2010年11月23日

カルマの法則と罪と罰の真相

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カルマとは、サンスクリット語で「行為」という意味で、日本仏教では「業」と訳され、哲学では「人間の行為を支配する因果律」とされている。
ニュートンの第三法則「あらゆる作用はそれと等しい反作用を伴う」という物理法則がある。
既に述べた通り、意識の正体は物質(素粒子)であり、カルマは行為だけでなく「想念」も含まれることになる。
つまり「カルマの法則」とは、物理法則であるニュートンの「第三法則」なのだ。
前述の「自念障害」や呪いの「ブーメラン現象(返り念現象)」も、「カルマの法則」に基づいて起こっている。
「自業自得」という言葉があるが、これは本来は仏教用語で、「業」には「身業」「口業」「意業」の三業がある。

・身業とは・・・行為によって人を傷付けること
・口業とは・・・言葉で人を傷付けること
・意業とは・・・想念で人を傷付けること

例えば心の中で、怒りや憎しみの感情を持っただけでも業が生まれ、その業は自分自身で刈り取らなければならないというのが「カルマの法則」である。
イエスも、「人は蒔いた種子は必ず刈り取らなければならない」と言った。
エマーソンは、これを「償いの法則」という言葉で表現している。
勿論、カルマは悪い事だけに限らず、大きく分けて、善業(アカルマ)と悪業(ヴィカルマ)の2種類がある。
良い事を思ったり行なったりすると良い事が起き、悪い事を思ったり行なったりすると、それが現象となって現れるのだ。
一言で言えば、「原因と結果の法則(因果応報の法則)」である。
イエスが説いた「求めよ、さらば与えられん」も因果の法則であり、「与えよ、さらば与えられん」は善因善果ということになる。

また、いわゆる「罪と罰」という概念がある。
人間の行為は総て閻魔帳に付けられていて、悪い事をすると天罰が下り、また死後は地獄に堕ちるという概念である。
地獄というのも方便だが、閻魔帳とは「アカシック・レコード」のことであり、悪業の反作用によって起こる災いを「天罰」と表現する。
つまり、「罪と罰」とは、自然界の物理法則なのだ。
人間の似姿をした神様が人間の行動を監視し、悪事を働いた者に罰を当てるというのは喩え話であり、もしそのような神様がいたら、それは神ではなく悪霊だ。
もし、罰を当てる神がいるとすれば、カルマの法則によって、その神にもいずれ罰が返ってくることになる。
しかも、罰を当てることが神の仕事なら、神は四六時中、罰が当たり続けていることになる。
宇宙には様々な法則があるが、その法則を作ったのが神、また、その法則そのものを「神」と表現する。
カルマの法則、つまりニュートンの第三法則も、それ自体が「神」なのだ。
少なくとも、科学が説く神とは、そのようなものだ。

「罪を憎んでその人を憎まずとは悪のやり方、神のやり方はその罪をも憎まず」(日月神示)

キリスト教には「原罪」という概念がある。
アダムとイブが、神から食べる事を禁じられた「知恵の木の実」を、蛇(ルシファー)にそそのかされて食べた事が人類最初の罪だという。
「神のやり方はその罪さえ憎まず」という国常立尊だが、国常立尊は微塵の悪も許さぬ厳格な神政で世を治めていた為に、悪神の多数決によって隠退させられた。
国常立尊は霊主体従のエネルギーだが、この国常立尊こそアダムとイブに知恵の木の実を食べさせたルシファーである。
という事は、蛇(ルシファー=国常立尊)がアダムとイブに食べさせた知恵の木の実が意味することは、体主霊従の左脳思考ではなく、霊主体従の右脳思考を意味する。

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いいだろうか、知恵の木は「生命の樹」の象徴である。
「生命の樹」は、精神進化の象徴図形である。
従って、「生命の樹」の実を食べて善悪を知るようになったという事は、精神進化の宇宙法則を悟る右脳の覚醒を意味しているのだ。
同様のことは、スウェでボルグも述べている通りだ。
尚、アダムとイブにこの木の実を食べる事を禁じた神とは、精神進化の反作用である「偽のヤハウェ」である。
これが、「ヤハウェ」として、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が崇拝している唯一神なのだ。

そして、『日月神示』では、体主霊従主義が「悪」と表現されている。
これを人間に当てはめると、「体主霊従=物質主義=左脳偏重=悪=罪」ということになる。
更に具体的に言えば、左脳から生まれる自我が悪因(罪)を作るということからも説明できる。
では、なぜ聖書では、霊主体従の開眼を象徴する「知恵の木の実」を食べた事を「原罪」というのか。
それは、世の中が鏡像化(体主霊従化)した時代以降に、善悪が逆転し、聖書が書き換えられたということだ。
『日月神示』が示す通り、国常立尊が隠退し、現在は、悪神である盤古大神(偽のヤハウェ)が地上を支配している時代なのだ。

但し、「悪」というのは「体主霊従」の別の表現であり、自然界に善悪はなく、人間の言うような悪ではない。
悪神・盤古大神は国常立尊の暗黒面に対して名付けられた名前であり、両者は同一神である。
磁石から、N極とS極を分離できないのと同じである。
ただ、この体主霊従主義(左脳偏重)が肉体人間に顕れると、強い自我が生まれ、そこから我々が言うところの「悪」が生まれるのだ。
私の勝手な解釈だが、「悪=亜の心」とは、霊主体従の絶対神であるルシファー(真実のヤハウェ=国常立尊)が、反作用として、次(亜)に生み出したマイナス面、即ち、体主霊従の(偽の)ヤハウェ(盤古大神)を表現した文字だと考えられる。
そして、「罪=四に非ず」は、即ち、「Y」「H」「V」「H」の四位一体「YHVH(ヤハウェ)」に非ずと解釈できる。
真実のヤハウェはルシファーなので、四(ヤハウェ)に非ずということは、偽のヤハウェ、即ち現在のクリスチャンが絶対神と信じて疑わないヤハウェ(盤古大神)を意味することになる。
つまり、「罪=偽のヤハウェ=盤古大神=体主霊従=悪」であり、直結すると「罪=悪」となる。

そしてもう1点、不可解な謎がある。
聖書によると、アダムとイブが作った原罪から人類の堕落が始まり、その人類の悪業(カルマ)を贖ったのがイエスだという。
だが、アダムからノアの時代までのカルマは、ノアの大洪水によって清算されたはずである。
従って、イエスが清算したカルマは、大洪水後の人類のカルマだといえるだろう。
ついでに言えば、アダムとイブに知恵の木の実を食べさせた蛇(ルシファー)は、イエス・キリストである。
勿論、これは象徴論なので、文字通りに解釈されては困るが、やはりアダムとイブが知恵の木の実を食べて「原罪」が生まれたというのは、おかしな話だろう。
また、世の中が鏡像(物質)を実相と認識するようになり、体主霊従主義となったのは、天照大神が岩戸に隠れてから以降の事である。

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即ち、処刑されたイエスが埋葬されてからの事である。
では、天照大神の岩戸隠れと同じ意味を持つ「国常立尊の隠退」も約2000年前の出来事なのかというと、それは違う。
虚数の世界(神霊界)の出来事が、実数の世界である写し世(現世=物質界)に顕現するまでにはタイムラグがある。
国常立尊の隠退が意味することは、マグマの沈静である。
地上を創造したマグマ(国常立尊=ルシファー)が、物質界を完成させる為に地下に潜り、地上の運営権を体主霊従主義の盤古大神にバトンタッチしたのだ。
人類、即ちアダムとイブが誕生したのは、それから随分と先の話である。

だが、地球は定期的に次元変動を起こしている。
ノアの大洪水の時にも国常立尊の活躍(一時的な復活)はあっただろうし、「出エジプト記」の時代には「彗星メノラー=現在の金星(国常立尊=ルシファー=イエス・キリストの象徴)」が地球に接近し、ポールシフトが起きている。
勿論、ポールシフトも国常立尊の働きである。
天変地異とは、国常立尊(鬼=素盞鳴尊)の活動であり、地球(国常立尊)自身のカルマの清算であり、神( 国常立尊=電磁波)の子である人間のカルマの清算でもある。
この「国常立尊=素盞鳴尊=ルシファー」の受肉がイエスであり、贖罪神・素盞鳴尊(イエス)が人類の罪を背負って十字架に架かったというのは、この事を言っているのだ。

カルマとは、原因が結果を生み、その結果がまた原因となって次の結果を生む。
イエスの処刑の型(原因)は、1999年にグランドクロスとなって地球を磔にした。
これは地球の死を意味するが、イエスが復活して昇天したのと同様、地球の次元上昇を意味する。
つまり、カルマの法則とは、人類進化の法則と考えることもできるのだ。
少し複雑だが、ご理解頂けただろうか……アダムとイブが原罪を生んだ訳ではないのだ。

その事は、グノーシス派でも説かれている。
中国思想に「性善説」と「性悪説」があるが、人間は「神=国常立尊=電磁波=光=イエス・キリスト」の分身であり、性善説が正しいと言えるだろう。
『日月神示』にも、「人民は喜びの子と申してあろう。罪の子ではないぞ」と示されている。
ちなみにイエスは、処刑の際に「神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか」と記した聖書があるが、本来は「天なる父よ、私はあなたの御許に帰ります」が正しい。

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ニューエイジ運動でもカルマについて説かれているが、元々ニューエイジは、オカルティズム(神秘主義)、スピリチュアリズム(心霊主義)、ニューソート、トランセンデンタリズム(超絶主義)、神智学など様々な思想の影響を受けている。
神秘主義と神智学の概要は以前述べたので割愛するが、スピリチュアリズムは現在日本でも一種のブームで、江原啓之氏などが有名で、氏もカルマを説いていることは皆さんご存知だろう。
トランセンデンタリズムは、先述のエマーソンを中心として起こった精神運動で、伝統的キリスト教に捉われることなく、ヒンドゥー教や仏教の思想を取り入れながら発展した。
ニューソートはキリスト教の一派だが、ポジティブ・シンキング(プラス思考)によって、潜在意識を通して働く宇宙に遍在する「無限の叡智(神)」の力により、癒しや願望の実現を説くもので、フロイトの心理学にも影響を与えている。
ジョセフ・マーフィーはキリスト教の牧師だが、一神教であるはずのキリスト教の牧師がなぜ神を「遍在」と説いているかというと、マーフィーはニューソート系のディヴァイン・サイエンス教会の牧師だったからだ。

ニューソートも非常に寛容な宗教で、マーフィーがエマーソンの言葉を多用していることは、ご存知の方も多いだろう。
言うまでもなく、マーフィーが説く潜在意識の法則は「カルマの法則」である。
また、ナポレオン・ヒルの成功哲学や、多くの自己啓発法も、ニューソートに属している。
大本から派生した「生長の家」、即ち、王仁三郎の弟子だった谷口雅春は、元々はクリスチャンだった。
そして生長の家の教義には、ニューソートの思想が色濃く入っている。
マーフィーの法則を日本で初めて翻訳したのが谷口雅春で、1956年に生長の家の出版社である日本教文社から『信念の魔術』が出版された。
従って、生長の家が説く「光明思想」はニューソートのことであり、生長の家は世界最大のニューソート団体とも呼ばれている。
生長の家の信者だった橋本健氏も、当然「カルマ」的なことを主体に説いており、『運命の法則』などの著書を発表している。

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いずれにしても、カルマを説かない宗教はないだろう。
冒頭で述べた通り、カルマの法則は、科学的に説明できる自然法則である。
現代科学は実数の世界(物質界)しか認知できない為、物質的なカルマの法則(ニュートンの第三法則)は認めても、それが虚数の世界(想念界)にも及んでいることは認められていない。
しかし、最先端の量子力学や超科学(宗教的科学)などのニューサイエンスと呼ばれる分野では、「カルマの法則」は当然の如く認められているといえよう。
医学会に於いても、東洋医学と西洋医学を融合した思想を持つ、前述の春山茂雄氏は『脳内革命』の中でニューソート思想を医学的に解説しており、「カルマ」という言葉こそ使わないが、その事を解説している。
『脳内革命』の出版によって、医学界からブーイングの嵐だったことはマスコミでも連日報道されていたので、記憶に残っている方も多いだろう。
カルマの法則の存在は、誰もが潜在的に感じているはずである。
それは、「進化の法則」ではないかという仮説を先ほど出した。

悪業によって災いが起きると、更にそれに対する怒りや悲しみといった悪業を生み、またそのカルマの刈り取り(災い)が起こる。
「不幸は続く」というが、まさに悪業の悪循環のことであり、この試練によって魂は切磋琢磨され、その経験を通して様々な学習をして「気付き」を得た時、人は霊的成長を遂げる。
「若木は嵐に育つ」という言葉もあるだろう。
一方、善業のカルマは「歓喜」となって返ってくる。

「歓喜は神であり、神は歓喜である」(日月神示)

「歓喜はあらゆる修行に勝る」(随喜功徳品)

神である歓喜と融合する事は、最大の霊的進化を促す事になるのだ。
即ち、善業も悪業もひっくるめて、カルマの法則は「進化の法則」と考えられるのだ。
それは、天変地異がカルマの決算であると同時に、次元上昇の活動力である事からも頷けるだろう。
カルマの法則が「進化の法則」であることは、シルバー・バーチが詳しく説いているので紹介しよう。
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 21:13| Comment(0) | カテゴリ未決定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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