2012年10月16日

【5大方便】の1つ「輪廻」の謎


私は5年前から輪廻は幻影だと感じ、このブログ説明でも「5大方便」の1つとして「輪廻」を取り上げているが、それについて書いておきたい。

肉体が実在ではないなら、肉体に魂が宿っている方がおかしい。
神(魂)が内側に存在するというのは、外側は内側だからである。
内側に全てがあり、もちろん神(魂)もあるのだが、従来の「魂が宿っている」という観念とは異なるということだ。

これは簡単には理解できないと思うので、これ以上の説明は割愛する。
何故なら、私自身も漠然と感じているだけで、ハッキリとは認識できていない為、説明が不可能だからである。
そこで、同じことを言っている人はいないものか思い、「魂は肉体に宿っていない」という感じのワードで検索していると、バシャールの話が出てきた。

更に、内海康満氏の友人の田岡満氏という霊能者の話も出てきた。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-taoka.html

b0086362_21115249.jpg

それで以前、私の仮説の裏付けとして「アンチ・キリスト完全ファイル3」で紹介したのだが、漠然とでもそのことを知覚しているということは、少なからず魂の意識に目覚めている証拠だと言えるだろう。

肉体に魂が宿っていることは一面的に事実だが、本質的には宿っていないという意味である。
肉体に魂が宿っていないのであれば、輪廻転生という厳然たる現象も幻影である可能性がある。

釈迦、エドガー・ケイシー、サイババ、ババジ、孫儲琳、政木和三、内海氏、その他の様々な情報を検証すると、輪廻の存在を認めざるを得ない。

シルバー・バーチやバシャールなども明確に輪廻転生を説いている。
人霊ではない宇宙神霊アリオンも転生の話をしており、アリオンのチャネラーの北川恵子氏も、
幾多の自分の過去世のヴィジョンをアリオンから見せられている。

『日月神示』にも転生について書かれた箇所がある。

「此の度の、岩戸開きの御用する、身魂は何れも生きかわり、
死にかわりして練りに練り、鍛へに鍛へし神国の、
まことの身魂天駈けり、国駈けります元の種、昔の元のおん種ぞ」

「人のようせん辛抱さして、生き変り死に変り修行さして置いた
昔からの因縁の身魂のみざから、みごと御用つとめ上げて呉れよ」

「また天使の霊が母体に宿り人民として生れてくる事もあるぞ、
末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ」


E382BBE382A4E383B3E38388E382B8E383A3E383BCE383A1E382A4E383B32.jpg

『日月神示』によると、幽界は人間の想念が創り出した幻影だという。
また、不思議研究所の森田健氏のハイヤーセルフによると、輪廻転生地点のフォーカス27(天上道)も「投影の世界」だという。

そして、人間界と肉体も投影(幻影)である。
そう考えると、六道輪廻も幻影だということになる。
天上道も幽界も人間界も存在し、肉体に魂が宿っていることは事実だが、それらは全て迷いの世界での幻のようなものなのだが、そのような理由で輪廻を否定している人を、獣は知らない。

もりけん氏のハイヤーセルフも、フォーカス27を「5次元の投影」としながらも輪廻を否定していない。
という事は、輪廻も「幻の現象」として存在することを示唆している。

逆に言うと、本質的には輪廻はないということになるが、それを言ってしまえば、「3次元の世界も4次元の世界も幻影であって実在ではない」ということで片付いてしまう。

だが、3次元も4次元も投影として存在し、輪廻という現象があるのも一応は事実である。
しかし、「幽界や輪廻が実在ではない」という認識は非常に重要である。

少なくとも、死後、幽界に行って、そこから再び人間界にUターンするようなことがあってはならない。
今は、宇宙カルマの総決算の時期ゆえに、進化できない魂は淘汰される可能性があるからだ。

それは、アリオンや田岡満氏、内海康満氏が主張していることだが、「自叙伝『破滅に向かってC』」で紹介した「波動合わせ」という冊子にも同じことが書かれていた。

どうにもならない心は、「真実を告げる書」に書かれているように、
宇宙の塵にならないとも限りません。
嫉妬心や独占欲は本当はあってはならないものです。
本当に人のために生きようと思ったとき嫉妬心や独占欲はなくなります。


詳細は以下を参照して頂きたい。
http://kemono666.seesaa.net/article/293119787.html

unkai.jpg

丹波哲郎が最も尊敬していた霊能者で、私も長らく信仰していた隈本確は輪廻転生を否定している。

そして、オコツトも輪廻を否定している。
(以下、オコツトと半田氏の交信記録)

「輪廻ですか……そのようなものは存在していません」
輪廻転生の本質とはタカヒマラにおける次元交替化のことです。
この交替化は人間全体の意識において起こるものであり、個体という意識において生起するものではありません」

「しかし、輪廻の本質が歪められていると言われても、実際、退行催眠などによって、過去世の記憶にアクセスする人がいます。
前世の生まれた場所、名前、職業、周囲の人間関係などをはっきりと目撃し、そして実際にそれらの内容をリサーチすると、すべて事実として確認されたといったようなことです。
これは輪廻のような概念なしには、説明できないのではないでしょうか」

「そうですね、そのようなことが人間の意識に起こることもあるでしょう。
しかし、それはあなたがたが輪廻と呼ぶ概念が原因となって起こっているわけではありません。
調整質のカタチが共振を起こしているのです」

「どういう意味ですか。もう少し具体的におっしゃっていただけませんか」

「先ほども申し上げたように、調整質とは簡単に言えばあなたがたの意識のことです。
調整質の中には個体の意識をはじめ人間の集合意識の次元など様々な働きの次元が横行しています。
意識はそれらのあらゆる次元においてカタチを持っており、個体の意識次元もまた例外ではありません。
人間が前世のように錯覚しているのはそれらのカタチの共鳴によってひき起こされているものです」

「つまり、アカシック・レコード(集合意識)の次元において何らかの共振をしているとおっしゃるのですね」

「はい、そのようなものです」

「でも、この世に人間として生まれてくるとき幸福な環境で生まれたり、反対に不幸な環境に生まれたりするといった格差がありますよね。
輪廻を信じる人はこのような格差が前世の因縁によって起こると考えますが、これらのハンディキャップの原因は、どのように考えればいいのでしょうか」

「原因などありません。それは意識の問題ではなく、単にあなたがたが作り出している社会機構の問題です。
付帯質が精神の方向性を見い出せば、そのようなものは何の意味も持たなくなるでしょう」


半田広宣氏は次のように述べている。

科学、宗教を問わず近代以降に起きてきた世界観の変遷は、すべからく精神の萎縮化であったと見なしてよいのかも知れない。
本来、万物に浸透していた人間の霊性は霊魂という言葉に置き換えられ、同じく肉体という器に宿る何らかのエネルギーというイメージで3次元的な描像にまで転落させられてしまったのだ。
死の訪れによって霊魂は肉体を抜け出し、新たに生まれ変わるべく別の肉体を求めて異空間を彷徨う――

このような転生説を唱える生気論者たちは、彼らの主張とは裏腹におそらく唯物論的思考の影響を色濃く受けている。
エクトプラズム……ガス状のエネルギー体としてイメージされる霊魂、そして、アストラル体、メンタル体などに見られる「体」という形容……。
非物質的なものには非物質的な方法で近づくしかないにも関わらず、世界はその全てが物質感覚に支配されたイメージで溢れかえっている。
それほどまでに人間型ゲシュタルトの力は強力なのか……。
何もかも真実の宇宙感覚とは縁遠い所で淀んで腐敗しかかっている……。


repetition2.jpg

人間が転生だと思っている現象は、集合的無意識の共振だという。
隈本確は「前世の記憶」の真相は、憑依霊の生前の記憶だとしているが、それも一種の意識の共振だと言えるだろう。

隈本確が転生を否定していた理由は、幽界や天界など様々な霊界で、何百年、何千年、何万年前に他界した霊たちと数多く交流してきて、彼らが転生していないということから転生を否定しているようだ。

スウェデンボルグもアダムの時代以前の古代霊や、数千年前の霊たちとの交流を何十年も続けてきた中で、
転生の事実を確認することはできなかった。

だが、モンロー研究所には「過去世の自分の救出」というセッションがあるように、それは「部分的再生=分霊の転生」で説明がつく。

また、釈迦の教えは「輪廻からの解脱」であり、輪廻がなければ仏教は根本的に虚構だったことになる。
つまり、「集合意識の共振」や「一種の憑依現象」のような形で、幻の現象として輪廻が存在するという解釈で良いだろう。

もちろん、その過去世の因果律に基づいて現世の運命が決定しているが、その因果律(カルマの法則)も本質的には実在ではないのである。
故に、輪廻を解脱すると因果律から解放され、運命から自由になるのだ。

阿含宗の桐山氏は次のように述べている。

かねてから、私の奇異に感じていることが一つある。
それは、霊の存在を否定する坊さんの少なからずいることである。
学者、または学者ぶった坊さんに多い。
霊魂なぞ一切ないと、したり顔に否定する。
釈尊は霊魂の存在など一切認めなかったというのである。
そういうならば、釈尊の否定されたのは霊魂だけではない。
人間そのものをはじめ、森羅万象いっさいを否定された。
「諸法皆空」と。
仏陀が否定されたのは、常住不変の実在としての霊魂である。
人間も、霊魂も、輪廻も、転生も、五蘊の仮合した存在であり、因縁が解ければすべてもとの「空」となる。
仏陀が目指したのは、悪因悪業すべてを解脱して、諸法皆空に帰した、涅槃(ニルヴァーナ)に至る道である。
しかし、その真理を悟らざる者は、迷妄に苦悩しつつ、果てしなく六道を輪廻することになる。
いや、悟れば本来「空」であり、人間と霊を区別することさえもおかしなことなのである。


桐山氏は気付いていないが、この釈迦の教えは、「六道も輪廻も迷いの世界の幻である」という意味であり、
実相の世界(涅槃)に入ることを説いたものなのだ。
即ち、3次元の肉体意識や4次元の幽体意識を超えて、5次元の真我(霊魂の意識)を覚醒せよということなのである。

源の光が魂の意識の視点である(内側とも外側とも感じる)
20091005_2909179.gif

また、バシャールの転生の話も一般的な概念とは大きく異なる。
オコツトの説明だけでは完全に納得できない部分があっても、バシャールの話と併せて解釈すると理解しやすい。

載せたい動画が発見できなかったので、検索した記事を載せておく。

Q.私たちの魂というのは何回も何回も生まれてきて・・・

バシャール:はい。
でもいまのあなたは、時間を直線的にみた話をしていますね。
この物理次元には、時間の観念が必ず入ってきます。
「まえ」とか「いま」とか「そのあと」という話になります。
でも、創造の真理からすると「すべての人生がいま起きています」
ただ、物理次元からみると、ある人生の後にまた別の人生があるように見えます。

「オーバーソウル」という、より高次な魂の観点からすれば、皆さんの来世を先に、そしてそのあとに過去世を見ることもできます。
オーバーソウルの次元では、時間や空間の概念は存在しないからです。
まったく意味がないのです。
ですから、未来も確定していませんし、過去も確定していません。

皆さんが物理次元で理解できることの中で、一番重要な原理がこれでしょう。
「現在」は「過去」の直接的な産物ではないということです。
連続して続いているという観念は、皆さんが創り出し幻です。
過去を現在において変えることができます。

なぜならば、未来に向かっても、過去に向かっても、無数の組み合わせの人生があるからです。
そのどれを選ぶこともできます。
自分の今の波動を決めることによって、それが何であれ、それに応じて過去と未来からの現在の自分に「影響するもの」が変わります。


また、バシャールはこのようにも語っている。

「このあなた本来の固有の波動は、さまざまなものと繋がっている
さまざまな輪廻転生の経験を含んだ周波数でできています。
また、この人生で探求しようと選んできた全般的なテーマも含まれています」


結局、人間界に生きているということは、魂の意識では、「人生劇場シリーズ」というDVDを視聴しているようなものなのだ。
従って、人間界に対する獣の認識は正常で、超常識人ということになる。

CA339082-thumbnail2.jpg

汝の肉体には魂は宿っていない!
http://kemono666.seesaa.net/article/261525884.html

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 21:33| Comment(0) | カテゴリ未決定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。