レビ族の衣装と神道神官のそれは酷似している。
そして、秦氏の氏神を祀る太秦の広隆寺に「伊佐羅井」という井戸があるが、漢語でイスラエルという意味で、更にこの寺の境内にある大酒神社は、本来は『大辟』と書き、漢語でダビデ王を意味する。
また、皇室の三種の神器の1つ「八咫鏡」がモーゼの十戒石板であることは既に述べたが、その鏡の裏面には古代ヘブル語で、「エイエ・エシェル・エイエ」と書かれているという。
日本語にすると「我は有りて有る者」、つまり「ヤハウェ」である。

そのヤハウェは、2支族が信仰する「偽のヤハウェ」ではなく、本物のヤハウェ、即ち「バアル=ルシファー」である。
イエスが「私はある(ヤハウェ)」と言ったのも、「私はバアル(ルシファー)」であるという意味だ。
その証拠の1つとして、イエスが所属していたユダヤ教エッセネ派のルーツは、古代エジプトのセラピス教団である。
セラピス教団は神秘と数学を支配する聖牛セラピスを崇拝する神秘主義宗教結社で、ピラミッド建設に従事したことで知られているが、聖牛セラピスとは牛神バアルのことである。
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 11:11| Comment(2) | カテゴリ未決定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
一点、納得行かない事があります。モーゼがシナイ山でヤーウェから十戒石を持ち帰った時、人々がバール神を祭ってお祝いしている現場を見て、腹を立てて、石板を投げ捨てます。
ヤーウェ(銀河の神エル・ランティ)が暗黒神バールや地獄の帝王ルシフェルであるはずがありません。
Posted by らっきー・ぷりっつ at 2013年02月10日 16:11
らっきー・ぷりっつさん、初めまして。

ヤハウェは「主」と訳されていますが
「私は〜である」という意味です。
バアルも「主」という意味で、一神教が誕生する前から古代オリエントの多神教で信仰されていた普遍的な神です。

バアルは日本神話でいうスサノオで、天界から追放されたと表現されるルシファーと同一神です。
詳細は以下の連載記事をご覧ください↓

【善悪逆転論】太陽神アトン(アテン)の正体
(1〜23まであります)
http://kemono666.seesaa.net/article/294520951.html

節分反対運動(殺人現場で鬼退治)
http://new-mu.seesaa.net/article/318779440.html
Posted by 夢蛇鬼 at 2013年02月11日 23:50
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