2010年11月17日

シリウス空間と自我の消滅…アセンションを示すカゴメの歌

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オコツトは次のように示している。

「次元観察子ψ5とは、自己が形成されている空間領域のことです。
ψ5は位置の等化によって顕在化を起こし、人間の内面と外面を統合します」

「次元観察子ψ6とは、ψ5の裏側に見えてくる空間領域のことです。
ψ5とψ6は変換人の内面の対化に相当しています。
変換人の内面の対化とは、人間が自己と他者と呼んでいるものの関係と同じです」


これについて、半田氏はこう解説している。

――〈位置の等化〉によって自己と他者という概念は大きく変化してくる。
それは、自己や他者の意識が働いている場の関係を空間の構造として描像できるようになってくるからだ。
そのことによって、現代心理学で言われているように、自己と他者の関係がメビウス的なねじれを持って表裏一体の構成で作り出されていることが明確に感覚化されてくる。
意識進化の方向へ完全な反転が起こればもはや自己と他者の位置が入れ替わってしまい、それらの区別はなくなる――


私はまだ知識としてしか理解できていないが、人類はこれから徐々にこの事を感覚として分かってくるようになるようだ。
半田氏は、更に次のように説明している。

――自己と他者を形作るψ1〜ψ4までの関係性は、互いに人間の内面と外面が逆転されて構成されるということが見えてくる。
つまり、自己にとっては人間の外面となっているということなのだ。
自己の意識の位置と他者の意識の位置は、互いに表裏一体の関係で接合し合っていることがはっきりと分かるだろう。
自己が他者を人間型ゲシュタルトの中で捕らえている限りは決して一体化できない…
私たちが他者を認識している意識状態と、対象の向こう側に空間の奥行きを作り出している意識状態とが、実は全く同一の意味合いを持つ…
空間に奥行きを持たせているこの意識こそ、オコツトが人間型ゲシュタルトと呼ぶ力なのである――

――空間に対する3次元的な奥行き感覚が強くなってきたのは近代に入ってからである。
ルネッサンス後期に入ると、ダ・ヴィンチが絵画の技法として遠近法を確立させ、デカルトが3次元座標の概念を導入し、多くの人々が空間の奥行きを強く意識し始めた。
近代以前の人間たちは時間を遡れば遡るほどこの空間を2次元の面的世界のように見ていたのではないだろうか。
それは、古代エジプトの壁画に描かれた人物描写などからも多少は推測される。
一般には3次元空間認識の獲得は人類の知的進歩だと言われているが、このように人間の内面と外面というような空間概念が生じてくると、一概にそうと言えなくなってくるわけだ。
もし古代人たちにとって空間が2次元的な平板の世界に見えていたとするならば、それは、むしろ彼らの方が意識の次元が高かったためだと考えるべきなのかも知れない。
彼らは、精神と乖離した物質の姿を現代人ほど強く感じておらず、また、他者との区別化もさほど強く感覚化していなかったに違いない。
世界に奥行きを与えてしまう人間の内面の意識が物質概念を増長させ、他者をことさら意識するようになり、エゴの肥大化を招いてしまうのだろう。
私は、このことに気が付いた時、現在の人間の社会が生み出した諸問題の全ての元凶が人間型ゲシュタルトにある、と断言したオコツトの真意をやっと明確に理解できたような気がした――


自他一体は即ち「自我の消滅」であり、オコツトは人間の意識進化を「自我の消滅」だという。

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「人間型ゲシュタルトが自我を生み出しており、人間の意識の方向性の反転によって、自我は働きを失うでしょう」

この経緯について、オコツトは詳しく説明している。

「位置の変換とは、位置の等化(次元観察子ψ5)と位置の中和(ψ6)を行った後に生まれるシリウスの調整作用です。
空間の曲率が完全に主体の質点側に反転してしまうことを意味しています。
たとえば一つの対象を複数の人間が取り巻いている状態を想像されるとよいでしょう。
現在のあなたがたの意識では対象が一つで、それを見ている主体が多数いるとしか見えないはずです。
しかし、位置の変換が起こり始めると進化の方向性が顕在化するために、それらの関係性が反転した空間も見えてきます。
つまり対象が一つならば、主体も一つのものとして感覚化されなければいけないと感じてくるのです。
この感覚によって人間の内面性に見出されていた個我の位置、つまり身体の位置はほとんど意味を失い、自我は自然消滅していきます」


ψ5とψ6が等化して反転した空間(ψ7)の認識が生まれてくると、自己と他者の区別がなくなり、自我が消滅するというのだ。
半田氏はこう解説する。

――その空間こそ、自他一体の意識が存在しているシリウス空間なのだ。
そこでは、私たちが普段使っている自己や他者といった概念は、本当の自己を構成している諸部分にしか見えないだろう。
ψ5とψ6の関係は、変換人にとってはもはや人間にとってのミクロとマクロのような関係でしかないのだ。
ψ1とψ2で無限大と無限小を等化し、ψ3とψ4で主体と客体を等化し、そしてψ5とψ6で自己を他者と等化する。
タカヒマラにおける次元上昇とは、まさに二元化したすべての関係性を一つのものへと統合していく意識作用を意味していた――


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ここでオコツトは、非常に重要なことを述べている。

「対象を指し示す言葉、つまり〈名〉とは、進化の方向に反転した対象そのものです」

短いが、非常に意味の深いこのメッセージについて、半田氏は完璧な解説をしている。

――空間認識が反転していくことによって露わになっていく虚の物体とも呼べるところの言葉…これはまさに、イエス・キリストの本質〈受肉するロゴス=言葉〉そのものの意味ではないのか。
言葉が人間の相互理解の妨げになっているという話をよく耳にするが、ひょっとして本当は言葉とは愛の力そのものなのかも知れない。
私たちは、それぞれの物質的対象に一つの中心点を持たせているように、反転した対象であるところの言葉にも共通の中心点を持たせなければならない。
そして、地上の万物が重力によって地球という母胎にすべて分かち難く引き付けられているように、反転した地球の名のもとにおいて、全ての言葉の受肉化を目指さなければならない。
その達成の暁には、人間型ゲシュタルトによって散在させられていたロゴスは大いなるロゴイ(ロゴスの複数形)としてその偉容をあらわにするだろう。
このロゴイは、おそらく私たちの存在の本性である永遠なる一者に捧げるための供物であり、この作業に従事することこそ、私たち人間に与えられた生の本質なのだ。
「初めに言葉ありき、言葉は神とともにありき。言葉の命は光であった」
まさにその通りではないか。
人間の内面であるψ1、ψ2の世界は実際には人間に決して見ることのできない暗闇の世界なのだ。
私たちに見えるものは、その全てが人間の外面に存在する物質であり、物質に言葉という生命を与えているのは紛れもなく物質から反射されてくる光なのだ。
物質は、光の力によって精神の種子として新しい進化の方向へと投げかけている。
物質に吸収される光に誘惑されることなく、そこから反射する光の方向へと自らの意識を向けること…言葉とは物質を種とし、光を養分とした新しい宇宙創造のための萌芽なのだ。
この芽が成長して球精神(ψ7)に辿り着く時、物質的世界の象徴であるマリアはイエス・キリストを分娩する。
その日は全ての聖なる死者たちの復活の日でもあり、自己と他者の魂が融合する宇宙的な祝祭の日となるだろう――


半田氏によると、「カゴメの歌」は意識進化を説いた歌だという。
「かごめ」は籠目、即ち「六芒星」で、「鳥」は古代より人間の霊性のシンボルとされており、「かごの中の鳥」は「六芒星的世界に閉じ込められた人間の霊性」を表す。
言わば「6」は人間を表す数字であり、霊性が肉体に閉じ込められていることを意味する。
「夜明けの晩」は、1日の円環的つなぎ目で、始まりは終わり、終わりは始まりという宇宙秩序の円環的な性質を表す。
「鶴」は昔から女性原理を表す象徴、「亀」は男性原理の象徴で、「すべる」は「統べる」。
つまり、「陰陽の統合」ということになる。
では、「後ろの正面」とは何か。
(現在深夜で真っ暗な部屋でこれを書いているので、チョット怖い…笑)

「神がアダムを造った時、前にも後ろにも顔があるように造ったという。
それからアダムを2つに断ち切り、それぞれにひとつの背中を造ってやった」

(R・サミュエル・バー・ナーマン)

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半田氏の解説をそのままお伝えする。

私たちが常に背中側に感じている暗闇の空間…そこには何と、真向かいにいる他者が見ている世界が存在しているのだ。
つまり、私たちの背後には、いわゆる3次元的な意味での後ろ側の空間など存在していないのである。
その意味からすれば、後ろの正面とは、他者が見ている私自身に他ならない。
自己と他者とは進化の方向へ反転した空間においては背中と背中がくっつき合った同一のアダムなのである。
そして、このことを発見することが「かごの中の鳥」を真の自由空間へ飛翔させるのだ。
次元観察子ψ7(精神球)以上の空間は、他者から見た世界を実は共有している。
オコツトが進化の方向性と言っていた意味がどういうことなのか、よく私にも分かりかけてきた。
つまり、意識自体は自己と他者を区別しない空間領域を厳然として持っているのだ。
そして、その領域に存在する意識は私たちの潜在意識下では確実に働いており、それが、言わば私たちが集合意識と呼んでいるものなのだろう。
この空間領域は、おそらく私たちの意識の中では倫理や良心、そして愛の源泉として機能しているに違いない。
オコツトがいう意識進化の方向性とは、他者をも自分自身と同一のものと見なす意識の方向性のことなのである。
私は探し求めていた強靭な愛の存在証明がこの精神球と呼ばれる反転した空間領域の中にあるのではないかと確信した。
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鬼の復活を予言した「ノストラダムス」とポールシフトの地球大変動

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以前、「ノストラダムス予言の裏の意味」について述べたが、補足説明すると、1999年7月、イエス・キリスト(天照大神)の死(岩戸閉め)を象徴する日食が起こり、それは出雲族の封印、即ち天界から地に落とされた「恐怖の大王=赤い龍=ルシファー=八岐大蛇=素戔嗚尊」を意味する。
そしてイエスの十字架は、死と同時に復活を意味し、それを象徴するかのようにグランドクロスが起きた。
そのイエスの復活が、「アンゴルモアの大王の復活」という言葉で表現されている。
それは天照大神の岩戸開きであり、素戔嗚尊率いる出雲族の復活を意味する。
そして、「赤」と「軍神」を意味する「マルス」が平和の名のもとに支配に乗り出す。
つまり、赤い鬼である「素戔嗚尊」と、表裏一体で軍神の性格を持つ赤い龍「国常立尊」のエネルギーが、封印から解かれて地上現界及び地上神界に復権する。

そして、イエス・キリスト及びエイリアン(アルザルのイスラエル10支族)が、高度な科学技術と精神文化を持って地上の統治に乗り出し、アマテラス国家である日本と天皇陛下が、実質的に世界統一を実現することになるだろう。
だがその前後、軍神である国常立尊(荒ぶる神スサノオ)の復活と共に、地球規模の大破壊がやってくる。
その先駆けが「阪神大震災」、「オウム事件」、「酒鬼薔薇聖斗」の事件だったのだ。
余談だが、酒鬼薔薇氏は私の友人の従兄弟だったらしい。

この予言には「666」のナンバーが隠されていることを以前解説したが、この世の破壊の総仕上げは、やはりポールシフトだろう。
恐らく2012年、彗星「ケツァルコアトル」と惑星「ヤハウェ」の接近によって、それは起こる。
現在、地球の公転面に対する地軸の傾きは66.5度だが、彗星の接近によって1度傾いて66.6度になった時、一気にポールシフトが起こると予想される。

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『日月神示』から、ポールシフトと思われる一節を抜粋する。

「グレンと引っ繰り返る」

「地の軸動くぞ。冬の次に春とは限らん。夏に雪降る時もある」

「日本では御土が上がり、外国では御土が下がる」

「五大州ひっくり返って、七大州となる」

「海が陸になり、陸が海になる」

「人民三分の一になる時が来る」

「残る臣民三分難しいぞ。三分と思えども二分であるぞ」

「磁石も日本に向くようになる」


これがノストラダムスが本当に伝えたかったことだと思う。
そして、クリスチャンでありカッバーリストであるノストラダムスは、素戔嗚尊の正体を知っていたことだろう。

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アリオンは、こう言っている。

「解かれた封印から赤い色を頼りに、隔り世から鬼が来る」

「鬼の出入り口は艮の方角だが、本体は北に位置する。北はシャンバラである」

「よみがえるとは黄泉に行き、そして帰ることだ」


「隔り世」とは、この地上から隔離した世界「黄泉の国=シャンバラ」、即ち北極のプラズマトンネルに通じる「アルザル」だ。
聖書の「エレミア書」にも、失われた10支族の帰還が予言されている。

「私は北の地から彼らを連れ戻し、地の果てから集める。
大きな群となって、彼らはここに戻ってくる」

「北の地からイスラエルの家の子孫を連れだし、帰られた王は生きていると言われ、彼らは自分の地に住まう」


近い将来、「エイリアン」と呼ばれるイスラエル10支族が、アルザルから地上に戻ってくるのだ。
「帰られた王」とは、イスラエル10支族(出雲族)の族長イエス・キリスト(スサノオ)であり、「生きている」と明記されている。
だが、イエス・キリストは太陽に在り、ここでいう「帰られた王」とは、イエス再臨まで生存を約束された「ヨハネ」の可能性がある。
中国の易思想「洛書」の魔法陣に方位を重ねると、鬼門、即ち東北である「艮」に「八」が位置している。
素戔嗚尊が「八」であれば、艮の金神(国常立尊)も「八」なのだ。

地球の中心「アルザル」のプラズマこそ艮の金神(国常立尊)のエネルギーの本体であり、そのエネルギーの出入り口が日本列島なのだろう。
祟り神として恐れられる「艮の金神」の復活の胎動として地震、雷、ハリケーンなどが起き、最後の天変地異(彗星接近=ハルマゲドン)と共に、地上に神の国を顕現する為に鬼(アルザルのイスラエル10支族)が帰ってくるのだろう。

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アリオンによると、「百鬼夜行は表と裏があり双方共に進む」という。
百鬼夜行とは、「出雲族の復活」及び「アルザル人の帰還」である。
中国の陰陽図の「河図」では、北が「一」と「六」のペアになっており、一が表なら、六が裏ということになる。
アリオンによると「一はカミであり、スメラミコト(天皇)の数字でもある」という。
そして「六」はカッバーラで「地球」を表す数字であり、「八」が蓋をされて封印されている状態を表している。
この蓋を横にすると「ト」、即ち「戸」であり、これを開くことを「岩戸開き」というのだ。
封印が解かれて、「一」である神が甦る時、「一」の影である「六」も同時に動くことになる。
地球である「六」は国常立尊であり、素戔嗚尊でもあり、カッバーラ的には「地球=イエス・キリスト」でもある。

アリオンは「一六を八に帰せよ」という。
これを「一を八に帰せよ」と「六を八に帰せよ」の2つに分解すれば、「一であるスメラミコトの位を出雲族に返還せよ」と、「八である出雲族、素戔嗚尊、国常立尊の封印を解いて甦らせろ」という意味だと、アートライン・プロジェクトは解説している。
また、「十六弁菊家紋を出雲族に返還せよ」という意味にも受け取れる。
尚、「六」の蓋が取れると「八」となり、北は「一」と「八」になる。

そしてアリオンは、「十」は完成数であり、絶対神を表す数字だという。
確かに、大本でいう「タテ糸とヨコ糸を織りなして錦の旗(ミロクの世)が完成する」という思想に通じ、絶対神イエス・キリストの「十字架」をも象徴している。
以前、「一八十(岩戸)成る」のが「平成」だということを述べたが、岩戸が開いて「一(スメラミコト)」と「八(出雲族)」の復活によって、イエス・キリストが再臨し、ミロクの世が完成するという解釈もできる。

「八とは開くことぞ。今が八から九に入る時ぞ、
天も地も大岩戸開き、人民の岩戸開きに最も都合のよい時ぞ、
天地の波に乗ればよいのぢゃ、楽しんで大峠越せるぞ」

(日月神示)

アリオンによると「9」はニギハヤヒの数字であった。
単純に考えると、9にスメラミコトの「1」が加わると完成数「10」になるのだが、どうだろう。
また、「8」は「素戔嗚尊=イエス・キリスト」を表す数字だが、『日月神示』によると今のキリスト教は「7」だという(確かに、聖書では「7」を聖数としているが)。

「七重の花が八重に、八重が九重、十重に開くのであるぞ、七重はキリストぢゃ、八重は仏教ぢゃ、今の神道ぢゃ、今までの教えは潰れると申してあろうがな」

そして、今までの「一から八」までの教えに、「0九十(まこと)」が加わって完成するという。
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物質文明の崩壊と「人間の役割」

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オコツトのメッセージは、それ自体が重要な意味を持つが、後の説明でより重要な事となるので、半田氏とオコツトの交信記録を引き続き引用させてもらう。

「太陽系が最終構成に入ったのは確か冥王星の海王星軌道への侵入の年…1979年でしたね」
「はい、そうです。
海王星とは一つの太陽系次元を動かしている最も深層にある力ですから、冥王星の海王星軌道への侵入とは、私たちがタカヒマラの外面に変換作用の関与を行い始めたということを意味します」

「では、それ以後の物質文明の発展はもう地球環境を破壊していくだけだとおっしゃるのですね」
「残念ながらそうならざるを得ないでしょう。
1989年以降、タカヒマラ自体はすべて方向性を反転させていきますから……」

「ということは、21世紀には科学技術が存在しなくなるというのですか」
「そうですね、現在あなたがたが使用しているようなテクノロジーはさほど重要な意味をもたなくなってしまうでしょう。
物質という概念は人間型ゲシュタルトが作り出しています。
このことがあなたがたの周囲に派生している様々な問題の元凶となっていることにそろそろ気づかなくてはなりません。
人間型ゲシュタルトは宇宙を部分に分け、個体という幻想を作り、精神進化を抑制しようとしています。
プレアデスの調整期であればそれは一向に構いませんが、先ほども申し上げた通り、すでに上次元は最終構成に入りつつあります」

「では、地球人が文明の進歩と信じて疑わない科学テクノロジーの発達やそれに伴う産業構造、社会形態の発展は、ますます人間の連帯感や協調性を失わせていくということになるのですか」
「残念ながら、本質的な部分ではそうなっていくしかありません。
それがプレアデス的統制型の社会が持つ宿命なのです。
現在の科学の進歩は、ますます人間個人というものの独立性を強調し、個体本位の社会を作り出していくことになるでしょう。
これは、科学を生み出した〈物質〉という概念と、身体と同一視された〈自己〉という概念、その両者が同じゲシュタルトの中で形成されているからです。
個別化があまりに極端になると、人間は外部注入的な形でしか全体性の秩序を保てなくなります。
これは、あなたがたが倫理や道徳と呼ぶものの問題が単なる法律の問題として置き換えられていくことを意味します。
プレアデス的統制型の社会は一見、自由で平等を分かち合う社会のようには見えますが、そこに真の自由や平等を築くことは不可能です。
これらは外部注入型による権力支配や管理、監視といったネガティブな側面を助長させざるを得ない力学を裏側には持っているのです。
それがプレアデス的統制型社会が持つ宿命なのです」
「しかし、ここで誤解のないように注意してください。
もう一度言っておきますか、プレアデス的統制が決して邪悪なものだと言っているのではありません。
この統制の力があるからこそ、タカヒマラは進化していくことができるのです。
プレアデス領域はタカヒマラ全体の射影の場のようなものなのですが、その閉じられた領域で自己を完結させようと見事なまでの統制を作り上げていこうとします。
これはいわば、シリウスからの関与を排除するために、スマルが作り出す防御シールドのようなものと言ってもよいでしょう。
しかし、その一方で、シリウスがプレアデスに関与を行うためには、このシールドの完成を待たなくてはならないという仕組みがあります。
結果的には、プレアデス的統制の世界を維持するための防御シールドである物質的な知識体系…それ自体がプレアデス的世界を変容させていく唯一の力となるのです。
あなたがたの科学は今まさにその時期を迎えようとしています」

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「それは具体的に言うと、科学自体が自らの成立基盤となる参照枠を否定するようになってきていることを指しているのですか。
たとえば、この場合の否定とは量子論に含まれる内部矛盾であったり、宇宙論が持つ内部矛盾であったりするわけですが……」
「ええ、あなたがたの物理学は20世紀に入ってプレアデス領域における極小と極大の壁を発見しました。
これは言い換えれば、プレアデス領域に投影されたタカヒマラの流動のすべてにあなたがた人間の意識が交差を起こしたことを意味します。
このことによって、シリウスの調整が開始されたということです。
すでに、物質的知識は別のものへと変わり始めています」

「つまり、人間の知性自体がある一つの成熟を迎えたということですね」
「人間という言い方もできますが、すべての事物を流動させているタカヒマラが一つの働きの周期を迎えたということです。
もう間もなく、プレアデス的統制であった科学的な宇宙体系は、すべてオリオン的統制である真実の宇宙体系に塗り替えられていくはずです。
その意味からすれば、人間が物質的な価値観の下に科学的体系を構築してきたことは必要なプロセスだったと考えるべきでしょう」

「しかし、そのオリオン的統制というものが今以上の知識を私たちにもたらすとしても、それを知ること自体がそこに全体主義的な何らかの権力を作り出しはしませんか。
その知が完全であればあるほど、それは剣のように振る舞い、価値を一元化してしまうのではないでしょうか。
それはとても危険なことのようにも思えますが」
「オリオン的統制が権威や権力を生み出すことは決してありません。
あなたは先ほど絶対的な価値の存在を知的に把握したいと言われましたが、その概念についても少し誤解されているようです。
絶対的な価値…、そうですね、それを真理と言い換えてもいいかも知れませんが、真理への到達とは認識の完全化として立ち上がります」

「認識の完全化?」
「そうです。
あなたがたが使用している言語に訳するとすれば、そのような言い方が最も的確でしょう。
認識の完全化とは、すべての二元対立を統合する力を持った認識プログラムのようなものです」

「しかし、認識の完全化を行うその目的は何なのですか」
「目的ですか…認識の完全化が起こればそのような疑問も存在しなくなるのではないですか。
だから認識の完全化という言い方をしているのですが……」

「それでは、あなたの言っていることは過去の神秘家たちが言ってきたことと大差ないではありませんか。
仏教徒のように全ての執着を捨て、世界の無常を悟り、仏性を覚醒することが人間存在の究極の目的だと言われたいのですか。
そういうのは勘弁して下さい。
禅の公案のようにパラドックスを弄ぶようなレトリックにはもうウンザリしているのです。
そのような論法は何かを語っているようで何も語っていない。
それならば、なぜ人間に煩悩などというものがあるのですか。
煩悩があるのは私たちが何かを生み出す能力を秘めているからだと私は思っています。
もし、私たちの存在世界が目指しているものが、それこそ正体不明の空や仏性だとするのならばそれはあまりにも虚しい。
もし、一切が空だと言うのならば、そもそも世界はなぜ存在するに至ったというのですか。
なぜ、空は空のままでいなかったのですか。
あなたがおっしゃっているけとには何か根本的なところで矛盾があるような気がしてなりません」
「やっと問題の核心に近づいてきたようですね。
仏性とは確かに人間が認識の完全化を起こすことを意味しますが、それは決して正体不明なものなどではありません。
実はこの力を生み出すことが新しい太陽系の創造と深く関係しているのです」

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「新しい太陽系の創造……?
つまり人間が仏性を獲得する時に次の太陽系が創造されるというのですか」
「そうです。
すでに何度かあなたにお伝えしてきたことですが、人間が認識の完全化を達成すれば、私たちが新しい次元と呼ぶところのもの…すなわち第8次太陽系が活動を開始します」

「ちょっと待って下さい。でも、それじゃあまりにも話が飛躍してしまう。
人間の意識の変容がどうやって太陽系に影響を与えるというのですか」
「いいえ、全く飛躍などしていません。
飛躍して聞こえるのは、あなたがプレアデス的統制の中でしか思考を行っていないからです。
あなたは宇宙創造という言葉を聞くと、すぐに物質的なイメージで宇宙を生み出すことを考えてしまっています。
しかし、あなたがたが物質・エネルギーと呼ぶものと、あなたがた自身の意識とは、ある巧妙な空間的構造の中で一体となって動かされているのです。
あなたは先ほど思考が何のために人間に与えられたのかと言っておられましたが、精神作用の中で思考に与えられた働きは、思考自体がこの構造を見つけ出すことに他なりません。
思考はこの構造に変化を与え、新しい構造へと組み換えていく力を持っているのです。
私があなたにプログラムしようとしているのは、このような新しい思考様式を生み出すための基本的な概念であり、認識の完全化とは、いわば認識しているものと認識されているものが完全な一致を見る方向性に思考様式を変更していくことを意味しているのです」

「つまり、思考によって悟りの境地に到達することができるということですね」
「そのようなものです。
思考こそ本源的な愛に辿り着く唯一の力だと言ってもよいでしょう。
思考によって認識を変え、認識を変えることによって今度は感覚を変える…、そして、感覚の変化はあなたがたの感情さえも凌駕し、人間の意識全体を全く別のものへと変容させていくのです。
意識進化とはそういうものです。人間の意識進化には力と方向が必要です。
しかし、進化のための力は残念ながらあなたがたが愛と呼ぶ情緒の中には存在していません。
情緒に動かされている愛とは意識進化の方向性のようなものです。
あなたがたが歴史の中で愛の重要性を何度となく唱えながらも、それが有効に機能してこなかったのは、意識が方向性だけでは進化を行うことができないからです。
そこにはその方向性へと進んでいく力が必要です。
進化のための力とは、実はあなたがたが思考と呼ぶ精神作用の中にあります。
愛を形あるものとして見出すこと、それが本当の宇宙的思考というものであり、人間に与えられた役割の本質なのです」

「しかし、過去の哲学者や思想家たちの作業がそういったものではなかったのですか」
「残念ながら、それらは人間の思考の域を出てはいません。
なぜなら、人間型ゲシュタルトの域を一歩も出ることができなかったからです。
私が今申し上げているのは人間の意識進化に必要な変換人の思考様式のことです。
この思考は人間型ゲシュタルトから解放された思考です。
あなたが常々考えられていたように、愛は決して焦点の定まらぬ安っぽい情緒的衝動ではないのです。
むしろ、明晰で、強靭で、否定し難い完全な幾何学を伴う論理であり意志であり、確固たる宇宙的理性によってその存在証明を持たせることができるものなのです」
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カタカムナ人が説く「時空と生命の本質」と「科学=宗教」の証明

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■時間と空間の相対性を示す歌

アマカムナ アマカムヒビキ
アマウマシ トキトコロウシ
モコロコロ トコロチマタシ
トキオカシ ソコソギトコタチ
メグルアマ


これは次のように解読されている。

「時間と場所は、アマから発生したマリ(アマ始元量の究極粒子)であり、アマが本来もっている微分性と粒子性を受け継いで、現象に現れているものである。
時間と場所は、相互に転換し、常にアマに重なり合う状態にある。
正進するとともに、反転するという循環を続け、膨張・収縮し、その逆性が同時に共存している。
トキとトコロのマリは、物質系・生命質系の最下限の粒子(モコロ)に変換する。
モコロは原子や細胞などの粒子に変遷していく前の微粒子で、電気(イカツミ)、磁気(マクミ)、力(チカラ)の位相が集積した状態のもので、電気・磁気・力などの現象に遷移する性質がある。
トキ・トコロのマリは、アマ始元量から出発し、アマ始元量と交流しつつ、様々な変遷を経て、やがでアマ始元量に還元するという循環を繰り返している」


アインシュタインは「相対性理論」で、時間と空間が相対的であることを明らかにしたが、カタカムナ人は超古代からそのことを熟知していたのだ。

■素量に関するサトリの歌

イカツチノ トマベイツツミ
マノウツリ イカツミマクミ
カラミツミ マジハリカハル
トモフルミ


これは次のように解読されている。

「電気を帯びた粒子(イカツチ)に常に伴う(トマベ)付属性の個々の素量(イツツミ)は、いずれも始元量アマの変遷したもの(マノウツリ)であり、電気素量、磁気素量、力素量である。
それらは互いに交換されて成り立つ振動性の素量(トモフルミ)である」


■ミツゴとモコロのサトリの歌

オキミツゴ イカツミマクミ
カラミマリ イキチツクシノ
モコロシマ オキヤマハシラ
ヒトヘヤヘ マワリテメグル
ヤシマコロ


これは次のように解読されている。

「生命質や物質になる基礎粒子の内部構造は、電気素量、磁気素量、力素量のミツゴが、モコロ(潜象の基礎粒子)の内部の六方八軸上に配列し、一重と八重の軸上を旋転しながら循環することによって、安定した粒子の形を保つのである」

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■生命質モコロのサトリの歌

アマヌウツリミ イツノオメ
イカツミマクミ カラミマリ
ヤヘオキミツゴ イキモコロ


これは次のように解読されている。

「アマ始元量から変化した現象に潜象している目に見えないミには、素量の個々の雌雄配偶(正反構造)のものが移し伝えられている。(ミ=アマ始元量の実質の意味)
それは、電気素量の配偶(イカツミの正と反)、磁気素量の配偶(マクミの正と反)、力素量の配偶(カラミの正と反)で成り立つ潜象のマリである。
それら三種のマリが一組になって(ミツゴ)、モコロ粒子の内部に六方八軸の立体的配列を構成し、旋転しつつ回転しているのを、生命質モコロという」


■物質の潜象構造を示す歌

アマカムナ アマカムヒビキ
サドツクシ アメノヒトツネ
アメフタヤ アメノサデヨリ
ワクムスビ イワツチイワス
オメタグヒ イカツカタワケ
サヌキアワ ホグシオシコロ
オホタマル ヤクサイカツチ
メグルマリ


これは次のように解読されている。

「自由に個々の性質に分かれている様々な物質は、いずれもアマの微分されたアメから生成されたものであり、極限的には正の物質と反の物質の2つの性質に分かれている。
その正反性の物質は、それぞれアマ始元量の密度差によって、性質の異なる粋を形成している。
その形成する粋は、例外なく雌雄配偶の形をもつ微細な粋の集積したものである。
すなわち、物質は大別して正と反の性質に分類されるが、電気的には陰性電気を帯びたサヌキと陽性電気を帯びたアワの微細構造で成り立っており、いずれも始元量アマから分化したものである。
そして、正反の電気性を荷う微細な素量の雌雄の対が消滅することによって、アマ始元量に還元するという循環系である」


■諸粒子にアマナの存在を示す歌

アマタマノ ヒダリミギリノ
サカウヅメ ソコソギツガヒ
メグルシマ ムスヒマトマリ
ウヅメクソ アカアオクミヌ
アマナヒメ


これは次のように解読されている。

「アマでできた宇宙球には、左向きと右向きの互いに逆向く二重の渦巻きが存在し、膨張性と収縮性とを調和した(ソコソギツガヒ)循環系の流れ(メグルシマ)になっている。
そして、そのマトマリが根元(ムスヒ)となって、渦巻きから排出される諸粒子(ウヅメクソ)を生み出すのである。
それらの諸粒子には、アカ・アオ、正反対称性となる要素を組み込んだアマナが秘められ潜在している」


これは、電子、陽子、中性子、それらで構成される原子にもアマの分身であるアマナが潜在しているということで、一言でいうと「万物に神が宿っている」ことを説明しているのだ。

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■生命に関する歌

アマカムヌ メグルホラミチ
カヨフミチ アマタマイノチ
ウマシミチ ウツリマトマリ
カハルツミ


これは次のように解読されている。

「アマ始元量の宇宙球がカムの無限世界から生成され、カムの無限世界へ回帰する。
無限の循環の洞道(ホラミチ)が宇宙球(アマタマ)を囲み、アマ―カムの通り道になっていて、その道が宇宙のイノチを生む道である。
そしてその宇宙のイノチがマトマリに受け継がれ、アマの変化した個々の実(ツミ)になっている」


■生命に関する歌A

アマカムヌ イノチウツシミ
カハリヌシ アマナカムナノ
フタハシラ イツツミイノチ
コロムスビ


これは次のように解読されている。

「アマとカムの循環によって生ずる宇宙のイノチを移し授けるヌシは、アマナ、カムナの2つの柱である。
このアマとカムのヌシが個々の素量の連帯(イノチ)によって、諸粒子(コロ)を現象させる根元となっている(ムスヒ)」


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■心に関する歌

アマカガミ ヤホアメヨロヅ
アマイノチ アトマリイノチ
ココロワケ アワセカサナル
マノココロ


これは次のように解読されている。

「アマを規範(カガミ)とする万物万象(ヤホヨロヅ)は、アマ始元量のイノチ(アマ―カムの連帯)によって現れたものであり、アマ(マ)が疎通し融合するマリ(マトマリ)のイノチの機能が配分されて賦与されている。
それがマリのココロ(心)であり、そのマリに与えられた機能(心)には、常にアマのイノチの機能配分、すなわちマのココロ(アマの心)が重ね合わせられている」


■心に関する歌A

ヤヘヒトカサネ モコロシマ
アマノサカマキ ヤヘネサク
クラオタケフツ ミツハノメ
クラミツハヤビ イキココロ
クラヤマツミノ ヤクササネ


これは次のように解読されている。

「物質系モコロの単軸と生命質系モコロの八軸とが重なり合ったモコロシマは、アマにおける逆向きの渦流によって、ミツゴの並ぶ八軸が分裂する。
そして軸から分離したミツゴは正反配偶の素量子集団となる。
自由に掛け合わされた接続子(ハヤビ)によって大量の螺旋体に転移する。
それが自己増殖能をもつ基礎生命質であり、心の元の相である。
したがって、心は物質系モコロと生命系モコロの多数の小塊が自由に積み重なり合ったものであり、万物万象のサネ(実)である」


つまり、心とは小さいマリ(アマから分けられた小粒子)で、思念を持った極微の物質の集合体ということになる。
神道では、人間の魂は神の分け御霊(魂)だというが、それは事実なのだ。
バクスターが、4年間に渡るウソ発見器での実験の結果、植物にも喜怒哀楽の感情があることを発表したことは有名だが、超科学研究家の橋本健氏も同様の実験で確認しており、名古屋商大の千島喜久雄医学博士も「動植物の単細胞には、原始的な心があるとしか考えられない行動を取ることがあり、どんな下等生命体にも超エネルギーが存在する」と述べているが、事実はそんなレベルではなかったのだ。

カタカムナ人は、鉱物や無機質は勿論、それを構成する原子、更にそれを構成する電子、中性子、陽子などの素粒子にも「アマナ」が存在するといっている。
カタカムナ人は、万物万象に「ミナカヌシ(天之御中主神)」が潜在しているともいっている。
つまり、万物万象に「アマナ」「ミナカヌシ」「ココロ」などのアマ始元量が潜在しており、総てに生命(心)があるということになる。
万物を統括するのが宇宙だが、それを神と呼び、八百万の神々の名称は、万物万象に潜在するエネルギーや粒子のことで、厳然たる意志を持っている。

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オコツトは次のように述べている。

「電磁波(光)とは、人間の意識が生み出されているところです」

「プレアデスは私たちの世界から見ると、ミクロ空間に存在しています。
宇宙精神にはこのミクロの世界に自らの全体構造を射影として投射する仕組みが存在しており、あなたがたが物質として見ている存在は、宇宙精神全体の影のようなものです」


オコツトと交信した半田氏は科学者であり、「素粒子の正体は、われわれの意識だった」と結論づけている。
お分かりだろうか。
カタカムナ人が説いているのは、宗教の本質(「宇宙=神」の本質)である。
これはまさに、最先端の科学が追求していることである。
科学とは、自然の法則を解明し、それを利用することにある。
古代宗教はそれを既に実現していた。
要は、本質的に「科学=宗教」なのだ。
それが、現代科学は物質偏重となって自然破壊を極限まで推し進め、現代宗教は霊的偏重となって迷信地獄に陥り、どちらも本質から脱線して片輪となっている。
これが統合されるのがミロクの世であり、超科学文明の幕開けとなる。
その時、重要且つ不可欠な役割を担うのが、シークレット・ガバメントなのだ。

話を戻すが、カタカムナ人はシュメールから古代日本列島に移住した民族であり、カタカムナ文明はシュメール(メソポタミア)文明を受け継いだものである。
一方、シュメール神話を色濃く継承したオリエント宗教を死守してきた、バアル信仰のユダヤ教徒イスラエル10支族が日本列島に渡来し、それらが融合して神道が形成された。
これを継承した女王様が卑弥呼であり、鬼道と呼ばれている宗教である。
後に、エルサレム教団が日本列島に渡来し、縄文人(カタカムナ人+イスラエル10支族)を東北地方に追いやって大和朝廷を樹立し、日本の古代史を封印した。
そして、イエスの説いたカッバーラの奥義を軸に日本神道を体系化し、天照大神(イエス・キリスト)を祖神とする天皇中心の神話が編纂されたといえるだろう。

ちなみに、ユダヤ教祭司レビ族の衣装と神道神官のそれは酷似している。
そして、秦氏の氏神を祀る太秦の広隆寺に「伊佐羅井」という井戸があるが、漢語でイスラエルという意味で、更にこの寺の境内にある大酒神社は、本来は『大辟』と書き、漢語でダビデ王を意味する。
また、皇室の三種の神器の1つ「八咫鏡」がモーゼの十戒石板であることは既に述べたが、その鏡の裏面には古代ヘブル語で、「エイエ・エシェル・エイエ」と書かれているという。
日本語にすると「我は有りて有る者」、つまり「ヤハウェ」である。

そのヤハウェは、2支族が信仰する「偽のヤハウェ」ではなく、本物のヤハウェ、即ち「バアル=ルシファー」である。
イエスが「私はある(ヤハウェ)」と言ったのも、「私はバアル(ルシファー)」であるという意味だ。
その証拠の1つとして、イエスが所属していたユダヤ教エッセネ派のルーツは、古代エジプトのセラピス教団である。
セラピス教団は神秘と数学を支配する聖牛セラピスを崇拝する神秘主義宗教結社で、ピラミッド建設に従事したことで知られているが、聖牛セラピスとは牛神バアルのことである。
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シルバー・バーチの正体は英雄「ヘラクレス」の霊か!?

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まず、シルバー・バーチがどのような存在か紹介しよう。
高級霊が人間に接触してくる事は滅多になく、霊界通信の殆どは低級なものだが、中には高級霊からの通信も存在する。
霊界通信には様々な形態があり、日月神示はオートマティック・ライティング(自動書記)、聖書は主に預言者が透視によって見たビジョン(幻視)が記されたもので、半田氏が書記した『シリウス・ファイル』は霊聴という形で通信を受けたものだ。
王仁三郎の『霊界物語』は、霊界からの通信を口述したもので「霊言」というが、『シルバー・バーチの霊訓』も霊言によって伝達された。

シルバー・バーチの霊訓は、3000年前のインディアンの霊を媒体として高級霊が語りかけてきたもので、それなりに高度な内容を伝えている。
低級霊からの通信の多くは「我、○○の神なり」と虚偽の自己PRをしてくるが、高級霊はそのようなことはない。
アリオンもそのような切り口で通信してきておらず、『日月神示』も同様である。
『聖書』や『日月神示』や『アリオン・メッセージ』は、何段階もの霊が媒介しているが、その発信源はガイア意識や宇宙意識である。
バーチは古代の人霊で、「シルバー・バーチ」とは仮名で、本名を明かしていない。

バーチはその理由を、こう語っている。

「私は匿名を用いるという重荷を自らに課した。
私が有名人であること、その肩書き・階級・名声によって人に訴える道を取らない為に、ただ私の言行を通じてのみ、人々から私を判断して貰う為に……」


経緯を少し紹介すると、1924年にイギリスで開かれていた降霊会に出席した18歳のバーバネル少年が霊媒能力を発揮し、78歳で他界するまで約半世紀に渡ってバーチの通信を霊言した。
1924年の3000年前は紀元前1076年、この時代の有名人に「ダビデ王」がいる。
牧師がバーチに「ダビデを知っているか」尋ねると、こう答えている。

「私はレッド・インディアンです。米国北西部の山脈で暮らしていました。あなた方のおっしゃる野蛮人です」

これは明らかに、媒介役のインディアンの回答であり、本当のバーチ(インディアンを媒介とした高級霊)の事ではない。
バーチの正体は謎だが、媒介役のインディアンと同じく、約3000年前の人物だったと仮定しよう。
すると、やはりバーチの正体はダビデだと思いたくなるが、スウェデンボルグによると「ダビデは悪霊のような存在となっていた」のでダビデではない。
3000年前の著名なインディアンというのも聞いた事がない。
当時、他の有名人といえば、エジプトのヘラクレスがいる。
このヘラクレスは、『ギリシャ神話』に登場するヘラクレスと密接に関係している。
『ギリシャ神話』は『古事記』同様、虚数の世界の出来事を当時の人間界の事象に重ねて表現した物語である。

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それでは、ザックリとストーリーを紹介しよう。

――ギリシャ神話のヘラクレスは最高神ゼウスの子で、名前の意味は「ヘラ(ゼウスの妻)の栄光」である。
そして英雄となったヘラクレスは、ライオンの頭と皮を身につけて戦うようになった。
ヘラクレスは、9つの頭を持った水蛇ヒュドラの首を切って退治した。
ヘラクレスはヘラに狂気を吹き込まれ、我が子を炎に投げ込んで殺し、正気に戻ったヘラクレスは罪を償う為に敢えて苦難の道を歩み、死後、神の座に上った――


ストーリーはどうあれ、世界の神話の骨子は同じである。
ヘラクレスの神話をカッバーラ的に解読すると、「最高神ゼウスの子ヘラクレス」は「絶対神ヤハウェの子イエス・キリスト」である。
ヘラクレスは栄光の英雄だが、イエスも栄光の英雄として再臨する。
また、日本神話の英雄は「スサノオ」である。

『ヘラクレス=イエス・キリスト=スサノオ』

ヘラクレスは、ライオンの頭と皮を身につけたライオン丸のようだが、ライオンはユダ族の象徴で、ユダ族からイエスが誕生した。
それより遥か昔、エノクがスフィンクスを建造したが、獅子の顔を持つスフィンクスは、イエス・キリストの象徴建造物である。
ライオンは百獣の王で、イエスはダビデ王の子孫でユダヤの王、ヘラクレスオオカブトもカブトムシの王様だ。
余談だが、ビックリマンのヘラクライストのモデルはヘラクレスだが、カブトムシの兜を被っている。

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イエスは「私はアルファであり、オメガである」と語ったが、イエス・キリスト(ヤハウェ)は宇宙の初めから終わりまで普遍的に存在するエネルギーである。
スフィンクスは元々2体存在していたが、神社の狛犬のルーツがスフィンクスで、阿と吽、即ちアルファとオメガであることを示している。
従って、仁王像もカッバーラ的に「イエス・キリスト」だが、仁王のルーツを辿ればヘラクレスに行き着く。
ヘラクレスはアレキサンダー大王の祖先とされ、ヘラクレスのシンボルであるライオンの頭巾を被ったアレキサンダー像がある。
また、2体の存在は双子の可能性を暗示する。
イエス双児説の真偽はともかく、イエスに弟がいたことは『竹内文書』にも記されている。
イエスが神の子であるのに対し、イエスの弟は人の子とされている。
イエスはヨセフとマリアの子ではなく、ユダヤ教の大祭司ガブリエルとマリアとの間の子で、ヤハウェの受肉として誕生した。
その後、ヨセフとマリアの間に子供ができた可能性は十分ある。
とすると、神の子イエスには、人の子の異父兄弟がいたことになり、辻褄が合う。

実は、ギリシャ神話のヘラクレスにも、父親の異なる弟がいた。
そして、ヘラクレスは絶対神ゼウスの子だが、弟は人の子だった。
また、ヘラクレスは9つの頭を持った水蛇ヒュドラを退治したが、スサノオが八岐大蛇を退治した話とほぼ一致する。
スサノオはイエス・キリストであり、贖罪神である。
そして、ヘラクレスは罪を償う為に苦難の道を進んだが、これもイエスの人生と一致する。
ヘラクレスは死後、神の座に上ったが、「神の座」とは何処を指すのか。
最高神ゼウスは、多くの女神や人間の女に子を生ませた。
その中に太陽神アポロがいるが、カエルの子はカエル、太陽神の親は太陽神である。

「神の実証は太陽である。太陽に神力を集中しておられるから……」(出口王仁三郎)

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Θマークは絶対神を表す記号だが、「日」をΘで示されている箇所もある。
占星術でも太陽の記号はΘで表されている。
つまり、最高神ゼウスは太陽神であり、ヘラクレスは死後、太陽に行ったのだ(あくまでも神話の中での象徴的比喩である)。
イエスも死後復活して昇天した。「天なる父よ、私はあなたの御許に帰ります」
天なる父=絶対神エロヒムは、ギリシャ神話の最高神ゼウスである。
肉体のまま昇天したイエスはどこに行ったのか。

月か火星か金星か……。
ヘラクレスはオリンポス山で生まれた。
オリンポス山とは、ギリシャ北部にあるギリシャ最大の高山である。
だが、これは神話であり、ギリシャのオリンポス山は後世に名付けられたものだろう。
ギリシャ神話では、ヘラクレスはオリンポス山で生まれた後、人間界に追いやられた。
つまり、神話に登場するオリンポス山は神界にあるのだ。

これは、ルシファーが天界から地に堕とされた話や、スサノオが高天原から地上に追放された話と酷似する。
ルシファー(イエス・キリスト)は「金星」で象徴される。
そして「ルシファー=イエス・キリスト=スサノオ」は「国常立尊」である。
国常立尊が金星から天下った事は、『霊界物語』にも記述されている。
という事は、オリンポス山は金星にあるのだろうか。

実は、NASAは火星の巨大火山に「オリンポス」というコードネームを付けている。
それは、太陽系最大の火山だという。
だが、木星に、オリンポスを超える超巨大火山の存在をNASAは突き止めている。
この超巨大火山には「クロノス」というコードネームが付けられているが、クロノスは、ゼウスの祖父である天空神「ウラノス」と大地の女神「ガイア」の間に生まれた神である。
ウラノスは天王星が発見された時に、その名前が使われた。
ガイアは地球である。
神話は天地創造の物語でもあり、神々の名前が天体の名称に使われているのだ。

クロノスは木星の超巨大火山だが、ギリシャ神話では、父ウラノスの王位を奪った後、子ゼウスに征服されて地底に征服された。
これまた「ルシファーの天界追放」と同じだ。
という事は、本当のオリンポス山、即ち太陽系最大の火山は火星ではなく、木星の「クロノス」であることを示唆している。
だが、ルシファー(国常立尊)が金星から地球に飛来したという話と矛盾する。
この真相については、占星術の見地から改めて説明する。

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さて、太陽系最大の火山はクロノスではなく、太陽に存在することが確認されている。
太陽の超弩級火山こそ、ギリシャ神話に登場するオリンポス山ではないのか。
勿論、火山から人間の似姿の神が生まれた訳ではない。
巨大火山から誕生するのは彗星、即ち惑星の誕生である。
また、太陽上空を飛翔する超弩級階段ピラミッドこそ伝説のエノク・シティであり、地上千年王国(ミロクの世)に降臨する「新都エルサレム」であり、聖書では「イエスの花嫁」と表現されている。

イエスは復活後、「天なる父=絶対神ヤハウェ=最高神ゼウス=太陽」に向かったのだ。
イエス・キリストは太陽神・天照大神である。
つまり、ギリシャ神話のヘラクレスは、イエス・キリストと同一神なのだ。
勿論、太陽神アポロもイエス・キリストである。
これは虚数の世界(神霊界)の物語であり、実数の世界(3次元)の出来事ではない。
だが、それがタイムラグを経て、神霊界の写し世である実数の世界(人間界)に移写したのが人間イエスである。
従って、神話として、太陽で生まれたヘラクレスは太陽に帰ったのだ。
それは、太陽神の受肉として地上に誕生したイエスが、太陽に帰ったことを意味する。

当然ながら、3000年前の英雄ヘラクレスは、虚数の世界のヘラクレスの受肉だったと考えて良い。
だとすると、ヘラクレスも「イエス・キリスト」だったのだ。
勿論、3000年前のヘラクレスと2000年前のイエスは同一人物ではない。
ヘラクレスという人物もまた、(真の)ヤハウェの受肉の象徴として人間界に生を受け、イエスの予型的な人物だったと考えられるのだ。
しかし、人間ヘラクレスが昇天したという記録はない。
神話のヘラクレスも、「死後、神の座に帰った」とある。
つまり、人間ヘラクレスは死後、高級霊界に行ったのだ。

ギリシャ神話のルーツはエジプト神話だが、ヘラクレスはエジプト人ではない。
ヘラクレスの出自は不明だが、ギリシャのオリンポス山で生まれたのだろうか。
バーチがイギリス人の霊媒を使ったという事は、古代イギリスと関係があるのかも知れない。
オックスフォード大学の研究チームによると、イギリス人のDNAに最も多く見られたのは、土着のケルト族の特徴だった。
更に、スペイン沿岸地域から渡来したイベリア人に近いDNAを持っている事が判明していいる。
伝説によると、スペインの都市セゴビアは、紀元前1076年にノアの曹孫ヘラクレスが建設したという。

確かな事は、セゴビアの先住民がケルト人だったことだ。
ヘラクレスの出生地と思われる古代ギリシャの先住民も、イベリア人である。
諸説あるが、ケルト人の定義はケルト語を話す人々で、イベリア人も含まれる。
また、ギリシャ神話のヘラクレスの原型の一部はギルガメッシュに見られる。
スサノオのルーツはヒッタイトにあり、「ギルガメッシュ=スサノオ」という私の説を以前述べた。
そして、ケルトとヒッタイトは鉄器で繋がる。
また、仁王は鬼神で「仁王=ヘラクレス=鬼神スサノオ」と繋がる。
あくまで私の推理だが、バーチの正体が3000年前のヘラクレスの霊の可能性があるという事だ。
その他、ストーンヘンジなど様々な角度から検証したいが、本題に入ろう。
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 10:44| Comment(2) | カテゴリ未決定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高次元の空間認識とアセンションの関係

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『日月神示』には「八方的地上から十方的地上となる」「半霊半物質、4次元の高度の、影ないうれしうれしの世である」という言葉が出てきたが、それは段階的ステップに過ぎず、その後、5次元、6次元……へと更なる進化のビジョンが示されている。

「霊界と現界の両面をもつ所、この岩戸開きて二度とない九十(こと)で開く仕組み」

「此度の岩戸は立体に入る門ぞ」

「立体の道を早う悟りなされよ。正中の大道であるのであるぞ。
左でもなく右でもなく、うれしうれしの道あるぞ。
左も右も上も下も相対の結果の世界ぢゃ。原因の世界に入らねばならん。
平面より見れば相対あるなれど、立体に入り更に復立体、復々立体、立立体の世界を知らねばならんぞ」


「原因の世界」とはまさに、森田健氏のいう5次元のことである。
そして、「立体=4次元」→「復立体=5次元」→「復々立体=6次元」→「立立体=7次元」へと次元上昇していく様子が窺える。

「反対の世界と合流する時、平面でやろうとすれば濁るばかりぢゃ、合流するには、立体でやらねばならん、立体となれば反対が反対でなくなるぞ、立体から復立体に、復々立体に、立立体にと申してあろう。
漸次輪を大きく、広く、深く進めて行かねばならんぞ、それが岩戸開きぢゃ」

「一に一たす一の世界、一に一たす無限の世界、超現実、霊の世界、立体の世界、立立体の世界のあることを体得せねばならんぞ」


「反対の世界」とは、物質界に対する霊界を意味するのか、或いは……。
そして、高次元の存在を体得することが急務であるかのように示されている。

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半田広宣氏もこのように述べている。

「4次元空間は本来、復素数的な構造を持ったいるにもかかわらず、わたしたちは虚数部を視覚化することができないでいる。
虚数部にかかわる空間の概念を形作り、わたしたちが日頃慣れ親しんでいるこの空間を復素数的な場と見なせるような新しい空間概念を作り出せば、その構造は必ず素粒子の内部構造とリンクするシステムを形成しているはずだ。
そして、そのトポロジーの幾何学を見出すことさえできれば、高次元の力を流入させる共振回路が必ず作り出せる……。
そのためには意識の幾何学という新しい概念を提出する必要がある」


これは、タキオン発生装置を完成させるイメージとして述べられたものだが、この新しい空間概念「意識の幾何学」を認識することが重要だと、『日月神示』は告げているようだ。
なぜ重要なのか……その人類の意識が、次元上昇(新たな太陽系の創造)に関係しているからである。
だが、『日月神示』に具体的な記述は見当たらない。
この「意識の幾何学」を人類の頭脳にプログラムすることこそ、オコツトの役目だったのだ。
オコツトは、宗教や精神世界が説くような「心の問題」には殆ど触れていない。
そして、時空について次のように説明する。

「あなたがたが空間と読んでいるものは次元観察子ψ1、つまり精神球です。
オリオンの力がプレアデスの中に反転させられているということを意味します。
定質の凝縮化という言い方もできるでしょう」

「あなたがたが時間と読んでいるものは次元観察子ψ2、つまり感性球に相当するのではないかと思います」

「(感性球とは)性質が反性質の中に反転して現れている部分です。
反性質においては、定質(イザナギ)と性質(イザナミ)の関係が精神球と感性球に相当します」

「あなたがたが意識している空間と時間とは精神球と感性球の関係と同じです。
すなわち、定質と性質がタカヒマラの外面に進化を投げかけているということです」


4次元をイメージする為に、半田氏は1つの例を挙げているので、今、実際に試してみて頂きたい。
何でもいいので、身の周りにある立方体(3次元)の頂点(角)を自分に向けてみる。
そこに鉛筆を当てた方向に4次元が存在することになる。
鉛筆を当てた方向(4次元)には、立方体(3次元)の頂点をのぞき込んでいる自分が存在する。
お分かりだろうか。
つまり、この世界を3次元として認識できるのは、我々が4次元の世界に存在しているからであり、人間の本質は4次元から3次元をのぞき込んでいる意識生命体なのだ。

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では、5次元とはどのような世界か。
人間型ゲシュタルトから脱却した新たな空間認識とは、どのようなものなのか。
詳細は、半田氏の著書をお読み頂きたいが、ここでは概要をザッと見ていこう。

「オコツトが人間の外面と呼ぶ次元観察子ψ3(中心球)とψ4(表球)とが形作る5次元空間とは、観察者の質点が3次元の自由度と3方向の時点の自由度を持って動き回り、様々な対象を観察する時に生み出される空間の全体性を意味する。
つまり、対象から主体へと向かう空間が次元観察子ψ3、主体から対象へと向かう空間の方向性が次元観察子ψ4ということになろう。
ψ3とψ4の間に生まれている5次元世界とは、私たちが外界に対して様々な対象認識を形作っている空間だということが言えるだろう」

「5次元対称性とは、3次元空間の中で移動する私の位置の全てと、その移動によって認識される対象の質点の全てを結ぶ空間に存在する。
私たちが今まで宇宙と呼んでいた広大な空間など、どこかへ雲散霧消してしまうのだ。
全ての存在物は〈見ている私〉と、その〈私〉と鏡像のような関係にある〈見られている対象〉の間にしか存在しなくなる。
5次元の対称性が見えてくると、3次元的な空間感覚や時間感覚は全て消滅し、それに伴い自己という概念も大きく変容してくるのが分かる。
まず、私が最初に体験したのは運動感覚や移動感覚の消滅だった。
というのも、世界はどうみても〈私〉の位置と対象の位置に挟まれたサンドウィッチのようにしか見えていないので、自分の本性がここにも、そこにも、あそこにも、空間のあらゆる場所に存在しているような気がしてくるのだ。
つまり、本当は〈私〉はあらゆる所から、あらゆる対象物を眺めており、〈私〉が動くといった運動感覚は、このリアリティー・サンドウィッチに突き刺さった一本のスティックの中に意識が落ち込んだために起こるある種の錯覚のように感じてしまう。
それにもし〈私〉の位置が3次元に存在していないとするならば、そもそも〈私が動く〉という表現自体がナンセンスではないか」

「私は生まれてこのかた色々なものを見てきた。
この視覚的な記憶は私固有のものであり、決して他者と共有することはできない。
たとえ他者と同じ出来事を目撃したかのように思えても、脳裏に蘇るそれぞれの映像は、必ず見た角度が異なっている為に、決して同一のものとはなり得ていないはずだ。
ということは、見ている側だけではなく、見られている側、つまり対象物にも〈私〉というアイデンティティーが存在していなければおかしい。
そして、この視覚にまつわる記憶が〈私〉という存在と切り離して考えることができないものだとすれば、〈私〉を規定する要因となっているものは単に身体側としての〈私〉だけではなく、むしろ、対象の位置と〈私〉の位置を結んだ所にある知覚正面の空間の集合体に存在していると考えるべきではないのだろうか。
それらは〈私〉が見る様々な対象の質点と〈私〉の質点を結んだ所にできる空間の全集合に他ならない。
私はこの時にオコツトがいう位置の等化という意味がはっきりと分かった。
〈位置の等化〉とは、〈私〉の位置とそれに対する対象の位置を文字通り〈等しく化する〉ことであり、私が今まで内在世界に存在するものと思っていた記憶が、実はリアリティー・サンドウィッチの世界そのものだということに気づくことなのだ。
このような考え方で〈私=自己〉をイメージすれば、従来の主体と客体という二分化の概念など全く意味をなさなくなる。
つまり、5次元対称性が見えてきた意識にとっては、世界はまさに〈私〉の鏡像であり、それに対峙する〈私〉自身が宇宙そのものになってしまうということになる」

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「〈私〉とは、対象の位置とそれを見つめている身体との位置を結ぶ空間の中に存在する。
これは、まさに幽体離脱と言っていい感覚だった。
この感覚がもっと研ぎ澄まされてくると、従来は場所を表す概念として用いていた〈あそこ〉や〈向こう〉などという言葉が、過去や未来という時間を表す概念と同一のものとして感じられてくるから不思議だ。
つまり、私が回想する〈過去〉の時間的広がり、すなわち記憶とは、〈現在〉の空間的な広がりと同一のものとして感じられてしまうのだ。
私が過去の記憶を辿る時、私は〈今〉も〈あそこ〉にいるのであり、かつ、〈ここ〉は〈あそこ〉にとっても〈今〉なのだ。
過去とは決して過ぎ去った世界ではなく、今も厳然として同時平行的に存在している場所として考えなければならない。
そのような思考の在り方こそ5次元意識の産物なのだ。
少年時代に野球をした広場、初恋の相手と散歩したあの公園、オコツトから初めて交信があったあの夜の私の部屋…私は〈今〉も〈そこ〉に生きている…あらゆるところからあらゆるところを見ている意識、それが5次元意識というものなら、記憶こそがまさにそれに相応しい。
それらは全て、私が移動した質点の集合と認識した対象の質点の間に形成されている空間での出来事ではないか。
まさにこの広がりを持つ意識こそが、〈今、ここに、存在する〉私なのである」

「記憶自体の中には過去の出来事の時間的な序列など存在していない。
1週間前の出来事と10年前の出来事を比べて、どちらが遠い過去であるのか記憶のみで判断することは不可能だ。
それらは全て意識の中では重なり合って存在させられている。
記憶の前後関係の判断を行っているのは記憶そのものではなく、あと付けされてくるカレンダーや時計といった人間の内面の空間認識が形作るパラメーターである。
この記憶というビジョンの重なり合いに数直線的な時間的序列を与えているのは、おそらく外在と内在を分離して考える人間型ゲシュタルトの仕業なのだ。
オコツトの言うように時計で測る線型的な時間などは人間の外面には存在していない。
3次元認識しかできない人間型ゲシュタルトにとっては、自己というアイデンティティーの位置は必ずといっていいほど肉体の内部に感覚化されている。
普通、私たちのほとんどは自分が抱く感情、思考、記憶、意思などの心的要素を内在として感覚化しており、目の前に展開されている現象世界とは完全に区別してカテゴライズしているはずだ。
自己なる存在が肉体の内部に幽閉されたことによって、私たちは自我をますます肥大化させ、人間vs自然、自己vs他者という対立概念をより増長させてきた。
科学、宗教を問わず近代以降に起きた世界観の変遷は、すべからく精神の萎縮化であったと見なしてよいのかも知れない。
本来、万物に浸透していた人間の霊性は霊魂という言葉に置き換えられ、同じく肉体という器に宿るエネルギーというイメージで3次元的な描像にまで転落させられてしまったのだ」

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シーク教とオコツトが説く「真の創造と破壊」

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ヒンドゥー教とイスラム教を融合させた「シーク教」という宗教がある。
シーク教とは聞き慣れないが、顎髭を生やして頭にターバンを巻き、先が反った靴を履いて短剣を持つインド人のイメージは、このシーク教徒のスタイルである。
シーク教は人類平等の基に世俗的なカースト制度を否定し、偶像崇拝を戒め、宗教的儀式も行わない。
だが、偶像を崇拝する多神教のヒンドゥー教と、偶像崇拝を戒める一神教のイスラム教が、どうして融合し得たのか。
それは、シーク教の開祖ナーナクが、カッバーラを理解していたからである。

カッバーラの奥義は「生命の樹」であり、世界中の宗教の根幹である。
各宗教・各宗派はその枝葉であり、それぞれ向きが違ったり、色が若干異なる為に対立したりしているが、根幹は同じなのだ。
それを「万教同根」という。
ヒンドゥー教は究極の多神教だが、あらゆる神々はヴィシュヌの化身であり、総ての神々が絶対神ヴィシュヌに帰一する。
つまり、ナーナクは、ヒンドゥー教の本質が一神教であることを悟ったのだ。

イスラム教の絶対神アッラーは、アラビア語の「神」であり固有名詞ではない。
イスラム教の聖典は『旧約聖書+コーラン』だが、『新約聖書』も認められている(但し、イエスはキリストではなく預言者の1人として解釈)。
根本教典は『旧約聖書』なので、アッラーの正体は「ヤハウェ(私はある)」ということになり、やはり固有名詞ではない。
ヒンドゥー教は究極の多神教であると同時に究極の唯一絶対神教であり、ナーナクは、「ヤハウェ=アッラー=ヴィシュヌ」ということに気付いたのだ。

更に、聖書の唯一神は「御父」「御子」「聖霊」の三位一体であり、ヒンドゥー教の絶対神も「創造神ヴィシュヌ」「維持神ブラフマー」「破壊神シヴァ」の三位一体である。
それは、日本神話の三神構造とも本質的に同一である。
それ故、ナーナクはヒンドゥー教とイスラム教を融合させたのだ。
そして、シーク教の絶対神は「イク・オンカール・サト・ナーム」である。
それは「唯一神の名は真理である」という意味で、「真理=神」としている。
やはり、ナーナクも神を固有名詞で呼んでいない。

つまり、「ヤハウェ=アッラー=ヴィシュヌ=イク・オンカール・サト・ナーム」ということであり、呼び方はどうあれ、同一の至高存在「イエス・キリスト」を指しているのだ。
この「真理=ヤハウェ(私はある)」を悟った有名人が「釈迦」と「イエス」だが、少し突っ込んだ話をすると、「ヤハウェ=私は〈真理で〉ある」と悟ったのがナーナクなのだ。
勿論、イエスもそのことを理解しており、「私は真理である」と語っている。
また、イエスは「私は世の光である」とも言っている。
つまり、ヤハウェは「私は〈世の光(ルシファー=イエス・キリスト)で〉ある」という意味でもある。

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「光」は「言葉」であり「命」でもある。
それは生命の本質であり、宇宙を創造する言霊波動(微粒子の振動音)なのだ。
それが神の本質であり、その究極奥義が「宇宙=人間」で、ヤハウェとは「私は〈宇宙=人間で〉ある」ということになる。
神は宇宙そのものであり、この絶対3神は宇宙の構造を示すと同時に、宇宙の運行でもある。
従って、ヤハウェは「私は〈創造・維持・破壊で〉ある」と換言することもできる。
西欧物質科学主義・キリスト教文明は、「私は〈破壊で〉ある」ヤハウェを信仰しているのだ。
だがそれは、新たな創造にあたって不可欠なプロセスであることは説明するまでもないだろう。
つまり、創造・維持・破壊は、総て『創造』の一環であり、絶対3神は即絶対唯一神なのだ。
そして、神は即人間であり、この3つの役割を以て創造(建設)を担うのが、以前解説した「3つのフリーメーソン」なのである。

このことを踏まえた上で、以下のオコツトと半田氏の交信記録を見て頂きたい。

「そろそろ、あなたがたも真の創造と破壊について考える時期に来ているのではないですか」
「真の創造と破壊…ですか?」

「真の破壊とは、実はあなたがたが創造行為と思い込んでしまっているもの、つまり、事物の多様化や情報の無限増殖にあるのです。
あなたがたの科学は目の前に与えられた自然を分析し、それに伴い多種多様な言葉を作り出していきますが、その知的体系が膨らめば膨らむほど、人間にとって重要な精神原理が失われていっていることを知らねばなりません。
物質的知識の多大な習得にもかかわらず、それによってもたらされてくるものは精神的秩序の深刻な喪失なのです。
この喪失こそ宇宙的な意味での真の破壊と呼んでいいものです。
あなたがたは、文明の進化に加速度を与えてきたもの、すなわち、あなたがたに創造力や思考の多様な発現を与えているその源泉を神と呼んでいるのではありませんか。
目の前に与えられた自然に対し、その秘密を解き明かし、神の創造行為にその個的な意志を持って人為的に加担すること…おそらく、あなたがたはそれらの作業を人間に与えられた貴い創造行為だと信じ込んでいるはずです。
しかし、タカヒマラが最終構成に入れば、もはやこの存在は宇宙的秩序の破壊をもたらす偽りの神であり、オリオンとの連結を喪失させ、宇宙を死に至らしめるものとなるでしょう」
「私たちが創造行為と呼ぶものが破壊…では、私たちの文明が作り上げてきた知識体系や創造活動はすべて無意識なもので、ただ偽りの神に奉仕してきただけだったとおっしゃるのですか」

「いいえ、そうではありません。
なぜならば、あなたがたが歴史の中で立ち上げてきたあらゆる学問の究極の目的とは、この認識原理の転倒に気づくことにあるからです。
そして、物質的な知識の累計こそが人間にこの転倒原理を気づかせる唯一の方法なのです。
ですから、プレアデス的統制、すなわち物質的な知の体系が成長してきたと考えて下さい。
あなたがたの眼前に展開されている宇宙は真実の宇宙構造が完全に転倒させられた影のようなものです。
ですから、この写像から獲得されるあらゆる知識は宇宙的真理をある意味で全て含んでいます。
しかし、真理はあくまでも転倒された真理にすぎません。
現在あなたがたが作り出している社会システムは、この転倒した真理への信奉により生まれています。
タカヒマラから俯瞰すれば、物質的知識の獲得の目的は、そこで得られる知識それ自体にあるのではなく、それらの知識に根本的な刷新を与えること、つまり、物質的知が精神的な知へと変容するところになるのです」
「なるほど…つまり、知の変容というわけですね。
もちろん、僕もそれはうすうす感じてきたことです。
で、それは物質的な知識自体の中に、その知識、自らを変容させる力が内在しているということでしょうか」

「もちろんです。
真の破壊行為とは、あなたがたにとって眼前に展開されている世界の多様性を『一なるもの』に統合していくところにあります。
これこそが私たちが定質と呼ぶ力のことなのです」
「全てを『一なるもの』に持っていく力と、それに対して無限の多様性を生み出してくる力か……。
それが、あなたがたが定質と性質と呼ぶものの関係でもあるのですね」

「はい。オリオンの力とプレアデスの力の関係にあります」
「ということは、真の創造をもたらすものがオリオンで、真の破壊をもたらすものがプレアデスだということですか」

「いいえ、それは違います。
オリオンとプレアデスは、いわば宇宙の進化とその反映の関係にあるものです。
創造の原因を送り出すのがオリオンで、その創造を育むのがプレアデスです。
プレアデスは決して破壊を招く力を送り込んでいるわけではありません。
新しい創造原因を作り出すための種子、つまり人間を宿している母胎とも呼べる部分です。
タカヒマラに真の破壊をもたらすものとは、このオリオンとプレアデスの結合が逆転させられた時に出現します。
それが私たちがスマルと呼ぶもののことなのです。
スマルは人間の意識がプレアデス的領域を宇宙の本質と錯誤した時に生まれる、いわばオリオンの進化の力が完全に転倒させられたところにある力です」
「スマルがオリオンの転倒したもの…で、その転倒とは具体的に言うとどういうことを意味するのですか」

「人間の意識を人間の内面に偏映させ、止核化させる力を意味します」
「止核化と言うと……?」

「核質に閉じ込められてしまうということです」
「つまり、物質…人間型ゲシュタルト」

「そうです。
プレアデス自体は光によって意識進化の新しい方向性を投げかけているのですが、スマルが核質膜を作り出し、この反射作用に方向を持たないように感性球領域の中に人間の意識を封じ込めてしまっているのです。
そのためにプレアデスはその偏映を解くことができなくなっています」
「それは、人間の意識がミクロとマクロを等価なものとして見られないということを意味するのですか」

「はい、そういうことも含みます。反転する力が顕在化を起こしていないということです。
プレアデスが進化の方向性を見失うとスマルの力が増長し、タカヒマラは次なる進化を不連続にさせてしまうのです」
「なるほど、核質化した次元における不連続質とはそのような意味だったのですね」

「ええ、その通りです。
現在、多くの地球人の意識にプレアデスが進化の方向を失った状態が見られます。
あなたがたが客観的世界と呼んでいる空間ゾーンは、人間にタカヒマラの全体性を反映として見せているいわば反射の場なのですが、ここに人間の意識が完全に落ち込んでしまうと、プレアデスはオリオンへ逆方向から力を交差させるように働きだしてしまいます。
そうなると、プレアデス領域の有機体が破壊され、シリウスの意識調整システムとの連結が断たれてしまうのです。
最終構成に入る前であれば、この働きは人間という次元の内部における正常な成長として考えることもできます。
しかし、最終構成以後もそのような方向性を持つとすれば、それは虚無への力以外の何物でもありません」


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『霊界物語』や『日月神示』、そして『アーリオーン』が説く「善と悪」、或いは「西洋と東洋」の役割と関係、そして「善悪逆転の真理」と「進化の法則」が、具体的に理解できたと思う。
だが、奥には奥がある。
オコツトによれば、地球上のいかなる価値体系も、それが人間型ゲシュタルトによるものであれば、プレアデスの統制下にあるという。

半田氏は次のように述べている。

――私たちが歴史と呼んできたもの、弁証法的運動のもとに絶えず止揚されてきた出来事の進化、民族対立や階級闘争の歴史は、ある意味においては〈闇の中の闇〉と〈闇の中の光〉との闘争に過ぎなかったのかも知れない。
つまり、プレアデスがプレアデス自身の中で自己完結を果たしていくための葛藤に過ぎなかったということなのだろう。
「闇の光から離れよ」とはヘルメス文書にある勧告だが、その意味は、この世で光と見えるものさえ、宇宙的真理から見れば闇の一部に過ぎないことを意味している――


では引き続き、オコツトのメッセージを見てみよう。
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『古事記』と『日月神示』が明かすイザナギ・イザナミが生んだ神々の正体

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古代インドの『ヴェーダ』は、宇宙開闢の様子をこのように伝えている

「この世界はその昔、暗黒に包まれ、捉えどころがなく、物と物を差別する目標もなかった。
悟性によってその概念を得るということもできず、またそれを示現することもできず、全く眠りに沈んだような有り様だった。
この溶合の状態がその終末に近づいた時に、主、すなわちこの世界の創造者で、しかも我々の官能には捉え難い主は、5つの元素と他の原始物質とによってこの世界を知覚するようにした。
彼は至純な光で世を照らし闇を散らし、天然界の発展を始めさせた」

この意味については、もう説明は不要だろう。
話を戻すが、『古事記』において「五柱の神」が現れた後、次のように続く。

「次に成れる神の名は、國之常立神。次に豊雲野神。
この二柱の神も亦、独神と成り坐して、身を隠したまひき」


國之常立神と豊雲野神は夫婦神だが、別れて独神となり、身を隠したとされる。
これは『日月神示』が示している通り、悪神の台頭によって東北(鬼門)に押し込められた国常立尊と、南西(裏鬼門)に押し込められた豊雲野尊の隠退を表している。

『日月神示』には、次のように示されている。

「次、国常立命、次、豊雲野命と鳴り成りて、現れ出で給い、命澄みきり給ひき」

この続きは、古事記では次の通りとなっている。

「次に成れる神の名は、宇比地邇神、次に妹須比智邇神。
次に角杙神、次に妹活杙神。
次に意富斗能地神、妹大斗乃弁神。
次に於母陀流神、次に妹阿夜詞志古泥神。
次に伊邪那岐神、次に妹伊邪那美神。
上の件の國之常立神以下、伊邪那美神以前を併せて神代七代という」


『日月神示』でも同じことが示されている。

「三柱、五柱、七柱、別天津神、次、宇比地邇、次妹須比智邇、次、角杙、次、妹活杙、次、意富斗能地、次、妹大斗乃辨、次、於母陀流、次、妹阿夜詞志古泥、命と、現れ成り、いきいきて、いき給ひき。
次、伊邪那岐神、伊邪那美神、現れ出で坐しき」


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『古事記』によると、豊雲野神までの独神は各一代で、宇比地邇神から伊邪那岐までは夫婦二柱(妹=妻)で一代と数えると説明されている。
尚、宇比地邇と妹須比智邇は生命の土壌を整える神で、その土壌に芽生えた生命に形を与えるのが角杙と妹活杙、その形に男女の性別を与える神が意富斗能地神と妹大斗乃弁、そして国土を豊かにし、人間の姿を整え、繁栄と増殖を促すのが於母陀流と妹阿夜詞志古泥の神とされている。
そして、最後に登場するのが「伊邪那岐(イザナギ)」と「伊邪那美(イザナミ)」である。

くれぐれも述べておくが、これは人間界の話ではなく、神霊界での話である。
神霊界といっても、人間の似姿をした人格神ではなく、天地創造のエネルギーを神格化して表現した物語である。

『日月神示』では次のように続く。

「ここに天つ神、諸々の命もちて、伊邪那岐命と伊邪那美命に、これの漂える地、造り固め成せと、詔て、天の沼矛を賜ひて、言依さし賜ひき」

前項の冒頭で割愛したが、これも『古事記』の原文とほぼ同じで、次に続く。

「次に伊邪那美命、伊邪那美命に、天の沼陰を賜ひて、共に、漂へること地修理固成なせと言依さし賜ひき」

何故か「伊邪那美命」が2回連続で記されているが、イザナギの「沼矛」に対して、イザナミの「沼陰」という言葉が出てくる。
これは男女の部分の比喩的表現で、地上の修理固成を命じた別天津神(五柱の神)が、イザナギに「沼矛」を与えて、イザナミには「沼陰」を与えなかったということになる。
その事は『古事記』に示されているが、『日月神示』にも「国土をつくり固める為に、根本大神が何故にヌホコのみを与えたまひしか?」と示されている。

日月神示で「?」が出てくるのはこの部分だけで、天明はこの謎について、『古事記数霊序説』の中で次のように述べている。

「天神の総意によって、ナギ・ナミ二神に対して、タダヨヘルクニの修理固成を命じながら、なにゆえに固成の具としてヌホコのみをお与えになったのか。
なにゆえにヌホコと共にヌホトをお与えにならなかったのか。
言うまでもなく、ヌホコとは男性の具であり、ヌホトとは女性のそれでありますが、ここに、はかり知られざるほどの神策があったと思われます。
今日の世界大混乱の遠因はここにあり、したがって大転位的な岩戸開きが必然的に行われねばならないのであります。
これを数霊的に申すならば、奇数(男)的配列ないし奇数的用によって修理固成せんとするもので、結果は当然、未完成となるのであります。
ですから、局部的に見るならば、神策の真意が判らなくなるのであります」


中矢伸一氏の見解によると、これは男性原理のみで世を造ろうとしたことにより、いずれは行き詰まる世界が生じてしまったことを示唆し、これからは男性原理と女性原理とを融合させて、国造り、世造りをしていかなければならず、それが本来の国生みのあり方だとしている。
だがそれは、物質文明の完成の為に、一旦は行き詰まる世の中を造る必要があったからなのだ。

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では、イザナギ・イザナミが、オノコロ島を造った続きを『古事記』に見てみよう。

「其の島に天降り坐して、天の御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき。
是に其の妹伊邪那美命に問曰ひたまはく、『汝が身は如何に成れる』ととひたまへば、『吾が身は成り成りて成り合はざる所一所あり』と答へたまひき。
ここに伊邪那岐命詔りたまはく。
『我が身は、成り成りて成り余れる所に刺し塞ぎて、國土を生み成さむと以為ふ。生むこと如何に』
と詔りたまへば、伊邪那美命、『然善けむ』と答へたまひき」


これは明らかに男女の性交を比喩したもので、夫婦の契りを結んで国生みしたことが表現されている。

『日月神示』では次のようになっている。

「ここに伊邪那岐命、伊邪那美命は、沼矛、沼陰、組み組みて、国生みせなと詔りたまひき、伊邪那岐命、伊邪那美命、息合わしたまひて、アウ、あうと、詔らせたまひて、国、生みたまひき。
初め日月の国生みたまひき、Θ(ヒ)の国生みたまひき、月の国生みたまひき、次に地生みたまひき」


聖書の「創世記」では、3日目に地が造られ、4日目に太陽と月と星が造られたとされている。
これについては様々な解釈ができるが、次に進もう。
『古事記』には次のように記されている。

「ここに伊邪那岐命詔りたまひしく、『然らば吾と汝とこの天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまくはひ為む』とのりたまひき。
かく契りて、すなはち『汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はむ』とのりたまひ、契りおへて廻る時、伊邪那美命、先に『あなにやし、えをとこを』と言ひ、後に伊邪那岐命、『あなにやし、えをとめを』と言ひ、各言いおへし後、その妹に告げたまひきしく、『女人先に言へるは良からず』と告げたまひき」


『日月神示』では、この部分は簡略に示されている。

「おのころ国成り、この国におりましてあめとの御柱見立て給ひき。
ここに伊邪那岐命、伊邪那美命、島生み給ひき」


『古事記』が伝えていることを簡単にいうと、イザナギとイザナミが天の御柱を廻って婚姻の儀式を行なった。
そして、イザナミが先に「あぁ、何と良い男でしょう」と言い、イザナギが「何て良い女でしょう」と言ったが、イザナギは「女が先に言うのは良くない」と告げた。
陰陽原理でいえば、陽・男・左・霊・精神が主で、陰・女・右・体・物質が従となる。
従って、イザナミが先に言葉を発したことによって、物質主義の「体主霊従」の世の中になったのである。

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そして、最初にどうなったか、『古事記』に見てみよう。

「然れどもくみどに興して生める子は、水蛭子(ひるこ)。
この子は葦船に入れて流し去てき。
次に淡島を生みき。これも亦、子の例には入れざりき」


『日月神示』には次のように記されている。

「初めに水蛭子、淡島生み給ひき。この御子国のうちに隠れ給ひければ…」

「今度の岩戸開きには水蛭子生むでないぞ。淡島生みでないぞ」


水蛭子については諸説あり、飛鳥昭雄氏によれば、UMA河童(一般に異星人グレイと呼ばれている両生類)のことだというが、確かなことは不明だ。
そして、イザナギ・イザナミは再び天の御柱を廻り、今度はイザナギが先に言葉を発し、次にイザナミが言葉を発したところ、淡道の穂の狭別島(淡路島)が誕生した。
この国生み神話で最初に誕生した淡路島は、岩戸開きの合図だった阪神大震災の震源地であり、断層が東北(艮)線上に走ったことは、単なる偶然とは思えない。

話を戻すが、淡路島が造られた後、イザナギ・イザナミは、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州の計8島「大八島国=日本列島」を生み終えた。
「八尋殿」や「大八島国」で気付いた方もおられると思うが、素戔嗚尊を象徴する「八」が付いている。
神代七代の神々の誕生で見てきたように、国常立尊を筆頭として、最後にイザナギ・イザナミが生まれた。
だが、イザナギ・イザナミによって日本列島(国常立尊=素戔嗚尊=八)が造られた。
国常立尊は、泥海だった原始地球の修理固成を総指揮した神とされている。
これは既に述べた通り、電磁力を意味する。
国常立尊は、イザナギ・イザナミに、国常立尊がマグマとして鎮まる本体「日本列島」を形成するように命じたということだろう。
国生みを終えたイザナギ・イザナミは、続いて次々と神を生み出していった。
この神々誕生の順番は、『古事記』と『日月神示』では若干の食い違いが見られるが、ほぼ同じ内容となっている。

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ここで全てを紹介できないが、興味深いのが3番目に誕生する「石巣比売神」である。
『古事記』や『日本書紀』では「イハスヒメ」と呼び習わされているが、『日月神示』では「イシスヒメ』となっている。
学説では、石の神格化と考えられているが、古代エジプトのフリーメーソン(自由石工)が崇めた女神「イシス」ではないかという説もある。
イシスはオシリスの妻神であり、その息子がホルスである。
ピラミッド・アイに描かれる「ホルスの目」は、メーソンでは「ヤハウェの目」とされ、それは「イエス・キリストの目」である。
グノーシス主義やフリーメーソンの最高階級では、それは「ルシファーの目」だと教えられるが、いずれも同じである。

『ホルス=ヤハウェ=イエス・キリスト=ルシファー』

ということは、オシリスとイシスの夫婦神の息子ホルスは、イザナギとイザナミの夫婦神の息子アマテラスと同義ということになる。
イルミナティが主張するように、ホルスの目がシリウスを意味するならば、確かにアリオンの自己紹介「イザナギ・イザナミと呼ばれし天子の来たれり星系の天の御使」と一致する。
長くなるので、機会があれば続きを述べたい。

ちなみに、神を「柱」として数えられているのは、カッバーラの「生命の樹」に因んでいる。
さて、『日月神示』を書記した岡本天明は、イザナギとイザナミが生んだ神の数と順序が、「メンデレーフの原子の周期律」と同じことを発見している。

ここでは結論だけ紹介するが、以下の通りである。

「ヒルコ=水素(H)」
「アハシマ=ヘリウム(He)」
「アハジ=リシウム(Li)」
「フタナ=ベリリウム(Be)」
「オキ=ホウ素(B)」
「ツクシ=炭素(C)」
「イキ=窒素(N)」
「ツシマ=酸素(O)」
「サド=ホルマリン(E)」
「アキツシマ=ネオン(Ne)」


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これがイザナギとイザナミが生んだ神々の正体であり、この原子の集合体によって国常立尊の肉体である国土や物質、生命が誕生していった。
従って、万物に神が宿っているというのは道理なのだ。
数霊的解釈では、イザナギは「二」、イザナミは「三」で、両者が融合してこの世の根本数「五」となる。
イザナギとイザナミが御柱を廻った融合の儀式「ミトノマグワイ」は陰陽の回転であり、それは虚数の世界(神霊界)から実数の世界(物質界)に現出させる素戔嗚尊の力を生み出しているともいえるのだ。
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ドッペルゲンガーの謎と亜空間タイムスリップ事件

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半田氏は5次元対称性を認識した時、「自分自身が宇宙そのものになった」と語っているが、森田健氏も「5次元では個が確立したまま時空と合一する」ということを体験している。
また、5次元では過去・現在・未来が同時存在するという半田氏の体験を紹介したが、まさに霊界は過去・現在・未来が同時に存在するといわれている。

1960年4月28日、モンロー研究所のロバート・モンローは次のような体験をしている。

「体外離脱の前段階の状態の時、何かが背中に這い上がってきた。
手を伸ばしてそれを背中から引き剥がし、ソファーの隣にある本棚に押し込んだが、それは出てこようとする。
必死に押し止めていると、2匹目が背中に上がってきた。
片手で1匹目を押さえ、もう片方の手を背中に回して2匹目を引き剥がし、大声で助けを求めた。
よく見ると、それは自分の2人の娘の姿になったが、それがカモフラージュだと気付くとまた別の姿に代わり、泣きながら助けを呼んだ。
すると、従兄弟に似た真剣な眼差しの男性がやってきて、2匹を取り去ってくれた。
男は2匹を抱くと、2匹はリラックスしておとなしくなり、モンローは礼を言って肉体に戻った」


モンローの3冊目の著書『究極の旅』に、この話の続きがある。

「体外離脱中、誰かが自分に助けを求めて呼んでいる。
眼下に建物が現れ、中に入ると、ベッドで男がのた打ち回っていた。
男の背中には4、5歳の子供が2人しがみついていて、男は恐怖で泣きながら必死で子供を背中から引き離そうとしていた。
モンローは、その子供たちを男から引き離した。
そして、腕の中でおとなしくなった子供たちをよく見ると、ペットの猫だった」


つまり、モンローは未来の自分に救出されたのだ。
逆にいうと、過去の自分を助けたということになる。
お互いに「自分」だという認識はなかったが、一種の「ドッペルゲンガー」だと言って良いだろう。
ちなみに、ペットの猫も体脱中だったわけだが、モンローはなぜペットを悪霊と勘違いしたのか。
半眠状態の時や体脱前段階の時に霊に遭遇した場合、そのまま把握できずに想像や連想が入ることが多い。
坂本正道氏は、モンロー研究所のセッションで、幽界にいた過去世の自分を救出している。
内容は割愛するが、そのことについて坂本氏はこのように結論づけている。

「過去世の自分を今の自分が救出するというのは、論理的に考えて次の2点で矛盾しているようにも思える。
過去世と今生という2つの自分が、同時にほぼ同じ場所に存在するという点、救出された過去世の自分の未来が現在の自分のはずで、過去世の自分がフォーカス23に閉じこめられていたのなら、現在の自分は過去世の自分が救出されて初めて存在できるのではないか、という2点である。
しかし……自己の意識というのは同時にいくつにも分離して存在できる。
バイ・ロケーション(2つの場所に同時に存在すること)やマルチ・ロケーション(いくつかの場所に同時に存在すること)と言われるものである。
23に閉じこめられた過去世の自分と今の自分は、分離して存在していたと考えれば、論理的に説明可能だ」


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同様の事象は想念の世界だけではなく、亜空間(異3次元)でも存在し、1960年の『アメリカ連邦航空局年間』にミステリアスな記録がある。
1960年1月25日、ジョン・ウォールが操縦するセスナ182型機がアメリカのオハイオ州上空を飛行中、奇妙な雲が出現し、その雲に突入した次の瞬間、前方から木製の複葉機が飛んできた。
ウォールは慌てて機体を旋回させたが、複葉機の翼がセスナ機のボディに接触し、複葉機はそのまま消えていった。
ウォールは着陸後、セスナ機の片翼のくぼみと塗装の剥がれを確認し、接触事故の報告をした。
連邦航空局は、複葉機が逃げたことについて、航空法のもとに調査を始め、3ヶ月後、オハイオ州の古い牧場の倉庫で複葉機が発見された。
複葉機の翼に、ウォールのセスナ機と同じ塗装の付着が確認され、事件は解決したかに思われたが、その複葉機は長年飛行していない状態で放置されていたことが判明した。
更に、1932年の複葉機の飛行記録が発見され、「見たこともない金属製の飛行機と接触事故を起こした」と記されていたのだ。
調査員は、飛行記録が書かれたインクの成分分析をFBIに依頼した結果、時間経過を測る化学テストにより、確かに1930年代に書かれたインク跡だという結果が出ている。

この事件について、飛鳥昭雄氏の見解は次の通りである。

「この事件は、タイムスリップ事故としてアメリカでは有名だが、ウォールが過去に行って事故を起こしたか、複葉機が現在(同時)に来て事故を起こしたのかどちらかという見解が出されている。
しかし、真相はどちらも正しくなく、そしてどちらも正しいのである。
つまり、プラズマ・トンネルの内部の亜空間で両者が出会い、接触事故を起こしたというのが真相なのだ。
だが誤解がないようにしたいのは、亜空間を通れば過去や未来に行って、そこに住めるというのではない。
過去と現在が接触できるのは、共に両者が亜空間の中にある場合だけなのだ」

(「UFO2&世界統一政府計画」ワニの本)

また、ドイツの文豪ゲーテは、次のような奇妙な体験をしている。
21歳の時、ゼーゼンハイムに向かう小道を馬に乗って進んでいた。
すると、向こうからも馬に乗った男がやって来た。
近くまで来てよく見ると、その男は何と、少し歳をとった自分だったのである。
その少し歳をとったゲーテが着ている服は、明るいグレーで金色の縁取りがついているものだったが、当の本人は見た事もないものだった。
そして、馬の背で白昼夢を見ていたゲーテが目覚めると、夢の中の少し歳をとった自分も消えた。
その8年後、29歳になったゲーテはまたその道を通ったのだが、その時、自分が着ている服が、昔その道を通った時に夢に登場した歳取った自分が着ていたものと同じ服である事に気づいた。
それだけならただの予知夢だったという事になるが、何と今度は逆に、現在より若い自分が馬に乗ってやって来るのに遭遇したのである。

このミステリックな現象をどう説明するのか……。
一種のタイムスリップという解釈がされているだけで、明確な解明はされていないが、真相はこうである。
実は、人は誰しも、睡眠時にアストラル・トリップ(体外離脱)をしている。
「夢」というのは、その時の記憶の断片なのである。
「霊界は過去・現在・未来が同時存在している」と言われている通り、過去や未来に行く事も可能で、未来に行けばそれが予知夢となる。
まず、21歳のゲーテが見た夢の真相は、睡眠時に体外離脱をして8年後の自分に遭遇したのである。
そして、この3次元世界での8年後、今度は若い自分と遭遇する事になったのだ。

21歳のゲーテが未来にタイムスリップしたのか、29歳のゲーテが過去にタイムスリップしたのか、或いはそれが同時に起きた現象なのか……。
先述の飛行機事件と同じく、どちらも正しく、どちらも正しくない。
厳密に言えば、時空を超越した亜空間の中で両者が遭遇したのである。
これは一種の「ドッペルゲンガー」だと言えるだろう。

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量子力学のアプローチから見ても、人間界は霊界の投影であることは既にご理解頂けていると思うが、『日月神示』には次のように示されている。

「物質界は、霊界の移写であり、衣であるから、霊界と現実界、また霊と体とはほとんど同じもの、同じ形をしているのであるぞ。
故に物質界と切り離された霊界はなく、霊界と切り離した交渉なき現実界はないのであるぞ」


「死んでも物質界とつながり無くならん。
生きている時も霊界とは切れんつながりあること、とくと会得せよ」

「死後に於いても、現実界に自分がある。
それはちょうど、生きている時も半分は霊界で生活しているのと同じであるぞ」

「霊人は、その外的形式からすれば地上人であり、地上人は、その内的形式からすれば霊人である」


スウェデンボルグは次のように記している。

「幼い頃に死んで内的な天界へ入って来た者たちは、時間や空間が何であるかを知らない。
時間に関して言えば、その理由はこうである。
すなわち、そこの太陽はこの世の太陽のように回転しないために、年や日を生み出さないからである。
彼らはまた空間のことも知らない。
なぜなら、空間は彼らの生命の状態の変化に応じて様々に変化しているからである。
それゆえ、そこの空間は生命の状態に応じて、また距離や大きさの点で変化している。
そして彼らの空間はそうした性質をもつので、空間は依然存在してはいるものの、彼らは空間の概念を持っていない」

「私は彼らの幾人かと話し、『空間とは何ですか?また時間とは何ですか?』と尋ねたが、彼らは全然それについて知らなかった。
彼らは空間を、外観の変化に従って、美しい、または美しくない、と呼んだ。
時間については異なり、『時間とは生命の本質です』と彼らは言った。
しかし、そうしたものもやはり空間と時間であることが知られねばならない。
天使たちは空間・時間のどんな観念ももっていないということは、ここに述べたいくつかの理由によってそうなのである」

「彼らはまた、春・夏・秋・冬が何かも知らない。
それでも、彼らは熱と寒冷、光と陰の観念はもっている。
しかし、その観念を時間からではなく、彼らの生命の状態から得ている。
さらに彼らは、そこにあらゆる事物をこの世にある事物のように見ているが、それでもそうした事物を空間に応じてではなく、彼らの生命の状態に応じて認めている」


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『日月神示』は次のように示している。

「霊界に空間はない。それは内にある情動によって定まるが故である。
また、その理によって一定せる方位もない。
また、時間もなく、ただ情動の変化があるのみである」

「霊界には、時間がない。故に、霊人は時間ということを知らない。
そこには、霊的事物の連続とその弥栄があり、歓喜によって生命している。
即ち、時間はないが状態の変化はある。
故に、霊人たちは時間の変化はなく、永遠の概念をもっている。
この永遠とは、時間的なものを意味せず、永遠なる状態を意味するのである。
永遠ということは、時間より考えるものではなく、状態より考えるべきである」

「霊界には、物質界の如く空間はない。
このことを地上人はなかなかに理解しないのである。
霊界に於ける場所の変化は、その内分の変化に他ならない。
霊界に距離はない。空間もない。ただ状態の変化のみである。
故に、離れるとか、分かれるとかいうことは、内分が遠く離れていて、同一線上にないことを物語る。
物質的約束に於ける同一場所にあっても、その内分が違っている場合は、その相違の度に、正比較、正比例して、遠ざかっているのである。
故に、地上的には、同一場所に、同一時間内に存在する幾つかの、幾十、幾百、幾千万かの世界、及びあらゆる集団も、内分の相違によって、感覚の対象とならないから、無いのと同様であることを知り得るのである」


スウェデンボルグも同様のことを語っている。

「近づいていることは、内分の状態が類似していることであり、離れていていることは、それが類似していないことであることが明白である。
このことから、類似した状態にいる者たちは、互いに他の近くにおり、類似していない状態にいる者は遠ざかっており、天界の空間は内なる状態に相応した外なる状態以外の何ものでもないことが生まれている」

「霊界では、人は他の者に会いたいと切に望めば、その者の前に現れるのである。
なぜなら彼はその者に会いたいと切望することによって、その者を思いの中で見、その者の状態に自分自身をおくからであるが、反対に他の者に反感を抱くなら、その者から遠ざかってしまうのである」

「また誰でも、一つの場所から他の場所へ行くときは、それが自分自身の都会の中のことであれ、また中庭内のことであれ、または自分自身の社会の外にいる他の者のもとへと行くことであれ、その者がそのことを切実に願う時は、速やかにそこに到着するが、そうでない時はのろのろと到着し、道そのものは同一ではあるものの、願いのいかんによって長くも短くもなるのである。
このことを私は再三眺めて驚いたのである」


では、半田氏の続きを見てみよう。
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2010年11月16日

ミステリースポットとプラズマ亜空間の謎

(この本はイメージ画像であり、この記事の内容と関係ありません)
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ヒトラーは、ヨーロッパ制覇や第三帝国の野望などは持っておらず、ナチスの真の目的は、地底都市シャンバラを発見し、超人類の叡智を手に入れることだった。
神隠しという現象があるが、誘拐や夢遊病などを除いて、これは何らかの要因で、一時的に局所的に亜空間が発生してその世界に入ってしまうことで、いつどこから出てこれるかは全く分からない。
行方不明になった人間が数十年経って、全く歳を取らないまま、全く別の国で意識不明で倒れているところを発見されたケースもある。
下手をすると、出てきた場所が海の真ん中や宇宙空間ということもありえるし、二度と亜空間から戻ってこれない可能性も高い。
そのような不可解な亜空間は、アルザルに通じるプラズマトンネルではないだろう。

地球の次元上昇がどのような現象なのか、まずプラズマの持つ特性について知る必要がある。
大槻教授がセラミック板にプラズマを透過させる実験に成功しているのは周知のことだが、物質をプラズマに包めば、プラズマに包んだ別の物質を透過させることが出来ることが分かっている。
そして、1943年10月14日に行われたフィラデルフィア実験で、亜空間の存在が証明された。
戦艦エルドリッジ号に設置された大型磁場発生装置にスイッチを入れると、緑色の光る霧が発生して船体を包み込んだ。
すると、エルドリッジ号は徐々に透明化して姿を消した。
バミューダ海峡での消滅事件と同様の現象が、人工的に起きたのだ。
ところがその数分後、320キロ離れたバージニア州の軍港にテレポートした。
目撃者が唖然と見守る中、またしても緑色の霧に包まれて消滅し、再びフィラデルフィアの海軍工廠に戻ってきた。

だが船内では、世にも無惨な怪奇現象が起きていた。
全身が硬直して動けなくなった者、精神に異常をきたした者、体から炎を噴き出して人体発火して死亡した者、壁に吸い込まれて永遠に消えた者、壁と身体が合体してしまっている者もいた。
硬直や精神異常は、電磁波のマイクロウェーブによるダメージで、人体発火は灼熱のプラズマが引き起こした作用である。
壁と人体の融合は、プラズマが発生している間は亜空間が形成される。
亜空間は4次元ではなく、異3次元とも呼ぶべき異空間で、この3次元空間と空間が重なって存在する。
ところが、プラズマが消滅すると亜空間も消滅し、別々の三次元空間に存在した物体は、原子レベルで融合してしまうのだ。

これと同様、北極点で地磁気が集約して、地球内部を通過することで地球内部にプラズマ亜空間が発生したのが「アルザル」で、地磁気は常に循環している為に、アルザルは亜空間として存在し続けている。
だが、地磁気が消滅すると、アルザルは地球のコアと融合してしまう。
この地磁気を消滅させてしまうのが「彗星ケツァルコアトル」で、この星の誕生を合図にアルザル人が地上に脱出することが聖書に予言されている。
地磁気が消滅するとアルザルは消滅し、宇宙放射線から地球を保護しているヴァン・アレン帯も消滅する。
すると、太陽からの強力なプラズマエネルギーがダイレクトに届き、地球が灼熱のプラズマ球になる危険性もある。
だが、プラズマに一定のベクトルが働いていれば、地球内部の亜空間のように、灼熱にならずに亜空間を形成することが可能となる。

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では、次元上昇したミロクの世とは、地球全体が亜空間になるということだろうか。
否、亜空間はあくまでも3次元の物質世界である。
ミロクの世は、半霊半物質の世界だとされている。
今は確かなことは言えないが、異3次元の亜空間を形成するのは振動数の低いマイクロ・ウェーブで、高振動数の電磁波が交差すると、5次元以上の霊的物質界が形成されるのではないかと思われる。
現在アメリカが掴んでいるアルザルの出入口は、南北両極に開いたプラズマトンネルである。
また、シャンバラ(アルザル)の入口は、世界各地に数ヶ所あるという説もある。
旧ソ連の科学者の研究によると、地球の重要な地点を線で結ぶと、12個の五角形の平板で構成される12面体が浮かび上がり、更にこの平板の中央の点を結ぶと、20個の正三角形の平板を持つ正20面体が出来上がった。

この12面体の地球の交点上をを調べると、興味深い事実が判明した。
まず、エジプト、インダス河、ペルー、イースター島、イギリスの古代巨石文明が栄えた地域が存在する。
また、鉱床地帯や大断層、大油田地帯、地球のプレートや火山帯などがある地域ともほぼ一致している。
更に、20面体の頂点の位置に、北極、南極、バミューダ海峡、地中海南部、アフガニスタン、小笠原諸島海域、太平洋北部、アルゼンチン南東海岸沖、南アフリカ南東海岸沖、オーストラリア西海岸沖、ニュージーランド北部沖、南東太平洋という、世界の12大ミステリースポットや重力異常地帯と一致しているのだ。
この南北両極を含む12ヶ所が、地球内世界アルザルと通じているのだろうか。
チベットの山岳地帯では、UFOや怪光現象が頻繁に目撃されているが、チベットで伝承されている地底王国シャンバラは、アルザルのことである。

だが知花敏彦氏は、標高4000メートル以上にある、ヒマラヤのシャンバラ本部に行ったことがあるという。
知花氏によると、シャンバラとは「永遠」という意味で、見えない意識の世界で、イエスは13歳の時にここに訪れ、バプテスマのヨハネは18歳の時にここに訪れたことが、木切れに記録として書き残されていたという。
そしてシャンバラ本部のあるコーナーには、人類の数だけあるランプが灯る部屋があり、意識の高い人のランプは明るく、意識の低い人のランプは暗く、日本のコーナーのランプは全体的に暗かったが、人類総ての個人に、超意識の世界で指導が行われているのだとか。

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『カバラの真義』の著者ドーリル博士によると、シャンバラはもともと地上に存在したが、ヒマラヤの造山運動によって地中に没し、チベットの首都ラサから約1200キロ地下に下がっていくと、3次元空間が歪みを起こしていて、そこにシャンバラが存在するという。
ある霊能者の体験によると、ダライ・ラマからテレパシーを受け、幽体離脱によって山形山中から白銀色の大トンネルを通ってシャンバラを訪れ、そこには美しい花が咲き乱れ、ドーム型建造物が建ち並び、工場ではロボットらしきアンドロイドが働き、大トンネルにUFOが飛び立っていたという。
カリフォルニアのシャスタ山周辺でも、UFOや怪光の目撃例や、巨人族や小人族、賢人に出会ったという報告がある。

『超シャンバラ(ダイアン・ロビンス著)徳間書店』という本が注目を集めているが、それによると、シャスタ山の地下1.6キロに、テロスという地底都市があるという。
そして、このような地底都市は世界各地に120ヶ所存在し、地下で繋がってネットワークを築いているという。
そのネットワークの中心、地球の中心に位置する心臓部、地底都市中の地底都市がシャンバラだという。
1万2000年以上前にレムリアからテロスに移住したという、アダマと名乗る高僧が、ダイアン・ロビンスに次のように語っている。

「インナー・アース(地球の中心部に存在する空洞世界)で支配的な都市は、シャンバラと呼ばれている。
それは地球の中央に位置しており、北極と南極に存在する穴からアクセス可能だ」


そしてテロスの人々は、地球のアセンション(次元上昇)に取り組み、人類が光を内に認識し、人類が一つの家族に再統合するように働きかけているらしい。
また、ニューメキシコ州サンタフェに住むシャルーラは、1951年生まれということで身分証やパスポートを取得しているが、もともと1725年にテロスで生まれた300歳近い女性だという。
シャルーラによると、レムリア人の祖先は、約20万年前に惑星オーロラから地球に訪れた異星人で、極地方から地球内部に侵入し、巨大地底都市シャンバラを築いたという。

シャンバラは光に満ちた都市だが、地上のような都市は存在せず、大自然の田舎があるだけで、それでいて超科学技術と宇宙船基地を持ち、通貨や税金などはなく、平和と調和が保たれている。
そして、地底都市のネットワークは地球内部だけではなく、宇宙にも広がっており、銀河系の数ある惑星や次元で構成された銀河連邦のようなものがあるという。
この話はストーリー的には面白いが、私の感想としては、ある事実を基にしたフィクションだと思われる。
シャンバラ(アルザル)では既に、ミロクの世と呼ぶに相応しい理想社会が実現している。
だが、「亜空間=5次元世界」ではない。
では、5次元とはどのような世界なのだろうか。
4次元とどう違うのか……それをこれから検証していこう。
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 12:57| Comment(0) | カテゴリ未決定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする