2010年11月23日

「宇宙カルマ」と「グループ・ソウル」の神秘

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カルマの法則が「進化の法則」である事がご理解頂けただろう。
それによって勇気づけられ、希望が持てた人もいるかも知れない。
また、カルマの法則を知ることによって、確実に謙虚になる事ができるだろう。

サイババも次のように述べている。

「幸福は慢心と不幸を招き、不幸は内省を促し成長させる」

「人生は修行の場」とよく言われるが、まさにあらゆる経験が修行だという事が良く分かる。
解釈によっては、バーチは「苦労は買ってでもしろ」的に説いているようにも思うが、そういう訳ではない。
それは、以下の霊訓から読み取れる。

「もちろん法則と調和した生活を送っておれば病気も不快も苦痛も生じないでしょう。
病気とか不快とか苦痛とかは自然法則との不調和の信号に他ならないからです。
そうした法則を人間はもうダメだというギリギリの段階に至るまで気がつかないからやっかいなのです。
なぜでしょう。人間と宇宙の真実の相を知らないからに他なりません。
要するにこの世は全て物と金と考えているからです。
が、そうした苦しみの末に、いつかは真実に目覚め始める時がやってまいります。
自我の意識が芽生え、内在する神性が目覚め始めます」


要は、真理に目覚めれば良いのだ。
その為には、物質的なこと、即ち自我に囚われてはいけないという。
知花敏彦氏も次のように述べている。

「物質的に物に溺れないように。物に溺れることは水に溺れることになります」

その真理に目覚める経緯として、欲望と理性の葛藤があることを、バーチは述べている。
言葉を換えて表現すれば、「善と悪の戦い」である。

「動物的進化の名残である下等な欲望や感情もあれば、あなたの個的存在の源である神的属性も秘められているのです。
そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。
地上に生まれてくるのはその試練に身をさらす為なのです」


善と悪の最終決戦ハルマゲドンは、霊主体従主義「国常立尊」と体主霊従主義「盤古大神」が融合「霊体一致」する為の摩擦・衝突であり、これが実数の世界に現れているのが、現在起きている天変地異や紛争である。
そして宇宙と人体は相似象であり、このハルマゲドンをミクロで見ると、人間の欲望と理性の葛藤だと言えるだろう。
ハルマゲドンは、「カルマの総決算」とも言い換えることもできる。
今生に生きる我々にとって厄介なことは、カルマは前世、更にそれ以前の過去世にまで遡ることだ。
前世で刈り取れなかったカルマを解消する為に、我々はこの世に生まれてきたという訳だ。
前世の記憶もなければ、人間界においても同一人物ではない、つまり他人だ。

更に、無限に近い数の先祖の情報が、我々のDNAにインプットされている以上、先祖の良いカルマも悪いカルマも全て受け継いでいる事になるのだ。
因縁研究家によると、武士の子孫は滅びの道を進み、百姓の子孫が栄えていく傾向にあるという。
勿論、真の武士道に生きた立派な高級武士もいれば、ろくでなしの百姓もいただろうし、あくまでも傾向である。
だが、カルマについて考えれば考えるほど、人間的な観点から見ると理不尽である。
何故なら最初に述べた通り、人類が自他一体の運命共同体である以上、カルマの法則は個人的なものに限定されないからだ。

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例えば、『シルバー・バーチ霊言集』や『ホワイト・イーグル霊言集』を翻訳している桑原啓善氏は、『地球を救う霊的常識』の中で次のような例を挙げている。

「カルマの問題は、例えばAさんがBさんに殺されたから次には必ずBさんがAさんに殺されるという単純なものではありません。
ずっと前の再生の時からの因縁がありましょうし、人間というものは必ずしも全部的再生をするとは限らないもので、創造的再生という面があるはずです。
そうなると霊縁の強い人たちが互いにお互いのカルマを背負い合って生まれてきているといえます。
だから、因縁霊の問題の場合、その因縁霊と自分との関係は様々なケースが考えられます。
その因縁霊を過去世で殺したから、逆に今度は自分が殺されるという場合、或いは殺された本人は因縁霊を殺したのではなくて、全然別人を殺したかも知れないとか、或いは殺さないけれども、それに価するような危害を誰か他の人に与えた経験があるかも知れないとか、色々なケースが考えられます。
但しカルマが両者の間に存在することだけは間違いないわけです。
そのようにカルマの問題は単純にA→BだからB→Aとは限らないのです」


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更に、知花氏は『人類を救う意識改革』の中で、次のように述べている。

「家庭の一人一人の不調和は家庭のカルマとなって現れます。
それを家庭のカルマと言います。
家庭が思わしくいかないのです。
そこに住んでいる一人一人の心の不調和が家庭の状態に現れて来るのです。
今度はその家庭のカルマが村単位で現れて来るわけです。
ある村に不調和な村と調和のとれた村があったとします。
どちらに災難は起こりますか。
それは調和のとれていない村民に起こります。
それが村民のカルマなのです。
あるいは町民でも市民でも同じことです。
そこで総決、統合されたもののカルマとなります。
国家としてのカルマもあります。
日本というカルマ、それは日本人のカルマが国家としてのカルマになります。
国家のカルマを犯した分だけ、日本人が全部悪い人間なら日本は滅びます。災難が起こります。
大変な痛い目を見なければならないし、大変苦しい思いをしなければなりません。
これは、人類全体としてのカルマもあります。
また全部、地球の天変地異となって、いろいろな災難となって現れて来るわけです。
その法則は目に見えないけれども、現にあなた方は犯しているのです。
罪を犯して、法を犯しているその実態にさえも気づかないでいるのです。
一人一人の不調和の心が、いかに全体に影響を及ぼしているか……。
だから一人の影響は全体の影響ということで、決して切り離されたものというものはありません。
もちろん極端な個人的な罪を犯すならば、その罪は人類全体として犯していることになるわけです」


『人間の個性とその死後の存続』の著者フレデリック・マイヤースは、死後、霊媒師ジェラルディーン・カミンズに、『永遠の大道』という著作を自動書記させ、霊魂の秘密「グループ・ソウル」を明かした。
大本の幹部で、王仁三郎の片腕として活躍した浅野和三郎は、大本脱会後に心霊科学研究会を設立し、『永遠の大道』を翻訳して「グループ・ソウル」を「類魂」と訳した。
類魂とは何か……。

『類魂は、見方によっては単数でもあり複数でもある。
一個のスピリット(中心霊)が複数の類魂を一つにまとめているのである。
脳の中にいくつかの中枢があるように、霊的生活においても、一個のスピリットによって結ばれた霊の一団があり、それが霊的養分をこのスピリットからもらうのである。
人間が地上に生をうけるのは、前世での罪の代価を払うためであるというのは、ある意味では真実である。
が、その前世とは、自分の生涯といえると同時に、自分の生涯ではないとも言える。
つまり前世とは、自分と同じ霊系の魂の一つが、かつて地上で送った生涯をさすもので、それが現在の自分の地上生活の型をこしらえているのである。
さきに私は、帰幽霊を大別して「霊の人」「魂の人」「肉の人」に分けたが、このうち、「魂の人」となると、大部分は二度と地上に戻りたいとは思わない。
が、彼らを統一しているスピリットは幾度でも地上生活を求める。
そして、そのスピリットが類魂どうしの強い絆となって、進化向上の過程において、互いに反応し合い刺激し合うのである。
従って私が霊的祖先という時、それは肉体上の祖先のことではなく、そうした一個のスピリットによって私と結びついている類魂の先輩たちのことをいうのである。
一個のスピリットの中に含まれる魂の数は、20の場合もあれば100の場合もあり、また1000の場合もあり、その数は一定しない。
ただ、仏教でいうところの宿業(カルマ)は確かに前世から背負ってくるのであるが、それは往々にして私自身の前世のカルマではなくて、私よりずっと以前に地上生活を送った類魂の一つが残していった型のことをさすことがある』


浅野氏は次のように解説している。

「マイヤースも述べている通り、地上の人間生活にあって何人(なんぴと)も逢着する最大の疑問は、一見すると因果律を打破するような人間生活の不公平・不平等である。
これを合理的に説明し得ない宗教は、宗教としての役目を果たさない。
ここに一個の中心霊(スピリット)があり、それから幾つかの魂(ソウル)が分かれて、それぞれ異なった時代に地上生活を営んでいる。
霊的進化の各段階に置かれたこれらの魂の間には反射作用が行なわれ、いわば連帯責任をもっているのである」


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イギリスでスピリチュアルを学んだ江原氏も、「魂は自らの類魂に帰結します。類魂と溶け合い、その一部となるのです」と述べている。
森田健氏によると、フォーカス35(5次元)ではすべての魂の一体化(融合)が起こり、それぞれの記憶が皆のものとして共有されるという。
これこそまさに「グループ・ソウル(類魂)」である。
森田氏はチベットで、「全体の業」というインスピレーションを得たという。

そして、様々な体験や調査により、次のような仮説を立てている。

「カルマを精算するには、ある一定期間の区切りが必要です。
あの世とこの世は繋がって流れているとすれば、区切りがありません。
この考え方によれば、前世とか今世という短いスパンでは、カルマの精算はできないことになります。
ではどこのレベルでカルマが精算できるかと言うと、宇宙が終わった時だと思います。
私の行動が良かったのか、悪かったのかということは、宇宙が終わってみないと分かりません。
ですからカルマとは、宇宙の歴史の規模で存在していると思います。
ということは、今の私にカルマがあるとすれば、少なくても宇宙が誕生する150億年以上前のことになります。
つまり、カルマはあって無いようなものです」
(不思議の友No.11)

「……前世ともほとんど関係ないと思います。
そんな短いスパンで決まるものではありません。
あなたが前世で悪いことをしようが、それすら宇宙の誕生から決まっていたからだと思います。
しいてあげれば前の宇宙のカルマです」
(運命を変える未来からの情報)

壮大なスケールの話だが、マクロ的に見ると正しいと思う。
つまり、今の宇宙が出来る前の宇宙のカルマの結果として今の宇宙が存在する。
そして、「宇宙=人間」「人間=自他一体」であれば、個人のカルマも前の宇宙の「全体の業」の結果として存在する。
その中での原因と結果も最初から決まっており、結果は即原因となる。
従って、現在の宇宙のカルマが精算できるのは、この宇宙が終わった時だというのだ。
宇宙は周期的に破壊と再生を繰り返して進化しているが、まさにその時期が「全体の業=宇宙のカルマ」の精算期なのだ。
「だから個人のカルマなど関係ない」と森田氏は主張する。

究極的に、それは正しいと思う。
だが、カルマの法則は確かに働いており、宇宙のカルマを精算する為に、小宇宙である人間が短いスパンで、小さなカルマを少しずつ精算し、宇宙の方向性を更なる完成に向けて修正していると言えるのではないだろうか。
重要な事は、「自分のカルマ」だけに囚われてはいけないということだ。
つまり、「自分のカルマさえ解消すればそれで良し」という考え方は、明らかに利己主義から生まれた短絡的発想である。

サイババは言う。

「人は他人が不幸でいて、自分だけが幸福になることはできない。
人は人類という有機体の一部だから、自らの繁栄を分かち合い、他人を苦しみから救う努力をせよ。
それが人の務めである」
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 22:12| Comment(2) | カテゴリ未決定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めてコメントさせて頂きます☆
つい最近、知的な友人よりこのブログを教えて貰い、今、感動に浸ってます!
私はずっと【カルマ】とはなんぞや…を知りたくて、どれだけ本を読んだか知れません☆
宗教やらスピリチュアルをたくさん経験し、【カルマ】に縛られていました…
今やっと【あるがまま】に生きていいんだ…
本当は【カルマ】は自分が作ったものだと教えられ、納得できる答えを探していましたから…【宇宙には本来、良いも悪いもない】などと言われても、長年、【因果律】思想に縛られて生きてきた為、なかなか納得したくても出来ませんでした♪
今は、神仙組さんの記事がすべて私の興味ある内容なので、早く仕事や家事を終わらせて記事を読むのが楽しくて楽しくて☆
本当に素晴らしい内容です♪
まだまだすべてを読めてはないのでわからないのですが、神仙組さんは、どこの惑星が故郷の方なのですか!
出来たら教えて下さいませんか?
Posted by ユミエル at 2010年12月27日 21:37
ユミエルさん、明けましておめでとうございます。
もう1つの方便である「輪廻」の謎については、またの機会に詳しく書かせて頂きたいと思います。
宜しくお願い致します。
故郷の惑星は金星ではないかと思いますが、分かりません^^;
Posted by 夢蛇鬼 at 2011年01月01日 21:02
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