2009年08月10日

スウェデンボルグが説く「善と悪の役割」と2つの樹の実の熟成

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スウェデンボルグもまた、『日月神示』と同様の善悪の関係を説いている。

「二つのものが互いに相対して作用し合い、一方が反作用と抵抗をするだけ他方が作用し駆動するなら、両方の何れにも等しい力が作用しているので結果は生じず、また両者はそのとき第三者によって自由に作用され得るということは認められている。
なぜなら、両者の力が等しい抵抗によって中性化されれば、第三者的な力は完全な効力を持ち、あたかも其処に何の抵抗もないかのように用意に作用するからである。
このようなものが天界と地獄の間にある平衡である。
しかしそれは二人の等しい力を持った肉体的闘争者間の平衡のようなものではなく、それは霊的平衡、即ち、真理に対する虚偽と善に対する悪との平衡である。
地獄からは悪からの虚偽が、また天界からは善からの真理が、それぞれ絶えず発散する。
人をして自由に考えたり意志したりさせるのはこの霊的均衡である」


『日月神示』でいう「立て替え立て直し」、すなわち聖書でいうところの「最後の審判」について、スウェデンボルグは次のように述べている。
尚、『日月神示』によると、霊界が原因の世界で、人間界が結果の世界であり、霊界で起きたことが時を経て人間界の現象として起こるという。
スウェデンボルグは1757年に、霊界で最後の審判(天変地異)を目撃した。
その内容については割愛するが、「最後の審判」の後の世界について、スウェデンボルグは次のように予測している。

「人類は黄金、白銀、真鍮、鉄という四つの時代を経てきた。
そこで読者の中には、1757年の最後の審判のあとでは何の時代に入るのかと思っている人もいよう。
結論をいえば、私は次の時代は再び黄金時代がやってくるのだと考えている。
人類は黄金から鉄までの四つの時代を繰り返すものだと考えているからで、鉄時代のあとは再び黄金時代が繰り返されるというわけである。
では、再度の黄金時代に入る人類はアダム時代のようなすばらしい時代を再び迎えるのであろうか。
この答えは、理屈からいえばイエスである。
しかし、本当にその理屈どおりにいくのか否かといわれると必ずしもそうとはいえない。
アダム以前にはプリアダマイトという純朴な先人を持っていただけであった。
しかし、現在のわれわれは、プリアダマイトとは違うさまざまな人類を先祖として持っている。
1757年の審判で霊界に整理が行われ、黒い雲が払われたのは理屈の上では確かであるが、それを額面どおりに評価できるわけでもないからである。
またさらに、デカルト以来いよいよ強くなってきた、いわゆる科学的思考といわれる外面的な要素もますます強くなっているのがいまの時代である。
果たして、人類は黄金時代をとりもどすのか、とりもどしそこねて白銀、真鍮、鉄の時代を時計の針を一挙に縮めた形で猛スピードで通り過ぎ、もっとわけのわからない時代に突入してしまうのか。
最後の審判の影響自体が数百年のタイム・ラグを経なければ現れないものゆえ、このことに対する回答はまだまだ先にならないと誰にもわからない」


1757年から約250年経った現在、いよいよ地上での「最後の審判」が起こり始めている。
これから人類は、どのような時代に突入しようとしているのか……。
黄金時代(至福千年王国)を迎える為には、人類、特に日本人が「知恵の樹の実」と「生命の樹の実」を食べる事が急務である。
傲慢な発言で恐縮だが、神仙組シリーズを読むことは、「知恵の樹の実」と「生命の樹の実」を食べる事に等しい。
絶対神ヤハウェが禁じたこの2つの「樹の実」を公開する私を、堕天使ルシファーの眷族だと思う人もいるかも知れない。
だが、私の推理が正しければ、「イエス・キリスト」もそれを公開した為に処刑された人物である。
「生命の樹」に巻きつく蛇(ルシファー)は、磔のイエス・キリストの予型だからだ。
そして、この2つの「樹の実」が熟して、食すべき時期が到来しているという事を述べておく。
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 13:05| Comment(5) | サタンと黒い貴族の正体と役割 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『日月神示』が説く「善と悪の役割」とヤハウェの恐怖

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『日月神示』が示す善悪に関する記述を抜粋しよう。

「悪霊自身は自身を悪と思うてないぞ」

「まことの善は悪に似ているぞ、まことの悪は善に似ているぞ、よく見分けなならんぞ、悪の大将は光り輝いているのざぞ」

「人の心から悪を取り除かねば神に通じないと教へているが、それは段階の低い教であるぞ」

「大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせているのであるぞ。
抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。
抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが」

「悪を悪と見るのが悪」

「悪も御役であるぞ。
この道理よく腹に入れて下されよ」

「罪を憎んでその人を憎まずとは悪のやり方、神のやり方はその罪をも憎まず」

「悪も神の御働きと申すもの、悪にくむこと、悪ぢゃ。
善にくむより尚悪い。何故に判らんのか」

「悪いこと通して善くなる仕組、よく心得よ」

「悪で行けるなら悪でもよいが、悪は影であるから、悪ではつづかんから早う善に帰れと申すのぞ」

「善でつづくか悪でつづくか、この世に善と悪とがあって、どちらで立って行くか、末代つづくか、得心ゆくまで致させてあったが、もう悪ではつづかんことが悪神にも判って来るのであるから、今しばらくのゴタゴタであるぞ」

「悪もよいなれど、悪も神の用(ハタラ)きであるなれど、悪が表に出ること相成らん。
悪を食ふて暮らさなならん時近づいたぞ、悪を噛んで、よく消化し、浄化して下されよ、悪は善の仮面をかぶっていること多いぞ、だが悪も大神の中に生まれたものであることを知らねばならん」

「善のみにては力として進展せず、無と同じこととなり、悪のみにてもまた同様である。
故に神は悪を除かんとは為し給わず、悪を悪として正しく生かさんと為し給うのである。
何故ならば、悪もまた神の御力の現れの一面なるが故である。
悪を除いて善ばかりの世となさんとするは、地上的物質的の方向、法則下に、総てをはめんとなす限られたる科学的平面的行為であって、この行為こそ、悪そのものである。
この一点に地上人の共通する誤りたる想念が存在する。
悪を消化し、悪を抱き、これを善の悪として、善の善悪となすことによって、三千世界は弥栄となり、不変にして変化極まりなき大歓喜となるのである。
この境地こそ、生なく、死なく、光明、弥栄の生命となる」

「すべての善は、・より起こり、・に還るのと同様、すべての悪もまた・より起こり、・に還る。
故に、神をはなれた善はなく、また神をはなれた悪のみの悪はあり得ないのである。
殊に地上人はこの善悪の均衡の中にあるが故に、地上人たり得るのであって、悪を取り去るならば、地上人としての生命はなく、また善はなくなるのである。
この悪を因縁により、また囚われたる感情が生み出す悪だ、と思ってはならない。
この悪があればこそ、自由が存在し、生長し、弥栄するのである。
悪のみの世界はなく、また善のみの世界はあり得ない。
所謂、悪のみの世界と伝えられるような地獄は存在しないのである」

「地上人は絶えず、善、真に導かれると共に、また悪、偽に導かれる。
この場合、この平衡を破るようなことになってはならない。
その平衡が、神の御旨である。
平衡より大平衡に、大平衡より超平衡に、超大平衡にと進み行くことを弥栄というのである。
左手は右手により生き動き、栄える。
左手なき右手はなく、右手なき左手はない。
善、真なき悪、偽はなく、悪、偽なき善、真はあり得ない。
神は善・真・悪・偽であるが、その新しき平衡が新しき神を生む。
新しき神は、常に神の中に孕み、神の中に生まれ、神に育てられつつある。
始めなき始めより、終わりなき終わりに到る大歓喜の栄ゆる姿がそれである」

「霊人に於いては、善悪の両面に往することは、原則として許されない。
一時的には仮面をかむり得るが、それは長く続かず、自分自身絶え得ぬこととなる。
地上人といえども、本質的には善悪両面に呼吸することは許されていない。
しかし、悪を抱き参らせて、悪を御用の悪として育て給わんがために課せられたる地上人の光栄ある大使命なることを自覚しなければならない。
悪と偽に、同時に入ることは、一応の必要悪、必要偽として許される。
何故ならば、それがある為に弥栄し、進展するからである。
悪を殺すことは、善をも殺し、神を殺し、歓喜を殺し、総てを殺す結果となるからである」

「悪魔の仕組はこの方には判りているから一度に潰す事は易いなれど、それでは天の大神様にすまんなり、悪殺してしまうのではなく、悪改心さして、ミロクの嬉し嬉しの世にするのが神の願いざから、この道理忘れるでないぞ」

「悪の総大将よ、早よ改心なされ。
悪の神々よ、早よ改心結構であるぞ。
いくら焦りてあがいても神国の仕組は判りはせんぞ。
悪とは申せ大将になる身魂、改心すれば、今度はいつまでも結構になるのぞ」

「悪も御苦労の御役。この方について御座れ。
手引いて助けてやると申してあろが。
悪の改心、善の改心、善悪ない世を光の世と申すぞ」

「悪も善に立ち返りて御用するのざぞ、善も悪もないのざと申してあろがな」

「悪の世が廻りて来た時には、悪の御用する身魂をつくりておかねば、善では動きとれんのざぞ。
悪も元を正せば善であるぞ、その働きの御用が悪であるぞ、御苦労の御役であるから、悪憎むでないぞ、憎むと善でなくなるぞ、天地にごりてくるぞ」

「悪神よ、今までは思う通りに、始めの仕組通りにやれたなれど、もう悪の利かん時節が来たのであるから、早う善に立ちかえりて下されよ。
善の神まで捲き入れての仕放題。
これで不足はもうあるまいぞや」

「今日までの御教は、悪を殺せば善ばかり、輝く御代が来ると云ふ、これが悪魔の御教ぞ。
この御教に人民は、すっかり騙され悪殺す、ことが正しきことなりと、信ぜしことの愚かさよ。
三千年の昔から、幾千万の人々が、悪を殺して人類の、平和を求め願ひしも、それははかなき水の泡、悪殺しても殺しても、焼いても煮てもしゃぶっても、悪はますます増えるのみ、悪殺すてふそのことが、悪そのものと知らざるや、神の心は弥栄ぞ。
本来悪も善もなし、ただ御光の栄ゆのみ、八岐大蛇も金毛も、邪鬼も皆それ生ける神、神の光の生みしもの、悪抱きませ善も抱き、あななふ所に御力の、輝く時ぞ来るなり、善いさかへば悪なるぞ。
善悪不二と云ひながら、悪と善とを区別して、導く教ぞ悪なるぞ。
ただ御光のその中に、喜び迎へ善もなく、悪もあらざる天国ぞ、皆一筋の大神の、働きなるぞ悪はなし」


聖書では、アダムとイブが「知恵の樹の実」を食べたことで人類の堕落が始まったことを伝えている。
この意味については、人類が右脳型から左脳型になっていったことだという旨を、スウェデンボルグは説いている。
「知恵の樹」は「善悪を知る知識の樹」とも呼ばれているが、ヤハウェは何故この実を食べる事を禁じたのか。
それは、「生命の樹」の実も食べるのではないかと、ヤハウェが恐れたからだという。
つまり、善悪を知った人間が「生命の樹」を知ると、「絶対神」としてのヤハウェの地位が失墜するからである。
何故かと言うと、「知恵の樹の実」と「生命の樹の実」を食べると、ヤハウェの正体を知る事になるからだ。
詳細は「善悪逆転論」で述べるが、『日月神示』には次のように示されている。

「生命の樹の実は美しくおいしいぞ、食べてはならんが食べねばならんぞ。
肉体慾が先に出るから生命を失う。
心でとりて実を喜ばせて食べるとよいのであるぞ。
食べないで食べる秘密」


これは、一言で言えば、右左脳をバランス良く働かせることが重要だという意味にも受け取れる。
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 12:25| Comment(1) | サタンと黒い貴族の正体と役割 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ヤハウェの計画とサタンの役割U

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「闇の権力」はあくまでも(悪魔でも)金の亡者であり、欲望の為に戦争など仕組んだとしても、自ら戦場に出向いて直接的に人を殺めることもなく、彼らにとっては幸福な生活を送っている。
逆に一般人でも、肉食をして常に不協和音を発し、周囲に不愉快な空気をまき散らしている人も少なくない。
マクロな視野で善悪の基準を測ると、前者と後者は同等か、もしくは後者のが悪となるのではないだろうか。
一般的に前者を巨悪というが、偽善的な売名行為であったとしても、一般人には出来ない多大な社会貢献も行なっている。
それが、心を伴っていない形だけのものであっても、社会貢献になっているのは事実である。

次のような2人のケースはどうだろう。

1人は、たまたまカッとなって殺人を犯してしまい、生涯、罪悪感と後悔に苛まされて生きた。
もう1人は軍人で、毎日大量虐殺を行い、退役後は改心してポジティブ・シンキングで生きていった。
死後、高次元の世界に迎え入れられるのは後者である。
動物界を支配し、他人が殺した牛や豚を毎日平気で食べている我々と、「闇の権力」たちに大差はあるだろうか。
人間と動物は違うというなら、「闇の権力」は人類のことを本気でゴイム(豚)だと思っているのだ。
法律や道徳、常識、自分の価値観を基準に善悪を考えると大きな勘違いをすることもある。
国や時代によっても法律や常識が違う。
大量殺人者が英雄とされたり、時として神とも崇められる。

神霊能力者の隈本確氏は、著書『悪魔と救世主』(弘文出版)で次のように述べている。

「悪魔とはいったいなにか。ズバリ、申し上げよう。それは人間そのものである。
人間の中核をなす、精神世界(心)という超々極微の世界に陣どっている意志体そのものが、そのときどきによって悪魔になるのである。
しかも、人間のなかでも、文化人、知識人、有能な人といわれる人たちほど悪魔的傾向も強いのである。
なぜかといえば、人間の心の知恵のなかには、神と悪魔が紙一重の差でもって、裏、表の関係でつねに同居しているからである。
したがって、文化人、知識人、有能な人といわれる人たちほど、よい面=神としての能力も高ければ、悪い面=悪魔としての能力も強いのである」


世の中の事件や貧富の差を作り出しているのは「カネ」であり、カネを悪の元凶と見る考え方がある。

『日月神示』には、こう示されている。

「悪神は金で世を治めて、金で潰す気ざそ」

「金いらぬのざそ、金いるのはしばらくざぞ」


恐らく、アルザル人は金権社会を築いていない。
現在、資本主義が崩壊に向かっているのを良い流れだとするなら、闇の権力者たちの功績は大きい。
また、電子マネーや人間バーコード、或いはマイクロチップが埋め込まれて、現金が不要になるといわれているが、これは非貨幣社会の予型ではないだろうか。
悪の中には「善の芽」があり、善の中には「悪の芽」があるとは言えないだろうか。
『日月神示』では、善悪と同じように、神と悪魔の対立構造として描かれているが、この世を創造したのは「国常立尊」、悪神に地上の支配権を譲って、陰(鬼門)から守護しているのも「国常立大神」、地震、雷、火の雨を降らせて、この世を大洗濯をするのも「国常立尊」であることが示されている。
これは、創造神「ブラフマー」と維持神「ヴィシュヌ」と破壊神「シヴァ」の三位一体構造と全く同じである。
フリーメーソンの由来は建築家である。
『大本神諭』や『日月神示』では、「この世の建て替え建て直し」という言葉が頻繁に出てくるが、解体もまた建築家の仕事で、業種が異なるだけなのだ。
また、次元上昇の為には、物理的に反作用であるマイナスの力が絶対に必要なのだ。

人類学でいう「象徴二元論」は多義的で、人間の思考は二項対立の組み合わせであり、「善と悪」「静と動」「創造と破壊」という二元的性格を併せ持ち、象徴作用によって結び付けられる項の一方は、深層に隠されたものであることが多く、これを「象徴二元論」という。

「神は対立物を互いに刃向かわせる。
善は悪に、悪は善に対立する。悪は善を浄化する。
こうして神は終末の日まで両者を戦わせる」

(「カバラとバラ十字団」マンリー・P・ホール)

万物の完成を促進させる為に、神は「光」と「闇」の2つに分けたのだ。
万物の完成とは、神(宇宙)の完成である。
世界を支配する黒幕たちが行うオカルティックな悪魔術は、「カッバーラ」に基づいている。
カッバーラは、天地創造、生命の神秘、人間の秘密、宇宙の法則といった「神の知恵」である。
カッバーラの奥義は「生命の樹」で表されるが、彼らのカッバーラは闇のカッバーラ「死の樹」である。
単なるオカルティストではなく、宇宙の究極の哲学を知り尽くした人間によって、この世界が操作されているのだと私は感じている。
善は悪によって精錬され、終末には悪は善によって浄化され、善によって「至福千年王国」が実現することを聖書は教えており、『日月神示』でも全く同じことが説かれている。

「すべてこれらは産みの苦しみのはじまりである」
(「マタイによる福音書」第24章8節)
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 10:40| Comment(0) | サタンと黒い貴族の正体と役割 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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「善と悪の最終決戦」と表現されるハルマゲドンは、「ヤハウェの選民」と「ルシファーの血族」が和合に至る為の衝突だと考えることも出来る。
どちらも聖書の登場人物の末裔で、当然、聖書の内容や自分たちの血脈も知り尽くしているだろう。
そして、双方とも聖書の予言を行動指針として、「大本の型示し」のように善と悪の役柄を演じているのかも知れない。
また、「至福千年王国」の顕現の為に、人間界において避けて通れない「最後の審判」であり、神と悪魔の混血人種を作る為にイエスが誕生したとも考えられなくもない。
何故なら、聖書には次のように明言されているからだ。

「私は終わりのことを初めから告げ、未だなされていないことを昔から告げていう。
私の計りごとは必ず成り、目的はことごとく成し遂げる。
私は語った故、必ず来させる。私は計った故、必ず行う」

(「イザヤ書」第46章10節)

聖書の預言は、絶対神「ヤハウェ」が預言者に与えた啓示である。
聖書が示す終末の状況が、現在の社会情勢が合致しているのは偶然ではない。
戦争や地震などの歴史が、ある程度意図的に操作されてきたものだとしても、宇宙規模の天体現象への人為的介入は不可能である。
レーガン元大統領は、次のような発言を繰り返した。

「現代の世代は、中東でハルマゲドンを経験するだろう。
我々が今日直面している困難な問題に対する解答は、全て聖書の中にある」


レーガンのいうハルマゲドンはンとは「第3次世界大戦」のことだと思われるが、その後に起こる本当のハルマゲドンと、その後の世界観について知ることの方が我々にとっては重要である。
神は「神」であり、「悪魔」でもある。
天変地異は神の非情なる破壊エネルギーに見えるが、『日月神示』によると「地震は慈神」「雷は神也」だという。
それは、絶対神ヤハウェの非常な一面を見れば分かる通りだが、それは「サタン」という名でも登場する。
これが「ルシファー=シヴァ=スサノオ」と呼ばれるエネルギーである。
「親の心、子知らず」という言葉があるが、人間の善悪の概念では、大いなる神の意思など、とても理解には及ばない。
地震や津波、ハリケーン、彗星衝突などが神のプログラムなら、戦争や地震兵器、細菌兵器などで人類削減計画を実行している「闇の権力」の悪魔的な所業は、神のプログラムの一端を担う「御用の悪」だと考えられる。

また、反キリストの「世界統一政府」も、イエス・キリストが統べる「至福千年王国」の雛形になるのではないだろうか。
王仁三郎も自分の教団である「大本」を、政府に二度弾圧させたのは、第1次世界大戦と第2次世界大戦の雛形経綸(予型)だったという。
聖書で予言されている世界大戦や天変地異などの終末現象は、「至福千年王国」の生みの苦しみであり、地球完成の為の神の計画なのだと言える。
腸内微生物にも「善玉菌」と「悪玉菌」がいるが、悪玉菌も重要な役割を果たしていることが分かってきている。
ミクロの世界もマクロの世界も同じで、均衡は宇宙の絶対法則、つまりバランスなのだ。
それは人間の概念で善悪を見る限り、表現は困難だが、人間に善悪の心があるから、神にも善悪の心があるという単純なものではない。

『日月神示』には、以下のように示されている。

「悪も神の働きの一部ぞ」

「悪殺すことは、善殺すより尚悪いぞ」


そして、「石屋の仕組みは悪神の計画」と警告されている反面、「石屋と手組むことぞ」とも示されている。
悪極まって善となり、小さな悪は小さな善、極悪は極善となる。
それは何も、悪的なことに荷担するとか、自発的に悪事を働けという意味では全くないので、誤解のないよう申し上げておく。
自然界はリズムであり、プラスとマイナスの波があり、そして「絶対調和」こそが真理である。
神をコインに喩えると、善悪はコインの表裏の関係で、切り離すことはできない。
神が宇宙そのものであるなら、総ての総てが神「我はありとあらゆるもの」なのだ。
表現的に過激な暴論だが、悪魔の正体は「神」であり、神の正体は「悪魔」だったのだ。
そして、人体は小宇宙といわれる通り、神の子である人間は間違いなく「神」である。

中丸薫氏は、ロックフェラーなどと親しい交流があり、著書『日本が闇の権力に支配される日は近い』の中で次のように述べている。

「輪廻転生を知れば、闇の権力者たちも改心してくれるのではないかと期待しているのである。
なぜなら、富を独占し、マスコミや各国政治家、医学界などを支配し、自分の望む通りに現世を生きられたとしても、現世で行った数々のひどいことが来世で自分に返ってくることを知れば、そのようなひどいことをする気が一気に失せるのではないかと思うのだ。
逆に言えば、輪廻転生のことを知らないからこそ、本書で告発してきたようなむごいことが平気でやれるに違いないと思う。
……(中略)……
エドモンド・ロスチャイルドやデビッド・ロックフェラーに今度会う機会があったら、ぜひともこの話をしようと思っている」


闇の権力者に輪廻転生を話したところで、馬の耳に念仏だろう。
また、精神世界では「カルマの法則」「全ての事象に意味があり、無駄なものはない」「偶然はなく、全て必然」「運命の下書きはある程度決まっている」「人は何らかの使命を持って生まれてくる」という考え方がある。
それが事実であれば、「闇の権力者」は「闇の権力者」になるべく生まれてきた事になる。
それも個人レベルではなく、歴史的な国際組織レベルであれば、尚、大局的な使命があるはずだ。
が、中丸氏の活動もまた使命、神の御用であるなら、最後の最後に闇の権力者たちが改心する時のキッカケになるかも知れない。
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 10:27| Comment(0) | サタンと黒い貴族の正体と役割 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サタンの正体W「ロックフェラー」

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「黒い王家」は全員由緒正しきヨーロッパの貴族からなる10人の王で、彼らの祖先であるルシファー崇拝の秘儀によって、悪魔の世界支配を計画している。
この黒い王家の中で最も最強なのが、国際金融資本のロスチャイルド家である。
しかし、世界最強を自負するアメリカは入っていない。
理由は、アメリカはヨーロッパの属国に過ぎず、貴族ではない成り上がりのアメリカ人は世界の支配者に相応しくないと、「黒い王家」は考えているからだ。
10人の王家は互いに婚姻関係を結び、カインの血を引くロスチャイルド家は、本来ダビデ王の血統で「天皇家」とも同族であるといわれ、ロスチャイルド家から反キリストが出てくるとも考えられる。
しかし、「ヨハネの黙示録」では「10人の王はその力と権威を獣に与える」というからには、反キリストは10人の王以外の人物であり、それがロックフェラーとも考えられる。
しかし、これは「サタン」と位置づけるべきで、サタン(ロックフェラー)から大いなる力と権威を与えられるのが「反キリスト」である。

さて、「黒い王家」の上に「最高法院(最長老会議)」という、ロスチャイルドやロックフェラーなどの24財閥が存在するという説や、僅か5人から成る「島のクラブ」が世界支配の黒幕だという説もある。
世界支配を企てる巨大財閥や貴族のオカルト結社が、悪魔崇拝の儀式を伝統的に行なっているらしいが、そのルーツは、神を冒涜する行為によってノアの逆鱗に触れ、神に呪われる者となったノアの孫カナンであり、その末裔が「黒い王家」である。
世界支配を目論む陰謀組織は多数あるが、彼らは「自由・平等・博愛」をスローガンとするフリーメーソンの最高階級やフリーメーソンを支配する立場にあり、一般的にそれらを総称して「フリーメーソン」と呼ばれることが多く、『日月神示』でも「イシヤ」と呼ばれている。
それ以外にも数多くの陰謀結社が複雑に絡み合い、核心は謎のベールに包まれているが、おそらくUFO問題と同じように情報を攪乱させて、調査研究をすればするほど迷宮に迷い、実体が掴めないようにされているようだ。

確実なことは、今の世の中で最も権力を持つのは、王侯貴族ではなくカネを持つ者であり、巨億の富の力で名門王家を内部から骨抜きにし、その資産と権力を乗っ取った国際金融財閥である。
シークレット・ガバメントは軍産複合体で、その軍産複合体と中央銀行を私物化にしているのが、「ロックフェラー」と黒い王家のトップ「ロスチャイルド」の2大国際金融財閥なのだ。
もともとロックフェラーでさえも、ロスチャイルドの手先に過ぎなかったが、OPEC加盟国で産出される石油の決算通貨がドルになった1971年から、実質的にロックフェラー家が世界の支配者になったと言われている。
そして、アメリカ主導の世界統一政府樹立の為には、EUすら邪魔な存在となり、最終的に世界を制するのは、最強の財力と軍事力を持つ、ロックフェラーが独裁支配するアメリカの「シークレット・ガバメント」だと考えられている。
尚、ロックフェラー家はロスチャイルド家とも婚姻関係を結んでおり、ロックフェラー家も「カイン、カナン、イエス、サラ」の血脈を受け継いでいると考えられる。

シークレット・ガバメントの中枢メンバー12人が集まる特別な部屋には空席が1つあり、近い将来、彼らが選定する「反キリスト」が座ることになるが、秘儀によって、肉体を持たない「エンティティー」と呼ばれる存在が現れ、肉眼では見えないが確実にそこに座るという。
この12人+1人が、フリーメーソン奥の院(13人評議会)なのかは不明だが……。
エンティティーは「霊」という意味だが、要は彼らが崇拝するルシファーであり、ファティマのメッセージで告げられた通り、そのエンティティーによって物事が決定し、その決定事項が表の政府を支配しているのだ。
エンティティーの正体が「カナンの霊」か「アンドロポフの霊」か、肉体を持たない「悪玉宇宙人」、或いは別の存在なのかは分からないが、行われている悪魔的儀式はイルミナティーと同じだという。
この超オカルティックな面を見ると、確かに、ロード・マイトレーヤのような得体の知れない魔術師が「反キリスト」として君臨するような気もしないではない。

現在、少なく見積もって1000兆円の資産を持つといわれるロックフェラー家の勢力が、石油資源の枯渇と、ドルとユーロのシェアの逆転によって衰退し始めているといわれている。
このエンティティーの指令によって、間もなく第3次世界大戦の火蓋が切られるだろう。
以前、国連のホームページで公開されていたという、ロックフェラーが国連に宛てた書簡である。

「終末の時が近づいている。
好むと好まざるとにかかわらず、それはわれわれすべてが直面せざるを得ない運命である。
2001年9月11日、世界は終末の目撃者であった。
われわれが見たもの、経験したことは、まもなく明るみに出るはずの大災害には比べるべくもないだろう。
これまで非常に多くの生命が失われてきたが、それ以上に多くの生命が失われるだろう。
今存在している、あるいは古代からある人間の政府は、ひとつも完全な支配はできなかった。
いかなる政府も失敗してきたし、失敗するだろう」


この手紙には、「エンティティーの指導のもとに、われわれが世界の支配者になる。その為の第1ステップとして第3次世界大戦を引き起こす」という意図が感じられる。
そして、ロックフェラーの語源は、ルシファーのラテン語「ルチ・フェロ」である。
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サタンの正体V「カインの血統」

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聖書をはじめ、世界の宗教にはグロテスクな姿形で描かれる様々な悪魔が登場するが、それらは人間の想像の産物である。
具体的にサタンの姿について、『旧約聖書』に神とサタンの対話がある。

「ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。
主はサタンに言われた。
『お前はどこから来た』
『地上を巡回しておりました。
ほうぼうを歩き回っていました』とサタンは答えた」

(「ヨブ記」第1章6-7節)

実際にこんな会話があったとは思えないが、このサタンの姿からは「浮遊霊」というイメージしか湧かない。
そして、これは「地上=幽界」であることを示唆している。
人類史上初めて殺人を犯した人間が、アダムの長男カインである。
どういう訳か、カインはルシファーとイブの間に生まれたという説がある。
聖母マリアが絶対神ヤハウェの分魂を処女懐妊したように、イブは堕天使ルシファーの分魂を処女懐妊したのだろうか……。
それは兎も角、弟アベルを殺したカインについて、「創世記」に次のようにかかれている。

「今、お前は呪われる者となった。
お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。
お前は地上をさまよい、さすらう者となる」


地上を彷徨うカインの姿は、先のサタンの姿と一致する。
霊体は自在にテレポートが可能だが、「歩き回っていました」と答えたサタンは、肉体を持ったカインだった可能性がある。
カインは人類初の「人間ルシファー」であり、「初代・反キリスト」だと言っても良いだろう。
実は、その後、カインが死んだ記録がない。記録がないだけではない。
永遠に地上を彷徨うように宿命づけられている。
それから数千年後にノアの大洪水が起きたが、実はアララット山のノアの箱舟地形の近くに、もう一隻の箱舟の化石が発見されている。
それで、カインは今も生きて地上を彷徨っていると信じられている。
しかし、巨大な箱舟を造れる以上、文明社会に交わって生きていたことになる。
だとすると、カインは今もこの文明社会の中で生きている可能性がある。
もしかすると、「闇の権力」のトップに君臨しているかも知れない。
それが事実だとすると、ルシファーの子であるカインこそが「反キリスト」に決定である。

シッチンの研究によれば、カインは「土を耕す者」となり、アベルは「羊を飼う者」となっという。
聖書では、イエスのことを象徴的に「羊飼い」と呼ぶ。
つまり、羊飼いのアベルを殺した人類最初の殺人者カインは、「反キリスト」の予型ということになる。
また、イエスが所属していた「クムラン教団」の預言書『死海文書』を発見したのも羊飼いの少年だった。
カインが今も生きているという話は現実離れしているが、カインがノアの大洪水を生き延びた可能性はある。
そうでなくても、ノアの息子のハムの嫁がカインの血を引いていた。
シオン修道会の伝承によると、呪われたカインの末裔の一族の娘マリア・マグダレン(マグダラのマリア)が、イエスとの間に子を設け、その子の名前を「サラ」という。
この、イエス(ヤハウェ)とカナン(ルシファー)の血を引くサラの子孫が「黒い王家」と呼ばれている。

話を要約すると、ハムの子孫はカインの血統で、カナンがノアに呪われたのは、カインの血を引いていたからかも知れない。
その末裔がマグダラのマリアで、イエスとの間にサラを生み、「黒い王家」のルーツとなったようだ。
この話が事実であれば、ユダヤ財閥の「黒い王家は、呪われたカイン〜カナンの末裔であると同時に、イエスの子孫でもある事になる。
「土を耕す者」となったカインだが、神に呪われた以上、それは奴隷を意味する。
奴隷で真っ先にイメージするのは黒人奴隷であり、偶然か否か、ここでも奇妙な一致を見せる。
だが「黒い貴族」は逆に、人類を奴隷とするユダヤ財閥である。
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 08:05| Comment(0) | サタンと黒い貴族の正体と役割 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

悪魔の正体U「神の一面」

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聖書は古代ヘブライ語で書かれたものだが、訳者が勝手な解釈で原文を歪めたり、英語に翻訳する時に訳者によって全く違う内容になっている。
また、聖書は今までに13回書き換えられ、更に教会の都合の良いように書き換えられてきた。
更に聖書の英訳には、もともと「欽定訳(King James Version)」というものがあったが、それ以外の現代語訳はロックフェラーの資金によって、神を冒涜する内容に書き換えられたものだという説もある。
従って、聖書の記述を100%鵜呑みには出来ないが、大筋において正しい歴史書だということは科学的に立証され始めている。
しかし、比喩や象徴も多く、正確な解釈が難しい部分も多い。

さて、神は7日間(7000年)で天地を創造したとされている。
1日目、神が光と闇を分け、これを見て良しとされた。
つまり闇は、神によって意図的に創造されたのである。
更に言えば、光と闇を分けたという事は、神の中に「光」と「闇」が同居しているのだ。

「ヨハネの黙示録」によると、天使長ルシファーが天使の1/3を味方につけて反乱を起こし、大天使ミカエルの軍によってルシファーの軍は地に投げ落とされた。
これは、光と闇が分けられた時の事を表現している。
このルシファーが、ヘブライ語で「敵対する者」という意味の「サタン」となった。
しかし、実際に天界でこのような戦争が起きたと考えるのはナンセンスで、カオス状態の原始宇宙に陰陽の根本原理が生まれたことを擬人化し、陰が1/3を占めることを表している。
そして、6日目(6000年目)に土の塵からアダムが創造され、アダムの肋骨からイブが造られた。
その後、蛇(ルシファー)の誘惑でイブが禁断の「知恵の樹の実」を食べ、イブの勧めでアダムも食べた。
それによって「原罪」が生まれ、人類の堕落が始まったという。

歴史上最大の霊能者と呼ばれる「エマニュエル・スウェデンボルグ」によると、アダムの時代以前に、人間の心を霊的に与えられる前の人間たち「プリアダマイト」という存在がいたそうだ。
プリアダマイトがクロマニョン人かどうかは不明だが、プリアダマイトは霊的に発達しないままに死んで霊界に行き、別に悪い霊ではないが、物質重視の動物的な存在だった。
そのプリアダマイトの霊の影響で、アダムたちが堕落していったのだという。
では、ルシファーの正体がプリアダマイトなのかというと、それは違う。

スウェデンボルグによると、蛇は物質的な理性の象徴であり、アダムたちが堕落したもう1つの原因は、霊的知覚を忘れ、物質面の理性に生きるようになったからだという。
霊覚者の知花敏彦氏は、「真我が神で、自我が悪魔」だと説いている。
つまり、宇宙の根本原理として陰(闇=悪魔=マイナス)と陽(光=神=プラス)が形成された以上、小宇宙である人間は勿論、万物万象にそれが当てはまる。
つまり、究極的には、神も悪魔も人間の中に存在していることになる。
サタンは「神への信仰を試し、人間を堕落に導く存在」であり、負のエネルギーである。
釈迦やイエスが瞑想と断食で修行中、サタンが何度も欲望を試す誘惑をしてきた。
つまり、サタンの正体は「自我」である。
死後は、善的な要素(真我)が強いか、悪的な要素(自我)が強いかで、その霊格がハッキリと二極化するという。
悪的な要素が強ければ、人間に悪さを仕掛けてくる「悪霊」となる。
少し語弊があるが、単純に言ってしまえば「左脳偏重=自我が強い」ということになる。
『日月神示』でも、悪神のことをしばしば「学」と表現し、インドのサイババも似たようなことを言っている。

アダムとイブが「知恵の樹の実」を食べたという事は、物質文明を発展させる為に人間に自我が与えられた事を意味する。
だが、その自我の目覚めによって、人類の堕落が始まったことを聖書は伝えているのだ。
悪魔とは「自我」のことであり、その波長に合わせて人間の無意識を操作する悪霊も「悪魔」だと言える。
そういう意味では、悪魔は実在する。
では、悪魔の系譜を見れば、世界支配を目論むサタニストたちが崇拝する「ルシファー」の正体が分かる事になるはずだが……。
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 07:23| Comment(0) | サタンと黒い貴族の正体と役割 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月09日

悪魔の正体T「人間の自我と幽界霊」

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カテゴリ「神霊の正体とチャネリングの謎」と「アポロ宇宙飛行士の神秘体験」で、神がどのような存在なのか、漠然と把握することが出来たと思う。
では、悪魔とは如何なる存在なのか。
聖書によれば、「サタン」と呼ばれる堕天使ルシファーは、地に落とされ地上を彷徨っている。
つまり、「地上=魔界」という図式となる。
一般的に、幽界の下が地獄だといわれているが、『日月神示』や体外離脱体験者によると、幽界の中に地獄的な世界も存在するが、生前の罰を受ける為の地獄という場所はないという。
更に言えば、高次元から見ると地上は牢獄のような世界だから「地上=地獄」と表現されるようになったのだろう。
幽界は4次元世界だと言われているが、この3次元世界も同時に4次元世界でもある。
つまり、「地上=幽界」と仮定できる。

『日月神示』には、「幽界とは外国の事ぞ」と示されている。
突っ込んだ解釈をすると、地球内世界アルザル(シャンバラ)から見ると地上が外の国であり、幽界ということになる。
また、「悪の大将も光り輝いているのざぞ」と示されており、光の天使ルシファーである「スサノオ」についても、「素戔嗚の大神様、罪穢れ祓いて隠れて御座るのざぞ」と、イエス・キリストと同一視している。

聖書を初めとする世界の神典類には、「神と悪魔の対立」という二元論な表現がされているが、3次元の人間に対して分かりやすく喩えた物語に過ぎない。
恐らく、神と対極的に存在する「魔王サタン」というのは存在しない。
もしいるとすれば、それは神の善なる一面の反面である。
『日月神示』でも、あたかも神に対抗する悪神がいるように書かれているが、これも比喩である。
ルシファーが生み出したこの世の悪を、イエス・キリストが背負ったというのは、極論をいえば、神が自分で自分のカルマを刈り取ったということである。

スウェデンボルグによると、イエスの時代は、かつてない程、ダークな時代だったという。
絶対神ヤハウェは、自ら作り出した過去の地球のカルマを、肉体の死をもって精算する為に「イエス」として分霊を受肉させたと考えられる。
一般的に「善=神」「悪=悪魔」と考えられているが、宇宙そのものが神であるなら「善+悪=神」という図式が成り立つ。
鬼と悪魔は類義語だが、鬼が神なら、悪魔もまた神であるはずだ。
「宇宙=神」を1枚のコインに喩えると、善と悪は表裏の関係にあり、棒磁石に例えると「+極」と「−極」の関係にある。

要は、創造と破壊、プラスとマイナスのエネルギーを、神と悪魔と表現しているのだ。
もし、人間の概念でいう悪魔的な存在がいるとすれば、それは人間の自我が生み出す欲望・怒り・悲しみなどの想念と、それに同調する幽界霊である。
マイナスがなければプラスがなく、人間の魂の進化の為には足を引っ張る存在も必要ということで、悪霊も「御用の悪」だと言える。
人間に自我が与えられていることが、何よりの証拠である。
お分かりだろうか。
人間界を支配しているのが「悪魔」であれば、人間を支配しているのも悪魔である。
悪魔とは結局、人間の自我(幽界意識)、及びそれに同調する幽界霊のことなのだ。
また、それらの集合意識が巨大な悪魔だと言えるだろう。
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 14:53| Comment(0) | サタンと黒い貴族の正体と役割 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする