2010年11月20日

法華経のルーツと日本仏教の発展と破壊

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日蓮とイエスの類似性について述べたが、久保有政氏の著書『仏教の中のユダヤ文化』では、「日蓮とヨハネ」、「親鸞とペトロ」、「道元とパウロ」の類似性についても書かれている。
また、夢蛇鬼説と同じ「阿弥陀仏=イエス・キリスト」説や、『法華経』のルーツ、「トマス=達磨」説、「聖徳太子の謎」など、非常に興味深い仮説が根拠立てて述べられている。
詳細は、同書の一読をお薦めするが、私の仮説を交えながら概要を紹介しておきたい。

『阿弥陀経』では、阿弥陀如来は「無量寿(永遠の命)」「無量光(永遠の光)
」と呼ばれている。
つまり、阿弥陀如来は「命」と「光」の仏なのだ。
イエス・キリストもまた、「命」と「光」の神である。

「私は初めであり、終わりである」

宇宙の初めから終わりまで存在する…つまり、永遠という意味である。

「私は世の光である」

「言のうちに命があった。命は人間を照らす光であった」


それでは、「阿弥陀如来=イエス・キリスト」を検証してみよう。
阿弥陀如来は、西方十万億土の「極楽浄土」に住んでいるとされているが、イエスも西の彼方のパレスチナに住んでいた。
また、阿弥陀如来は世自在王仏のもとで人類救済の決意をし、イエスはヤハウェのもとで人類救済を決意して受肉した。
そして『無量寿経』は、阿弥陀如来が身代わりの修行をしたから、阿弥陀如来を信じて念仏(南無阿弥陀仏)を唱える者は救われると説いている。
一方、『新約聖書』はイエスが身代わりの受難の死を遂げたから、彼を信じる者は救われると説いている。

「主の名を呼ぶ者は、みな救われる」(「使徒の働き」第2章21節)

阿弥陀仏が救済の対象としているのは「悪人」だが、イエスも「悪人」を救済の対象としている。

「イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。
『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです』」

(「マルコの福音書」第2章17節)

西方極楽浄土の阿弥陀如来が「パレスチナのイエス・キリスト」を指していたのに対し、日本には東方浄瑠璃世界の薬師如来が存在する。
海外では、薬師如来像はインドには見られず、中国の敦煌に極一部存在し、朝鮮半島には比較的多くあるが、最も盛んだったのは日本だったという。
つまり、東方浄瑠璃世界は「日本」を指しているのだ。

では、薬師如来の正体は何か……。
薬師如来は病を癒やす仏で、その周囲には「十二神将」が取り巻いている。
これは、人々の病気を治したイエスの周囲に、12使徒が取り巻いていたのと同じ構造である。
つまり、薬師如来の正体も「イエス・キリスト」だったのだ。
阿弥陀如来と薬師如来の違いは、阿弥陀仏が来世での救いを表したものであるのに対し、薬師如来は現世での救いを担当する仏であるという事である。

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また、念仏宗が他力本願的なのに対して、『法華経』は自力本願を説く。
しかし、題目(南無妙法蓮華経)を唱えれば救われるという教えは、やはり念仏宗と同じ他力本願以外の何ものでもない。
南無とは「帰依します」「信じます」という意味で、題目は「法華経を信じます」という意味である。
しかし、『法華経』が何かを知らないのでは、信じる信じない以前の問題である。

『法華経』は西暦50〜150年にかけて、インドで複数の人物によって記された経典だが、それはイエスの使徒トマスがインドを伝道した直後だった。
「ヨハネの黙示録」と『法華経』の類似性については既に述べたが、久保有政氏によると、『法華経』のルーツは「ヨハネの福音書」だという。
トマスがインドで伝道した「ヨハネの福音書」や「ヨハネの黙示録」が、仏教バージョンに焼き直しされたのが『法華経』だというのである。

トマスはインドで「トマ」(Toma)と呼ばれており、それがグリムの法則で転訛してダーマ(Dharma=ダルマ)になったと主張する。
定説では、達磨大師は6世紀の人物だとされているが、異説や矛盾点が多く、真相は謎のベールに包まれている。
達磨大師の容貌はユダヤ人の特徴があると指摘されているが、達磨は南インド出身だと言われている。
そこはトマスの宣教地であった。
そして、達磨はインドから中国に禅を伝えた人とされているが、トマスもインドから中国へ伝道に行っている。

イエスが所属していたクムラン宗団は、瞑想や断食など仏教的な修行をしていた事で知られており、イエスもそれによって悟りを開いた。
故に、原始キリスト教には瞑想の習慣があった可能性は高く、トマス(達磨)が禅宗の祖とされたとしても不思議ではない。
また、禅宗において達磨の忌日は10月5日だが、仏教では死亡前日に仏事を行う習慣がある為、本当の命日は10月6日であると考えられている。
この日は、ギリシア正教会の「トマスの招天日の祝日」と一致している。
更に、ダルマ人形は「七転八起」を表したものだが、トマスは七転八起の人だった。

これはもともと『旧約聖書』の思想である。

「正しい者は七たび倒れても、また起き上がるからだ」
(「箴言」第24章16節)

つまり、『法華経』の成立のキッカケは、トマスが伝道した「ヨハネの福音書」と「ヨハネの黙示録」にあり、また彼は「禅宗の祖」として崇められるようになったという事である。
尚、インドで成立した『法華経』は後に、鳩摩羅什(344-413)によって漢訳されたが、かなり自分の好みを入れて創作したらしく、原典のサンスクリット語の『法華経』とは内容が随分と食い違っているという。

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当のインドでは、『法華経』はおろか、仏教そのものが衰退し、ヒンドゥー教の一派のような位置づけとなっている。
そして、無神論的な原始仏教が、釈迦を「久遠実成の仏」として崇拝する大乗仏教に発展したのは、キリスト教の影響だったのである。
仏教は原始キリスト教を吸収し、ヒンドゥー教は仏教を吸収したのだ。
そして、アマ族が日本に伝えたヒンドゥー教(シンドゥ教)がカンナガラの道と習合して「神道」となり、後に原始キリスト教が習合して「神社神道」が形成された。
その後、大乗仏教が日本に輸入され、神道と対立した。

太田龍氏は「聖徳太子の著作として伝えられる著述、文章の中で神道を根本とし、その上で儒教と法華経を頂点とする仏教を消化すると記されている」と述べているが、久保有政氏も「聖徳太子は基本的に神道派で、熱心な崇仏派ではなかった」と述べている。
やがて「神仏習合」に至るものの、明治時代に「神仏分離令」が出されたが、それまでの間に大乗仏教は神道の影響を受けて日本独自の発展を遂げていった。
その後も、日本仏教はキリスト教の影響を受けながら発展していった。
中国の大乗仏教は共産主義によって壊滅状態にあり、日本は『法華経』を信奉する唯一の国となった。

太田龍氏が言うように、日本で発展した『法華経』は『法華神道』であり、最澄が開いた比叡山の天台宗で研究され、天台宗で『法華経』は「根本経典」に定められた。
そして、比叡山の学僧だった法然、親鸞、道元、日蓮なども『法華経』の研鑽を積み、やがて各宗派の祖師となった。
つまり、鎌倉新仏教の各宗派は、日本天台宗の枝分かれだと言っても過言ではない。
真言宗の空海も晩年に、東大寺で『法華経』の講義をしたりしているが、最後まで『法華経』と深い関係を持ったのが、曹洞宗の道元と日蓮宗の日蓮だった。
日蓮に至っては、『法華経』を釈迦の唯一の教えとし、「真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊」を叫んで他宗を激しく非難した。

しかし、既に見て来た通り、『法華経』は西暦50〜150年の間に、インドで「ヨハネの福音書」と「ヨハネの黙示録」が焼き直しされたものである。
では、何故『法華経』が釈迦の唯一の教えとされたのか。
それは、大乗仏教自体がが「イエス・キリスト」の影響を受けて構築された宗教だからである。
イエス・キリストが「永遠」の神であるように、釈迦も「久遠実成の仏」として位置づけられたからであり、釈迦の死後500年経ってから書かれた「ヨハネの福音書」+「ヨハネの黙示録」の焼き直しも、釈迦の教えとされたのである。
だが、『法華経』は生前の釈迦自身の教えではなく、釈迦の唯一の教えなどというのは明らかに間違っている。

『日月神示』には、次のように示されている。

「神から来た教えなら他の教えとも協力して共に進まねばならん。
教派や教義にとらわれるのは邪の教え。
他の神を拝してはならんという、そなたの信仰はそれだけのもの。早よう卒業結構」


「シルバー・バーチ」は次のように語っている。

「各宗教はやがて悟るだろう。
各宗教は神の真理の一部ずつをもっていて、他の宗教の核心は、また自宗の貴重な本旨と矛盾するものではないということを」


『聖書』は様々な年代の預言者、またはその使徒によって書記された書物の集大成である。
『聖書』を教典とする宗教は、その解釈の違いによって宗派が分かれている。
ところが、『仏典』の場合はそうではない。
故に、仏教宗派は偏狭と言えば偏狭である。
仏教も、全宗派の経典の集大成を『仏典』とする仏教にするべきであろう。

日蓮宗・日本山妙法寺の藤井日達上人は、宗教宗派に囚われることなく、国内外の平和運動に積極的に関わり、「世界宗教者平和会議」や「世界平和会議」を開催した。
だが、どのような宗派も独善的・排他的になりがちで、人類史は宗教戦争の歴史と言っても過言ではない。
軍事戦争の根底にも「宗教や思想の違い」があり、宗教統一及び宗教破壊をする事が「世界平和の実現の第一歩」だと言える。
対立抗争が起きる原因は、教義や思想の違いと共に、宗教が組織化していることにある。
宗教団体が、教祖とそれに従う信者という関係で成り立つ以上、大なり小なり「カルト集団」である。

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出口王仁三郎は、宗教を破壊する為に「大本弾圧」を政府に起こさせ、宗教破壊の型を行なった。
実は、日蓮の思想も「宗教破壊」だったのである。
新興宗教の中には「日蓮宗」も多いが、様々な勝手な解釈や独自の思想が加わる事により、日蓮宗同士の対立も多い。
特に、日蓮宗は原理主義に走りやすい為、現在は「宗教の戦国時代」だと言える。

『日月神示』には、次のように示されている。

「この道は道なき道ざぞ。
天理も金光も黒住も、今は魂が抜けておれど、この道入れて生き返るのぞ。
日蓮も親鸞も耶蘇も何もかも脱け殻ぞ。この道でたま入れてくれよ。
この道は・ぞ。○の中に・入れてくれと申してあろうが。
臣民も世界中の臣民も国々もみな同じことぞ。
・入れてくれよ。○を掃除しておらぬと・は入らんぞ。
今度の戦は○の掃除ぞと申してあろうがな。
まつりとは調和(まつわり)合わすことと申してあろうがな」


○(身)の中に・(魂)が入ったΘ(マルチョン)を「身魂」と呼び、身を掃除しないと魂が入らないという。
今度の戦は身を掃除する事で、『日月神示』にはその為の食事指針も提示されているが、更に掘り下げた深い内容の記事を「神泉組1」に載せていくので参考にしてもらいたい。
もっとも、宗教には大なり小なり「食の戒律」があり、特に仏教は肉食を避ける事が基本となっている事は周知の事実である。

肉食は「殺生の罪」であり、肉食をすると心身に悪影響を及ぼす。
また、肉食によって動物霊の憑依を受ける事は、科学的な実験データからも実証されている。
これらの詳細はいずれ「神泉組1」で紹介するが、肉食をする宗教家や霊能者は、悉く偽善者だと言っても過言ではない。
意識レベルが上がって「副守護神」が改神すると、肉食は受け付けなくなるものだからである。

食欲は人間の第1の基本的本能で、「食」は「人が良くなる」と書く通り、「食育」があらゆる教育の基本である。
従って、人間性の向上を説く宗教が「食」について説くのは基本的の基本であり、「食」について説かない宗教は邪教である。
極論言えば、宗教は「食に始まり、食に終わる」と言っても過言ではない。
私は自らの経験によって、その事を深く悟っている。
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 14:53| Comment(0) | カテゴリ未決定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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