日蓮の思想を一言で言えば、法華経のエッセンスである題目「南無妙法蓮華経」を唱えるだけで救われるというもので、法華経の信仰に帰依する者だけが救済されるとし、日蓮は他宗を激しく攻撃した。
これはイエスがユダヤ教パリサイ派を非難したことに似ているが、果たして日蓮は、本当にそのような強引で独善的排他的な説法をしたのだろうか。
法華経には「常不軽(じょうふきょう)菩薩」という話が載っている。
自分の悪口を言う者や攻撃する者に対しても、常に手を合わせて拝む人の話で、これがカルマをつくらない生き方だとされている。
「最大の敵を褒め讃える」(提婆達多品・第十二)
イエスが「汝の敵を愛せよ」と説いたことと同じである。
日月神示にも「悪く言われるとメグリ取ってもらえるぞ。悪く言うとメグリつくるのぢゃ」とある。
メグリとはカルマのことである。
だが、イエスと日蓮は説法と行動が一致していない。
日蓮に至っては、同胞の争いには共生を説くが、他国の侵略には断固立ち向かって問答無用で全滅させ、災害や戦の予言的中をネタに信者を集めた。
オコツトはいう。
「単なる批判のための批判ならば、いかなる進化も持つことはないでしょう。
問題は他者に向かうことではなく、自分自身に向かうことです。
あなたは他者の状況を見てその存在証明を必要と感じていらっしゃるのですから、その問題の解決へ向けてあなた自身が行動を起こしていけばいいだけのことではありませんか。
他者への批判はあまり意味のないことのように思えます」
私は小学校3、4年の頃から法華経を研究していた。
日蓮ほどの人物が、何故このような言動を取ったのだろうか。
前述の通り、日蓮とイエスには共通点がある。
イエスは素戔嗚尊であり、王仁三郎も素戔嗚尊であった。
日蓮の言動は、出口ナオに対する王仁三郎の言動と一致する。
つまり、日蓮が意識していたか否かは知らないが、日蓮の言動はある種の「型示し」だったのだ。
日蓮は時の権力者から迫害や流罪など様々な法難に遭ったが、これは王仁三郎の言動が招いた大本の国家権力による数々の弾圧に酷似する。
つまり、日蓮も素戔嗚尊なのだ。
最も有名なのが「龍ノ口法難」で、日蓮が鎌倉幕府によって斬首される寸前、落雷で刀が折れて一命を取り止めたという逸話がある。
これも「型」としてはイエスの処刑であり、また、王仁三郎がエルサレムで銃殺される寸前に銃が故障して命拾いしたこととシンクロする。
その後、日蓮の弟子がその地に建立したのが龍口寺で、境内には日蓮が閉じ込められた石牢が遺されている。
これも、王仁三郎が投獄されたことに符合し、イエス(天照大神)が岩戸に隠れたことの再現でもある。
何もこじつけではない。
天照大神は太陽神であり、日蓮はその名が示す通り「日=太陽」を象徴する。
そして龍ノ口の落雷は、龍が火を吹いたことを意味する。
龍とは何か……「素戔嗚尊=国常立尊」、ヨハネの黙示録でいう「ルシファー」である。
何度も述べたが、雷はプラズマ(電磁波)で国常立尊の働きであり、落雷はルシファーの象徴である。
日蓮は国常立尊(素戔嗚尊=ルシファー)の守護を受けていたのだ。
カッバーラ的に言えば、日蓮は「イエス・キリスト(ルシファー)の預言者」だと言える。
もっと言えば「日蓮=イエス・キリスト」でもある。
1271(文永八)年の大干魃の際、北条時宗は真言律宗の忍性に雨乞の祈祷を依頼した。
それに挑戦したのが日蓮で、「もし7日以内に雨が降れば、忍性の弟子になってやろう。降らなければ自分の弟子になれ」と申し出た。
結果、忍性が14日間祈祷したが雨は一滴も降らなかった。
代わって、日蓮が法華経を唱えると、3日3晩に渡って激しい雷雨が降ったが、これも王仁三郎の言霊実験と同じである(忍性が近くまで雨雲を呼んでいたのかも知れないが…笑)。
また、「法華経」の授学・無学人記品(第九)で、釈迦が弟子の阿難陀(アーナンダ)に、次のような予言をしている。
「汝は来世において、当に仏と作ることを得べし。
山海慧自在通王如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号けん。
当に六十二億の諸仏を供養し、法蔵を護持し、然して後に阿耨多羅三貘三菩提を得べし。
二十千万億の恒河沙の諸の菩薩等を教化して、阿耨多羅三貘三菩提を成ぜめん。
国を常立勝幡と名付け、その土は清浄にして瑠璃を地と為し、劫を妙音遍満と名付け、その仏の寿命は無量千万億の阿僧祇劫ならん」
この抜粋は一部だが、授学・無学人記品では、十方世界になれば人間は仏となり、超長寿になることが示されている。
この「阿難陀」の名は、法華経の守護神である八大龍王のリーダー格「阿難陀龍王」と同じである。
そして「八」は素戔嗚尊の数字であり、八大龍王とは「八岐大蛇」、即ち龍神の総大将「国常立尊」のことなのだ。
その証拠は『長阿含経』巻・第二十一・第四分『世記経』で、難陀竜王と跋難陀竜王が須弥山を取り巻き、雲を生み出して雨を降らし、尾で大海を打って飛沫を須弥山の頂上にまで跳ね飛ばすという描写がある。
つまり、自然現象を司る龍神の総大将「国常立尊」なのだ。
この法華経を守護する八大龍王は、伊勢神宮の西南の金剛証寺の近くに祀られており、空海が経文を埋納した塚を施して、八大龍王を祀って伊勢神宮の守護を祈願したと言われており、伊勢神宮の守護神となっている。
阿難陀が仏となる国の名は「国名常立勝幡」だが、これは「国常立尊(日本列島)」に他ならない。
そして、伊勢神宮の主祭神は「天照大神」と「豊受大神」である。
天照大神はイエス・キリスト(太陽神)、豊受大神は豊穣の神(月神)であり、内宮と外宮は「日月」を表すと同時に、豊受大神は国常立尊でもある。
以前、次のようなことを述べた。
「1ヶ月(陰暦29日半)の内、月が見えるのは28日間で、二十八品から成る法華経は、月のテレパシーを受けたものだ」
日蓮は太陽を象徴するが、月神信仰でもある。
その証拠は……。
「明かなる事日月にすぎんや。浄き事蓮華にまさるべきや。
法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名く。
日蓮又日月と蓮華との如くなり」
日月の神といえば、天理教からの系譜である『日月神示』で、正確には「地球=国常立尊」を含む、日月地の三位一体である。
そして、蓮華は天国の象徴だが、蓮華は泥の中では全て連なっている。
これが意味することは、説明するまでもないだろう。
そして決定的なエピソードがある。
日蓮の星信仰(虚空蔵菩薩信仰)が天変地異に着目し、『立正安国論』の「日月失度 時節返逆」の思想となっている。
虚空蔵菩薩の化身は「明星天子」といわれ、日・月・星・雨・雷などの自然現象を司るとされる。
『法華経序品第一』には復有名月天子・普光天子・宝光天子の三光天子が登場し、明星天子は「普光天子」の名で会座に列なり、帝釈天に率いられて法華経の行者を守護する。
『法華文句』巻二下には、次のようにある。
「名月等の三光天子は是れ内臣、卿相の如し。
或いは云く、是れ三光天子のみと。
名月は是れ宝吉祥にして月天子大勢至の応作なり。
普香は是れ明星天子にして虚空蔵の応作なり。
宝光は是れ宝意にして日天子観世音の応作なり」
「明星」はルシファーの象徴である。
ルシファーは「国常立尊」であり、また「イエス・キリスト」である。
日蓮は、12歳の時に天台密教の清澄寺と縁を持ち、16歳で出家し、21歳で天台宗の総本山である比叡山の延暦寺に赴き、仏教研究に10年間を費やした。
清澄寺は、宝亀2年(771年)に不思議法師が虚空蔵菩薩を刻んで開創したとされている。
天台宗で虚空蔵菩薩は、『惟賢比丘記』に顕密内證義の文として「日吉三聖は三光天子の垂迹」と説き、天台教義で三光天子は山王信仰と結び付いている。
「生身の虚空蔵菩薩より大智恵を給はりし事ありき。
日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん。
明星の如くなる大宝珠を給ヒて右の袖にうけとり候し故に、一切経を見候しかば八宗並に一切経の勝劣粗(ほぼ)是を知りぬ」
日蓮は、清澄寺での修行期に「虚空蔵求聞持法(超記憶力)」を会得し、建長5年(1253年)4月28日に立教開宗したが、その虚空蔵菩薩への報恩の為に、立教開宗の地を清澄山にした。
空海も、虚空蔵菩薩真言を唱えていると明星が口の中に飛び込んできて、「虚空蔵求聞持法」を会得したことが『三教指帰』に記されている。
明星(金星)は虚空蔵菩薩の化身であり、日蓮同様、空海もルシファー(イエス・キリスト)の預言者となったのだ。
空海は、儒教や道教、景教(キリスト教)、ゾロアスター教、マニ教なども勉強したといわれる。
特に景教に傾倒したようで、真言宗の儀式に十字を切る手法や、洗礼に似た潅頂の儀式があり、景教の石碑と酷似したものが高野山奥の院に建っている。
日本には、仏教が伝来する以前に景教が入っていた。
それは空海が崇める、日本仏教の祖であるイエスの12使徒の末裔「秦氏」の聖徳太子で、広隆寺の弥勒菩薩像の指の形もキリスト教の三位一体を表している。
原始キリスト教徒の末裔で、天照大神(イエス)を奉じる皇室の聖徳太子が、なぜ仏教を導入したのか。
イエスの使徒トマスが、インドに移り住んだイスラエル民族のもとに、イエスが説いたカッバーラの奥義を伝導し、釈迦が説いた原始仏教と融合して法華経となった。
禅の始祖とされる中国の達磨大師の正体が法華経の創始者で、イエスの使徒トマスだというと奇妙に聞こえるが、この線は濃厚である。
いずれにせよ、イエスの12使徒の末裔である聖徳太子は、法華経の中にイエスが説いたカッバーラの奥義が散りばめられていることに気が付いたとしか考えられない。
ナーナクがイスラム教とヒンドゥー教を融合したように……。
空海は中国留学の際、聖徳太子が伝えた法華経とキリスト教の間に、本質的な共通点を見出したのだろう。
渡部勇王氏によると、仏教の使命期間は世界的にも日本的にも既に終了しているそうだが、「ヨハネの黙示録」と「法華経」は共に今日の日本民族の覚醒の為に書かれたものだと断言している。
確かに両者の終末預言は、奇妙な一致を見せる。
『見宝塔品(第十一)』では、多宝如来が乗っている「宝塔」という葉巻型UFOとしか思えない空中に浮かぶ乗り物が出現し、釈迦も同乗したことが記述されているが、この時に釈迦は地球内天体アルザル(シャンバラ)に訪れ、臨終の際に弟子にシャンバラを語った。
そして『従地涌出品(第十五)』では、末法の時代に大地震が起き、大地の底から無数の地湧菩薩が現れるという。
これは、イスラエル10支族がアルザルから地上に帰還することに符合する。
同時に、八大龍王(マグマのエネルギーである国常立尊)が、素戔嗚尊として地上に顕現することを意味することは間違いない。
そして『嘱累品(第二十二)』では、多宝如来の帰還が予言されているが、これは基本的に地湧菩薩の出現と同じだが、ここで現代版「ノアの箱舟」によって虚空会が起こる。
虚空会は黙示録でいう「空中携挙」であり、虚空の世界に救い上げられてイエス・キリストに会うのだ。
この事を『霊界物語』は、「黄金の鉤針で、選ばれたる正しき神人が天橋の上に引き揚げられて、国常立尊の神殿に入る」と予言している。
『大本神諭』や『日月神示』にも同様の記述があることは、既に述べた通りである。
そして地上は十方的世界のミロクの世となり、人類は変換人(ミロク神人種)となる。
当然のことだが、救われる条件に宗教や宗派は一切関係なく、信仰の有無も全く関係ないことを述べておく。
ちなみに飛鳥昭雄氏の新刊『言霊でしか解けない聖書 ヨハネの黙示録&ハルマゲドンの巻』は、黙示録をカッバーラで解読されたものだが、法華経をカッバーラで解いた時、最後の封印が解かれる(その真髄は『霊界物語』と数霊のバイブル『日月神示』で既に明かされているが……)
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