2013年02月06日

『出口王仁三郎の大予言』の検証と「ムー大陸」の真相

菅田正昭氏著『出口王仁三郎の大予言』に、神仙組1の記事が取り上げられているということで、友人が写メールを送ってくれた。

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「666の獣・王仁三郎」と「五十六億七千万年」の恐るべき意味
http://mujaki666.seesaa.net/article/170381313.html
に載せていた、以下の王仁三郎の言葉について指摘されている。

大正13年にいよいよ来年の素志を決行したのであります。
その時ちょうど蒙古に偉いラマがおって、
昔ジンギスカンが蒙古に兵を挙げてから六百六十六年目に
日出づる国から弥勒仏が出て蒙古を救うという予言があったのであります。
それがちょうど大正13年が六百六十六年目に当たっておったのであります。

しかもこの蒙古を救う人は年五十四歳と言うのでありましたが、
当時私は五十四歳であったからこれも符合したのであります。
蒙古人はこういう事を言っている、
「黒蛇が世界中を取り巻くその時に、
いよいよ世の立替があって弥勒仏が現れて蒙古の国を救われる…」と。
黒蛇ということは鉄道という謎で、
すでにシベリア線が出来て蒙古を取り巻いてしまっている。
こういう予言があり、しかも初めて私が行った時は六百六十六年目に当たっていた。
六百六十六の獣という事がありますが、六六六とは非常に意義のある事であります。


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「大正13年から666年前の1278年には該当するような歴史的記述はなかった」
と菅田氏は指摘しているが、これは菅田氏の計算ミスである。

大正13年は1924年なので、その666年前は1258年となる。
だが、単純に666を引くだけではダメで、1924−666=1258だが、
1年目というのはその年を指すので、正確には1259年となる。
つまり、1259年の1年目は1259年で、666年目が1924年となる。

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要するに、王仁三郎の話に従えば、
チンギス・カンが挙兵したのは1259年ということになるが、
年表によると、チンギス・カンは1227年8月18日頃に死んでいる。
これは王仁三郎の間違いか、歴史の記録の間違いか……。

まず、1259年に何があったかというと、高麗がモンゴルに服従した。
そして、翌年の1260年にモンゴル帝国の皇帝となったフビライが、
中国の北半分を押さえて現在の北京の地に大都という都を築いた。

歴史の年表が大きく間違っているとは思えないので、
王仁三郎が何か勘違いをしているとしか思えないが、
王仁三郎の後半部分の話を読む限りは深い意味を感じる。

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話が変わるが、王仁三郎は次のように述べている。

「今から約四千年前、中東パレスチナの地に集結して、
イスラエル王国を建設した十二部族というのは、セム族である。
このセム族というのは、太古の時代、世界経綸のため
富士高天原から各地に降臨した天孫民族である。
中東パレスチナの地にイスラエル王国を建設した十二部族こそ、
富士高天原からアジア大陸を西に降った天孫民族の後裔と見るべきである」


私はこの王仁三郎説を支持していなかった。

イスラエル12支族が「セム族」であることには異論はないが、
「富士高天原からアジア大陸を西に降った天孫民族の後裔」
というのは納得がいかなかった。

イスラエル民族の祖はヤコブ(別名:イスラエル)だが、
その祖父のアブラハムはメソポタミア南部
(現在のイラク辺り)の古代都市ウル出身である。

メソポタミア文明は、メソポタミア地方で発祥した複数の文明の総称だが、
その初期の中心となったのが、世界最古の文明とされるシュメール文明である。
そのシュメールの首都だったのがウルで、
アブラハムはシュメール人だったと考えて間違いないだろう。

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聖書によると、ノアは自分の妻と3人の息子とその妻の
計8人を箱舟に乗せて、大洪水を生き延びたという。
人数=人口で、8人を8口と表現することができるが、
舟に8人(八口)が乗ったから「船」と書くという。

船というと大きな舟を意味するが、
ノアの箱舟には動物たちも乗せられたので大型船だった。
聖書の記述によると、長さ300キュビト(133.5m)、
幅50キュビト(22.2m)、高さ30キュビト(13.3m)だったという。

神はノアに大洪水を予言し、箱舟の建造を指示した。

「あなたは、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。
箱舟には小部屋をいくつも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい」

(「創世記」第6章14節)

「箱舟の側面には戸口を造りなさい。
また、一階と二階と三階を造りなさい」

(「創世記」第6章16節)

そして、箱舟はアララト山に漂着したと記述されているが、
実際にそれと同等のサイズの箱舟地形がアララト山で発見されている。
また、アメリカ軍のレーダースキャン映像により、
内部構造も聖書に記されているノアの箱舟と一致することが判明している。

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聖書によると、ノアの息子は「セム」「ハム」「ヤフェト」の3人。
ハムは黒人種だった妻とアメリカ大陸に移動して黒人の祖となった。
ノアから王権を継承したセムとその妻は、アジア人の祖となった。
ヤフェトと白人種だった妻は、コーカサス地方に残って白人の祖となった。

アララト山の南にイラクがあり、アブラハムはセムの10代目の子孫である。
つまり、ノアの大洪水で地球全土が水没し、泥海の状態となった後に、
現在のイラクの土地にセム族がシュメール文明を築いたということである。

結論として、「セム族は富士高天原からアジア大陸を西に移動してきた天孫族」
だという王仁三郎説には説得力がない。
そもそも、歴史年表によると、イスラエル王国の建国は
紀元前1021年(約3000年前)で、王仁三郎の話とは1000年の差がある。

シュメール王国はアッカドやバビロニアに支配され、
シュメール人は各地に離散した。
アブラハムは一族を率いてカナンの地(パレスチナ)に移住したが、
飢饉に襲われてエジプトに避難。
その後、エジプトを脱出してカナンの地に戻り、
イスラエル王国を建国したのである。

また、「日本人シュメール起源説」も歴史言語学的に説得力があり、
シュメール王国が滅亡した時に東に向かった一派が、
日本列島の先住民となった可能性が高い。

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だが、ペトログラフ学によると、
シュメールのルーツは日本にあると考えられている。
もし、王仁三郎の話が事実だとしたら、
ノアとその家族は、大洪水前は日本列島に住んでいたことになる。

『ガイアの法則』でも、シュメールの起源は日本列島だと説明されている。
そのシュメールの神官の霊は、次のように語っている。

「私たちは日本列島が故郷でもあるのだ」

「私たちはその昔、日本列島で新たな文明を開始した人々の子孫なのだ」

「日本列島から西への移動も、この法則通りであったのだ。
それだけではない。
この地球は大きな変動を何度も繰り返しているが、
そうした大変動も、基本的にはこの法則に基づくのだ。
最も最近に起きたこの変動は、約1万2000年前だ」

「その変動は太平洋の日本寄りの位置で起きた。
これによって、陸地として繁栄した太平洋上の文明は海底に沈んだのだ」

「現代の人類の文明が、約6400年前にシュメールからスタートしたように、
さらにもう6400年前から始まった文明周期は、
今のあなたの国がある日本列島からスタートしたのだ」


日本列島から西(シュメール)への移動も法則通りだった……
ということは、箱舟ではなく徒歩で移動したように受け取れる。

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メソポタミアの中でも、シュメール人は系統が不明だとされている。
メソポタミア文明を築いたのはノアの箱舟から出てきたセムの子孫だが、
シュメール文明を築いたのは日本列島から渡来した人々なのかも知れない。

彼らはセムの子孫ではないので「セム族」とは呼べないが、
セムと同じ黄色人種だったということだろうと解釈できる。
つまり、王仁三郎説は、シュメール文明が開花する以前の
前次元の話だったということで理解ができる。

そう考えると、「ジンギスカンが蒙古に兵を挙げてから六百六十六年目」
という話が歴史的事実ではなかったとしても、
デタラメや間違いではなく深遠な意味が隠されているのかも知れない。
いずれにせよ、1924年11月26日にモンゴル人民共和国が誕生した。
その事実からしても、王仁三郎説を一笑することはできないと思う。

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かつて、チャーチワードの著作が世に出たとき、
王仁三郎も積極的にムー大陸論を展開したそうだが、
現在、太平洋に大陸が沈んでいないことが証明されている。

王仁三郎はチャーチワードの話に便乗しただけとも思えるが、
「ガイアの法則」でもムー大陸は存在したとされているので、
やはり王仁三郎の話は眉唾に思えることでも無視はできない。

ムー大陸については、以下を参照して頂きたい↓

ムー大陸とアトランティス大陸の謎
http://kemono666.seesaa.net/article/276939532.html
ムー大陸とアトランティス大陸の謎A
http://kemono666.seesaa.net/article/277056750.html
ムー大陸とアトランティス大陸の謎B
http://kemono666.seesaa.net/article/277387037.html
氷河期の始まりとムー大陸の浮上
http://kemono666.seesaa.net/article/277410969.html
マヤの大長老来日とアトランティスの謎とラ・ムーの心霊写真
http://kemono666.seesaa.net/article/278064887.html
2013年に出現する古代フリーメーソン(ムー人)の宇宙船
http://kemono666.seesaa.net/article/278358095.html
ムー大陸の再浮上と新エルサレムの降臨
http://kemono666.seesaa.net/article/278430716.html
地震情報&ムー大陸浮上説
http://kemono666.seesaa.net/article/274960784.html

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2012年10月16日

【5大方便】の1つ「輪廻」の謎


私は5年前から輪廻は幻影だと感じ、このブログ説明でも「5大方便」の1つとして「輪廻」を取り上げているが、それについて書いておきたい。

肉体が実在ではないなら、肉体に魂が宿っている方がおかしい。
神(魂)が内側に存在するというのは、外側は内側だからである。
内側に全てがあり、もちろん神(魂)もあるのだが、従来の「魂が宿っている」という観念とは異なるということだ。

これは簡単には理解できないと思うので、これ以上の説明は割愛する。
何故なら、私自身も漠然と感じているだけで、ハッキリとは認識できていない為、説明が不可能だからである。
そこで、同じことを言っている人はいないものか思い、「魂は肉体に宿っていない」という感じのワードで検索していると、バシャールの話が出てきた。

更に、内海康満氏の友人の田岡満氏という霊能者の話も出てきた。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-taoka.html

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それで以前、私の仮説の裏付けとして「アンチ・キリスト完全ファイル3」で紹介したのだが、漠然とでもそのことを知覚しているということは、少なからず魂の意識に目覚めている証拠だと言えるだろう。

肉体に魂が宿っていることは一面的に事実だが、本質的には宿っていないという意味である。
肉体に魂が宿っていないのであれば、輪廻転生という厳然たる現象も幻影である可能性がある。

釈迦、エドガー・ケイシー、サイババ、ババジ、孫儲琳、政木和三、内海氏、その他の様々な情報を検証すると、輪廻の存在を認めざるを得ない。

シルバー・バーチやバシャールなども明確に輪廻転生を説いている。
人霊ではない宇宙神霊アリオンも転生の話をしており、アリオンのチャネラーの北川恵子氏も、
幾多の自分の過去世のヴィジョンをアリオンから見せられている。

『日月神示』にも転生について書かれた箇所がある。

「此の度の、岩戸開きの御用する、身魂は何れも生きかわり、
死にかわりして練りに練り、鍛へに鍛へし神国の、
まことの身魂天駈けり、国駈けります元の種、昔の元のおん種ぞ」

「人のようせん辛抱さして、生き変り死に変り修行さして置いた
昔からの因縁の身魂のみざから、みごと御用つとめ上げて呉れよ」

「また天使の霊が母体に宿り人民として生れてくる事もあるぞ、
末世にはこの種の降誕人が沢山あるぞ」


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『日月神示』によると、幽界は人間の想念が創り出した幻影だという。
また、不思議研究所の森田健氏のハイヤーセルフによると、輪廻転生地点のフォーカス27(天上道)も「投影の世界」だという。

そして、人間界と肉体も投影(幻影)である。
そう考えると、六道輪廻も幻影だということになる。
天上道も幽界も人間界も存在し、肉体に魂が宿っていることは事実だが、それらは全て迷いの世界での幻のようなものなのだが、そのような理由で輪廻を否定している人を、獣は知らない。

もりけん氏のハイヤーセルフも、フォーカス27を「5次元の投影」としながらも輪廻を否定していない。
という事は、輪廻も「幻の現象」として存在することを示唆している。

逆に言うと、本質的には輪廻はないということになるが、それを言ってしまえば、「3次元の世界も4次元の世界も幻影であって実在ではない」ということで片付いてしまう。

だが、3次元も4次元も投影として存在し、輪廻という現象があるのも一応は事実である。
しかし、「幽界や輪廻が実在ではない」という認識は非常に重要である。

少なくとも、死後、幽界に行って、そこから再び人間界にUターンするようなことがあってはならない。
今は、宇宙カルマの総決算の時期ゆえに、進化できない魂は淘汰される可能性があるからだ。

それは、アリオンや田岡満氏、内海康満氏が主張していることだが、「自叙伝『破滅に向かってC』」で紹介した「波動合わせ」という冊子にも同じことが書かれていた。

どうにもならない心は、「真実を告げる書」に書かれているように、
宇宙の塵にならないとも限りません。
嫉妬心や独占欲は本当はあってはならないものです。
本当に人のために生きようと思ったとき嫉妬心や独占欲はなくなります。


詳細は以下を参照して頂きたい。
http://kemono666.seesaa.net/article/293119787.html

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丹波哲郎が最も尊敬していた霊能者で、私も長らく信仰していた隈本確は輪廻転生を否定している。

そして、オコツトも輪廻を否定している。
(以下、オコツトと半田氏の交信記録)

「輪廻ですか……そのようなものは存在していません」
輪廻転生の本質とはタカヒマラにおける次元交替化のことです。
この交替化は人間全体の意識において起こるものであり、個体という意識において生起するものではありません」

「しかし、輪廻の本質が歪められていると言われても、実際、退行催眠などによって、過去世の記憶にアクセスする人がいます。
前世の生まれた場所、名前、職業、周囲の人間関係などをはっきりと目撃し、そして実際にそれらの内容をリサーチすると、すべて事実として確認されたといったようなことです。
これは輪廻のような概念なしには、説明できないのではないでしょうか」

「そうですね、そのようなことが人間の意識に起こることもあるでしょう。
しかし、それはあなたがたが輪廻と呼ぶ概念が原因となって起こっているわけではありません。
調整質のカタチが共振を起こしているのです」

「どういう意味ですか。もう少し具体的におっしゃっていただけませんか」

「先ほども申し上げたように、調整質とは簡単に言えばあなたがたの意識のことです。
調整質の中には個体の意識をはじめ人間の集合意識の次元など様々な働きの次元が横行しています。
意識はそれらのあらゆる次元においてカタチを持っており、個体の意識次元もまた例外ではありません。
人間が前世のように錯覚しているのはそれらのカタチの共鳴によってひき起こされているものです」

「つまり、アカシック・レコード(集合意識)の次元において何らかの共振をしているとおっしゃるのですね」

「はい、そのようなものです」

「でも、この世に人間として生まれてくるとき幸福な環境で生まれたり、反対に不幸な環境に生まれたりするといった格差がありますよね。
輪廻を信じる人はこのような格差が前世の因縁によって起こると考えますが、これらのハンディキャップの原因は、どのように考えればいいのでしょうか」

「原因などありません。それは意識の問題ではなく、単にあなたがたが作り出している社会機構の問題です。
付帯質が精神の方向性を見い出せば、そのようなものは何の意味も持たなくなるでしょう」


半田広宣氏は次のように述べている。

科学、宗教を問わず近代以降に起きてきた世界観の変遷は、すべからく精神の萎縮化であったと見なしてよいのかも知れない。
本来、万物に浸透していた人間の霊性は霊魂という言葉に置き換えられ、同じく肉体という器に宿る何らかのエネルギーというイメージで3次元的な描像にまで転落させられてしまったのだ。
死の訪れによって霊魂は肉体を抜け出し、新たに生まれ変わるべく別の肉体を求めて異空間を彷徨う――

このような転生説を唱える生気論者たちは、彼らの主張とは裏腹におそらく唯物論的思考の影響を色濃く受けている。
エクトプラズム……ガス状のエネルギー体としてイメージされる霊魂、そして、アストラル体、メンタル体などに見られる「体」という形容……。
非物質的なものには非物質的な方法で近づくしかないにも関わらず、世界はその全てが物質感覚に支配されたイメージで溢れかえっている。
それほどまでに人間型ゲシュタルトの力は強力なのか……。
何もかも真実の宇宙感覚とは縁遠い所で淀んで腐敗しかかっている……。


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人間が転生だと思っている現象は、集合的無意識の共振だという。
隈本確は「前世の記憶」の真相は、憑依霊の生前の記憶だとしているが、それも一種の意識の共振だと言えるだろう。

隈本確が転生を否定していた理由は、幽界や天界など様々な霊界で、何百年、何千年、何万年前に他界した霊たちと数多く交流してきて、彼らが転生していないということから転生を否定しているようだ。

スウェデンボルグもアダムの時代以前の古代霊や、数千年前の霊たちとの交流を何十年も続けてきた中で、
転生の事実を確認することはできなかった。

だが、モンロー研究所には「過去世の自分の救出」というセッションがあるように、それは「部分的再生=分霊の転生」で説明がつく。

また、釈迦の教えは「輪廻からの解脱」であり、輪廻がなければ仏教は根本的に虚構だったことになる。
つまり、「集合意識の共振」や「一種の憑依現象」のような形で、幻の現象として輪廻が存在するという解釈で良いだろう。

もちろん、その過去世の因果律に基づいて現世の運命が決定しているが、その因果律(カルマの法則)も本質的には実在ではないのである。
故に、輪廻を解脱すると因果律から解放され、運命から自由になるのだ。

阿含宗の桐山氏は次のように述べている。

かねてから、私の奇異に感じていることが一つある。
それは、霊の存在を否定する坊さんの少なからずいることである。
学者、または学者ぶった坊さんに多い。
霊魂なぞ一切ないと、したり顔に否定する。
釈尊は霊魂の存在など一切認めなかったというのである。
そういうならば、釈尊の否定されたのは霊魂だけではない。
人間そのものをはじめ、森羅万象いっさいを否定された。
「諸法皆空」と。
仏陀が否定されたのは、常住不変の実在としての霊魂である。
人間も、霊魂も、輪廻も、転生も、五蘊の仮合した存在であり、因縁が解ければすべてもとの「空」となる。
仏陀が目指したのは、悪因悪業すべてを解脱して、諸法皆空に帰した、涅槃(ニルヴァーナ)に至る道である。
しかし、その真理を悟らざる者は、迷妄に苦悩しつつ、果てしなく六道を輪廻することになる。
いや、悟れば本来「空」であり、人間と霊を区別することさえもおかしなことなのである。


桐山氏は気付いていないが、この釈迦の教えは、「六道も輪廻も迷いの世界の幻である」という意味であり、
実相の世界(涅槃)に入ることを説いたものなのだ。
即ち、3次元の肉体意識や4次元の幽体意識を超えて、5次元の真我(霊魂の意識)を覚醒せよということなのである。

源の光が魂の意識の視点である(内側とも外側とも感じる)
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また、バシャールの転生の話も一般的な概念とは大きく異なる。
オコツトの説明だけでは完全に納得できない部分があっても、バシャールの話と併せて解釈すると理解しやすい。

載せたい動画が発見できなかったので、検索した記事を載せておく。

Q.私たちの魂というのは何回も何回も生まれてきて・・・

バシャール:はい。
でもいまのあなたは、時間を直線的にみた話をしていますね。
この物理次元には、時間の観念が必ず入ってきます。
「まえ」とか「いま」とか「そのあと」という話になります。
でも、創造の真理からすると「すべての人生がいま起きています」
ただ、物理次元からみると、ある人生の後にまた別の人生があるように見えます。

「オーバーソウル」という、より高次な魂の観点からすれば、皆さんの来世を先に、そしてそのあとに過去世を見ることもできます。
オーバーソウルの次元では、時間や空間の概念は存在しないからです。
まったく意味がないのです。
ですから、未来も確定していませんし、過去も確定していません。

皆さんが物理次元で理解できることの中で、一番重要な原理がこれでしょう。
「現在」は「過去」の直接的な産物ではないということです。
連続して続いているという観念は、皆さんが創り出し幻です。
過去を現在において変えることができます。

なぜならば、未来に向かっても、過去に向かっても、無数の組み合わせの人生があるからです。
そのどれを選ぶこともできます。
自分の今の波動を決めることによって、それが何であれ、それに応じて過去と未来からの現在の自分に「影響するもの」が変わります。


また、バシャールはこのようにも語っている。

「このあなた本来の固有の波動は、さまざまなものと繋がっている
さまざまな輪廻転生の経験を含んだ周波数でできています。
また、この人生で探求しようと選んできた全般的なテーマも含まれています」


結局、人間界に生きているということは、魂の意識では、「人生劇場シリーズ」というDVDを視聴しているようなものなのだ。
従って、人間界に対する獣の認識は正常で、超常識人ということになる。

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汝の肉体には魂は宿っていない!
http://kemono666.seesaa.net/article/261525884.html

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2012年05月30日

金環日食〜金星の日面通過

メインブログに集中している為、しばらく更新できていなくて誠に申し訳ない。
金環日食の5月21日〜金星の日面通過がある6月6日までは、特に重要な期間だと思われる。
詳細は以下の記事〜最新記事までをお読み頂きたい。

金環日食と金星の日面通過
http://kemono666.seesaa.net/article/270665039.html
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2011年09月15日

絶対神ルシファーが支配するムー大陸の再浮上による反キリストの世界征服

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「ムー大陸浮上説」というのがある。
伝説のムー大陸が再浮上して、日本が広大な大陸(国土)となり、日本が世界一の大国になるという夢のような話である。
だが、もし、日本列島の周辺で巨大な大陸が浮上するような地殻変動が起これば、日本列島はひとたまりもなく壊滅するのではないだろうか。
しかも、大量の海水を含んだ大陸に、人が住めるようになるのに一体どれだけの年月が掛かるのだろうか。
ある程度、水分が蒸発しても塩分を多量に含んだ土壌に草木が生えるようになるまでに、一体どれだけの年月が掛かるのだろうか。
それは、津波などによる一過性の水没の後の比ではないはずである。

そもそも、日本やイギリスのような島国を見ても分かる通り、大国というのは国土の面積は問題ではない。
仮に、ムー大陸が再浮上したとしたら、その領土問題が原因で世界大戦が起こるかも知れない。
軍事力も発言力もない今の日本には、ムー大陸を自国の領土にする事は出来ないだろう。
仮に日本の領土として認められたとしても、世界中から移民が押し寄せて、日本が乗っ取られる事になるだろう。
確かに「日本はお土が上がって、世界が一つになって日本に攻めてくる」という『日月神示』の予言と符合するが、これはまた別の意味がある。

実際のところ、ムー大陸の話は旧日本軍による創作であり、太平洋に大陸が沈んでいない事も判明している。
アトランティスが「サントリーニ島」だったという事も、まず間違いないと思う。
そして、日本列島を含む世界の五大陸が、かつて1つの巨大大陸だったらしい事がシミュレーションで分かっており、それを「パンゲア大陸」という。
それがノアの大洪水によって地球が膨張し、現在のように大陸が分裂したと考えられている。

だが、オコツトによると、6500年以上前の世界には「アトランティス文明」と「ムー文明」が存在したという。
これはどういう事なのか……文字通りに解釈しない方が良いと思う。
要は、パンゲア大陸という1つの大陸の中に、2つの相反する文明があったという意味であろう。
そして、オコツトが言う「アトランティス文明」は今で言う西洋文明(体主霊従主義)で、「ムー文明」は今で言う東洋文明(霊主体従主義)に相当すると考えて良い。

ムー大陸再浮上というのは1つの表現であり、霊的に解釈すれば「大東亜共栄圏」の完成という事になるだろう。
それは日本を中心とするアジア諸国の団結を意味し、西洋文明から東洋文明への転換を暗示したものである。
正確に言えば「西洋文明と東洋文明の統合」であり、厳密に言えば「東洋文明が西洋文明を抱き参らせる」という事になるだろう。
それは、アレクサンドロスの世界征服(東西の統合)が真の意味で実現する事を意味し、真の意味でのルネッサンスの時代が到来するのだ。
アジア(東洋)を団結させ、西洋文明に立ち向かうハルマゲドンを指揮し、遂には世界征服(東西の統合)を実現する者……。
それがアレクサンドロスの再来である「反キリスト」である。

何故、アレクサンドロスが反キリストの元祖かというと、スサノオの語源となる「スサの王」になったからで、実際に世界を征服したからである。
また、アレクサンドロスはエジプトでファラオに即位し、太陽神アメンの子を名乗った。
アメンは牛神アモン(バアル)であり、バアルは日本神話でいう「スサノオ」である。
アメンはルシファーでもあり、その子を名乗るという事は「反キリスト」だという事である。
それ以前に、アレクサンドロスは自分を、ギリシア神話の「ヘラクレス」の子孫だと信じていた。
9つ頭の蛇ヒュドラを退治したヘラクレスは、日本神話で言うヤマタノオロチを退治した「スサノオ」である。
そのアレクサンドロスの「スサの王」の肩書きを継承したのが出雲族のスサノオで、終末に於けるスサノオ(黙示録の獣=反キリスト)は日本から登場する事になる。

スサノオは「艮の金神」と呼ばれ、東北に封印された鬼である。
鬼とは「まつろわぬ者」の意だが、実際のスサノオ(フツシ)は出雲族の大王として島根県で崩御している。
つまり、「フツシ=艮の金神」とは言い難い事になる。
フツシの継承者のニギハヤヒも「大和の偉大な王」として崩御したので、「艮の金神」とは呼べない。
もちろん、霊的にはスサノオ・ニギハヤヒが「艮の金神」として封印されている訳だが、人間界の歴史ではそれは違う。
ニギハヤヒの継承者であるイスケヨリヒメは、日向族のイワレヒコと結婚して今の天皇家の起源となっている為、その系統も「艮の金神」ではない。
ニギハヤヒの系統で、出雲族の族長として最後まで(日向族支配の)大和朝廷に対抗し、まつろわぬ者(鬼)として東北方面で封印された者……
それは、日本神話で唯一「悪神」として記述されている「天津甕星」である。

つまり、人間界に於いては、天津ミカ星こそが「艮の金神」なのだ。
その証拠に、天津甕星は「金星」の意であり、別名の天香香背男の香香背(カカセ)は「蛇」の意で、いずれも「ルシファー」の象徴である。
それを裏付ける等式が以下の通りである。

「スサノオ=艮の金神=国常立尊=ルシファー」

よって、スサノオの御魂を持った反キリストの予型である王仁三郎が、大東亜共栄圏完成の雛型経綸を実演している。
王仁三郎は、満州・蒙古・中央アジア・中近東に至る広大な地域に、世界統一政府の予型である「ミロク神政王国」を建設しようとした。
その時の不思議な因縁について、次のように語っている。

「大正13年にいよいよ来年の素志を決行したのであります。
その時ちょうど蒙古に偉いラマがおって、昔ジンギスカンが蒙古に兵を挙げてから六百六十六年目に日出づる国から弥勒仏が出て蒙古を救うという予言があったのであります。
それがちょうど、大正13年が六百六十六年目に当たっておったのであります。
しかもこの蒙古を救う人は年五十四歳と言うのでありましたが、当時私は五十四歳であったからこれも符合したのであります」


だが、果たして、アジアから孤立している日本が、アジア諸国のリーダーになる事など出来るのだろうか……。
まず、アメリカの破産は早かれ遅かれ現実のものとなり、それと同時に日本も没落し、中国が世界の大国となる。
そうなると、日本は必然的に中国の支配下に入る事になるだろう。
もっと言えば、日本は中国の州の1つのような形になるかも知れない。
中国は日本を必要とし、日本は中国を必要とする関係にある。

王仁三郎は五行説を持ち出して、次のように述べている。

「中国は土、日本は木、中国と手を結ばなければ日本の繁栄はない」

現在、日本がアメリカの属国となっているように、最初は中国の属国という形になるかも知れない。
だが、日本には「天皇」という世界の最高権威が君臨し、日本人には「大和魂」と「言霊」と「技術」という三大超兵器が存在する。
更に、中国は龍神を信仰する国だが、それはまさに日本列島である。
「龍神=国常立尊=ルシファー」であり、中国を中心とするアジア連邦「大東亜共栄圏」を支配する反キリストは、日本から現れる事になる。
それは、日本が大東亜共栄圏のリーダーとなる事を意味する。
日本が中国に乗っ取られたとしても、日本が中国の頭脳として首都機能を果たす事になるはずであり、裏を返せば日本が中国を支配するという事になるのだ。

中国の分裂を予測する研究家もいるが、まずないだろう。
神も科学も医学も……今までの世界の各分野はあらゆるものが分裂し、細分化する事で発達してきた。
西洋医学と東洋医学、科学と宗教……それらの発達が頂点を極めた今、あらゆるものが統合に向かっており、神々も人々も国々も例外ではない。
その中で、中国が分裂するとは考えにくい。
中国共産党が解体すれば、それも有り得るだろうが、その社会システムによって経済大国・軍事大国に発展している中国共産党が解体される事も考えにくい。
そのような内部分裂の動きはあったとしても、中華思想を持つ中国が世界の覇権を握れるチャンスを放棄する訳がない。

また、一党独裁のシステムだからこそ偉大な指導者が現れる訳で、中国共産党が解体すればノストラダムスの予言は外れる事になる。
もっと言えば、その偉大な指導者である日本の反キリストが活躍する場を失う事になり、大東亜共栄圏や文明転換の実現も海の藻屑となる。
それは、日月神示や黙示録、ノストラダムスなどが予言する「ミロクの世」「至福千年王国」「黄金の世紀」が実現しない事を意味する。
そもそも、日月神示や黙示録、ノストラダムスの予言の中に、中国の分裂を示唆する記述は見当たらない。
もし、分裂の危機があれば、偉大な指導者である「反キリスト」が問題を解決するだろう。

問題は、大東亜共栄圏が実現したとしても、日本をリーダーとして認めるかどうか…である。
それについては、西欧の「闇の権力」によって仕掛けられた歴史の誤解が解ければ解決するだろう。
また、古代日本の封印された事実が公開されれば、世界中が日本を世界の盟主として受け入れる事になるだろう。
また、ソロビヨフやノストラダムスが予言した反キリスト(シーレン)は、世界の諸問題を解決する思想によって人々から絶大な支持を受けるという。
その思想とは、「反キリスト」の名の通り、イルミナティと同じく「キリスト教を破壊する」東洋思想であるはずだ。
何故なら、物質主義・科学万能主義による環境破壊や戦争を生み出している西洋文明は、キリスト教に立脚して発達した文明だからである。
それは、イエスが説いた教えが間違っている訳ではない。
イエスの教えの真意を歪めた教義を構築したのが、キリスト教なのだ。

イルミナティはその事を分かっていた。
彼らはグノーシス主義者(霊主体従主義者)であり、イエスを善神ルシファーの受肉だと考えていた。
その思想を提唱するのが反キリストだが、それはルシファー(国常立尊)の肉体である日本列島から現れる事になる。
かのイルミナティは解散後、残党がフリーメーソンに入会した事で、イルミナティの思想はフリーメーソンに受け継がれている。
それを支配するユダヤ財閥はルシファーを崇拝している訳だが、彼らは物質主義・拝金主義により、グノーシス主義が説く悪神(ルシファーの暗黒面)を崇拝しているのだ。

天皇が世界の王となるのは、ロスチャイルドが鍵を握っている。
『日月神示』が「イシヤと手を組め」と説いているのは、経済や技術など様々な面での意味があるが、要約すれば日本を世界政府の中枢にする為のシナリオなのだ。
詳しい事は今は話せないが、中国がキーになっているという事を覚えておいて頂きたい。

世界中のプレートが4枚重なっている位置に富士山があり、それが富士山に向かって集まって来ている。
これは、日本を中心に世界が統合される事を暗示する。
その過程で、日本列島がユーラシア大陸と再び繋がれば、四方を海で囲まれた「封印」から解かれた事になる。
最初的に、ユーラシア大陸を1つの超国家と見なせば、必然的に日本がユーラシア大陸の首都となる。
ムー大陸の再浮上……それは、日本列島がユーラシア大陸に繋がる事を意味するというのが私の見解である。

だが、日本列島が朝鮮半島に繋がるには、かなりの天変地異が伴うはずである。
そこで、まず考えられる事は、琉球古陸の浮上である。
沖縄と台湾は元々、陸続きだった事が分かっている。
その陸の大半が沈没してしまっているが、それを琉球古陸と呼び、与那国島の海底遺跡などもその一部である。
それは比較的浅い水深で、再浮上したとしても日本列島が壊滅する程の大災害は起こらないだろう。
「日本はお土が上がる」という予言通り、日本列島全体の底上げと共に琉球古陸が再浮上し、日本列島が台湾と繋がる事が考えられる。
それによって、日本列島はユーラシア大陸と合体し、それを「ムー大陸」と呼ぶのが理に叶っている。

太平洋に沈んだというムー大陸の話は創作ではあるが、「ムー」という名前が付けられたら事には意味がある。
それがどのような意味で名付けられたのかは知らないが、「無有」と当て字する事が出来る。
つまり、無から有を生み出すという意味である。
ここからはコジツケ話だが、無から有を生み出すというのは「物質化現象」である。
物質化現象とは、空間(無)に充満する素粒子を物質に構成するという事である。
それが言霊のエネルギーで、神々は言葉によって天地を創造した。
言霊の力を真に活用できるのが日本語であり、日本語は天地創造の道具である。
その無から有を生み出す日本語の言霊エネルギーの活用が、「ムー文明」のテクノロジーではないだろうか。
その意味でも、日本はムー大陸(ユーラシア大陸)の首都機能を果たす事になるだろう。

かつて、伝説のムー帝国(ノアの大洪水前のパンゲア大陸のムー文明)では、絶対神ナラヤナが信仰されていたと言われているが、その姿はまさに7つ頭の蛇「ルシファー=国常立尊」である。
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2010年12月17日

快の追求が導く自己実現

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第5の欲求である「自己実現」に到達するのは容易ではなく、多くの人が第3の「所属と愛の欲求」か第4の「承認の欲求」止まりだろう。
春山氏は「自己実現の欲求」について、次のように語っている。

「これは神の世界にも通じる心境といえます。
孔子のいうところの「七十にして心の欲するところに従い、矩をこえず」の世界でしょう。
すなわち、他人と自分との間に境がなく、心の命ずるままに行動して、気がついてみたら、世のため人のための行ないになっている。
そのような理想郷の世界ではないでしょうか」


自他一体となれば、自分の為にやっていることが、同時に世のため人のためになっている…これほど自然で理想的なことはない。

「惟神の歓喜は総てのものと交流し、お互いに歓喜を増加、弥栄する。
故に、永遠の大歓喜となり、大和の大真、大善、大美、大愛として光り輝くのである」

(日月神示)

少し長くなるが、春山氏は次のように述べている。

『脳内モルヒネが教えてくれるのは、自己実現を目指して生きることが、人間にとって最高の喜びであり、とめども尽きない至福の人生を手に入れるカギなのです。
今まで多くの人が誤解していたのは、欲求というものを並列的に捉えてきたためではないかと思うのです。
人間には食欲がある。性欲がある。権力欲がある。名誉欲がある。
人の為に尽くしたいとか、自分自身を正しく成長させたいとの崇高な欲求もあるけれど、どう考えてもレベルの低い欲求が沢山あるわけです。
低いレベルで満足する自分というものを、高い欲求レベルに引き上げるのは、もちろん好ましいことだが、満足度や充実感、つまり快感というものはどちらかというと、低いレベルのほうが強い。
だからそれを乗り越えるのは至難の業である。
それどころか気を許すと人間はとめどもなく低次元へと下がっていってしまう。
こういう考え方が一般的だったように思われます。
しかし脳内モルヒネの研究からだんだん明らかになってきたのは、こういう一般的な理解は正しくなかったということなのです。
人間は並列的に並んだいくつかの欲求を選択するのではない。
マズローが唱えたように、段階的に欲求レベルを高めていっていることが一つ、ここで肝心なのですが、「欲求レベルが高くなればなるほど脳内モルヒネの快感も増していく」ことです。
そういうレベルの高い境地に達すると、めったに病気にもならず、至福の感情をもったまま長寿が保てる。
つまり脳内モルヒネの研究でわかったのは、正しく立派な生き方、世のため人のためになる生き方をするほど、人間は若々しく健康で病気に無縁でいられるということなのです。
このことを物質で説明するとこうなります。
人間にはホメオスターシスというメカニズムがあります。
一般的に「恒常性」といわれている調整システムです。
たとえば寒いと毛穴が縮んで耐熱の発散を防ぐ。
暑ければ毛穴が開き発汗して体温上昇を防ぐ。
体の中には至る所にホメオスターシスのメカニズムが張り巡らされているのです。
ホルモンも同じでノルアドレナリン、アドレナリンが出ると、それを抑えるセロトニンというホルモンが必ず出て抑える側にまわる。
これを負のフィードバックと我々は呼んでいます。
電気ごたつのサーモスタットのように、何事もオーバーヒートしないようなメカニズムを人間の体はもっているのです。
脳内モルヒネにもギャバという抑制物質が働きます。
ただ一つ不思議な例外があるのです。
人間の最も高級脳である前頭連合野が刺激されて脳内モルヒネが分泌される時に限って、この負のフィードバックが何故か働かない。
そして脳内モルヒネがどんどん出るのです。
他の場合では必ずある抑制物質が、なぜ高級脳が働くときだけ出ないのか。
その理由は残念ながら今はまだ分かっていません。
「まだ見つかっていないだけだ」という人もいますが、人間がその最も進歩した脳を働かせて何かをするとき、β-エンドルフィンは抑制されることなく分泌して、どんどん気持ち良くしてくれるということは、私には「そういう世界を目指しなさい」という神様のメッセージのような気がするのです。
性欲とか食欲ではそういうことは起きません。
食欲は満たされない時は強い欲求になりますが、満腹になればどんなに好物でも見るのさえいやになる。
性欲も満たされればそれでおしまいです。
またこの種の欲求は貪欲に求めると、必ず副作用を伴うことも共通しています。
食べ過ぎは肥満と成人病を招く。
過度のセックスも活性酸素の発生源となって、命を縮めてしまいます。
生命を支える欲求は強力ですが、過ぎればマイナスに作用する。
そういうものには抑制するために負のフィードバックがあるということなのでしょう。
だが人間が高級脳を生かして世のため人のために尽くすようなとき、それを止めるものは何もないのです。
止めないだけではなく、どんどん脳内モルヒネが出て、最高に気持ちの良い状態にしてくれる。
私はそこに何か大きな天の意志のようなものが感じられてならないのです。
マズロー博士は、最も高次な欲求である自己実現を果たした人々が感じる最善の状態のことを「至高経験」という言葉で表現しています。
これを脳内物質で説明すれば、β-エンドルフィンが枯れることなく湧き出ている状態といってよいでしょう』


自己実現については段階的に解説していくが、ここでは『人間の正しい生き方は歓喜を求めることで、それは段階的に高次の欲求を満たしていくこと』だという事を覚えておいて頂きたい。
宗教や精神世界では、欲望を持つことはタブー視されることが多い。
だが、欲望がなければ発展も歓喜もない。
あってはならず、なくてもならない…そんな欲望について、もう少し詳しく検証してみよう。
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2010年11月25日

脳内モルヒネと快楽の追求

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フォースからパワーへの上昇は、『生命の樹』の上昇と同じである。
「勇気」の意識指数は200だったが、「愛」の意識指数は500、「喜び」は540となっている。
森田健氏は、六爻占術によって株で1億7500万円稼いだが、その占いによって地球に未来を問いかけた。

「地球に、特に日本に危機はあるか?それを回避する方法はあるか?」
「今は大丈夫ですが、そのうち水に関する災害があります。
地球の温度上昇が原因です。起こる時期は2014年です。
あるいはその12年後の2026年です……。
人間が自分の快に生きれば地球は救われ、人間も救われる」


自分が「快」に生きれば良いという。

文字通りに解釈すると、「公=仁=愛」と正反対、即ちエゴ的な生き方を勧めているようだが、そういう意味ではない。
「快」とは、別の表現をすると「歓喜」である。

「明くる楽しくイキイキとアセンションに向かっていきましょう」(船井幸雄)

「歓喜はあらゆる修行に勝る」(随喜功徳品第十八)

「快」「歓喜」は宇宙進化の原理・大法則であり、これを追求することが、人間の正しい生き方なのだ。
だが、これだけでもやはり語弊がある。
事実、「快」「歓喜」を追求した結果が現代の様相ではないか。
「快」とは、「歓喜」とは、どういうものなのか……。

『日月神示』に見てみよう。

「何事が起こってもそなたは先ず喜べよ。
それが苦しいことでも、悲しいことでも喜んで迎へよ、喜ぶ心は喜び生むぞ」

「正しき喜びを先ず見極めよ。見極めてひたすらに進めば良いのぢゃ」

「何事もよろこびからぞ。結果から又よろこび生まれるぞ」

「人間よろこべば神よろこぶと申してあろうが、天地晴れるぞ、輝くぞ」

「恐れてはならん、恐れ生むからぞ。喜べ、喜べばよろこび生むぞ。
喜びは神ぢゃ。弥栄と云うことは歩一方ずつ喜び増していくことぞ。
喜びの裏の苦に捉はれるから判らんことに苦しむのぢゃ」

「喜びないもの亡びるぞ。他の為に苦労することは喜びであるぞ。
全体の為に働くことは喜びぞ、光りの生命ぞ」

「身も心も嬉し嬉しなるのがマコトの神ぢゃ。
ものの嬉しさだけではゼロぢゃ。たまの嬉しさだけでもゼロぢゃ。よく心得なされよ」

「神の国と申すものは光の世、よろこびの世であるぞ、虫けらまで、てんし様の御光に集まるよろこびの世であるぞ。
見事此の方について御座れ、手引っぱって峠越さしてやるぞ」

「モノ喜ばせばモノは自分の喜びとなり、自分となる。
心の世界は無限に拡がり、成長するのであるぞ。
神に融け入って宇宙大に拡がるのであるぞ」

「歓喜は神であり、神は歓喜である」


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当たり前だが、嬉しい事があれば嬉しいし、人間は喜びを求めて生きていると言い切っても過言ではないだろう。
だとすれば、常に歓喜に満たされている状態が、正しい生き方ということになる。
一昔前に話題になった『脳内革命』の著者・春山茂雄氏は次のように述べている。

『いつもニコニコして物事を良い方へ、良い方へと捉えていると、脳内には脳細胞を活性化し体を元気づける良い働きのホルモンが出てきます。
これらのホルモンは若さを保ち、ガン細胞をやっつけ、人を楽しい気分にさせてくれます。
人生を楽しく健康に過ごし、ガンにも成人病にもかからずに長生きしようと思うなら、このように良いホルモンが出るような生き方をすれば良いのです。
人を楽しくするこのホルモンが、私のいう脳内モルヒネです。
物質の構造式が麻薬のモルヒネによく似ているからそう名づけたのですが、麻薬のモルヒネは依存症や副作用の危険がありますが、脳内モルヒネのほうは、その心配が全くありません。
人間に快感をもたらすホルモンは約20種ほど知られていますが、作用の仕方、強弱の差はあってもその薬理作用はほぼ同じなので、このような快感ホルモンを総称して「脳内モルヒネ」と呼ぶことにします。
数ある脳内モルヒネの中で、最強の快楽ホルモン物質はβ-エンドルフィンで、その効力は麻薬のモルヒネの5、6倍は楽にあります。
これだけの快感物質が私たちの脳内で造られることは何を意味しているのでしょうか。
神様が私たち人間に「楽しみなさい」といっているのだと思います。
人間は結構悪いことも考えるし、実際にそれをやってしまいます。
たとえば、「人を押しのけてでも自分が得をしよう」と考える人がいます。
そうやって大金を儲けたとします。あるいは地位や名誉を得たとします。
そのような願望が実現すればその人は嬉しい。嬉しければ脳内モルヒネは分泌します。
しかし何故だかそのような楽しみは長続きしないのです。必ずどこかでおかしくなる。
世のため人のためにならないこと、人から恨みを買うようなことをすると、どういうわけか脳がその人を滅びの方向へと誘導してしまうようなのです。
これは多分、神様が理想とする生き方にあった者だけが生き残れ、それに合わない者はできるだけ消していこうとするメカニズムが、遺伝子という形で体の中に残されているのだと私は解釈しています』


心理学者A・H・マズローによれば、人間には動物と同じ本能があり、それを「5F」と名付けている。
5Fとは……ファッキング(性欲)、フィーディング(食欲)、フロッキング(群れる)、ファイティング(攻撃・征服)、フリーイング(逃走)の5つの本能行動で、このどれもが脳内モルヒネが分泌される行為だとしている。
この5Fは脳の大きな部分を占めており、否定してはいけないという。
『日月神示』でも、肉体的欲求を否定してはいけないことが説かれている。

「神が生み、神より出て、神の中に抱かれているが故に神と同一の歓喜を内蔵して歓喜となる。
歓喜に向かうとは親に向かうことであり、根元に通ずることである。
世をすて、外分的、肉体的諸欲をすてた生活でなければ、天国に通じ得ぬと考えるのは誤りである」


脳は大きく分けて三重構造になっており、5Fを司るのが原脳(爬虫類脳)で、この原脳を包み込むようにして大脳辺緑系(動物脳)があり、その外側にあるのが人間特有の大脳新皮質である。
人間が人間らしくあるのは大脳新皮質あればこそだが、その働きは脳全体の約5%に過ぎず、残り95%は爬虫類や動物と同じ本能を司るの脳だという。
従って、脳の働きや欲求を考える時は、原脳や大脳辺緑系も勘定に入れておかなければ本質を見誤る、と春山氏は指摘する。

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マズロー博士は、人間の欲求を5つに分類している。

@生理的欲求
A安全の欲求
B所属と愛の欲求
C承認の欲求
D自己実現の欲求

この5つの欲求は「生命の樹」の上昇と同じで、低次元から高次元へとステップアップしていく仕組みになっている。
最初の生理的欲求は、食欲・性欲・睡眠欲という3大本能で、爬虫類脳が司る。
この生理的欲求が満たされると「安全の欲求」が現れ、次に現れるのが「所属と愛の欲求」で、社会の一員として存在したいという欲求、及び対象を必要する愛する行為も含まれる。
そして、これらの欲求が満たされると、次に「承認の欲求」が現れる。
これは、自尊心を満足させたいという欲求と、そのことを他者に認めてもらいたいという欲求で、その証が地位や名誉などである。
人間はこの段階まで達すると、最後に「自己実現の欲求」が現れる。
これは「成れる可能性のある最高の存在になりたい」という願望である。
これは裏を返せば「傲慢」に通じ、天使長ルシファーが神に成り代わろうとして地に落とされたという話を思い出すが、これは比喩であって、ここでは伏せて頂きたい。

自己実現の欲求は、宇宙の進化の法則である。

『日月神示』から抜粋していこう。

「大宇宙にも、頭があり、胴があり、手足があり、目も、鼻も、口も、耳もあり、また内臓諸器官に対応するそれぞれの器官があって、常に大歓喜し、呼吸し、脈打っていることを知らねばならない」

宇宙は、大歓喜と共に生きているのだ。
であれば、宇宙の一員である人間も、大歓喜と共に生きることが道理である。
マズローは「自己実現」を目指して生きることが人間の最高の快感・歓喜だと述べているが、自己実現を別の言葉で表現すると「完成」である。
つまり、宇宙も自己実現(完成)を目指して、大歓喜して生きているということになる。

「全大宇宙は、神の外にあるのではなく、神の中に、神に抱かれて育てられているのである。
故に、宇宙そのものが、神と同じ性をもち、同じ質をもち、神そのものの現われの一部である。
過去も、現在も、未来も一切が呼吸する現在の中に存在し、生前も死後の世界もまた神の中にあり、地上人としては 地上人の中に、霊界人にありては 霊界人の中に存在し、呼吸し、生長している。
故に、その全体は常に雑多なるものの集合によって成っている。
部分部分が雑多なるが故に、全体は存在し、力し、弥栄し、変化する。故に、歓喜が生ずる。
総ては大神の歓喜の中に存在するが故に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されていて、その秩序、法則、統一は、一応完成しているのであるが、その完成から次の完成へと変化しているその秩序、法則、統一は、一応完成しているのであるが、その完成から次の完成へと弥栄する。
故にこそ弥栄の波調をもって全体が呼吸し、脈拍し、歓喜するのである」

「愛は真により、真は愛により向上し、弥栄する。
その根底力をなすは歓喜である。
故に、歓喜なき所に真実の愛はない。
歓喜の愛はこれを愛の善と云う、歓喜なき愛を、愛の悪と云うのである。
その歓喜の中に、また歓喜があり、真があり、真の真と顕われ、一となり、二と集約され、その集約の真偽の中に三を生じ、更に尚、歓喜と弥栄ゆる。
生前の世界、死後の世界を通じて、一貫せる大神の大歓喜の流れ行く姿がそれである。
大神は常に流れ行きて、一定不変ではない。
千変万化、常に弥栄する姿であり、大歓喜である。
完成より大完成へ向い進む大歓喜の呼吸である」

「総てのものは歓喜に向かい、歓喜によって行為する。
歓喜がその目的であるが故に、歓喜以外の何ものも意識し得ない。
故に、歓喜よりはなれたる信仰はなく、真理はなく、生命はない」
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2010年11月23日

「宇宙カルマ」と「グループ・ソウル」の神秘

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カルマの法則が「進化の法則」である事がご理解頂けただろう。
それによって勇気づけられ、希望が持てた人もいるかも知れない。
また、カルマの法則を知ることによって、確実に謙虚になる事ができるだろう。

サイババも次のように述べている。

「幸福は慢心と不幸を招き、不幸は内省を促し成長させる」

「人生は修行の場」とよく言われるが、まさにあらゆる経験が修行だという事が良く分かる。
解釈によっては、バーチは「苦労は買ってでもしろ」的に説いているようにも思うが、そういう訳ではない。
それは、以下の霊訓から読み取れる。

「もちろん法則と調和した生活を送っておれば病気も不快も苦痛も生じないでしょう。
病気とか不快とか苦痛とかは自然法則との不調和の信号に他ならないからです。
そうした法則を人間はもうダメだというギリギリの段階に至るまで気がつかないからやっかいなのです。
なぜでしょう。人間と宇宙の真実の相を知らないからに他なりません。
要するにこの世は全て物と金と考えているからです。
が、そうした苦しみの末に、いつかは真実に目覚め始める時がやってまいります。
自我の意識が芽生え、内在する神性が目覚め始めます」


要は、真理に目覚めれば良いのだ。
その為には、物質的なこと、即ち自我に囚われてはいけないという。
知花敏彦氏も次のように述べている。

「物質的に物に溺れないように。物に溺れることは水に溺れることになります」

その真理に目覚める経緯として、欲望と理性の葛藤があることを、バーチは述べている。
言葉を換えて表現すれば、「善と悪の戦い」である。

「動物的進化の名残である下等な欲望や感情もあれば、あなたの個的存在の源である神的属性も秘められているのです。
そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。
地上に生まれてくるのはその試練に身をさらす為なのです」


善と悪の最終決戦ハルマゲドンは、霊主体従主義「国常立尊」と体主霊従主義「盤古大神」が融合「霊体一致」する為の摩擦・衝突であり、これが実数の世界に現れているのが、現在起きている天変地異や紛争である。
そして宇宙と人体は相似象であり、このハルマゲドンをミクロで見ると、人間の欲望と理性の葛藤だと言えるだろう。
ハルマゲドンは、「カルマの総決算」とも言い換えることもできる。
今生に生きる我々にとって厄介なことは、カルマは前世、更にそれ以前の過去世にまで遡ることだ。
前世で刈り取れなかったカルマを解消する為に、我々はこの世に生まれてきたという訳だ。
前世の記憶もなければ、人間界においても同一人物ではない、つまり他人だ。

更に、無限に近い数の先祖の情報が、我々のDNAにインプットされている以上、先祖の良いカルマも悪いカルマも全て受け継いでいる事になるのだ。
因縁研究家によると、武士の子孫は滅びの道を進み、百姓の子孫が栄えていく傾向にあるという。
勿論、真の武士道に生きた立派な高級武士もいれば、ろくでなしの百姓もいただろうし、あくまでも傾向である。
だが、カルマについて考えれば考えるほど、人間的な観点から見ると理不尽である。
何故なら最初に述べた通り、人類が自他一体の運命共同体である以上、カルマの法則は個人的なものに限定されないからだ。

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例えば、『シルバー・バーチ霊言集』や『ホワイト・イーグル霊言集』を翻訳している桑原啓善氏は、『地球を救う霊的常識』の中で次のような例を挙げている。

「カルマの問題は、例えばAさんがBさんに殺されたから次には必ずBさんがAさんに殺されるという単純なものではありません。
ずっと前の再生の時からの因縁がありましょうし、人間というものは必ずしも全部的再生をするとは限らないもので、創造的再生という面があるはずです。
そうなると霊縁の強い人たちが互いにお互いのカルマを背負い合って生まれてきているといえます。
だから、因縁霊の問題の場合、その因縁霊と自分との関係は様々なケースが考えられます。
その因縁霊を過去世で殺したから、逆に今度は自分が殺されるという場合、或いは殺された本人は因縁霊を殺したのではなくて、全然別人を殺したかも知れないとか、或いは殺さないけれども、それに価するような危害を誰か他の人に与えた経験があるかも知れないとか、色々なケースが考えられます。
但しカルマが両者の間に存在することだけは間違いないわけです。
そのようにカルマの問題は単純にA→BだからB→Aとは限らないのです」


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更に、知花氏は『人類を救う意識改革』の中で、次のように述べている。

「家庭の一人一人の不調和は家庭のカルマとなって現れます。
それを家庭のカルマと言います。
家庭が思わしくいかないのです。
そこに住んでいる一人一人の心の不調和が家庭の状態に現れて来るのです。
今度はその家庭のカルマが村単位で現れて来るわけです。
ある村に不調和な村と調和のとれた村があったとします。
どちらに災難は起こりますか。
それは調和のとれていない村民に起こります。
それが村民のカルマなのです。
あるいは町民でも市民でも同じことです。
そこで総決、統合されたもののカルマとなります。
国家としてのカルマもあります。
日本というカルマ、それは日本人のカルマが国家としてのカルマになります。
国家のカルマを犯した分だけ、日本人が全部悪い人間なら日本は滅びます。災難が起こります。
大変な痛い目を見なければならないし、大変苦しい思いをしなければなりません。
これは、人類全体としてのカルマもあります。
また全部、地球の天変地異となって、いろいろな災難となって現れて来るわけです。
その法則は目に見えないけれども、現にあなた方は犯しているのです。
罪を犯して、法を犯しているその実態にさえも気づかないでいるのです。
一人一人の不調和の心が、いかに全体に影響を及ぼしているか……。
だから一人の影響は全体の影響ということで、決して切り離されたものというものはありません。
もちろん極端な個人的な罪を犯すならば、その罪は人類全体として犯していることになるわけです」


『人間の個性とその死後の存続』の著者フレデリック・マイヤースは、死後、霊媒師ジェラルディーン・カミンズに、『永遠の大道』という著作を自動書記させ、霊魂の秘密「グループ・ソウル」を明かした。
大本の幹部で、王仁三郎の片腕として活躍した浅野和三郎は、大本脱会後に心霊科学研究会を設立し、『永遠の大道』を翻訳して「グループ・ソウル」を「類魂」と訳した。
類魂とは何か……。

『類魂は、見方によっては単数でもあり複数でもある。
一個のスピリット(中心霊)が複数の類魂を一つにまとめているのである。
脳の中にいくつかの中枢があるように、霊的生活においても、一個のスピリットによって結ばれた霊の一団があり、それが霊的養分をこのスピリットからもらうのである。
人間が地上に生をうけるのは、前世での罪の代価を払うためであるというのは、ある意味では真実である。
が、その前世とは、自分の生涯といえると同時に、自分の生涯ではないとも言える。
つまり前世とは、自分と同じ霊系の魂の一つが、かつて地上で送った生涯をさすもので、それが現在の自分の地上生活の型をこしらえているのである。
さきに私は、帰幽霊を大別して「霊の人」「魂の人」「肉の人」に分けたが、このうち、「魂の人」となると、大部分は二度と地上に戻りたいとは思わない。
が、彼らを統一しているスピリットは幾度でも地上生活を求める。
そして、そのスピリットが類魂どうしの強い絆となって、進化向上の過程において、互いに反応し合い刺激し合うのである。
従って私が霊的祖先という時、それは肉体上の祖先のことではなく、そうした一個のスピリットによって私と結びついている類魂の先輩たちのことをいうのである。
一個のスピリットの中に含まれる魂の数は、20の場合もあれば100の場合もあり、また1000の場合もあり、その数は一定しない。
ただ、仏教でいうところの宿業(カルマ)は確かに前世から背負ってくるのであるが、それは往々にして私自身の前世のカルマではなくて、私よりずっと以前に地上生活を送った類魂の一つが残していった型のことをさすことがある』


浅野氏は次のように解説している。

「マイヤースも述べている通り、地上の人間生活にあって何人(なんぴと)も逢着する最大の疑問は、一見すると因果律を打破するような人間生活の不公平・不平等である。
これを合理的に説明し得ない宗教は、宗教としての役目を果たさない。
ここに一個の中心霊(スピリット)があり、それから幾つかの魂(ソウル)が分かれて、それぞれ異なった時代に地上生活を営んでいる。
霊的進化の各段階に置かれたこれらの魂の間には反射作用が行なわれ、いわば連帯責任をもっているのである」


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イギリスでスピリチュアルを学んだ江原氏も、「魂は自らの類魂に帰結します。類魂と溶け合い、その一部となるのです」と述べている。
森田健氏によると、フォーカス35(5次元)ではすべての魂の一体化(融合)が起こり、それぞれの記憶が皆のものとして共有されるという。
これこそまさに「グループ・ソウル(類魂)」である。
森田氏はチベットで、「全体の業」というインスピレーションを得たという。

そして、様々な体験や調査により、次のような仮説を立てている。

「カルマを精算するには、ある一定期間の区切りが必要です。
あの世とこの世は繋がって流れているとすれば、区切りがありません。
この考え方によれば、前世とか今世という短いスパンでは、カルマの精算はできないことになります。
ではどこのレベルでカルマが精算できるかと言うと、宇宙が終わった時だと思います。
私の行動が良かったのか、悪かったのかということは、宇宙が終わってみないと分かりません。
ですからカルマとは、宇宙の歴史の規模で存在していると思います。
ということは、今の私にカルマがあるとすれば、少なくても宇宙が誕生する150億年以上前のことになります。
つまり、カルマはあって無いようなものです」
(不思議の友No.11)

「……前世ともほとんど関係ないと思います。
そんな短いスパンで決まるものではありません。
あなたが前世で悪いことをしようが、それすら宇宙の誕生から決まっていたからだと思います。
しいてあげれば前の宇宙のカルマです」
(運命を変える未来からの情報)

壮大なスケールの話だが、マクロ的に見ると正しいと思う。
つまり、今の宇宙が出来る前の宇宙のカルマの結果として今の宇宙が存在する。
そして、「宇宙=人間」「人間=自他一体」であれば、個人のカルマも前の宇宙の「全体の業」の結果として存在する。
その中での原因と結果も最初から決まっており、結果は即原因となる。
従って、現在の宇宙のカルマが精算できるのは、この宇宙が終わった時だというのだ。
宇宙は周期的に破壊と再生を繰り返して進化しているが、まさにその時期が「全体の業=宇宙のカルマ」の精算期なのだ。
「だから個人のカルマなど関係ない」と森田氏は主張する。

究極的に、それは正しいと思う。
だが、カルマの法則は確かに働いており、宇宙のカルマを精算する為に、小宇宙である人間が短いスパンで、小さなカルマを少しずつ精算し、宇宙の方向性を更なる完成に向けて修正していると言えるのではないだろうか。
重要な事は、「自分のカルマ」だけに囚われてはいけないということだ。
つまり、「自分のカルマさえ解消すればそれで良し」という考え方は、明らかに利己主義から生まれた短絡的発想である。

サイババは言う。

「人は他人が不幸でいて、自分だけが幸福になることはできない。
人は人類という有機体の一部だから、自らの繁栄を分かち合い、他人を苦しみから救う努力をせよ。
それが人の務めである」
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カルマの概念の弊害とカルマを超える「宇宙の理」の真実

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注意しなければいけない事は、カルマの概念の弊害である。
例えば、自分の身内が通り魔に殺されたとする。
この場合、その時は怒りと悲しみで理性を失うかも知れないが、カルマの法則を理解していれば、犯人を許し、また死んだ身内を祝福することは出来るだろう。
ただ、すべての出来事を「カルマの法則」で片付けてはいけないということだ。
人が災害や事故で大怪我をした現場に自分だけが居合わせて、「これもカルマだから仕方ない」と言って見捨てるのは、明らかに非道である。
自分の子が心臓発作を起こして、「これもカルマだから……」と言って救急車を呼ばない親は、親も人間も失格だろう。
カルマの概念を盲信すると、あらゆる犯罪や不幸を肯定することになりかねない。

前項の最後に紹介したサイババの言葉を、もう一度読み直して頂きたい。
また、アリオンは「不合理な攻撃を受け、自らの可能性を守らねばならない状態に陥ったなら戦いなさい」と言っている。
バーチは、カルマの法則は「絶対法則」だと断言しているが、果たしてどうだろうか。
バーチは高級霊だが、霊界では自分の世界より上のことは知り得ない。
しかし3次元の人間は、様々な世界にアクセスできる為、バーチも知り得ない宇宙の真相を知ることが可能なのだ。
もしかすると、カルマの法則を超える法則があるのではないだろうか。

サイババは次のように語っている。

「人間の意志はカルマの法則を超える。
どのような状況にあってもそれに打ち勝って努力し、意思を完遂した者が成功するという法則は古今東西変わりがない」


マーフィーはこう述べている。

「無限の英知は、あなたの中にあります。
あなたは勝利し、困難に勝つ為に生まれてきたのです。
栄光から、更なる栄光へと歩んでいくのがあなたの使命です。
人間という栄光に満ちたものに終着点はありません」


これは何気ない言葉だが、意志がカルマを超えることを示唆しているように解釈できる。
カルマの法則を超える法則があるとすれば、「ニュートンの第三法則」は崩れることになる。
船井幸雄氏は、「決まり(法則)を変える人が出てきた」と言っている。
中国政府公認の超能力・孫さんは、煮豆や煎ったピーナッツから芽を出し、ゆで卵を生卵に戻し、茹でたエビを蘇生させ、更に、ガン患者を超能力で治したところ、過去に撮影したレントゲン写真からもガンが消えていた……という不思議な現象を起こしている。
まさに、因果関係が逆なのだ。
満州でUFOを造った神坂新太郎氏は、「銀河運動装置」というものを開発し、炎天下に干した金魚を生き返らせたり、溺死させたダンゴムシを生き返らせたり……孫さんの超能力と同じ「因果律の逆転現象」を起こしている。

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船井幸雄氏は様々な著書で、「天の理・地の理」という事を述べている。
最近は、「宇宙の理・地球の理」という言葉に変わっているが……。
どういう事かと言うと、次のようなものだ。

『ともかく、いま地球は大激変中です。
わかりやすくいいますと、これまでの「地球の理」が支配していた時代から、新しい時代の潮流「宇宙の理」の支配する時代へと大きく舵を切ろうとしているようです。
…「地球の理」と「宇宙の理」の特徴を対比すると、次のようになります。
(※前者が「地球の理」、後者が「宇宙の理」)

1.「複雑」「単純」
2.「不調和」「調和」
3.「競争・搾取」「協調・共生」
4.「秘密」「開けっ放し」
5.「束縛」「自由」
6.「不公平」「公平」
7.「分離」「融合」
8.「デジタル」「アナログ」
9.「ムダ・ムラ・ムリ」「効率」
10.「短所是正」「長所進展」

人間の文明がこれまで築いてきた社会システムや考え方のために、地球環境は今、大変な危機に直面しています。
それらの危機の原因を作ったのは、人間のエゴと嫉妬心が産み出した「地球の理」に他ならないと思えるのです。
「地球の理」とは、人類が作り上げた、地球でしか通用しない法則のことです。
しかし、地球という閉鎖系の星だけで通用していたこのルールは、もうすぐ通用しなくなりそうなのです。
これと対極に位置するのが「宇宙の理」です。
これは「全宇宙で通用しているルール」で、開放系のルールと考えてよいと思います。
宇宙にはおおむね身勝手なエゴが存在せず、ほとんどのところでは見事に調和した一つのシステムと考え方によって、多くの存在が生成発展しているように思えます。
人類はいつの頃からか、自分たちが調和のとれた宇宙の一部であることを忘れ、エゴを肥大させはじめるようになりました。
そして、狭量な世界観に基づく閉鎖的な「地球の理」を作り上げたように思うのです。
そして、それを地球上で「正しい生き方」として通用させてきたようです。
地球は本来、宇宙の一部ですから、「地球の理」ができる前までは、地球上でも共生と融和を基礎とした「宇宙の理」に基づいてすべてが動いていたように思います。
地球人は、この嫉妬やエゴの感情によって、他の生命を顧みず、争いや戦い、憎み合いや殺し合いをするようになったと思うのです。
ともかく、エゴに突き動かされて進化・発展を遂げてきたのは、地球上の生命体の中でも人間だけのようです。
その結果が、現在の社会システムの崩壊、そしてさらには地球そのものの破壊という形になって表れてきたと仮定するのは無理でしょうか。
とはいえ、ここ10年の間に「地球の理」は急速に勢いをなくしつつあるように思われます。
いま幸せに生きている人たちは、ほとんどが「宇宙の理」に従って生きようとしている人たちだからです。
「地球の理」は、エゴに支配された閉鎖的で一時的な法則だと思われます。
一方、「宇宙の理」は開放的で共生と融和を基礎にした永遠の法則のようです。
なるべく早くこちらに変わるのが正しいと思われます』

(「世の中大激変 いま一番知ってほしい大切なこと)」

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「宇宙の理」と「地球の理」は、「アクエリアス」と「パイシス」、「オリオン」と「プレアデス」、「ルシファー」と「ヤハウェ」、「国常立尊」と「盤古大神」と換言することができるだろう。
さて、船井氏の別著『不変の原則(七賢出版)』には、次のように述べられている。

『地球人は創造主の分身で、知的意志がありますから、創造力を発揮して、「生成発展と秩序維持」という大原則を乱さない範囲内で、地球を一つのルールに従った星にして、進化していこうと決めたのだ……と私は思います』

これはまさに、『日月神示』で説かれている事と同じだ。
続けて、船井氏はこう語っている。

『どういうルールにしたかと言いますと、できるだけ「天の理」と対極のものを作りました。
勿論、「地の理」も「天の理」の中の一つなのですが、具体的に「地の理」では、「なるべく分けよう」と考えたようです。
プラスとマイナス、陰と陽、男と女というふうに分かれたのです。
それから、「なるべくレベルを作ろう」とも考えたようです。
人・動物・物質などという、色々なレベルを作りました。
また、「繰り返す」ことも決めたようです。
時代の推移のように、繰り返し進んでいくということになったのです。
更に「カルマ・因果の理」も作りました』


「カルマの法則は地(地球)の理」だと言うのだ。

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SONYの重役で、ニューサイエンス研究家の天外伺朗氏は、『未来を開く「あの世」の科学(祥伝社)』で次のように述べている。

――これは、サイエンティストの立場からではなく、直感的に言っているのですが、カルマの法則という説明は、正しいと私は感じています。
しかし、ニューサイエンスのアプローチで「あの世」を見ますと、もうちょっとその奥がわかってきます。
奥というのは何かというと、このカルマの法則というのは、「人間の集合的無意識」が決めた約束事ではないだろうか、ということです。
要するに、宇宙の構造がカルマの法則によって成り立っているというのではなくて、他ならぬ我々自身が決めたものなのだということが分かってくると思います。
例えば、いま我々は集合的無意識の話ではなくて、意識レベルでいろいろな約束をしています。
いまの社会は、人間の表層意識が決めたたくさんの約束事で成り立っている。
しかし、宇宙はそれよりちょっと深いところの深層意識、「集合的無意識」が決めた約束事で成り立っているところがたくさんある。
表層意識が決めた約束事でも簡単に逃れられないのですから、深層意識が決めた約束事はもっと大変です。
あたかも、宇宙の法則のように感じられたとしても不思議ではないでしょう。
我々は「集合的無意識」のレベルで決めた約束事の中にどっぷり浸かっています。
カルマの法則はその一つです。
しかし、このカルマの法則も、宇宙の構造、時間とか空間とかそういうものが全部たたみ込まれている「あの世」の構造というものを考えますと、宇宙の根源的な法則ではなさそうです。
これは、ある程度、「あの世」からの発想に慣れてこないと、お分かりいただけないと思います。
「あの世」には時間がありません。時間がないということは、原因と結果がないのです。
原因と結果が区別できない。
原因があって結果があるというのは、時間の経過があるからそういう区別ができるわけで、時間がたたみ込まれた「あの世」では、原因と結果が区別できるはずがありません。
つまり、因果律が一切成立しない。「あの世」には因果律がないのです。
「あの世」にカルマの法則があるわけはないのです。
カルマの法則は、「この世に」出てきた時にだけ成立する法則です。
ですから、それほど根源的なものではありません。
…前世と来世が、「あの世」では一切区別できない。
これはもの凄い想像を絶する世界です。
ですから、因果応報も前世のカルマも超越した一つの存在として定義されるのです。
そうすると、カルマの法則などというものは、どちらかというと意識のある「この世」の世界に出てくるときの約束事に過ぎないということになります――


天外氏のこのカルマ理論は、夢蛇鬼説と完全に一致している。
そして、カルマの法則と切っても切れない関係にあるのが「運命」「輪廻」「幽界」で、その謎も順次解き明かしていく。
極論言えば、カルマは本来ないものである。
その意味では、森田健氏の仮説も正しいといえば正しいことになる。
だが、カルマの法則がこの人間界に働いていることは事実で、その「カルマ解消法」と「カルマ超越法」をお伝えしたい。
その前に、「ブレイン・ダンプ」と「ダスト・シューティング」を徹底的にしておいた方が良い。
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人類進化を促進するカルマの法則

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バーチが説くカルマの概念を、『シルバー・バーチの霊訓』の抄訳書『古代霊は語る(近藤千雄)潮文社』から抽出して紹介しよう。

「因果律は必ずしも地上生活期間に成就されるとは限りません。
しかし、いつかは成就されます。必ず成就されます。
原因があれば結果があり、両者を切り離す事は出来ないのです。
しかし、いつ成就されるかという時間の問題になると、それは原因の性質如何に関わってきます。
すぐに結果の出るものもあれば地上生活中に出ないものもあります。
その作用には情状酌量といった情けはなく、機械的に作動します。
罪を犯すと、その罪がその人の霊に記憶され、それなりの結果を生み、それだけ苦しみます。
それが地上生活に出るか否かは私にも分かりません。
それは色んな事情が絡んだ複雑な機構の中で行われるのですが、因果律の根本の目的が永遠の生命である霊性の進化にある事だけは確かです」

「あなた方がスピリチュアリズムと呼んでいるものも神の法則の一部です。
神は宇宙を法則によって統一し、法則を通じてその意志を表現しているのです。
宇宙のどこを探しても、法則の支配しない場所などありません。
人間がこれまでに知り得た範囲に限りません。
それより遥かに大きい、人智の及ばない所までも、完全に神の法則が支配しております。
自然界の法則はいわば神の定めた法律です。
人間界の法律といわれるものには変化(改正)がつきものです。
不完全であり、全てを尽くす事ができないからですが、神の法律は全てを尽くし、至らざる所はありません。
偶然とか偶発というものは絶対にあり得ません。
全てが規制され、全てが計算されているのです。
あなた方は肉体を具えていますが、これは一種の機械です。
肉体という機械を操りながら自己を表現しているわけです。
かりに悩みを抱いたとしますと、それは水門を閉ざすのと同じで、生気の通るチャンネルを失う事になります。
つまりエネルギーの供給がカットされ、不健康の要因ができあがります。
あなたがその事に気付くまで、肉体は悩みと病気の悪循環を繰り返します。
また悩みは肉体の霊的大気ともいえるオーラにも悪影響を及ぼし、それが心霊的バイブレーションを乱します。
悩みを取り除かない限り、心霊的エネルギーは流れを阻害され病気の要因となります。
悩みや恐怖心を超越する、言い換えると自我のコントロールが出来るようになるには、長い年月と厳しい修養がいります。
それも実は神の無限の愛と叡知から出た法則なのです。
その悩みに費やされるエネルギーを建設的な思考に切り替えれば、決して病いは生じません。
神の法則は完璧です。
そして、あなた方はその中の無くてはならない存在なのです。
向上進化という至上目的の為に必要な勉強のチャンスは、日常生活の中にいくらでも見い出せるのです。
私が法則を変える訳にはいきません。
原因と結果の法則は絶対であり、私がその間に入ってどうこうする事は許されないのです。
ただ、そういう法則の存在を教え、そんな心構えでいては病気になりますよと警告してあげる事は出来ます」

「心に思う事、口に出す言葉、そして実際の行動、このいずれにも責任を取らされます。
あくまで自分が責任を負うのです」

「もちろん法則と調和した生活を送っておれば病気も不快も苦痛も生じないでしょう。
病気とか不快とか苦痛とかは自然法則との不調和の信号に他ならないからです。
法を犯してその代償を払うか、法を守って健康を維持するか、そのいずれかになる訳です。
人間の思想・言動において動機というものが大きなポイントになる事は確かですが、法則を犯した事自体はやはり代償を払わねばなりません。
動機さえ正しければ何をやっても構わないという訳にはいかないという事です」

「ひと口に法則といっても、肉体を支配する法則もあれば、精神を支配する法則もあり、霊的な法則もあり、それらが絡み合った法則もあります。
そうした法則を人間はもうダメだというギリギリの段階に至るまで気がつかないから厄介なのです。
なぜでしょう。
人間と宇宙の真実の相を知らないからに他なりません。
要するにこの世は全て物と金と考えているからです。
が、そうした苦しみの末に、いつかは真実に目覚め始める時がやってまいります。
自我の意識が芽生え、内在する神性が目覚め始めます。
これも実は神の因果律の働きの結果なのです。
つまり苦しみが大きければ大きいほど、それだけ目覚める知識も大きいという事です。
別の言い方をすれば、神は宇宙の一番優秀な会計係と考えればいいでしょう。
収支のバランスをきちんと合わせ、使途の配分に一銭の狂いもありません。
あなたは受け取るに値するだけを受け取り、多すぎもせず、少なすぎる事もありません。
その価値判断はあなたの霊的進化の過程を考慮した上で行われます。
地上でごまかしやお目こぼしがきくようですが、霊的な事に関する限りそれは絶対に有り得ません。
大自然の法則は完璧です。
その背後には神の無限の愛と叡知が働いております。
私たちがこしらえたのではありません。
私たちはただその働きを知っているだけです。
原因があれば結果があり、その結果が新しい原因となってまた次の結果を生んでいくという法則です。
その間に何者も介入する事を許されません。偶然もありません。幸運もありません。
ただ法則があるだけです。法則が撤廃されるという事も絶対にありません。
執行の猶予も保留も妨害もありません。
絶え間なく機能し、変化する事もなく、また人為的に変える事も出来ません。
法則の中から都合のいいものを選ぶ事も出来ません。絶対なのです。
神とはすなわち法の極致であり、法の粋であり、いかなる力、いかなる情実をもってしても動かす事は出来ません」

「大切なのは魂の進化です。
あなた方は物質的なものさしで幸不幸を判断して、魂の開眼という観点から見ようとしません。
生まれる身分が高かろうが低かろうが、魂が開眼してその内なる神性を発揮する機会は全ての人間に等しく与えられております。
その環境は物的なものさしで言えば不公平といえるかも知れませんが、肝心なのはその環境を通じて魂の因縁を解消していく事です。
つまり苦痛を通じて魂の神性を開発していく事が究極の目的なのです」

「ラクな暮らしをしている人が心の中も決してみじめでない、苦悩や苦痛など微塵もない、と判断するのは一体何の根拠があっての事ですか。
ニコニコしているからですか。きらびやかな暮らしをしているからですか。
豪華な衣服を着ていれば心も満たされるのでしょうか。
因果律は魂の進化の為にあるのです。物質的な幸せの為にあるのではありません。
そうでなかったら、この世に真の平等がない事になりましょう」

「私の観る限り、偉大なる霊魂は大抵、低い身分の家に生を受けています。
現に過去の歴史をご覧なさい。
偉大なる指導者はみな身分の低い家柄から出ているではありませんか。
環境が厳しいほど魂は力強くなるのです。
悟りは環境との戦いの中から生まれるのです。
外面からではなく内面から物事を観るようにして下さい」


ここで少しジョークで反論させてもらうが、イエスはダビデ王の子孫、シッダールタはシャカ族の王子、秦氏の聖徳太子は摂政となった……いずれも王家に生まれた偉大な指導者ばかりだ(笑)

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「あなた方が『なぜ神は』と不服を言う時、それは自然法則をありのままにお教えし、それに私自身の体験を交えてお話しているのです。
地震というのは地球の進化の過程における一種の浄化作用です」

「業というのは詰まるところは因果律の事です。
善因善果、悪因悪果というのも大自然の因果律の一部です。
その働きには何者といえども介入を許されません。
これは神の公正の証として神が用意した手段の一つです。
もしも介入が許されるとしたら、神の公正は根底から崩れます。
因果律というのは行為者にそれ相当の報酬を与えるという趣旨であり、多すぎる事もなく、少なすぎる事もないよう配慮されています」

「もし私の説く真理を聞く事によってラクな人生を送れるようになったとしたら、それは私が引き受けた使命に背いた事になります。
それに敢然と立ち向かい、それを克服し、そして一層力強い人間となって下さる事が私共の真の目的なのです。
霊的な宝は地上の宝のいかなる地上の宝にも優れます。
それは一旦身についたらお金を落とすような具合に失くしてしまう事は絶対にありません。
苦難から何かを学び取るように努める事です。
耐えきれない程の苦難を背負わされる事は絶対にありません。
何らかの荷を背負い、困難と取り組む事が、旅する魂の当然の姿なのです。
それはもちろんラクな事ではありません。
しかし魂の宝はそう易々と手に入るものではありません。
もしラクに手に入るものであれば、何も苦労する必要などありますまい。
痛みと苦しみの最中にある時はなかなかその得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとって一番の薬なのです」

「燦々と太陽の輝く穏やかな日和には人生の教訓は身に染みません。
魂が目を覚ましそれまで気付かなかった自分の可能性を知るのは時として暗雲たれこめる暗い日や、嵐の吹きまくる厳しい日でなければならないのです」

「地上の人生は所詮は一つの長い闘いであり、試練なのです。
魂に秘められた可能性を試される戦場に身を置いていると言ってもいいでしょう。
魂にはありとあらゆる種類の長所と弱点が秘められております。
即ち動物的進化の名残である下等な欲望や感情もあれば、あなたの個的存在の源である神的属性も秘められているのです。
そのどちらが勝つか、その闘いが人生です。
地上に生まれてくるのはその試練に身をさらす為なのです。
人間は完全なる神の分霊を受けて生まれてはいますが、それは魂の奥に潜在しているのであって、それを引き出して磨きをかける為には是非とも厳しい試練が必要なのです」

「悲しみは、魂に悟りを開かせる数ある体験の中でも特に深甚なる意味をもつのです。
悲しみはそれが魂の琴線に触れた時、一番よく眠れる魂の目を醒ませるものです。
魂は肉体の奥深くに埋もれている為に、それを目覚めさせる為には余程の強烈な体験を必要とします。
悲しみ、無念、病気、不幸等は地上の人間にとって教訓を学ぶ為の大切な手段なのです。
もしその教訓が簡単に学べるものであれば、それは大した価値のないことになります。
悲しみの極み、苦しみの極みにおいてのみ学べるものだからこそ、それを学べる準備の出来た霊にとって深甚なる価値があると言えるのです」

「困難にグチをこぼしてはいけません。困難こそ魂の肥やしなのです。
むろん困難の最中にある時はそれを有難いと思う訳にはいかないでしょう。辛いのですから。
しかし後でその時を振り返ってみた時、それがあなたの魂の目を開かせるこの上ない肥やしであった事を知って、神に感謝するに相違ありません」

「私共と同じくあなた方も法則の中で生きております。
そして病気は法則との調和が乱れた結果として起きるのです。
言ってみれば、霊として未熟である事の代償として支払わされるのです。
しかしその支払いには補償という法則もあります。
物事には得があれば損があり、損があれば必ず得があるのです。
物質的な観点からすれば得と思える事も、霊的な観点からすれば大きな損失である事があります。
全ては進化を促す為の神の配慮です。
教訓を学ぶ道は色々ありますが、最高の教訓は痛みと苦しみと困難の中でしか得られない事があります。
それが病気という形で表れる事もある訳です。
人生は光と陰の繰り返しです。片方だけの単調なものではありません。
喜びと悲しみ、健康と病気、晴天と嵐、調和と混乱、こうした対照的な体験の中で進歩が得られるのです。
その双方に神の意志が宿っているからです。
良い事だけに神が宿っていると思ってはいけません。
辛い事、悲しい事、苦しい事にも神が宿っている事を知って下さい」
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カルマの法則と罪と罰の真相

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カルマとは、サンスクリット語で「行為」という意味で、日本仏教では「業」と訳され、哲学では「人間の行為を支配する因果律」とされている。
ニュートンの第三法則「あらゆる作用はそれと等しい反作用を伴う」という物理法則がある。
既に述べた通り、意識の正体は物質(素粒子)であり、カルマは行為だけでなく「想念」も含まれることになる。
つまり「カルマの法則」とは、物理法則であるニュートンの「第三法則」なのだ。
前述の「自念障害」や呪いの「ブーメラン現象(返り念現象)」も、「カルマの法則」に基づいて起こっている。
「自業自得」という言葉があるが、これは本来は仏教用語で、「業」には「身業」「口業」「意業」の三業がある。

・身業とは・・・行為によって人を傷付けること
・口業とは・・・言葉で人を傷付けること
・意業とは・・・想念で人を傷付けること

例えば心の中で、怒りや憎しみの感情を持っただけでも業が生まれ、その業は自分自身で刈り取らなければならないというのが「カルマの法則」である。
イエスも、「人は蒔いた種子は必ず刈り取らなければならない」と言った。
エマーソンは、これを「償いの法則」という言葉で表現している。
勿論、カルマは悪い事だけに限らず、大きく分けて、善業(アカルマ)と悪業(ヴィカルマ)の2種類がある。
良い事を思ったり行なったりすると良い事が起き、悪い事を思ったり行なったりすると、それが現象となって現れるのだ。
一言で言えば、「原因と結果の法則(因果応報の法則)」である。
イエスが説いた「求めよ、さらば与えられん」も因果の法則であり、「与えよ、さらば与えられん」は善因善果ということになる。

また、いわゆる「罪と罰」という概念がある。
人間の行為は総て閻魔帳に付けられていて、悪い事をすると天罰が下り、また死後は地獄に堕ちるという概念である。
地獄というのも方便だが、閻魔帳とは「アカシック・レコード」のことであり、悪業の反作用によって起こる災いを「天罰」と表現する。
つまり、「罪と罰」とは、自然界の物理法則なのだ。
人間の似姿をした神様が人間の行動を監視し、悪事を働いた者に罰を当てるというのは喩え話であり、もしそのような神様がいたら、それは神ではなく悪霊だ。
もし、罰を当てる神がいるとすれば、カルマの法則によって、その神にもいずれ罰が返ってくることになる。
しかも、罰を当てることが神の仕事なら、神は四六時中、罰が当たり続けていることになる。
宇宙には様々な法則があるが、その法則を作ったのが神、また、その法則そのものを「神」と表現する。
カルマの法則、つまりニュートンの第三法則も、それ自体が「神」なのだ。
少なくとも、科学が説く神とは、そのようなものだ。

「罪を憎んでその人を憎まずとは悪のやり方、神のやり方はその罪をも憎まず」(日月神示)

キリスト教には「原罪」という概念がある。
アダムとイブが、神から食べる事を禁じられた「知恵の木の実」を、蛇(ルシファー)にそそのかされて食べた事が人類最初の罪だという。
「神のやり方はその罪さえ憎まず」という国常立尊だが、国常立尊は微塵の悪も許さぬ厳格な神政で世を治めていた為に、悪神の多数決によって隠退させられた。
国常立尊は霊主体従のエネルギーだが、この国常立尊こそアダムとイブに知恵の木の実を食べさせたルシファーである。
という事は、蛇(ルシファー=国常立尊)がアダムとイブに食べさせた知恵の木の実が意味することは、体主霊従の左脳思考ではなく、霊主体従の右脳思考を意味する。

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いいだろうか、知恵の木は「生命の樹」の象徴である。
「生命の樹」は、精神進化の象徴図形である。
従って、「生命の樹」の実を食べて善悪を知るようになったという事は、精神進化の宇宙法則を悟る右脳の覚醒を意味しているのだ。
同様のことは、スウェでボルグも述べている通りだ。
尚、アダムとイブにこの木の実を食べる事を禁じた神とは、精神進化の反作用である「偽のヤハウェ」である。
これが、「ヤハウェ」として、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教が崇拝している唯一神なのだ。

そして、『日月神示』では、体主霊従主義が「悪」と表現されている。
これを人間に当てはめると、「体主霊従=物質主義=左脳偏重=悪=罪」ということになる。
更に具体的に言えば、左脳から生まれる自我が悪因(罪)を作るということからも説明できる。
では、なぜ聖書では、霊主体従の開眼を象徴する「知恵の木の実」を食べた事を「原罪」というのか。
それは、世の中が鏡像化(体主霊従化)した時代以降に、善悪が逆転し、聖書が書き換えられたということだ。
『日月神示』が示す通り、国常立尊が隠退し、現在は、悪神である盤古大神(偽のヤハウェ)が地上を支配している時代なのだ。

但し、「悪」というのは「体主霊従」の別の表現であり、自然界に善悪はなく、人間の言うような悪ではない。
悪神・盤古大神は国常立尊の暗黒面に対して名付けられた名前であり、両者は同一神である。
磁石から、N極とS極を分離できないのと同じである。
ただ、この体主霊従主義(左脳偏重)が肉体人間に顕れると、強い自我が生まれ、そこから我々が言うところの「悪」が生まれるのだ。
私の勝手な解釈だが、「悪=亜の心」とは、霊主体従の絶対神であるルシファー(真実のヤハウェ=国常立尊)が、反作用として、次(亜)に生み出したマイナス面、即ち、体主霊従の(偽の)ヤハウェ(盤古大神)を表現した文字だと考えられる。
そして、「罪=四に非ず」は、即ち、「Y」「H」「V」「H」の四位一体「YHVH(ヤハウェ)」に非ずと解釈できる。
真実のヤハウェはルシファーなので、四(ヤハウェ)に非ずということは、偽のヤハウェ、即ち現在のクリスチャンが絶対神と信じて疑わないヤハウェ(盤古大神)を意味することになる。
つまり、「罪=偽のヤハウェ=盤古大神=体主霊従=悪」であり、直結すると「罪=悪」となる。

そしてもう1点、不可解な謎がある。
聖書によると、アダムとイブが作った原罪から人類の堕落が始まり、その人類の悪業(カルマ)を贖ったのがイエスだという。
だが、アダムからノアの時代までのカルマは、ノアの大洪水によって清算されたはずである。
従って、イエスが清算したカルマは、大洪水後の人類のカルマだといえるだろう。
ついでに言えば、アダムとイブに知恵の木の実を食べさせた蛇(ルシファー)は、イエス・キリストである。
勿論、これは象徴論なので、文字通りに解釈されては困るが、やはりアダムとイブが知恵の木の実を食べて「原罪」が生まれたというのは、おかしな話だろう。
また、世の中が鏡像(物質)を実相と認識するようになり、体主霊従主義となったのは、天照大神が岩戸に隠れてから以降の事である。

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即ち、処刑されたイエスが埋葬されてからの事である。
では、天照大神の岩戸隠れと同じ意味を持つ「国常立尊の隠退」も約2000年前の出来事なのかというと、それは違う。
虚数の世界(神霊界)の出来事が、実数の世界である写し世(現世=物質界)に顕現するまでにはタイムラグがある。
国常立尊の隠退が意味することは、マグマの沈静である。
地上を創造したマグマ(国常立尊=ルシファー)が、物質界を完成させる為に地下に潜り、地上の運営権を体主霊従主義の盤古大神にバトンタッチしたのだ。
人類、即ちアダムとイブが誕生したのは、それから随分と先の話である。

だが、地球は定期的に次元変動を起こしている。
ノアの大洪水の時にも国常立尊の活躍(一時的な復活)はあっただろうし、「出エジプト記」の時代には「彗星メノラー=現在の金星(国常立尊=ルシファー=イエス・キリストの象徴)」が地球に接近し、ポールシフトが起きている。
勿論、ポールシフトも国常立尊の働きである。
天変地異とは、国常立尊(鬼=素盞鳴尊)の活動であり、地球(国常立尊)自身のカルマの清算であり、神( 国常立尊=電磁波)の子である人間のカルマの清算でもある。
この「国常立尊=素盞鳴尊=ルシファー」の受肉がイエスであり、贖罪神・素盞鳴尊(イエス)が人類の罪を背負って十字架に架かったというのは、この事を言っているのだ。

カルマとは、原因が結果を生み、その結果がまた原因となって次の結果を生む。
イエスの処刑の型(原因)は、1999年にグランドクロスとなって地球を磔にした。
これは地球の死を意味するが、イエスが復活して昇天したのと同様、地球の次元上昇を意味する。
つまり、カルマの法則とは、人類進化の法則と考えることもできるのだ。
少し複雑だが、ご理解頂けただろうか……アダムとイブが原罪を生んだ訳ではないのだ。

その事は、グノーシス派でも説かれている。
中国思想に「性善説」と「性悪説」があるが、人間は「神=国常立尊=電磁波=光=イエス・キリスト」の分身であり、性善説が正しいと言えるだろう。
『日月神示』にも、「人民は喜びの子と申してあろう。罪の子ではないぞ」と示されている。
ちなみにイエスは、処刑の際に「神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか」と記した聖書があるが、本来は「天なる父よ、私はあなたの御許に帰ります」が正しい。

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ニューエイジ運動でもカルマについて説かれているが、元々ニューエイジは、オカルティズム(神秘主義)、スピリチュアリズム(心霊主義)、ニューソート、トランセンデンタリズム(超絶主義)、神智学など様々な思想の影響を受けている。
神秘主義と神智学の概要は以前述べたので割愛するが、スピリチュアリズムは現在日本でも一種のブームで、江原啓之氏などが有名で、氏もカルマを説いていることは皆さんご存知だろう。
トランセンデンタリズムは、先述のエマーソンを中心として起こった精神運動で、伝統的キリスト教に捉われることなく、ヒンドゥー教や仏教の思想を取り入れながら発展した。
ニューソートはキリスト教の一派だが、ポジティブ・シンキング(プラス思考)によって、潜在意識を通して働く宇宙に遍在する「無限の叡智(神)」の力により、癒しや願望の実現を説くもので、フロイトの心理学にも影響を与えている。
ジョセフ・マーフィーはキリスト教の牧師だが、一神教であるはずのキリスト教の牧師がなぜ神を「遍在」と説いているかというと、マーフィーはニューソート系のディヴァイン・サイエンス教会の牧師だったからだ。

ニューソートも非常に寛容な宗教で、マーフィーがエマーソンの言葉を多用していることは、ご存知の方も多いだろう。
言うまでもなく、マーフィーが説く潜在意識の法則は「カルマの法則」である。
また、ナポレオン・ヒルの成功哲学や、多くの自己啓発法も、ニューソートに属している。
大本から派生した「生長の家」、即ち、王仁三郎の弟子だった谷口雅春は、元々はクリスチャンだった。
そして生長の家の教義には、ニューソートの思想が色濃く入っている。
マーフィーの法則を日本で初めて翻訳したのが谷口雅春で、1956年に生長の家の出版社である日本教文社から『信念の魔術』が出版された。
従って、生長の家が説く「光明思想」はニューソートのことであり、生長の家は世界最大のニューソート団体とも呼ばれている。
生長の家の信者だった橋本健氏も、当然「カルマ」的なことを主体に説いており、『運命の法則』などの著書を発表している。

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いずれにしても、カルマを説かない宗教はないだろう。
冒頭で述べた通り、カルマの法則は、科学的に説明できる自然法則である。
現代科学は実数の世界(物質界)しか認知できない為、物質的なカルマの法則(ニュートンの第三法則)は認めても、それが虚数の世界(想念界)にも及んでいることは認められていない。
しかし、最先端の量子力学や超科学(宗教的科学)などのニューサイエンスと呼ばれる分野では、「カルマの法則」は当然の如く認められているといえよう。
医学会に於いても、東洋医学と西洋医学を融合した思想を持つ、前述の春山茂雄氏は『脳内革命』の中でニューソート思想を医学的に解説しており、「カルマ」という言葉こそ使わないが、その事を解説している。
『脳内革命』の出版によって、医学界からブーイングの嵐だったことはマスコミでも連日報道されていたので、記憶に残っている方も多いだろう。
カルマの法則の存在は、誰もが潜在的に感じているはずである。
それは、「進化の法則」ではないかという仮説を先ほど出した。

悪業によって災いが起きると、更にそれに対する怒りや悲しみといった悪業を生み、またそのカルマの刈り取り(災い)が起こる。
「不幸は続く」というが、まさに悪業の悪循環のことであり、この試練によって魂は切磋琢磨され、その経験を通して様々な学習をして「気付き」を得た時、人は霊的成長を遂げる。
「若木は嵐に育つ」という言葉もあるだろう。
一方、善業のカルマは「歓喜」となって返ってくる。

「歓喜は神であり、神は歓喜である」(日月神示)

「歓喜はあらゆる修行に勝る」(随喜功徳品)

神である歓喜と融合する事は、最大の霊的進化を促す事になるのだ。
即ち、善業も悪業もひっくるめて、カルマの法則は「進化の法則」と考えられるのだ。
それは、天変地異がカルマの決算であると同時に、次元上昇の活動力である事からも頷けるだろう。
カルマの法則が「進化の法則」であることは、シルバー・バーチが詳しく説いているので紹介しよう。
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 21:13| Comment(0) | カテゴリ未決定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする