2010年11月18日

イエス・キリストの預言者「日蓮」&「空海」と法華経と黙示録

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日蓮の思想を一言で言えば、法華経のエッセンスである題目「南無妙法蓮華経」を唱えるだけで救われるというもので、法華経の信仰に帰依する者だけが救済されるとし、日蓮は他宗を激しく攻撃した。
これはイエスがユダヤ教パリサイ派を非難したことに似ているが、果たして日蓮は、本当にそのような強引で独善的排他的な説法をしたのだろうか。

法華経には「常不軽(じょうふきょう)菩薩」という話が載っている。
自分の悪口を言う者や攻撃する者に対しても、常に手を合わせて拝む人の話で、これがカルマをつくらない生き方だとされている。

「最大の敵を褒め讃える」(提婆達多品・第十二)

イエスが「汝の敵を愛せよ」と説いたことと同じである。
日月神示にも「悪く言われるとメグリ取ってもらえるぞ。悪く言うとメグリつくるのぢゃ」とある。
メグリとはカルマのことである。
だが、イエスと日蓮は説法と行動が一致していない。
日蓮に至っては、同胞の争いには共生を説くが、他国の侵略には断固立ち向かって問答無用で全滅させ、災害や戦の予言的中をネタに信者を集めた。

オコツトはいう。

「単なる批判のための批判ならば、いかなる進化も持つことはないでしょう。
問題は他者に向かうことではなく、自分自身に向かうことです。
あなたは他者の状況を見てその存在証明を必要と感じていらっしゃるのですから、その問題の解決へ向けてあなた自身が行動を起こしていけばいいだけのことではありませんか。
他者への批判はあまり意味のないことのように思えます」


私は小学校3、4年の頃から法華経を研究していた。
日蓮ほどの人物が、何故このような言動を取ったのだろうか。
前述の通り、日蓮とイエスには共通点がある。
イエスは素戔嗚尊であり、王仁三郎も素戔嗚尊であった。
日蓮の言動は、出口ナオに対する王仁三郎の言動と一致する。
つまり、日蓮が意識していたか否かは知らないが、日蓮の言動はある種の「型示し」だったのだ。
日蓮は時の権力者から迫害や流罪など様々な法難に遭ったが、これは王仁三郎の言動が招いた大本の国家権力による数々の弾圧に酷似する。

つまり、日蓮も素戔嗚尊なのだ。
最も有名なのが「龍ノ口法難」で、日蓮が鎌倉幕府によって斬首される寸前、落雷で刀が折れて一命を取り止めたという逸話がある。
これも「型」としてはイエスの処刑であり、また、王仁三郎がエルサレムで銃殺される寸前に銃が故障して命拾いしたこととシンクロする。
その後、日蓮の弟子がその地に建立したのが龍口寺で、境内には日蓮が閉じ込められた石牢が遺されている。
これも、王仁三郎が投獄されたことに符合し、イエス(天照大神)が岩戸に隠れたことの再現でもある。

何もこじつけではない。
天照大神は太陽神であり、日蓮はその名が示す通り「日=太陽」を象徴する。
そして龍ノ口の落雷は、龍が火を吹いたことを意味する。
龍とは何か……「素戔嗚尊=国常立尊」、ヨハネの黙示録でいう「ルシファー」である。
何度も述べたが、雷はプラズマ(電磁波)で国常立尊の働きであり、落雷はルシファーの象徴である。
日蓮は国常立尊(素戔嗚尊=ルシファー)の守護を受けていたのだ。
カッバーラ的に言えば、日蓮は「イエス・キリスト(ルシファー)の預言者」だと言える。
もっと言えば「日蓮=イエス・キリスト」でもある。

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1271(文永八)年の大干魃の際、北条時宗は真言律宗の忍性に雨乞の祈祷を依頼した。
それに挑戦したのが日蓮で、「もし7日以内に雨が降れば、忍性の弟子になってやろう。降らなければ自分の弟子になれ」と申し出た。
結果、忍性が14日間祈祷したが雨は一滴も降らなかった。
代わって、日蓮が法華経を唱えると、3日3晩に渡って激しい雷雨が降ったが、これも王仁三郎の言霊実験と同じである(忍性が近くまで雨雲を呼んでいたのかも知れないが…笑)。

また、「法華経」の授学・無学人記品(第九)で、釈迦が弟子の阿難陀(アーナンダ)に、次のような予言をしている。

「汝は来世において、当に仏と作ることを得べし。
山海慧自在通王如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と号けん。
当に六十二億の諸仏を供養し、法蔵を護持し、然して後に阿耨多羅三貘三菩提を得べし。
二十千万億の恒河沙の諸の菩薩等を教化して、阿耨多羅三貘三菩提を成ぜめん。
国を常立勝幡と名付け、その土は清浄にして瑠璃を地と為し、劫を妙音遍満と名付け、その仏の寿命は無量千万億の阿僧祇劫ならん」


この抜粋は一部だが、授学・無学人記品では、十方世界になれば人間は仏となり、超長寿になることが示されている。
この「阿難陀」の名は、法華経の守護神である八大龍王のリーダー格「阿難陀龍王」と同じである。
そして「八」は素戔嗚尊の数字であり、八大龍王とは「八岐大蛇」、即ち龍神の総大将「国常立尊」のことなのだ。
その証拠は『長阿含経』巻・第二十一・第四分『世記経』で、難陀竜王と跋難陀竜王が須弥山を取り巻き、雲を生み出して雨を降らし、尾で大海を打って飛沫を須弥山の頂上にまで跳ね飛ばすという描写がある。

つまり、自然現象を司る龍神の総大将「国常立尊」なのだ。
この法華経を守護する八大龍王は、伊勢神宮の西南の金剛証寺の近くに祀られており、空海が経文を埋納した塚を施して、八大龍王を祀って伊勢神宮の守護を祈願したと言われており、伊勢神宮の守護神となっている。
阿難陀が仏となる国の名は「国名常立勝幡」だが、これは「国常立尊(日本列島)」に他ならない。
そして、伊勢神宮の主祭神は「天照大神」と「豊受大神」である。
天照大神はイエス・キリスト(太陽神)、豊受大神は豊穣の神(月神)であり、内宮と外宮は「日月」を表すと同時に、豊受大神は国常立尊でもある。

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以前、次のようなことを述べた。

「1ヶ月(陰暦29日半)の内、月が見えるのは28日間で、二十八品から成る法華経は、月のテレパシーを受けたものだ」

日蓮は太陽を象徴するが、月神信仰でもある。

その証拠は……。

「明かなる事日月にすぎんや。浄き事蓮華にまさるべきや。
法華経は日月と蓮華となり。故に妙法蓮華経と名く。
日蓮又日月と蓮華との如くなり」


日月の神といえば、天理教からの系譜である『日月神示』で、正確には「地球=国常立尊」を含む、日月地の三位一体である。
そして、蓮華は天国の象徴だが、蓮華は泥の中では全て連なっている。
これが意味することは、説明するまでもないだろう。

そして決定的なエピソードがある。
日蓮の星信仰(虚空蔵菩薩信仰)が天変地異に着目し、『立正安国論』の「日月失度 時節返逆」の思想となっている。
虚空蔵菩薩の化身は「明星天子」といわれ、日・月・星・雨・雷などの自然現象を司るとされる。
『法華経序品第一』には復有名月天子・普光天子・宝光天子の三光天子が登場し、明星天子は「普光天子」の名で会座に列なり、帝釈天に率いられて法華経の行者を守護する。

『法華文句』巻二下には、次のようにある。

「名月等の三光天子は是れ内臣、卿相の如し。
或いは云く、是れ三光天子のみと。
名月は是れ宝吉祥にして月天子大勢至の応作なり。
普香は是れ明星天子にして虚空蔵の応作なり。
宝光は是れ宝意にして日天子観世音の応作なり」


「明星」はルシファーの象徴である。
ルシファーは「国常立尊」であり、また「イエス・キリスト」である。
日蓮は、12歳の時に天台密教の清澄寺と縁を持ち、16歳で出家し、21歳で天台宗の総本山である比叡山の延暦寺に赴き、仏教研究に10年間を費やした。
清澄寺は、宝亀2年(771年)に不思議法師が虚空蔵菩薩を刻んで開創したとされている。
天台宗で虚空蔵菩薩は、『惟賢比丘記』に顕密内證義の文として「日吉三聖は三光天子の垂迹」と説き、天台教義で三光天子は山王信仰と結び付いている。

「生身の虚空蔵菩薩より大智恵を給はりし事ありき。
日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん。
明星の如くなる大宝珠を給ヒて右の袖にうけとり候し故に、一切経を見候しかば八宗並に一切経の勝劣粗(ほぼ)是を知りぬ」


日蓮は、清澄寺での修行期に「虚空蔵求聞持法(超記憶力)」を会得し、建長5年(1253年)4月28日に立教開宗したが、その虚空蔵菩薩への報恩の為に、立教開宗の地を清澄山にした。
空海も、虚空蔵菩薩真言を唱えていると明星が口の中に飛び込んできて、「虚空蔵求聞持法」を会得したことが『三教指帰』に記されている。
明星(金星)は虚空蔵菩薩の化身であり、日蓮同様、空海もルシファー(イエス・キリスト)の預言者となったのだ。
空海は、儒教や道教、景教(キリスト教)、ゾロアスター教、マニ教なども勉強したといわれる。
特に景教に傾倒したようで、真言宗の儀式に十字を切る手法や、洗礼に似た潅頂の儀式があり、景教の石碑と酷似したものが高野山奥の院に建っている。

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日本には、仏教が伝来する以前に景教が入っていた。
それは空海が崇める、日本仏教の祖であるイエスの12使徒の末裔「秦氏」の聖徳太子で、広隆寺の弥勒菩薩像の指の形もキリスト教の三位一体を表している。
原始キリスト教徒の末裔で、天照大神(イエス)を奉じる皇室の聖徳太子が、なぜ仏教を導入したのか。
イエスの使徒トマスが、インドに移り住んだイスラエル民族のもとに、イエスが説いたカッバーラの奥義を伝導し、釈迦が説いた原始仏教と融合して法華経となった。
禅の始祖とされる中国の達磨大師の正体が法華経の創始者で、イエスの使徒トマスだというと奇妙に聞こえるが、この線は濃厚である。

いずれにせよ、イエスの12使徒の末裔である聖徳太子は、法華経の中にイエスが説いたカッバーラの奥義が散りばめられていることに気が付いたとしか考えられない。
ナーナクがイスラム教とヒンドゥー教を融合したように……。
空海は中国留学の際、聖徳太子が伝えた法華経とキリスト教の間に、本質的な共通点を見出したのだろう。
渡部勇王氏によると、仏教の使命期間は世界的にも日本的にも既に終了しているそうだが、「ヨハネの黙示録」と「法華経」は共に今日の日本民族の覚醒の為に書かれたものだと断言している。
確かに両者の終末預言は、奇妙な一致を見せる。

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『見宝塔品(第十一)』では、多宝如来が乗っている「宝塔」という葉巻型UFOとしか思えない空中に浮かぶ乗り物が出現し、釈迦も同乗したことが記述されているが、この時に釈迦は地球内天体アルザル(シャンバラ)に訪れ、臨終の際に弟子にシャンバラを語った。
そして『従地涌出品(第十五)』では、末法の時代に大地震が起き、大地の底から無数の地湧菩薩が現れるという。
これは、イスラエル10支族がアルザルから地上に帰還することに符合する。
同時に、八大龍王(マグマのエネルギーである国常立尊)が、素戔嗚尊として地上に顕現することを意味することは間違いない。

そして『嘱累品(第二十二)』では、多宝如来の帰還が予言されているが、これは基本的に地湧菩薩の出現と同じだが、ここで現代版「ノアの箱舟」によって虚空会が起こる。
虚空会は黙示録でいう「空中携挙」であり、虚空の世界に救い上げられてイエス・キリストに会うのだ。
この事を『霊界物語』は、「黄金の鉤針で、選ばれたる正しき神人が天橋の上に引き揚げられて、国常立尊の神殿に入る」と予言している。
『大本神諭』や『日月神示』にも同様の記述があることは、既に述べた通りである。
そして地上は十方的世界のミロクの世となり、人類は変換人(ミロク神人種)となる。
当然のことだが、救われる条件に宗教や宗派は一切関係なく、信仰の有無も全く関係ないことを述べておく。

ちなみに飛鳥昭雄氏の新刊『言霊でしか解けない聖書 ヨハネの黙示録&ハルマゲドンの巻』は、黙示録をカッバーラで解読されたものだが、法華経をカッバーラで解いた時、最後の封印が解かれる(その真髄は『霊界物語』と数霊のバイブル『日月神示』で既に明かされているが……)
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ヴィーナスが導く神道と仏教のルシフェリアンと言霊の原理

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金星がルシファー(国常立尊=虚空蔵菩薩)であるなら、『大本神諭』を降ろした出口ナオや『日月神示』を降ろした岡本天明もまた、日蓮や空海と同じく金星に導かれた「ルシファー=イエス・キリスト」の預言者だったことになる。

その証拠は…………

『フォトンベルトと日月神示(岡田光興)徳間書店』の中で発見したので抜粋する。


――岡本天明が絵の雅号として「天明」を用いたのは、20代前半の神戸に再び帰ってきた時期であると言われいる。
この雅号は自分が故郷岡山玉島の明星たらんとして名付けたとも言われている。
しかし大本時代の岡本天明は、岡本霊祥と名乗っており岡本天明という名は、大本の文献には出てこない。
天明と公に名乗り始めたのは、昭和10年の第1次大本弾圧の後のことであったようだ。
大本に入り、岡本天明は「天明」という雅号の持つ重大な意味に気付くことになったと思われる。
なぜなら大本の聖典の一つである『霊界物語』には次のような記述があるからだ。

「宗教学者の主張せる 死神死仏を葬りて 最後の光は墓を蹴り 蘇らすは五六七(みろく)神 胎蔵されし天地の 根本改造の大光明 尽十方無碍光如来なり 菩提樹のもと聖者をば 起たしめたる暁の 天明閃く太白星」

また、第28巻総説歌にも次のような記述がある。

「三千年の人類や 禽獣虫魚に至る迄 救ひの舟を差し向けて 誠の道を教えゆく 神幽現の救世主 太白星の東天に きらめく如く現れぬ」

この「天明閃く太白星」の太白星とは、金星すなわち明星のことである。
出口ナオのお筆先にも「明けの明星」が登場し、また聖師出口王仁三郎も大正10年の大本第1次弾圧の日に、収容された京都の未決監獄で窓から異様に光輝く上弦の月と太白星を発見し、その後謎の預言書『霊界物語』の口述を始めた。
そして実は、この岡本天明が自らの雅号として選んだ「天明」という名にこそ、岡本天明の霊的使命に関する決定的な秘密が隠されていたのだ。
釈迦、キリスト、空海、日蓮など古今東西の宗教家、霊覚者の中で、この金星に誘われて自らの宗教的使命を自覚した者は数多い。
聖書のヨハネの黙示録の最終部分にも、
「私イエスは、使を遣わして、諸教会のために、これらのことをあなたがたに証した。
私は、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」(第22章16節)

この「明けの明星」は救世主の代名詞とされ、暗黒の世からの夜明けが近いことを暗示する希望の星であるとされている。
その意味で岡本天明の霊的人生も、人類の霊的進化の導きの星である金星と深く宿命づけられていたのではないか――


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言霊はイスラエル10支族及び2支族のイエスの使徒の末裔(秦氏)と共に、言霊幸う国(古代日本)にもたらされた。
聖徳太子は言霊学に精通し、原始キリスト教をルーツとする神道、そして儒教・仏教に造詣が深かった。
十七条憲法の第一条「和を以って尊しとなす」も、単に「仲良くする事は大切だ」という意味ではなく、言霊「ワ」の意味を熟知した上での言挙げだとされる。
太子は皇祖皇宗の布斗麻邇による人類史創造の内容を熟知しながら、日本古来の言霊学を秘蔵し、儒教と仏教を表立て、競争社会での人心の安寧を計った第一人者だという。
太子は帰化ユダヤ人のルーツを知った上で、秦河勝に弥勒菩薩半跏像を下賜し、ユダヤ人の根拠地として太秦に広隆寺を建立させた。

以前述べたが、太秦の語源はアラム語(イエスの時代のユダヤ人言語)の「イシュ・マシャ」(イエス・メシア=イエス・キリスト)であり、弥勒菩薩は再臨のイエスの象徴である。
広隆寺境内の伊佐良井(いさらい)は「イスラエルの井」で、現存は3つだが本来は12の井戸が存在した(イスラエル12支族を象徴)。
更に近所(元々は境内にあった)大酒神社は大辟(おおさけ)神社の転訛で、「ダビデ」の漢音名だという。
大酒神社の10月12日の牛祭は、ユダヤの万有意識を分析し、物質を探究するユダヤ民族3000年の責務を表わす七夕の織姫(天照大神)と牽牛(須佐男命)、言霊(ウ)の意味を表わし、それは五行でいう金星(ウ)と同意でもあるという。

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『弥勒菩薩下生経』によると、釈迦の甥である弥勒が仏教に反逆した罪で追放され、五十六億七千万年の修業の後、弥勒菩薩となって下生し衆生を救うとされ、物質世界の真相を究明し、その偉勲によって人類を救済する仏として予言されている。
それは、高天原で反乱を起こし、黄泉国に追放された素戔嗚尊が物質文明を完成させる事と対応し、皇祖の歴史経綸の説明とも一致する。
ここでいう「素戔嗚尊」は、霊主体従の国常立尊(素戔嗚尊)の裏の顔である、体主霊従の「盤古大神」、即ち西欧ユダヤ・キリスト教が唯一神と崇める「ヤハウェ」であり、その実体はイルミナティの神「ルシファー」である。
つまり天界から追放された堕天使ルシファーであり、「弥勒=牛=須佐男命=金星=ルシファー=イエス・キリスト」だが、その暗黒面である。

太子は、物質科学文明を創造する為の方便として、言霊布斗麻邇の原理による世界統治の業(古神道)を隠没させる為に神社神道を創設し、言霊の原理を隠してその象徴を形にし、儒教や仏教の儀式を採用した信仰形式としたのだ。
それは、古神道の言霊布斗麻邇の原理をこの世から抹殺することではなく、物質文明完成の暁には再び復活させられることになっている。
大本のお筆先では「知らしてはならず、知らさいでもならず、神は辛いぞよ」とある。

空海は天皇の前で真言密教の法話をし、天皇は空海に言った。

「汝の話は見事であり、何も言うことはない。
ただ一つ、日本には古来から真言密教の原本となる言霊布斗麻邇があるのを汝は知っているか」


空海は直ちに理解し、その後の真言密教は空海独自の色合いを深めた。

大師全集三十数巻の最後に、空海が伊勢神宮に参籠し、神前で奏上した。
「……民、空海謹み謹みも申す」

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「知らしてはならず、知らさいでもならず、神は辛いぞよ」と同じ気持ちで奮闘した人物が日蓮である。
日蓮が伊勢神宮に参籠し、荒木田某神主より言霊布斗麻邇を学び、日の出に向って題目を唱え、法華経全体が指月の指となる言霊布斗麻邇の大法を胸中に抱き、日蓮独自の法華経を広めたことを知る人は少ない。

日蓮が日本古来の言霊布斗麻邇をどう思っていたのか……弟子の三沢某に送った手紙がある。

「我に付きたりしものどもに、真の事を言はざりけると思いて、佐渡の国より弟子共に内な申す法門あり
此は仏より後、迦葉、阿難・竜樹・天親・天台・妙樂・伝教・義親等の大論師、大人師は知りて而もその心の中に秘めさせ給ひて、口より外に出し給わず、其の故は仏制して言ふ、我滅後末法に入らずば此大法言ふべからずとありし故なり。
日蓮は其使にはあらねども其時刻にあたる上、存外に此大法をさとりぬれば聖人の出でさせ給うまで、先づ序文にあらあら申すなり。
而るに此の大法出現せば、正法像法に論師人師の申せし法門は、皆日出でて後の光、巧匠の後に拙なきを知るなるべし。
此時には正像の寺堂の仏像僧寺の霊験は皆消え失せて、但此の大法のみ一閻浮堤に流布すべしと見えて候」


「日出でて後の光」とは、あってもなくてもよいものという意味で、「一閻浮堤」とは人類社会という意味である。
法華経の巻末『観音賢菩薩行法経』の普賢菩薩とは、普(あま)ねく賢(かしこ)い菩薩(果位の菩薩)という意味で、天皇(スメラミコト)を示す。
この経に登場する3つの宝(金剛杵・金輪・摩尼珠)は、神道(ユダヤ)の三種の神器である。
『行法経』には、言霊の運用について書かれている。

さて、古代イスラエル民族は世界中に離散し、選民としての使命を全うするべく活動した。
1つは、各地を放浪し、その土地の民族に溶け込んで競争社会を生み出し、物質文明の中核となることで、もう一つは、文明の利器がもたらす金力・権力・武力によって世界を再統合することにある。
イスラエル10支族とイエスの使徒レビ族(秦氏)は古代日本に渡来して大和朝廷を樹立し、皇室を確立した。
西欧に散らばった2支族(ユダヤ人)は、白人社会の権力支配層の中核となり、言霊の原理を物質方向に応用した錬金術等の技術に始まり、やがて近代的な物理学や天文学、人文科学等へと進歩していった。
経済や産業、学術的にも秀でたユダヤ人は常に生存競争の勝者であり、それを支えているのがカッバーラであり、日本にはヘブライ語の子音と数霊を以って、10支族と秦氏によってもたらされた。
それが「物質文明の完成」を目指す神(大自然)の経綸である通り、この騒乱の生存競争社会の中から、目を見張るような科学の功績により、物質文明が創造されてきた。

言霊の原理から見た「歴史の時間」とは何か……。
壮大な言霊学のほんの触りだけを紹介するが、小笠原孝次氏は次のように説明している。
人間は「ウオアエイ」で示される五つの性能を持ち、その中で言霊ウ(五感に基づく欲望)と言霊オ(経験知)から見る時間の中で人々は、現象が現象を生む輪廻の業の中に生きている。
そして言霊ア(感情)の視点から見て、初めて永遠の今を知り、時間の流れに流され生きているのではなく、永劫の今を生きていることを知り、物事のただ一つしかない真実の姿を見ることが出来る。
この「あ(阿)」を知る瞑想法が、真言密教の「阿字観」である。

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だが、その段階に達しても、万事好都合として処理できる悟りを得ることは出来ない。
生命進化の最終段階、言霊イ・エの観点に立って、初めて時間と空間の束縛から脱却し、永劫の今の中に存在する五十音言霊の法則を悟り、言霊原理による人類の歴史創造の担手(真のフリーメーソン)となることができるのだ。
物質文明創造の為、精神文明創造の原理である言霊布斗麻邇が歴史の表舞台から隠没されたが、人類文明創造の活動が無くなった訳ではない。
言霊原理を忘れた人類の、業が業を生む欲望と知的傲慢な行動による苦悩に満ちた「火宅の世」に導いたのが、放浪民族ユダヤ人の神ヤハウェ(偽の天照大神)、即ち国常立尊の暗黒面である盤古大神である。
この偽のヤハウェこそ、ユダヤ財閥・イルミナティーが崇めるルシファーなのだ。

正確にいえば、ルシファー(国常立尊=素戔嗚尊=イエス・キリスト)の暗黒面である「盤古大神」である。
それは、オコツトがいうプレアデスの流れとも言えるだろう。
そして、物質文明完成の暁には本物のヤハウェ(本物のルシファー=イエス・キリスト)、つまり国常立尊(素戔嗚尊)・天照大神の言霊原理が復活し、太古の精神文明(霊主体従)と現代物質文明(体主霊従)が融合し、ミロクの世(霊体一致)が完成することになるのである。
小笠原氏は、5つの言霊ウオアエイの性能は宇宙から発現しており、心の宇宙はウオアエイの5次元重畳構造を持つが故に、人間の心の本体は宇宙そのものだと述べている。

スウェデンボルグは次のように説明している。

「天的天使たちは、主に対する愛の善にいる為、知恵から話し、霊的天使たちは、真理を本質とするところの隣人愛の善にいる為、理知から話している。
天的天使の言葉にはウとオの母音が多いが、霊的天使の言葉にはエとイの音が多い…
善が含まれている語にはウとオが多く、また多少アもあるが、真理が含まれている語にはエとイが多い」


『日月神示』にも同様の説明がある。

「霊人の言葉は……二つのものに大別し得る。
歓喜の現れとしての愛に位置している霊人の言葉は、善的内容を多分に蔵している。
歓喜の流れに位置する霊人の言葉は、知的内容を多分に蔵している。
…前者は愛に住するが故に、主にOとUの音が多く発せられ、後者は智に住するが故に主としてEとIの音が多く発せられている。
そして、その何れもがA音によって統一要約する神密極まる表現をなし、またそれを感応し得る能力を持っている。
しかし、これらO・U・E・I、及びAの母音は想念の・を成すものであって、地上人よりすれば、言葉そのものとしては感応し得ないことを知らねばならないのである」
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2010年11月17日

シリウス空間と自我の消滅…アセンションを示すカゴメの歌

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オコツトは次のように示している。

「次元観察子ψ5とは、自己が形成されている空間領域のことです。
ψ5は位置の等化によって顕在化を起こし、人間の内面と外面を統合します」

「次元観察子ψ6とは、ψ5の裏側に見えてくる空間領域のことです。
ψ5とψ6は変換人の内面の対化に相当しています。
変換人の内面の対化とは、人間が自己と他者と呼んでいるものの関係と同じです」


これについて、半田氏はこう解説している。

――〈位置の等化〉によって自己と他者という概念は大きく変化してくる。
それは、自己や他者の意識が働いている場の関係を空間の構造として描像できるようになってくるからだ。
そのことによって、現代心理学で言われているように、自己と他者の関係がメビウス的なねじれを持って表裏一体の構成で作り出されていることが明確に感覚化されてくる。
意識進化の方向へ完全な反転が起こればもはや自己と他者の位置が入れ替わってしまい、それらの区別はなくなる――


私はまだ知識としてしか理解できていないが、人類はこれから徐々にこの事を感覚として分かってくるようになるようだ。
半田氏は、更に次のように説明している。

――自己と他者を形作るψ1〜ψ4までの関係性は、互いに人間の内面と外面が逆転されて構成されるということが見えてくる。
つまり、自己にとっては人間の外面となっているということなのだ。
自己の意識の位置と他者の意識の位置は、互いに表裏一体の関係で接合し合っていることがはっきりと分かるだろう。
自己が他者を人間型ゲシュタルトの中で捕らえている限りは決して一体化できない…
私たちが他者を認識している意識状態と、対象の向こう側に空間の奥行きを作り出している意識状態とが、実は全く同一の意味合いを持つ…
空間に奥行きを持たせているこの意識こそ、オコツトが人間型ゲシュタルトと呼ぶ力なのである――

――空間に対する3次元的な奥行き感覚が強くなってきたのは近代に入ってからである。
ルネッサンス後期に入ると、ダ・ヴィンチが絵画の技法として遠近法を確立させ、デカルトが3次元座標の概念を導入し、多くの人々が空間の奥行きを強く意識し始めた。
近代以前の人間たちは時間を遡れば遡るほどこの空間を2次元の面的世界のように見ていたのではないだろうか。
それは、古代エジプトの壁画に描かれた人物描写などからも多少は推測される。
一般には3次元空間認識の獲得は人類の知的進歩だと言われているが、このように人間の内面と外面というような空間概念が生じてくると、一概にそうと言えなくなってくるわけだ。
もし古代人たちにとって空間が2次元的な平板の世界に見えていたとするならば、それは、むしろ彼らの方が意識の次元が高かったためだと考えるべきなのかも知れない。
彼らは、精神と乖離した物質の姿を現代人ほど強く感じておらず、また、他者との区別化もさほど強く感覚化していなかったに違いない。
世界に奥行きを与えてしまう人間の内面の意識が物質概念を増長させ、他者をことさら意識するようになり、エゴの肥大化を招いてしまうのだろう。
私は、このことに気が付いた時、現在の人間の社会が生み出した諸問題の全ての元凶が人間型ゲシュタルトにある、と断言したオコツトの真意をやっと明確に理解できたような気がした――


自他一体は即ち「自我の消滅」であり、オコツトは人間の意識進化を「自我の消滅」だという。

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「人間型ゲシュタルトが自我を生み出しており、人間の意識の方向性の反転によって、自我は働きを失うでしょう」

この経緯について、オコツトは詳しく説明している。

「位置の変換とは、位置の等化(次元観察子ψ5)と位置の中和(ψ6)を行った後に生まれるシリウスの調整作用です。
空間の曲率が完全に主体の質点側に反転してしまうことを意味しています。
たとえば一つの対象を複数の人間が取り巻いている状態を想像されるとよいでしょう。
現在のあなたがたの意識では対象が一つで、それを見ている主体が多数いるとしか見えないはずです。
しかし、位置の変換が起こり始めると進化の方向性が顕在化するために、それらの関係性が反転した空間も見えてきます。
つまり対象が一つならば、主体も一つのものとして感覚化されなければいけないと感じてくるのです。
この感覚によって人間の内面性に見出されていた個我の位置、つまり身体の位置はほとんど意味を失い、自我は自然消滅していきます」


ψ5とψ6が等化して反転した空間(ψ7)の認識が生まれてくると、自己と他者の区別がなくなり、自我が消滅するというのだ。
半田氏はこう解説する。

――その空間こそ、自他一体の意識が存在しているシリウス空間なのだ。
そこでは、私たちが普段使っている自己や他者といった概念は、本当の自己を構成している諸部分にしか見えないだろう。
ψ5とψ6の関係は、変換人にとってはもはや人間にとってのミクロとマクロのような関係でしかないのだ。
ψ1とψ2で無限大と無限小を等化し、ψ3とψ4で主体と客体を等化し、そしてψ5とψ6で自己を他者と等化する。
タカヒマラにおける次元上昇とは、まさに二元化したすべての関係性を一つのものへと統合していく意識作用を意味していた――


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ここでオコツトは、非常に重要なことを述べている。

「対象を指し示す言葉、つまり〈名〉とは、進化の方向に反転した対象そのものです」

短いが、非常に意味の深いこのメッセージについて、半田氏は完璧な解説をしている。

――空間認識が反転していくことによって露わになっていく虚の物体とも呼べるところの言葉…これはまさに、イエス・キリストの本質〈受肉するロゴス=言葉〉そのものの意味ではないのか。
言葉が人間の相互理解の妨げになっているという話をよく耳にするが、ひょっとして本当は言葉とは愛の力そのものなのかも知れない。
私たちは、それぞれの物質的対象に一つの中心点を持たせているように、反転した対象であるところの言葉にも共通の中心点を持たせなければならない。
そして、地上の万物が重力によって地球という母胎にすべて分かち難く引き付けられているように、反転した地球の名のもとにおいて、全ての言葉の受肉化を目指さなければならない。
その達成の暁には、人間型ゲシュタルトによって散在させられていたロゴスは大いなるロゴイ(ロゴスの複数形)としてその偉容をあらわにするだろう。
このロゴイは、おそらく私たちの存在の本性である永遠なる一者に捧げるための供物であり、この作業に従事することこそ、私たち人間に与えられた生の本質なのだ。
「初めに言葉ありき、言葉は神とともにありき。言葉の命は光であった」
まさにその通りではないか。
人間の内面であるψ1、ψ2の世界は実際には人間に決して見ることのできない暗闇の世界なのだ。
私たちに見えるものは、その全てが人間の外面に存在する物質であり、物質に言葉という生命を与えているのは紛れもなく物質から反射されてくる光なのだ。
物質は、光の力によって精神の種子として新しい進化の方向へと投げかけている。
物質に吸収される光に誘惑されることなく、そこから反射する光の方向へと自らの意識を向けること…言葉とは物質を種とし、光を養分とした新しい宇宙創造のための萌芽なのだ。
この芽が成長して球精神(ψ7)に辿り着く時、物質的世界の象徴であるマリアはイエス・キリストを分娩する。
その日は全ての聖なる死者たちの復活の日でもあり、自己と他者の魂が融合する宇宙的な祝祭の日となるだろう――


半田氏によると、「カゴメの歌」は意識進化を説いた歌だという。
「かごめ」は籠目、即ち「六芒星」で、「鳥」は古代より人間の霊性のシンボルとされており、「かごの中の鳥」は「六芒星的世界に閉じ込められた人間の霊性」を表す。
言わば「6」は人間を表す数字であり、霊性が肉体に閉じ込められていることを意味する。
「夜明けの晩」は、1日の円環的つなぎ目で、始まりは終わり、終わりは始まりという宇宙秩序の円環的な性質を表す。
「鶴」は昔から女性原理を表す象徴、「亀」は男性原理の象徴で、「すべる」は「統べる」。
つまり、「陰陽の統合」ということになる。
では、「後ろの正面」とは何か。
(現在深夜で真っ暗な部屋でこれを書いているので、チョット怖い…笑)

「神がアダムを造った時、前にも後ろにも顔があるように造ったという。
それからアダムを2つに断ち切り、それぞれにひとつの背中を造ってやった」

(R・サミュエル・バー・ナーマン)

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半田氏の解説をそのままお伝えする。

私たちが常に背中側に感じている暗闇の空間…そこには何と、真向かいにいる他者が見ている世界が存在しているのだ。
つまり、私たちの背後には、いわゆる3次元的な意味での後ろ側の空間など存在していないのである。
その意味からすれば、後ろの正面とは、他者が見ている私自身に他ならない。
自己と他者とは進化の方向へ反転した空間においては背中と背中がくっつき合った同一のアダムなのである。
そして、このことを発見することが「かごの中の鳥」を真の自由空間へ飛翔させるのだ。
次元観察子ψ7(精神球)以上の空間は、他者から見た世界を実は共有している。
オコツトが進化の方向性と言っていた意味がどういうことなのか、よく私にも分かりかけてきた。
つまり、意識自体は自己と他者を区別しない空間領域を厳然として持っているのだ。
そして、その領域に存在する意識は私たちの潜在意識下では確実に働いており、それが、言わば私たちが集合意識と呼んでいるものなのだろう。
この空間領域は、おそらく私たちの意識の中では倫理や良心、そして愛の源泉として機能しているに違いない。
オコツトがいう意識進化の方向性とは、他者をも自分自身と同一のものと見なす意識の方向性のことなのである。
私は探し求めていた強靭な愛の存在証明がこの精神球と呼ばれる反転した空間領域の中にあるのではないかと確信した。
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鬼の復活を予言した「ノストラダムス」とポールシフトの地球大変動

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以前、「ノストラダムス予言の裏の意味」について述べたが、補足説明すると、1999年7月、イエス・キリスト(天照大神)の死(岩戸閉め)を象徴する日食が起こり、それは出雲族の封印、即ち天界から地に落とされた「恐怖の大王=赤い龍=ルシファー=八岐大蛇=素戔嗚尊」を意味する。
そしてイエスの十字架は、死と同時に復活を意味し、それを象徴するかのようにグランドクロスが起きた。
そのイエスの復活が、「アンゴルモアの大王の復活」という言葉で表現されている。
それは天照大神の岩戸開きであり、素戔嗚尊率いる出雲族の復活を意味する。
そして、「赤」と「軍神」を意味する「マルス」が平和の名のもとに支配に乗り出す。
つまり、赤い鬼である「素戔嗚尊」と、表裏一体で軍神の性格を持つ赤い龍「国常立尊」のエネルギーが、封印から解かれて地上現界及び地上神界に復権する。

そして、イエス・キリスト及びエイリアン(アルザルのイスラエル10支族)が、高度な科学技術と精神文化を持って地上の統治に乗り出し、アマテラス国家である日本と天皇陛下が、実質的に世界統一を実現することになるだろう。
だがその前後、軍神である国常立尊(荒ぶる神スサノオ)の復活と共に、地球規模の大破壊がやってくる。
その先駆けが「阪神大震災」、「オウム事件」、「酒鬼薔薇聖斗」の事件だったのだ。
余談だが、酒鬼薔薇氏は私の友人の従兄弟だったらしい。

この予言には「666」のナンバーが隠されていることを以前解説したが、この世の破壊の総仕上げは、やはりポールシフトだろう。
恐らく2012年、彗星「ケツァルコアトル」と惑星「ヤハウェ」の接近によって、それは起こる。
現在、地球の公転面に対する地軸の傾きは66.5度だが、彗星の接近によって1度傾いて66.6度になった時、一気にポールシフトが起こると予想される。

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『日月神示』から、ポールシフトと思われる一節を抜粋する。

「グレンと引っ繰り返る」

「地の軸動くぞ。冬の次に春とは限らん。夏に雪降る時もある」

「日本では御土が上がり、外国では御土が下がる」

「五大州ひっくり返って、七大州となる」

「海が陸になり、陸が海になる」

「人民三分の一になる時が来る」

「残る臣民三分難しいぞ。三分と思えども二分であるぞ」

「磁石も日本に向くようになる」


これがノストラダムスが本当に伝えたかったことだと思う。
そして、クリスチャンでありカッバーリストであるノストラダムスは、素戔嗚尊の正体を知っていたことだろう。

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アリオンは、こう言っている。

「解かれた封印から赤い色を頼りに、隔り世から鬼が来る」

「鬼の出入り口は艮の方角だが、本体は北に位置する。北はシャンバラである」

「よみがえるとは黄泉に行き、そして帰ることだ」


「隔り世」とは、この地上から隔離した世界「黄泉の国=シャンバラ」、即ち北極のプラズマトンネルに通じる「アルザル」だ。
聖書の「エレミア書」にも、失われた10支族の帰還が予言されている。

「私は北の地から彼らを連れ戻し、地の果てから集める。
大きな群となって、彼らはここに戻ってくる」

「北の地からイスラエルの家の子孫を連れだし、帰られた王は生きていると言われ、彼らは自分の地に住まう」


近い将来、「エイリアン」と呼ばれるイスラエル10支族が、アルザルから地上に戻ってくるのだ。
「帰られた王」とは、イスラエル10支族(出雲族)の族長イエス・キリスト(スサノオ)であり、「生きている」と明記されている。
だが、イエス・キリストは太陽に在り、ここでいう「帰られた王」とは、イエス再臨まで生存を約束された「ヨハネ」の可能性がある。
中国の易思想「洛書」の魔法陣に方位を重ねると、鬼門、即ち東北である「艮」に「八」が位置している。
素戔嗚尊が「八」であれば、艮の金神(国常立尊)も「八」なのだ。

地球の中心「アルザル」のプラズマこそ艮の金神(国常立尊)のエネルギーの本体であり、そのエネルギーの出入り口が日本列島なのだろう。
祟り神として恐れられる「艮の金神」の復活の胎動として地震、雷、ハリケーンなどが起き、最後の天変地異(彗星接近=ハルマゲドン)と共に、地上に神の国を顕現する為に鬼(アルザルのイスラエル10支族)が帰ってくるのだろう。

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アリオンによると、「百鬼夜行は表と裏があり双方共に進む」という。
百鬼夜行とは、「出雲族の復活」及び「アルザル人の帰還」である。
中国の陰陽図の「河図」では、北が「一」と「六」のペアになっており、一が表なら、六が裏ということになる。
アリオンによると「一はカミであり、スメラミコト(天皇)の数字でもある」という。
そして「六」はカッバーラで「地球」を表す数字であり、「八」が蓋をされて封印されている状態を表している。
この蓋を横にすると「ト」、即ち「戸」であり、これを開くことを「岩戸開き」というのだ。
封印が解かれて、「一」である神が甦る時、「一」の影である「六」も同時に動くことになる。
地球である「六」は国常立尊であり、素戔嗚尊でもあり、カッバーラ的には「地球=イエス・キリスト」でもある。

アリオンは「一六を八に帰せよ」という。
これを「一を八に帰せよ」と「六を八に帰せよ」の2つに分解すれば、「一であるスメラミコトの位を出雲族に返還せよ」と、「八である出雲族、素戔嗚尊、国常立尊の封印を解いて甦らせろ」という意味だと、アートライン・プロジェクトは解説している。
また、「十六弁菊家紋を出雲族に返還せよ」という意味にも受け取れる。
尚、「六」の蓋が取れると「八」となり、北は「一」と「八」になる。

そしてアリオンは、「十」は完成数であり、絶対神を表す数字だという。
確かに、大本でいう「タテ糸とヨコ糸を織りなして錦の旗(ミロクの世)が完成する」という思想に通じ、絶対神イエス・キリストの「十字架」をも象徴している。
以前、「一八十(岩戸)成る」のが「平成」だということを述べたが、岩戸が開いて「一(スメラミコト)」と「八(出雲族)」の復活によって、イエス・キリストが再臨し、ミロクの世が完成するという解釈もできる。

「八とは開くことぞ。今が八から九に入る時ぞ、
天も地も大岩戸開き、人民の岩戸開きに最も都合のよい時ぞ、
天地の波に乗ればよいのぢゃ、楽しんで大峠越せるぞ」

(日月神示)

アリオンによると「9」はニギハヤヒの数字であった。
単純に考えると、9にスメラミコトの「1」が加わると完成数「10」になるのだが、どうだろう。
また、「8」は「素戔嗚尊=イエス・キリスト」を表す数字だが、『日月神示』によると今のキリスト教は「7」だという(確かに、聖書では「7」を聖数としているが)。

「七重の花が八重に、八重が九重、十重に開くのであるぞ、七重はキリストぢゃ、八重は仏教ぢゃ、今の神道ぢゃ、今までの教えは潰れると申してあろうがな」

そして、今までの「一から八」までの教えに、「0九十(まこと)」が加わって完成するという。
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 11:58| Comment(2) | カテゴリ未決定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

物質文明の崩壊と「人間の役割」

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オコツトのメッセージは、それ自体が重要な意味を持つが、後の説明でより重要な事となるので、半田氏とオコツトの交信記録を引き続き引用させてもらう。

「太陽系が最終構成に入ったのは確か冥王星の海王星軌道への侵入の年…1979年でしたね」
「はい、そうです。
海王星とは一つの太陽系次元を動かしている最も深層にある力ですから、冥王星の海王星軌道への侵入とは、私たちがタカヒマラの外面に変換作用の関与を行い始めたということを意味します」

「では、それ以後の物質文明の発展はもう地球環境を破壊していくだけだとおっしゃるのですね」
「残念ながらそうならざるを得ないでしょう。
1989年以降、タカヒマラ自体はすべて方向性を反転させていきますから……」

「ということは、21世紀には科学技術が存在しなくなるというのですか」
「そうですね、現在あなたがたが使用しているようなテクノロジーはさほど重要な意味をもたなくなってしまうでしょう。
物質という概念は人間型ゲシュタルトが作り出しています。
このことがあなたがたの周囲に派生している様々な問題の元凶となっていることにそろそろ気づかなくてはなりません。
人間型ゲシュタルトは宇宙を部分に分け、個体という幻想を作り、精神進化を抑制しようとしています。
プレアデスの調整期であればそれは一向に構いませんが、先ほども申し上げた通り、すでに上次元は最終構成に入りつつあります」

「では、地球人が文明の進歩と信じて疑わない科学テクノロジーの発達やそれに伴う産業構造、社会形態の発展は、ますます人間の連帯感や協調性を失わせていくということになるのですか」
「残念ながら、本質的な部分ではそうなっていくしかありません。
それがプレアデス的統制型の社会が持つ宿命なのです。
現在の科学の進歩は、ますます人間個人というものの独立性を強調し、個体本位の社会を作り出していくことになるでしょう。
これは、科学を生み出した〈物質〉という概念と、身体と同一視された〈自己〉という概念、その両者が同じゲシュタルトの中で形成されているからです。
個別化があまりに極端になると、人間は外部注入的な形でしか全体性の秩序を保てなくなります。
これは、あなたがたが倫理や道徳と呼ぶものの問題が単なる法律の問題として置き換えられていくことを意味します。
プレアデス的統制型の社会は一見、自由で平等を分かち合う社会のようには見えますが、そこに真の自由や平等を築くことは不可能です。
これらは外部注入型による権力支配や管理、監視といったネガティブな側面を助長させざるを得ない力学を裏側には持っているのです。
それがプレアデス的統制型社会が持つ宿命なのです」
「しかし、ここで誤解のないように注意してください。
もう一度言っておきますか、プレアデス的統制が決して邪悪なものだと言っているのではありません。
この統制の力があるからこそ、タカヒマラは進化していくことができるのです。
プレアデス領域はタカヒマラ全体の射影の場のようなものなのですが、その閉じられた領域で自己を完結させようと見事なまでの統制を作り上げていこうとします。
これはいわば、シリウスからの関与を排除するために、スマルが作り出す防御シールドのようなものと言ってもよいでしょう。
しかし、その一方で、シリウスがプレアデスに関与を行うためには、このシールドの完成を待たなくてはならないという仕組みがあります。
結果的には、プレアデス的統制の世界を維持するための防御シールドである物質的な知識体系…それ自体がプレアデス的世界を変容させていく唯一の力となるのです。
あなたがたの科学は今まさにその時期を迎えようとしています」

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「それは具体的に言うと、科学自体が自らの成立基盤となる参照枠を否定するようになってきていることを指しているのですか。
たとえば、この場合の否定とは量子論に含まれる内部矛盾であったり、宇宙論が持つ内部矛盾であったりするわけですが……」
「ええ、あなたがたの物理学は20世紀に入ってプレアデス領域における極小と極大の壁を発見しました。
これは言い換えれば、プレアデス領域に投影されたタカヒマラの流動のすべてにあなたがた人間の意識が交差を起こしたことを意味します。
このことによって、シリウスの調整が開始されたということです。
すでに、物質的知識は別のものへと変わり始めています」

「つまり、人間の知性自体がある一つの成熟を迎えたということですね」
「人間という言い方もできますが、すべての事物を流動させているタカヒマラが一つの働きの周期を迎えたということです。
もう間もなく、プレアデス的統制であった科学的な宇宙体系は、すべてオリオン的統制である真実の宇宙体系に塗り替えられていくはずです。
その意味からすれば、人間が物質的な価値観の下に科学的体系を構築してきたことは必要なプロセスだったと考えるべきでしょう」

「しかし、そのオリオン的統制というものが今以上の知識を私たちにもたらすとしても、それを知ること自体がそこに全体主義的な何らかの権力を作り出しはしませんか。
その知が完全であればあるほど、それは剣のように振る舞い、価値を一元化してしまうのではないでしょうか。
それはとても危険なことのようにも思えますが」
「オリオン的統制が権威や権力を生み出すことは決してありません。
あなたは先ほど絶対的な価値の存在を知的に把握したいと言われましたが、その概念についても少し誤解されているようです。
絶対的な価値…、そうですね、それを真理と言い換えてもいいかも知れませんが、真理への到達とは認識の完全化として立ち上がります」

「認識の完全化?」
「そうです。
あなたがたが使用している言語に訳するとすれば、そのような言い方が最も的確でしょう。
認識の完全化とは、すべての二元対立を統合する力を持った認識プログラムのようなものです」

「しかし、認識の完全化を行うその目的は何なのですか」
「目的ですか…認識の完全化が起こればそのような疑問も存在しなくなるのではないですか。
だから認識の完全化という言い方をしているのですが……」

「それでは、あなたの言っていることは過去の神秘家たちが言ってきたことと大差ないではありませんか。
仏教徒のように全ての執着を捨て、世界の無常を悟り、仏性を覚醒することが人間存在の究極の目的だと言われたいのですか。
そういうのは勘弁して下さい。
禅の公案のようにパラドックスを弄ぶようなレトリックにはもうウンザリしているのです。
そのような論法は何かを語っているようで何も語っていない。
それならば、なぜ人間に煩悩などというものがあるのですか。
煩悩があるのは私たちが何かを生み出す能力を秘めているからだと私は思っています。
もし、私たちの存在世界が目指しているものが、それこそ正体不明の空や仏性だとするのならばそれはあまりにも虚しい。
もし、一切が空だと言うのならば、そもそも世界はなぜ存在するに至ったというのですか。
なぜ、空は空のままでいなかったのですか。
あなたがおっしゃっているけとには何か根本的なところで矛盾があるような気がしてなりません」
「やっと問題の核心に近づいてきたようですね。
仏性とは確かに人間が認識の完全化を起こすことを意味しますが、それは決して正体不明なものなどではありません。
実はこの力を生み出すことが新しい太陽系の創造と深く関係しているのです」

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「新しい太陽系の創造……?
つまり人間が仏性を獲得する時に次の太陽系が創造されるというのですか」
「そうです。
すでに何度かあなたにお伝えしてきたことですが、人間が認識の完全化を達成すれば、私たちが新しい次元と呼ぶところのもの…すなわち第8次太陽系が活動を開始します」

「ちょっと待って下さい。でも、それじゃあまりにも話が飛躍してしまう。
人間の意識の変容がどうやって太陽系に影響を与えるというのですか」
「いいえ、全く飛躍などしていません。
飛躍して聞こえるのは、あなたがプレアデス的統制の中でしか思考を行っていないからです。
あなたは宇宙創造という言葉を聞くと、すぐに物質的なイメージで宇宙を生み出すことを考えてしまっています。
しかし、あなたがたが物質・エネルギーと呼ぶものと、あなたがた自身の意識とは、ある巧妙な空間的構造の中で一体となって動かされているのです。
あなたは先ほど思考が何のために人間に与えられたのかと言っておられましたが、精神作用の中で思考に与えられた働きは、思考自体がこの構造を見つけ出すことに他なりません。
思考はこの構造に変化を与え、新しい構造へと組み換えていく力を持っているのです。
私があなたにプログラムしようとしているのは、このような新しい思考様式を生み出すための基本的な概念であり、認識の完全化とは、いわば認識しているものと認識されているものが完全な一致を見る方向性に思考様式を変更していくことを意味しているのです」

「つまり、思考によって悟りの境地に到達することができるということですね」
「そのようなものです。
思考こそ本源的な愛に辿り着く唯一の力だと言ってもよいでしょう。
思考によって認識を変え、認識を変えることによって今度は感覚を変える…、そして、感覚の変化はあなたがたの感情さえも凌駕し、人間の意識全体を全く別のものへと変容させていくのです。
意識進化とはそういうものです。人間の意識進化には力と方向が必要です。
しかし、進化のための力は残念ながらあなたがたが愛と呼ぶ情緒の中には存在していません。
情緒に動かされている愛とは意識進化の方向性のようなものです。
あなたがたが歴史の中で愛の重要性を何度となく唱えながらも、それが有効に機能してこなかったのは、意識が方向性だけでは進化を行うことができないからです。
そこにはその方向性へと進んでいく力が必要です。
進化のための力とは、実はあなたがたが思考と呼ぶ精神作用の中にあります。
愛を形あるものとして見出すこと、それが本当の宇宙的思考というものであり、人間に与えられた役割の本質なのです」

「しかし、過去の哲学者や思想家たちの作業がそういったものではなかったのですか」
「残念ながら、それらは人間の思考の域を出てはいません。
なぜなら、人間型ゲシュタルトの域を一歩も出ることができなかったからです。
私が今申し上げているのは人間の意識進化に必要な変換人の思考様式のことです。
この思考は人間型ゲシュタルトから解放された思考です。
あなたが常々考えられていたように、愛は決して焦点の定まらぬ安っぽい情緒的衝動ではないのです。
むしろ、明晰で、強靭で、否定し難い完全な幾何学を伴う論理であり意志であり、確固たる宇宙的理性によってその存在証明を持たせることができるものなのです」
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カタカムナ人が説く「時空と生命の本質」と「科学=宗教」の証明

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■時間と空間の相対性を示す歌

アマカムナ アマカムヒビキ
アマウマシ トキトコロウシ
モコロコロ トコロチマタシ
トキオカシ ソコソギトコタチ
メグルアマ


これは次のように解読されている。

「時間と場所は、アマから発生したマリ(アマ始元量の究極粒子)であり、アマが本来もっている微分性と粒子性を受け継いで、現象に現れているものである。
時間と場所は、相互に転換し、常にアマに重なり合う状態にある。
正進するとともに、反転するという循環を続け、膨張・収縮し、その逆性が同時に共存している。
トキとトコロのマリは、物質系・生命質系の最下限の粒子(モコロ)に変換する。
モコロは原子や細胞などの粒子に変遷していく前の微粒子で、電気(イカツミ)、磁気(マクミ)、力(チカラ)の位相が集積した状態のもので、電気・磁気・力などの現象に遷移する性質がある。
トキ・トコロのマリは、アマ始元量から出発し、アマ始元量と交流しつつ、様々な変遷を経て、やがでアマ始元量に還元するという循環を繰り返している」


アインシュタインは「相対性理論」で、時間と空間が相対的であることを明らかにしたが、カタカムナ人は超古代からそのことを熟知していたのだ。

■素量に関するサトリの歌

イカツチノ トマベイツツミ
マノウツリ イカツミマクミ
カラミツミ マジハリカハル
トモフルミ


これは次のように解読されている。

「電気を帯びた粒子(イカツチ)に常に伴う(トマベ)付属性の個々の素量(イツツミ)は、いずれも始元量アマの変遷したもの(マノウツリ)であり、電気素量、磁気素量、力素量である。
それらは互いに交換されて成り立つ振動性の素量(トモフルミ)である」


■ミツゴとモコロのサトリの歌

オキミツゴ イカツミマクミ
カラミマリ イキチツクシノ
モコロシマ オキヤマハシラ
ヒトヘヤヘ マワリテメグル
ヤシマコロ


これは次のように解読されている。

「生命質や物質になる基礎粒子の内部構造は、電気素量、磁気素量、力素量のミツゴが、モコロ(潜象の基礎粒子)の内部の六方八軸上に配列し、一重と八重の軸上を旋転しながら循環することによって、安定した粒子の形を保つのである」

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■生命質モコロのサトリの歌

アマヌウツリミ イツノオメ
イカツミマクミ カラミマリ
ヤヘオキミツゴ イキモコロ


これは次のように解読されている。

「アマ始元量から変化した現象に潜象している目に見えないミには、素量の個々の雌雄配偶(正反構造)のものが移し伝えられている。(ミ=アマ始元量の実質の意味)
それは、電気素量の配偶(イカツミの正と反)、磁気素量の配偶(マクミの正と反)、力素量の配偶(カラミの正と反)で成り立つ潜象のマリである。
それら三種のマリが一組になって(ミツゴ)、モコロ粒子の内部に六方八軸の立体的配列を構成し、旋転しつつ回転しているのを、生命質モコロという」


■物質の潜象構造を示す歌

アマカムナ アマカムヒビキ
サドツクシ アメノヒトツネ
アメフタヤ アメノサデヨリ
ワクムスビ イワツチイワス
オメタグヒ イカツカタワケ
サヌキアワ ホグシオシコロ
オホタマル ヤクサイカツチ
メグルマリ


これは次のように解読されている。

「自由に個々の性質に分かれている様々な物質は、いずれもアマの微分されたアメから生成されたものであり、極限的には正の物質と反の物質の2つの性質に分かれている。
その正反性の物質は、それぞれアマ始元量の密度差によって、性質の異なる粋を形成している。
その形成する粋は、例外なく雌雄配偶の形をもつ微細な粋の集積したものである。
すなわち、物質は大別して正と反の性質に分類されるが、電気的には陰性電気を帯びたサヌキと陽性電気を帯びたアワの微細構造で成り立っており、いずれも始元量アマから分化したものである。
そして、正反の電気性を荷う微細な素量の雌雄の対が消滅することによって、アマ始元量に還元するという循環系である」


■諸粒子にアマナの存在を示す歌

アマタマノ ヒダリミギリノ
サカウヅメ ソコソギツガヒ
メグルシマ ムスヒマトマリ
ウヅメクソ アカアオクミヌ
アマナヒメ


これは次のように解読されている。

「アマでできた宇宙球には、左向きと右向きの互いに逆向く二重の渦巻きが存在し、膨張性と収縮性とを調和した(ソコソギツガヒ)循環系の流れ(メグルシマ)になっている。
そして、そのマトマリが根元(ムスヒ)となって、渦巻きから排出される諸粒子(ウヅメクソ)を生み出すのである。
それらの諸粒子には、アカ・アオ、正反対称性となる要素を組み込んだアマナが秘められ潜在している」


これは、電子、陽子、中性子、それらで構成される原子にもアマの分身であるアマナが潜在しているということで、一言でいうと「万物に神が宿っている」ことを説明しているのだ。

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■生命に関する歌

アマカムヌ メグルホラミチ
カヨフミチ アマタマイノチ
ウマシミチ ウツリマトマリ
カハルツミ


これは次のように解読されている。

「アマ始元量の宇宙球がカムの無限世界から生成され、カムの無限世界へ回帰する。
無限の循環の洞道(ホラミチ)が宇宙球(アマタマ)を囲み、アマ―カムの通り道になっていて、その道が宇宙のイノチを生む道である。
そしてその宇宙のイノチがマトマリに受け継がれ、アマの変化した個々の実(ツミ)になっている」


■生命に関する歌A

アマカムヌ イノチウツシミ
カハリヌシ アマナカムナノ
フタハシラ イツツミイノチ
コロムスビ


これは次のように解読されている。

「アマとカムの循環によって生ずる宇宙のイノチを移し授けるヌシは、アマナ、カムナの2つの柱である。
このアマとカムのヌシが個々の素量の連帯(イノチ)によって、諸粒子(コロ)を現象させる根元となっている(ムスヒ)」


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■心に関する歌

アマカガミ ヤホアメヨロヅ
アマイノチ アトマリイノチ
ココロワケ アワセカサナル
マノココロ


これは次のように解読されている。

「アマを規範(カガミ)とする万物万象(ヤホヨロヅ)は、アマ始元量のイノチ(アマ―カムの連帯)によって現れたものであり、アマ(マ)が疎通し融合するマリ(マトマリ)のイノチの機能が配分されて賦与されている。
それがマリのココロ(心)であり、そのマリに与えられた機能(心)には、常にアマのイノチの機能配分、すなわちマのココロ(アマの心)が重ね合わせられている」


■心に関する歌A

ヤヘヒトカサネ モコロシマ
アマノサカマキ ヤヘネサク
クラオタケフツ ミツハノメ
クラミツハヤビ イキココロ
クラヤマツミノ ヤクササネ


これは次のように解読されている。

「物質系モコロの単軸と生命質系モコロの八軸とが重なり合ったモコロシマは、アマにおける逆向きの渦流によって、ミツゴの並ぶ八軸が分裂する。
そして軸から分離したミツゴは正反配偶の素量子集団となる。
自由に掛け合わされた接続子(ハヤビ)によって大量の螺旋体に転移する。
それが自己増殖能をもつ基礎生命質であり、心の元の相である。
したがって、心は物質系モコロと生命系モコロの多数の小塊が自由に積み重なり合ったものであり、万物万象のサネ(実)である」


つまり、心とは小さいマリ(アマから分けられた小粒子)で、思念を持った極微の物質の集合体ということになる。
神道では、人間の魂は神の分け御霊(魂)だというが、それは事実なのだ。
バクスターが、4年間に渡るウソ発見器での実験の結果、植物にも喜怒哀楽の感情があることを発表したことは有名だが、超科学研究家の橋本健氏も同様の実験で確認しており、名古屋商大の千島喜久雄医学博士も「動植物の単細胞には、原始的な心があるとしか考えられない行動を取ることがあり、どんな下等生命体にも超エネルギーが存在する」と述べているが、事実はそんなレベルではなかったのだ。

カタカムナ人は、鉱物や無機質は勿論、それを構成する原子、更にそれを構成する電子、中性子、陽子などの素粒子にも「アマナ」が存在するといっている。
カタカムナ人は、万物万象に「ミナカヌシ(天之御中主神)」が潜在しているともいっている。
つまり、万物万象に「アマナ」「ミナカヌシ」「ココロ」などのアマ始元量が潜在しており、総てに生命(心)があるということになる。
万物を統括するのが宇宙だが、それを神と呼び、八百万の神々の名称は、万物万象に潜在するエネルギーや粒子のことで、厳然たる意志を持っている。

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オコツトは次のように述べている。

「電磁波(光)とは、人間の意識が生み出されているところです」

「プレアデスは私たちの世界から見ると、ミクロ空間に存在しています。
宇宙精神にはこのミクロの世界に自らの全体構造を射影として投射する仕組みが存在しており、あなたがたが物質として見ている存在は、宇宙精神全体の影のようなものです」


オコツトと交信した半田氏は科学者であり、「素粒子の正体は、われわれの意識だった」と結論づけている。
お分かりだろうか。
カタカムナ人が説いているのは、宗教の本質(「宇宙=神」の本質)である。
これはまさに、最先端の科学が追求していることである。
科学とは、自然の法則を解明し、それを利用することにある。
古代宗教はそれを既に実現していた。
要は、本質的に「科学=宗教」なのだ。
それが、現代科学は物質偏重となって自然破壊を極限まで推し進め、現代宗教は霊的偏重となって迷信地獄に陥り、どちらも本質から脱線して片輪となっている。
これが統合されるのがミロクの世であり、超科学文明の幕開けとなる。
その時、重要且つ不可欠な役割を担うのが、シークレット・ガバメントなのだ。

話を戻すが、カタカムナ人はシュメールから古代日本列島に移住した民族であり、カタカムナ文明はシュメール(メソポタミア)文明を受け継いだものである。
一方、シュメール神話を色濃く継承したオリエント宗教を死守してきた、バアル信仰のユダヤ教徒イスラエル10支族が日本列島に渡来し、それらが融合して神道が形成された。
これを継承した女王様が卑弥呼であり、鬼道と呼ばれている宗教である。
後に、エルサレム教団が日本列島に渡来し、縄文人(カタカムナ人+イスラエル10支族)を東北地方に追いやって大和朝廷を樹立し、日本の古代史を封印した。
そして、イエスの説いたカッバーラの奥義を軸に日本神道を体系化し、天照大神(イエス・キリスト)を祖神とする天皇中心の神話が編纂されたといえるだろう。

ちなみに、ユダヤ教祭司レビ族の衣装と神道神官のそれは酷似している。
そして、秦氏の氏神を祀る太秦の広隆寺に「伊佐羅井」という井戸があるが、漢語でイスラエルという意味で、更にこの寺の境内にある大酒神社は、本来は『大辟』と書き、漢語でダビデ王を意味する。
また、皇室の三種の神器の1つ「八咫鏡」がモーゼの十戒石板であることは既に述べたが、その鏡の裏面には古代ヘブル語で、「エイエ・エシェル・エイエ」と書かれているという。
日本語にすると「我は有りて有る者」、つまり「ヤハウェ」である。

そのヤハウェは、2支族が信仰する「偽のヤハウェ」ではなく、本物のヤハウェ、即ち「バアル=ルシファー」である。
イエスが「私はある(ヤハウェ)」と言ったのも、「私はバアル(ルシファー)」であるという意味だ。
その証拠の1つとして、イエスが所属していたユダヤ教エッセネ派のルーツは、古代エジプトのセラピス教団である。
セラピス教団は神秘と数学を支配する聖牛セラピスを崇拝する神秘主義宗教結社で、ピラミッド建設に従事したことで知られているが、聖牛セラピスとは牛神バアルのことである。
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シルバー・バーチの正体は英雄「ヘラクレス」の霊か!?

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まず、シルバー・バーチがどのような存在か紹介しよう。
高級霊が人間に接触してくる事は滅多になく、霊界通信の殆どは低級なものだが、中には高級霊からの通信も存在する。
霊界通信には様々な形態があり、日月神示はオートマティック・ライティング(自動書記)、聖書は主に預言者が透視によって見たビジョン(幻視)が記されたもので、半田氏が書記した『シリウス・ファイル』は霊聴という形で通信を受けたものだ。
王仁三郎の『霊界物語』は、霊界からの通信を口述したもので「霊言」というが、『シルバー・バーチの霊訓』も霊言によって伝達された。

シルバー・バーチの霊訓は、3000年前のインディアンの霊を媒体として高級霊が語りかけてきたもので、それなりに高度な内容を伝えている。
低級霊からの通信の多くは「我、○○の神なり」と虚偽の自己PRをしてくるが、高級霊はそのようなことはない。
アリオンもそのような切り口で通信してきておらず、『日月神示』も同様である。
『聖書』や『日月神示』や『アリオン・メッセージ』は、何段階もの霊が媒介しているが、その発信源はガイア意識や宇宙意識である。
バーチは古代の人霊で、「シルバー・バーチ」とは仮名で、本名を明かしていない。

バーチはその理由を、こう語っている。

「私は匿名を用いるという重荷を自らに課した。
私が有名人であること、その肩書き・階級・名声によって人に訴える道を取らない為に、ただ私の言行を通じてのみ、人々から私を判断して貰う為に……」


経緯を少し紹介すると、1924年にイギリスで開かれていた降霊会に出席した18歳のバーバネル少年が霊媒能力を発揮し、78歳で他界するまで約半世紀に渡ってバーチの通信を霊言した。
1924年の3000年前は紀元前1076年、この時代の有名人に「ダビデ王」がいる。
牧師がバーチに「ダビデを知っているか」尋ねると、こう答えている。

「私はレッド・インディアンです。米国北西部の山脈で暮らしていました。あなた方のおっしゃる野蛮人です」

これは明らかに、媒介役のインディアンの回答であり、本当のバーチ(インディアンを媒介とした高級霊)の事ではない。
バーチの正体は謎だが、媒介役のインディアンと同じく、約3000年前の人物だったと仮定しよう。
すると、やはりバーチの正体はダビデだと思いたくなるが、スウェデンボルグによると「ダビデは悪霊のような存在となっていた」のでダビデではない。
3000年前の著名なインディアンというのも聞いた事がない。
当時、他の有名人といえば、エジプトのヘラクレスがいる。
このヘラクレスは、『ギリシャ神話』に登場するヘラクレスと密接に関係している。
『ギリシャ神話』は『古事記』同様、虚数の世界の出来事を当時の人間界の事象に重ねて表現した物語である。

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それでは、ザックリとストーリーを紹介しよう。

――ギリシャ神話のヘラクレスは最高神ゼウスの子で、名前の意味は「ヘラ(ゼウスの妻)の栄光」である。
そして英雄となったヘラクレスは、ライオンの頭と皮を身につけて戦うようになった。
ヘラクレスは、9つの頭を持った水蛇ヒュドラの首を切って退治した。
ヘラクレスはヘラに狂気を吹き込まれ、我が子を炎に投げ込んで殺し、正気に戻ったヘラクレスは罪を償う為に敢えて苦難の道を歩み、死後、神の座に上った――


ストーリーはどうあれ、世界の神話の骨子は同じである。
ヘラクレスの神話をカッバーラ的に解読すると、「最高神ゼウスの子ヘラクレス」は「絶対神ヤハウェの子イエス・キリスト」である。
ヘラクレスは栄光の英雄だが、イエスも栄光の英雄として再臨する。
また、日本神話の英雄は「スサノオ」である。

『ヘラクレス=イエス・キリスト=スサノオ』

ヘラクレスは、ライオンの頭と皮を身につけたライオン丸のようだが、ライオンはユダ族の象徴で、ユダ族からイエスが誕生した。
それより遥か昔、エノクがスフィンクスを建造したが、獅子の顔を持つスフィンクスは、イエス・キリストの象徴建造物である。
ライオンは百獣の王で、イエスはダビデ王の子孫でユダヤの王、ヘラクレスオオカブトもカブトムシの王様だ。
余談だが、ビックリマンのヘラクライストのモデルはヘラクレスだが、カブトムシの兜を被っている。

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イエスは「私はアルファであり、オメガである」と語ったが、イエス・キリスト(ヤハウェ)は宇宙の初めから終わりまで普遍的に存在するエネルギーである。
スフィンクスは元々2体存在していたが、神社の狛犬のルーツがスフィンクスで、阿と吽、即ちアルファとオメガであることを示している。
従って、仁王像もカッバーラ的に「イエス・キリスト」だが、仁王のルーツを辿ればヘラクレスに行き着く。
ヘラクレスはアレキサンダー大王の祖先とされ、ヘラクレスのシンボルであるライオンの頭巾を被ったアレキサンダー像がある。
また、2体の存在は双子の可能性を暗示する。
イエス双児説の真偽はともかく、イエスに弟がいたことは『竹内文書』にも記されている。
イエスが神の子であるのに対し、イエスの弟は人の子とされている。
イエスはヨセフとマリアの子ではなく、ユダヤ教の大祭司ガブリエルとマリアとの間の子で、ヤハウェの受肉として誕生した。
その後、ヨセフとマリアの間に子供ができた可能性は十分ある。
とすると、神の子イエスには、人の子の異父兄弟がいたことになり、辻褄が合う。

実は、ギリシャ神話のヘラクレスにも、父親の異なる弟がいた。
そして、ヘラクレスは絶対神ゼウスの子だが、弟は人の子だった。
また、ヘラクレスは9つの頭を持った水蛇ヒュドラを退治したが、スサノオが八岐大蛇を退治した話とほぼ一致する。
スサノオはイエス・キリストであり、贖罪神である。
そして、ヘラクレスは罪を償う為に苦難の道を進んだが、これもイエスの人生と一致する。
ヘラクレスは死後、神の座に上ったが、「神の座」とは何処を指すのか。
最高神ゼウスは、多くの女神や人間の女に子を生ませた。
その中に太陽神アポロがいるが、カエルの子はカエル、太陽神の親は太陽神である。

「神の実証は太陽である。太陽に神力を集中しておられるから……」(出口王仁三郎)

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Θマークは絶対神を表す記号だが、「日」をΘで示されている箇所もある。
占星術でも太陽の記号はΘで表されている。
つまり、最高神ゼウスは太陽神であり、ヘラクレスは死後、太陽に行ったのだ(あくまでも神話の中での象徴的比喩である)。
イエスも死後復活して昇天した。「天なる父よ、私はあなたの御許に帰ります」
天なる父=絶対神エロヒムは、ギリシャ神話の最高神ゼウスである。
肉体のまま昇天したイエスはどこに行ったのか。

月か火星か金星か……。
ヘラクレスはオリンポス山で生まれた。
オリンポス山とは、ギリシャ北部にあるギリシャ最大の高山である。
だが、これは神話であり、ギリシャのオリンポス山は後世に名付けられたものだろう。
ギリシャ神話では、ヘラクレスはオリンポス山で生まれた後、人間界に追いやられた。
つまり、神話に登場するオリンポス山は神界にあるのだ。

これは、ルシファーが天界から地に堕とされた話や、スサノオが高天原から地上に追放された話と酷似する。
ルシファー(イエス・キリスト)は「金星」で象徴される。
そして「ルシファー=イエス・キリスト=スサノオ」は「国常立尊」である。
国常立尊が金星から天下った事は、『霊界物語』にも記述されている。
という事は、オリンポス山は金星にあるのだろうか。

実は、NASAは火星の巨大火山に「オリンポス」というコードネームを付けている。
それは、太陽系最大の火山だという。
だが、木星に、オリンポスを超える超巨大火山の存在をNASAは突き止めている。
この超巨大火山には「クロノス」というコードネームが付けられているが、クロノスは、ゼウスの祖父である天空神「ウラノス」と大地の女神「ガイア」の間に生まれた神である。
ウラノスは天王星が発見された時に、その名前が使われた。
ガイアは地球である。
神話は天地創造の物語でもあり、神々の名前が天体の名称に使われているのだ。

クロノスは木星の超巨大火山だが、ギリシャ神話では、父ウラノスの王位を奪った後、子ゼウスに征服されて地底に征服された。
これまた「ルシファーの天界追放」と同じだ。
という事は、本当のオリンポス山、即ち太陽系最大の火山は火星ではなく、木星の「クロノス」であることを示唆している。
だが、ルシファー(国常立尊)が金星から地球に飛来したという話と矛盾する。
この真相については、占星術の見地から改めて説明する。

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さて、太陽系最大の火山はクロノスではなく、太陽に存在することが確認されている。
太陽の超弩級火山こそ、ギリシャ神話に登場するオリンポス山ではないのか。
勿論、火山から人間の似姿の神が生まれた訳ではない。
巨大火山から誕生するのは彗星、即ち惑星の誕生である。
また、太陽上空を飛翔する超弩級階段ピラミッドこそ伝説のエノク・シティであり、地上千年王国(ミロクの世)に降臨する「新都エルサレム」であり、聖書では「イエスの花嫁」と表現されている。

イエスは復活後、「天なる父=絶対神ヤハウェ=最高神ゼウス=太陽」に向かったのだ。
イエス・キリストは太陽神・天照大神である。
つまり、ギリシャ神話のヘラクレスは、イエス・キリストと同一神なのだ。
勿論、太陽神アポロもイエス・キリストである。
これは虚数の世界(神霊界)の物語であり、実数の世界(3次元)の出来事ではない。
だが、それがタイムラグを経て、神霊界の写し世である実数の世界(人間界)に移写したのが人間イエスである。
従って、神話として、太陽で生まれたヘラクレスは太陽に帰ったのだ。
それは、太陽神の受肉として地上に誕生したイエスが、太陽に帰ったことを意味する。

当然ながら、3000年前の英雄ヘラクレスは、虚数の世界のヘラクレスの受肉だったと考えて良い。
だとすると、ヘラクレスも「イエス・キリスト」だったのだ。
勿論、3000年前のヘラクレスと2000年前のイエスは同一人物ではない。
ヘラクレスという人物もまた、(真の)ヤハウェの受肉の象徴として人間界に生を受け、イエスの予型的な人物だったと考えられるのだ。
しかし、人間ヘラクレスが昇天したという記録はない。
神話のヘラクレスも、「死後、神の座に帰った」とある。
つまり、人間ヘラクレスは死後、高級霊界に行ったのだ。

ギリシャ神話のルーツはエジプト神話だが、ヘラクレスはエジプト人ではない。
ヘラクレスの出自は不明だが、ギリシャのオリンポス山で生まれたのだろうか。
バーチがイギリス人の霊媒を使ったという事は、古代イギリスと関係があるのかも知れない。
オックスフォード大学の研究チームによると、イギリス人のDNAに最も多く見られたのは、土着のケルト族の特徴だった。
更に、スペイン沿岸地域から渡来したイベリア人に近いDNAを持っている事が判明していいる。
伝説によると、スペインの都市セゴビアは、紀元前1076年にノアの曹孫ヘラクレスが建設したという。

確かな事は、セゴビアの先住民がケルト人だったことだ。
ヘラクレスの出生地と思われる古代ギリシャの先住民も、イベリア人である。
諸説あるが、ケルト人の定義はケルト語を話す人々で、イベリア人も含まれる。
また、ギリシャ神話のヘラクレスの原型の一部はギルガメッシュに見られる。
スサノオのルーツはヒッタイトにあり、「ギルガメッシュ=スサノオ」という私の説を以前述べた。
そして、ケルトとヒッタイトは鉄器で繋がる。
また、仁王は鬼神で「仁王=ヘラクレス=鬼神スサノオ」と繋がる。
あくまで私の推理だが、バーチの正体が3000年前のヘラクレスの霊の可能性があるという事だ。
その他、ストーンヘンジなど様々な角度から検証したいが、本題に入ろう。
posted by 夢蛇鬼-mujaki- at 10:44| Comment(2) | カテゴリ未決定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

高次元の空間認識とアセンションの関係

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『日月神示』には「八方的地上から十方的地上となる」「半霊半物質、4次元の高度の、影ないうれしうれしの世である」という言葉が出てきたが、それは段階的ステップに過ぎず、その後、5次元、6次元……へと更なる進化のビジョンが示されている。

「霊界と現界の両面をもつ所、この岩戸開きて二度とない九十(こと)で開く仕組み」

「此度の岩戸は立体に入る門ぞ」

「立体の道を早う悟りなされよ。正中の大道であるのであるぞ。
左でもなく右でもなく、うれしうれしの道あるぞ。
左も右も上も下も相対の結果の世界ぢゃ。原因の世界に入らねばならん。
平面より見れば相対あるなれど、立体に入り更に復立体、復々立体、立立体の世界を知らねばならんぞ」


「原因の世界」とはまさに、森田健氏のいう5次元のことである。
そして、「立体=4次元」→「復立体=5次元」→「復々立体=6次元」→「立立体=7次元」へと次元上昇していく様子が窺える。

「反対の世界と合流する時、平面でやろうとすれば濁るばかりぢゃ、合流するには、立体でやらねばならん、立体となれば反対が反対でなくなるぞ、立体から復立体に、復々立体に、立立体にと申してあろう。
漸次輪を大きく、広く、深く進めて行かねばならんぞ、それが岩戸開きぢゃ」

「一に一たす一の世界、一に一たす無限の世界、超現実、霊の世界、立体の世界、立立体の世界のあることを体得せねばならんぞ」


「反対の世界」とは、物質界に対する霊界を意味するのか、或いは……。
そして、高次元の存在を体得することが急務であるかのように示されている。

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半田広宣氏もこのように述べている。

「4次元空間は本来、復素数的な構造を持ったいるにもかかわらず、わたしたちは虚数部を視覚化することができないでいる。
虚数部にかかわる空間の概念を形作り、わたしたちが日頃慣れ親しんでいるこの空間を復素数的な場と見なせるような新しい空間概念を作り出せば、その構造は必ず素粒子の内部構造とリンクするシステムを形成しているはずだ。
そして、そのトポロジーの幾何学を見出すことさえできれば、高次元の力を流入させる共振回路が必ず作り出せる……。
そのためには意識の幾何学という新しい概念を提出する必要がある」


これは、タキオン発生装置を完成させるイメージとして述べられたものだが、この新しい空間概念「意識の幾何学」を認識することが重要だと、『日月神示』は告げているようだ。
なぜ重要なのか……その人類の意識が、次元上昇(新たな太陽系の創造)に関係しているからである。
だが、『日月神示』に具体的な記述は見当たらない。
この「意識の幾何学」を人類の頭脳にプログラムすることこそ、オコツトの役目だったのだ。
オコツトは、宗教や精神世界が説くような「心の問題」には殆ど触れていない。
そして、時空について次のように説明する。

「あなたがたが空間と読んでいるものは次元観察子ψ1、つまり精神球です。
オリオンの力がプレアデスの中に反転させられているということを意味します。
定質の凝縮化という言い方もできるでしょう」

「あなたがたが時間と読んでいるものは次元観察子ψ2、つまり感性球に相当するのではないかと思います」

「(感性球とは)性質が反性質の中に反転して現れている部分です。
反性質においては、定質(イザナギ)と性質(イザナミ)の関係が精神球と感性球に相当します」

「あなたがたが意識している空間と時間とは精神球と感性球の関係と同じです。
すなわち、定質と性質がタカヒマラの外面に進化を投げかけているということです」


4次元をイメージする為に、半田氏は1つの例を挙げているので、今、実際に試してみて頂きたい。
何でもいいので、身の周りにある立方体(3次元)の頂点(角)を自分に向けてみる。
そこに鉛筆を当てた方向に4次元が存在することになる。
鉛筆を当てた方向(4次元)には、立方体(3次元)の頂点をのぞき込んでいる自分が存在する。
お分かりだろうか。
つまり、この世界を3次元として認識できるのは、我々が4次元の世界に存在しているからであり、人間の本質は4次元から3次元をのぞき込んでいる意識生命体なのだ。

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では、5次元とはどのような世界か。
人間型ゲシュタルトから脱却した新たな空間認識とは、どのようなものなのか。
詳細は、半田氏の著書をお読み頂きたいが、ここでは概要をザッと見ていこう。

「オコツトが人間の外面と呼ぶ次元観察子ψ3(中心球)とψ4(表球)とが形作る5次元空間とは、観察者の質点が3次元の自由度と3方向の時点の自由度を持って動き回り、様々な対象を観察する時に生み出される空間の全体性を意味する。
つまり、対象から主体へと向かう空間が次元観察子ψ3、主体から対象へと向かう空間の方向性が次元観察子ψ4ということになろう。
ψ3とψ4の間に生まれている5次元世界とは、私たちが外界に対して様々な対象認識を形作っている空間だということが言えるだろう」

「5次元対称性とは、3次元空間の中で移動する私の位置の全てと、その移動によって認識される対象の質点の全てを結ぶ空間に存在する。
私たちが今まで宇宙と呼んでいた広大な空間など、どこかへ雲散霧消してしまうのだ。
全ての存在物は〈見ている私〉と、その〈私〉と鏡像のような関係にある〈見られている対象〉の間にしか存在しなくなる。
5次元の対称性が見えてくると、3次元的な空間感覚や時間感覚は全て消滅し、それに伴い自己という概念も大きく変容してくるのが分かる。
まず、私が最初に体験したのは運動感覚や移動感覚の消滅だった。
というのも、世界はどうみても〈私〉の位置と対象の位置に挟まれたサンドウィッチのようにしか見えていないので、自分の本性がここにも、そこにも、あそこにも、空間のあらゆる場所に存在しているような気がしてくるのだ。
つまり、本当は〈私〉はあらゆる所から、あらゆる対象物を眺めており、〈私〉が動くといった運動感覚は、このリアリティー・サンドウィッチに突き刺さった一本のスティックの中に意識が落ち込んだために起こるある種の錯覚のように感じてしまう。
それにもし〈私〉の位置が3次元に存在していないとするならば、そもそも〈私が動く〉という表現自体がナンセンスではないか」

「私は生まれてこのかた色々なものを見てきた。
この視覚的な記憶は私固有のものであり、決して他者と共有することはできない。
たとえ他者と同じ出来事を目撃したかのように思えても、脳裏に蘇るそれぞれの映像は、必ず見た角度が異なっている為に、決して同一のものとはなり得ていないはずだ。
ということは、見ている側だけではなく、見られている側、つまり対象物にも〈私〉というアイデンティティーが存在していなければおかしい。
そして、この視覚にまつわる記憶が〈私〉という存在と切り離して考えることができないものだとすれば、〈私〉を規定する要因となっているものは単に身体側としての〈私〉だけではなく、むしろ、対象の位置と〈私〉の位置を結んだ所にある知覚正面の空間の集合体に存在していると考えるべきではないのだろうか。
それらは〈私〉が見る様々な対象の質点と〈私〉の質点を結んだ所にできる空間の全集合に他ならない。
私はこの時にオコツトがいう位置の等化という意味がはっきりと分かった。
〈位置の等化〉とは、〈私〉の位置とそれに対する対象の位置を文字通り〈等しく化する〉ことであり、私が今まで内在世界に存在するものと思っていた記憶が、実はリアリティー・サンドウィッチの世界そのものだということに気づくことなのだ。
このような考え方で〈私=自己〉をイメージすれば、従来の主体と客体という二分化の概念など全く意味をなさなくなる。
つまり、5次元対称性が見えてきた意識にとっては、世界はまさに〈私〉の鏡像であり、それに対峙する〈私〉自身が宇宙そのものになってしまうということになる」

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「〈私〉とは、対象の位置とそれを見つめている身体との位置を結ぶ空間の中に存在する。
これは、まさに幽体離脱と言っていい感覚だった。
この感覚がもっと研ぎ澄まされてくると、従来は場所を表す概念として用いていた〈あそこ〉や〈向こう〉などという言葉が、過去や未来という時間を表す概念と同一のものとして感じられてくるから不思議だ。
つまり、私が回想する〈過去〉の時間的広がり、すなわち記憶とは、〈現在〉の空間的な広がりと同一のものとして感じられてしまうのだ。
私が過去の記憶を辿る時、私は〈今〉も〈あそこ〉にいるのであり、かつ、〈ここ〉は〈あそこ〉にとっても〈今〉なのだ。
過去とは決して過ぎ去った世界ではなく、今も厳然として同時平行的に存在している場所として考えなければならない。
そのような思考の在り方こそ5次元意識の産物なのだ。
少年時代に野球をした広場、初恋の相手と散歩したあの公園、オコツトから初めて交信があったあの夜の私の部屋…私は〈今〉も〈そこ〉に生きている…あらゆるところからあらゆるところを見ている意識、それが5次元意識というものなら、記憶こそがまさにそれに相応しい。
それらは全て、私が移動した質点の集合と認識した対象の質点の間に形成されている空間での出来事ではないか。
まさにこの広がりを持つ意識こそが、〈今、ここに、存在する〉私なのである」

「記憶自体の中には過去の出来事の時間的な序列など存在していない。
1週間前の出来事と10年前の出来事を比べて、どちらが遠い過去であるのか記憶のみで判断することは不可能だ。
それらは全て意識の中では重なり合って存在させられている。
記憶の前後関係の判断を行っているのは記憶そのものではなく、あと付けされてくるカレンダーや時計といった人間の内面の空間認識が形作るパラメーターである。
この記憶というビジョンの重なり合いに数直線的な時間的序列を与えているのは、おそらく外在と内在を分離して考える人間型ゲシュタルトの仕業なのだ。
オコツトの言うように時計で測る線型的な時間などは人間の外面には存在していない。
3次元認識しかできない人間型ゲシュタルトにとっては、自己というアイデンティティーの位置は必ずといっていいほど肉体の内部に感覚化されている。
普通、私たちのほとんどは自分が抱く感情、思考、記憶、意思などの心的要素を内在として感覚化しており、目の前に展開されている現象世界とは完全に区別してカテゴライズしているはずだ。
自己なる存在が肉体の内部に幽閉されたことによって、私たちは自我をますます肥大化させ、人間vs自然、自己vs他者という対立概念をより増長させてきた。
科学、宗教を問わず近代以降に起きた世界観の変遷は、すべからく精神の萎縮化であったと見なしてよいのかも知れない。
本来、万物に浸透していた人間の霊性は霊魂という言葉に置き換えられ、同じく肉体という器に宿るエネルギーというイメージで3次元的な描像にまで転落させられてしまったのだ」

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シーク教とオコツトが説く「真の創造と破壊」

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ヒンドゥー教とイスラム教を融合させた「シーク教」という宗教がある。
シーク教とは聞き慣れないが、顎髭を生やして頭にターバンを巻き、先が反った靴を履いて短剣を持つインド人のイメージは、このシーク教徒のスタイルである。
シーク教は人類平等の基に世俗的なカースト制度を否定し、偶像崇拝を戒め、宗教的儀式も行わない。
だが、偶像を崇拝する多神教のヒンドゥー教と、偶像崇拝を戒める一神教のイスラム教が、どうして融合し得たのか。
それは、シーク教の開祖ナーナクが、カッバーラを理解していたからである。

カッバーラの奥義は「生命の樹」であり、世界中の宗教の根幹である。
各宗教・各宗派はその枝葉であり、それぞれ向きが違ったり、色が若干異なる為に対立したりしているが、根幹は同じなのだ。
それを「万教同根」という。
ヒンドゥー教は究極の多神教だが、あらゆる神々はヴィシュヌの化身であり、総ての神々が絶対神ヴィシュヌに帰一する。
つまり、ナーナクは、ヒンドゥー教の本質が一神教であることを悟ったのだ。

イスラム教の絶対神アッラーは、アラビア語の「神」であり固有名詞ではない。
イスラム教の聖典は『旧約聖書+コーラン』だが、『新約聖書』も認められている(但し、イエスはキリストではなく預言者の1人として解釈)。
根本教典は『旧約聖書』なので、アッラーの正体は「ヤハウェ(私はある)」ということになり、やはり固有名詞ではない。
ヒンドゥー教は究極の多神教であると同時に究極の唯一絶対神教であり、ナーナクは、「ヤハウェ=アッラー=ヴィシュヌ」ということに気付いたのだ。

更に、聖書の唯一神は「御父」「御子」「聖霊」の三位一体であり、ヒンドゥー教の絶対神も「創造神ヴィシュヌ」「維持神ブラフマー」「破壊神シヴァ」の三位一体である。
それは、日本神話の三神構造とも本質的に同一である。
それ故、ナーナクはヒンドゥー教とイスラム教を融合させたのだ。
そして、シーク教の絶対神は「イク・オンカール・サト・ナーム」である。
それは「唯一神の名は真理である」という意味で、「真理=神」としている。
やはり、ナーナクも神を固有名詞で呼んでいない。

つまり、「ヤハウェ=アッラー=ヴィシュヌ=イク・オンカール・サト・ナーム」ということであり、呼び方はどうあれ、同一の至高存在「イエス・キリスト」を指しているのだ。
この「真理=ヤハウェ(私はある)」を悟った有名人が「釈迦」と「イエス」だが、少し突っ込んだ話をすると、「ヤハウェ=私は〈真理で〉ある」と悟ったのがナーナクなのだ。
勿論、イエスもそのことを理解しており、「私は真理である」と語っている。
また、イエスは「私は世の光である」とも言っている。
つまり、ヤハウェは「私は〈世の光(ルシファー=イエス・キリスト)で〉ある」という意味でもある。

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「光」は「言葉」であり「命」でもある。
それは生命の本質であり、宇宙を創造する言霊波動(微粒子の振動音)なのだ。
それが神の本質であり、その究極奥義が「宇宙=人間」で、ヤハウェとは「私は〈宇宙=人間で〉ある」ということになる。
神は宇宙そのものであり、この絶対3神は宇宙の構造を示すと同時に、宇宙の運行でもある。
従って、ヤハウェは「私は〈創造・維持・破壊で〉ある」と換言することもできる。
西欧物質科学主義・キリスト教文明は、「私は〈破壊で〉ある」ヤハウェを信仰しているのだ。
だがそれは、新たな創造にあたって不可欠なプロセスであることは説明するまでもないだろう。
つまり、創造・維持・破壊は、総て『創造』の一環であり、絶対3神は即絶対唯一神なのだ。
そして、神は即人間であり、この3つの役割を以て創造(建設)を担うのが、以前解説した「3つのフリーメーソン」なのである。

このことを踏まえた上で、以下のオコツトと半田氏の交信記録を見て頂きたい。

「そろそろ、あなたがたも真の創造と破壊について考える時期に来ているのではないですか」
「真の創造と破壊…ですか?」

「真の破壊とは、実はあなたがたが創造行為と思い込んでしまっているもの、つまり、事物の多様化や情報の無限増殖にあるのです。
あなたがたの科学は目の前に与えられた自然を分析し、それに伴い多種多様な言葉を作り出していきますが、その知的体系が膨らめば膨らむほど、人間にとって重要な精神原理が失われていっていることを知らねばなりません。
物質的知識の多大な習得にもかかわらず、それによってもたらされてくるものは精神的秩序の深刻な喪失なのです。
この喪失こそ宇宙的な意味での真の破壊と呼んでいいものです。
あなたがたは、文明の進化に加速度を与えてきたもの、すなわち、あなたがたに創造力や思考の多様な発現を与えているその源泉を神と呼んでいるのではありませんか。
目の前に与えられた自然に対し、その秘密を解き明かし、神の創造行為にその個的な意志を持って人為的に加担すること…おそらく、あなたがたはそれらの作業を人間に与えられた貴い創造行為だと信じ込んでいるはずです。
しかし、タカヒマラが最終構成に入れば、もはやこの存在は宇宙的秩序の破壊をもたらす偽りの神であり、オリオンとの連結を喪失させ、宇宙を死に至らしめるものとなるでしょう」
「私たちが創造行為と呼ぶものが破壊…では、私たちの文明が作り上げてきた知識体系や創造活動はすべて無意識なもので、ただ偽りの神に奉仕してきただけだったとおっしゃるのですか」

「いいえ、そうではありません。
なぜならば、あなたがたが歴史の中で立ち上げてきたあらゆる学問の究極の目的とは、この認識原理の転倒に気づくことにあるからです。
そして、物質的な知識の累計こそが人間にこの転倒原理を気づかせる唯一の方法なのです。
ですから、プレアデス的統制、すなわち物質的な知の体系が成長してきたと考えて下さい。
あなたがたの眼前に展開されている宇宙は真実の宇宙構造が完全に転倒させられた影のようなものです。
ですから、この写像から獲得されるあらゆる知識は宇宙的真理をある意味で全て含んでいます。
しかし、真理はあくまでも転倒された真理にすぎません。
現在あなたがたが作り出している社会システムは、この転倒した真理への信奉により生まれています。
タカヒマラから俯瞰すれば、物質的知識の獲得の目的は、そこで得られる知識それ自体にあるのではなく、それらの知識に根本的な刷新を与えること、つまり、物質的知が精神的な知へと変容するところになるのです」
「なるほど…つまり、知の変容というわけですね。
もちろん、僕もそれはうすうす感じてきたことです。
で、それは物質的な知識自体の中に、その知識、自らを変容させる力が内在しているということでしょうか」

「もちろんです。
真の破壊行為とは、あなたがたにとって眼前に展開されている世界の多様性を『一なるもの』に統合していくところにあります。
これこそが私たちが定質と呼ぶ力のことなのです」
「全てを『一なるもの』に持っていく力と、それに対して無限の多様性を生み出してくる力か……。
それが、あなたがたが定質と性質と呼ぶものの関係でもあるのですね」

「はい。オリオンの力とプレアデスの力の関係にあります」
「ということは、真の創造をもたらすものがオリオンで、真の破壊をもたらすものがプレアデスだということですか」

「いいえ、それは違います。
オリオンとプレアデスは、いわば宇宙の進化とその反映の関係にあるものです。
創造の原因を送り出すのがオリオンで、その創造を育むのがプレアデスです。
プレアデスは決して破壊を招く力を送り込んでいるわけではありません。
新しい創造原因を作り出すための種子、つまり人間を宿している母胎とも呼べる部分です。
タカヒマラに真の破壊をもたらすものとは、このオリオンとプレアデスの結合が逆転させられた時に出現します。
それが私たちがスマルと呼ぶもののことなのです。
スマルは人間の意識がプレアデス的領域を宇宙の本質と錯誤した時に生まれる、いわばオリオンの進化の力が完全に転倒させられたところにある力です」
「スマルがオリオンの転倒したもの…で、その転倒とは具体的に言うとどういうことを意味するのですか」

「人間の意識を人間の内面に偏映させ、止核化させる力を意味します」
「止核化と言うと……?」

「核質に閉じ込められてしまうということです」
「つまり、物質…人間型ゲシュタルト」

「そうです。
プレアデス自体は光によって意識進化の新しい方向性を投げかけているのですが、スマルが核質膜を作り出し、この反射作用に方向を持たないように感性球領域の中に人間の意識を封じ込めてしまっているのです。
そのためにプレアデスはその偏映を解くことができなくなっています」
「それは、人間の意識がミクロとマクロを等価なものとして見られないということを意味するのですか」

「はい、そういうことも含みます。反転する力が顕在化を起こしていないということです。
プレアデスが進化の方向性を見失うとスマルの力が増長し、タカヒマラは次なる進化を不連続にさせてしまうのです」
「なるほど、核質化した次元における不連続質とはそのような意味だったのですね」

「ええ、その通りです。
現在、多くの地球人の意識にプレアデスが進化の方向を失った状態が見られます。
あなたがたが客観的世界と呼んでいる空間ゾーンは、人間にタカヒマラの全体性を反映として見せているいわば反射の場なのですが、ここに人間の意識が完全に落ち込んでしまうと、プレアデスはオリオンへ逆方向から力を交差させるように働きだしてしまいます。
そうなると、プレアデス領域の有機体が破壊され、シリウスの意識調整システムとの連結が断たれてしまうのです。
最終構成に入る前であれば、この働きは人間という次元の内部における正常な成長として考えることもできます。
しかし、最終構成以後もそのような方向性を持つとすれば、それは虚無への力以外の何物でもありません」


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『霊界物語』や『日月神示』、そして『アーリオーン』が説く「善と悪」、或いは「西洋と東洋」の役割と関係、そして「善悪逆転の真理」と「進化の法則」が、具体的に理解できたと思う。
だが、奥には奥がある。
オコツトによれば、地球上のいかなる価値体系も、それが人間型ゲシュタルトによるものであれば、プレアデスの統制下にあるという。

半田氏は次のように述べている。

――私たちが歴史と呼んできたもの、弁証法的運動のもとに絶えず止揚されてきた出来事の進化、民族対立や階級闘争の歴史は、ある意味においては〈闇の中の闇〉と〈闇の中の光〉との闘争に過ぎなかったのかも知れない。
つまり、プレアデスがプレアデス自身の中で自己完結を果たしていくための葛藤に過ぎなかったということなのだろう。
「闇の光から離れよ」とはヘルメス文書にある勧告だが、その意味は、この世で光と見えるものさえ、宇宙的真理から見れば闇の一部に過ぎないことを意味している――


では引き続き、オコツトのメッセージを見てみよう。
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『古事記』と『日月神示』が明かすイザナギ・イザナミが生んだ神々の正体

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古代インドの『ヴェーダ』は、宇宙開闢の様子をこのように伝えている

「この世界はその昔、暗黒に包まれ、捉えどころがなく、物と物を差別する目標もなかった。
悟性によってその概念を得るということもできず、またそれを示現することもできず、全く眠りに沈んだような有り様だった。
この溶合の状態がその終末に近づいた時に、主、すなわちこの世界の創造者で、しかも我々の官能には捉え難い主は、5つの元素と他の原始物質とによってこの世界を知覚するようにした。
彼は至純な光で世を照らし闇を散らし、天然界の発展を始めさせた」

この意味については、もう説明は不要だろう。
話を戻すが、『古事記』において「五柱の神」が現れた後、次のように続く。

「次に成れる神の名は、國之常立神。次に豊雲野神。
この二柱の神も亦、独神と成り坐して、身を隠したまひき」


國之常立神と豊雲野神は夫婦神だが、別れて独神となり、身を隠したとされる。
これは『日月神示』が示している通り、悪神の台頭によって東北(鬼門)に押し込められた国常立尊と、南西(裏鬼門)に押し込められた豊雲野尊の隠退を表している。

『日月神示』には、次のように示されている。

「次、国常立命、次、豊雲野命と鳴り成りて、現れ出で給い、命澄みきり給ひき」

この続きは、古事記では次の通りとなっている。

「次に成れる神の名は、宇比地邇神、次に妹須比智邇神。
次に角杙神、次に妹活杙神。
次に意富斗能地神、妹大斗乃弁神。
次に於母陀流神、次に妹阿夜詞志古泥神。
次に伊邪那岐神、次に妹伊邪那美神。
上の件の國之常立神以下、伊邪那美神以前を併せて神代七代という」


『日月神示』でも同じことが示されている。

「三柱、五柱、七柱、別天津神、次、宇比地邇、次妹須比智邇、次、角杙、次、妹活杙、次、意富斗能地、次、妹大斗乃辨、次、於母陀流、次、妹阿夜詞志古泥、命と、現れ成り、いきいきて、いき給ひき。
次、伊邪那岐神、伊邪那美神、現れ出で坐しき」


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『古事記』によると、豊雲野神までの独神は各一代で、宇比地邇神から伊邪那岐までは夫婦二柱(妹=妻)で一代と数えると説明されている。
尚、宇比地邇と妹須比智邇は生命の土壌を整える神で、その土壌に芽生えた生命に形を与えるのが角杙と妹活杙、その形に男女の性別を与える神が意富斗能地神と妹大斗乃弁、そして国土を豊かにし、人間の姿を整え、繁栄と増殖を促すのが於母陀流と妹阿夜詞志古泥の神とされている。
そして、最後に登場するのが「伊邪那岐(イザナギ)」と「伊邪那美(イザナミ)」である。

くれぐれも述べておくが、これは人間界の話ではなく、神霊界での話である。
神霊界といっても、人間の似姿をした人格神ではなく、天地創造のエネルギーを神格化して表現した物語である。

『日月神示』では次のように続く。

「ここに天つ神、諸々の命もちて、伊邪那岐命と伊邪那美命に、これの漂える地、造り固め成せと、詔て、天の沼矛を賜ひて、言依さし賜ひき」

前項の冒頭で割愛したが、これも『古事記』の原文とほぼ同じで、次に続く。

「次に伊邪那美命、伊邪那美命に、天の沼陰を賜ひて、共に、漂へること地修理固成なせと言依さし賜ひき」

何故か「伊邪那美命」が2回連続で記されているが、イザナギの「沼矛」に対して、イザナミの「沼陰」という言葉が出てくる。
これは男女の部分の比喩的表現で、地上の修理固成を命じた別天津神(五柱の神)が、イザナギに「沼矛」を与えて、イザナミには「沼陰」を与えなかったということになる。
その事は『古事記』に示されているが、『日月神示』にも「国土をつくり固める為に、根本大神が何故にヌホコのみを与えたまひしか?」と示されている。

日月神示で「?」が出てくるのはこの部分だけで、天明はこの謎について、『古事記数霊序説』の中で次のように述べている。

「天神の総意によって、ナギ・ナミ二神に対して、タダヨヘルクニの修理固成を命じながら、なにゆえに固成の具としてヌホコのみをお与えになったのか。
なにゆえにヌホコと共にヌホトをお与えにならなかったのか。
言うまでもなく、ヌホコとは男性の具であり、ヌホトとは女性のそれでありますが、ここに、はかり知られざるほどの神策があったと思われます。
今日の世界大混乱の遠因はここにあり、したがって大転位的な岩戸開きが必然的に行われねばならないのであります。
これを数霊的に申すならば、奇数(男)的配列ないし奇数的用によって修理固成せんとするもので、結果は当然、未完成となるのであります。
ですから、局部的に見るならば、神策の真意が判らなくなるのであります」


中矢伸一氏の見解によると、これは男性原理のみで世を造ろうとしたことにより、いずれは行き詰まる世界が生じてしまったことを示唆し、これからは男性原理と女性原理とを融合させて、国造り、世造りをしていかなければならず、それが本来の国生みのあり方だとしている。
だがそれは、物質文明の完成の為に、一旦は行き詰まる世の中を造る必要があったからなのだ。

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では、イザナギ・イザナミが、オノコロ島を造った続きを『古事記』に見てみよう。

「其の島に天降り坐して、天の御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき。
是に其の妹伊邪那美命に問曰ひたまはく、『汝が身は如何に成れる』ととひたまへば、『吾が身は成り成りて成り合はざる所一所あり』と答へたまひき。
ここに伊邪那岐命詔りたまはく。
『我が身は、成り成りて成り余れる所に刺し塞ぎて、國土を生み成さむと以為ふ。生むこと如何に』
と詔りたまへば、伊邪那美命、『然善けむ』と答へたまひき」


これは明らかに男女の性交を比喩したもので、夫婦の契りを結んで国生みしたことが表現されている。

『日月神示』では次のようになっている。

「ここに伊邪那岐命、伊邪那美命は、沼矛、沼陰、組み組みて、国生みせなと詔りたまひき、伊邪那岐命、伊邪那美命、息合わしたまひて、アウ、あうと、詔らせたまひて、国、生みたまひき。
初め日月の国生みたまひき、Θ(ヒ)の国生みたまひき、月の国生みたまひき、次に地生みたまひき」


聖書の「創世記」では、3日目に地が造られ、4日目に太陽と月と星が造られたとされている。
これについては様々な解釈ができるが、次に進もう。
『古事記』には次のように記されている。

「ここに伊邪那岐命詔りたまひしく、『然らば吾と汝とこの天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまくはひ為む』とのりたまひき。
かく契りて、すなはち『汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はむ』とのりたまひ、契りおへて廻る時、伊邪那美命、先に『あなにやし、えをとこを』と言ひ、後に伊邪那岐命、『あなにやし、えをとめを』と言ひ、各言いおへし後、その妹に告げたまひきしく、『女人先に言へるは良からず』と告げたまひき」


『日月神示』では、この部分は簡略に示されている。

「おのころ国成り、この国におりましてあめとの御柱見立て給ひき。
ここに伊邪那岐命、伊邪那美命、島生み給ひき」


『古事記』が伝えていることを簡単にいうと、イザナギとイザナミが天の御柱を廻って婚姻の儀式を行なった。
そして、イザナミが先に「あぁ、何と良い男でしょう」と言い、イザナギが「何て良い女でしょう」と言ったが、イザナギは「女が先に言うのは良くない」と告げた。
陰陽原理でいえば、陽・男・左・霊・精神が主で、陰・女・右・体・物質が従となる。
従って、イザナミが先に言葉を発したことによって、物質主義の「体主霊従」の世の中になったのである。

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そして、最初にどうなったか、『古事記』に見てみよう。

「然れどもくみどに興して生める子は、水蛭子(ひるこ)。
この子は葦船に入れて流し去てき。
次に淡島を生みき。これも亦、子の例には入れざりき」


『日月神示』には次のように記されている。

「初めに水蛭子、淡島生み給ひき。この御子国のうちに隠れ給ひければ…」

「今度の岩戸開きには水蛭子生むでないぞ。淡島生みでないぞ」


水蛭子については諸説あり、飛鳥昭雄氏によれば、UMA河童(一般に異星人グレイと呼ばれている両生類)のことだというが、確かなことは不明だ。
そして、イザナギ・イザナミは再び天の御柱を廻り、今度はイザナギが先に言葉を発し、次にイザナミが言葉を発したところ、淡道の穂の狭別島(淡路島)が誕生した。
この国生み神話で最初に誕生した淡路島は、岩戸開きの合図だった阪神大震災の震源地であり、断層が東北(艮)線上に走ったことは、単なる偶然とは思えない。

話を戻すが、淡路島が造られた後、イザナギ・イザナミは、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州の計8島「大八島国=日本列島」を生み終えた。
「八尋殿」や「大八島国」で気付いた方もおられると思うが、素戔嗚尊を象徴する「八」が付いている。
神代七代の神々の誕生で見てきたように、国常立尊を筆頭として、最後にイザナギ・イザナミが生まれた。
だが、イザナギ・イザナミによって日本列島(国常立尊=素戔嗚尊=八)が造られた。
国常立尊は、泥海だった原始地球の修理固成を総指揮した神とされている。
これは既に述べた通り、電磁力を意味する。
国常立尊は、イザナギ・イザナミに、国常立尊がマグマとして鎮まる本体「日本列島」を形成するように命じたということだろう。
国生みを終えたイザナギ・イザナミは、続いて次々と神を生み出していった。
この神々誕生の順番は、『古事記』と『日月神示』では若干の食い違いが見られるが、ほぼ同じ内容となっている。

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ここで全てを紹介できないが、興味深いのが3番目に誕生する「石巣比売神」である。
『古事記』や『日本書紀』では「イハスヒメ」と呼び習わされているが、『日月神示』では「イシスヒメ』となっている。
学説では、石の神格化と考えられているが、古代エジプトのフリーメーソン(自由石工)が崇めた女神「イシス」ではないかという説もある。
イシスはオシリスの妻神であり、その息子がホルスである。
ピラミッド・アイに描かれる「ホルスの目」は、メーソンでは「ヤハウェの目」とされ、それは「イエス・キリストの目」である。
グノーシス主義やフリーメーソンの最高階級では、それは「ルシファーの目」だと教えられるが、いずれも同じである。

『ホルス=ヤハウェ=イエス・キリスト=ルシファー』

ということは、オシリスとイシスの夫婦神の息子ホルスは、イザナギとイザナミの夫婦神の息子アマテラスと同義ということになる。
イルミナティが主張するように、ホルスの目がシリウスを意味するならば、確かにアリオンの自己紹介「イザナギ・イザナミと呼ばれし天子の来たれり星系の天の御使」と一致する。
長くなるので、機会があれば続きを述べたい。

ちなみに、神を「柱」として数えられているのは、カッバーラの「生命の樹」に因んでいる。
さて、『日月神示』を書記した岡本天明は、イザナギとイザナミが生んだ神の数と順序が、「メンデレーフの原子の周期律」と同じことを発見している。

ここでは結論だけ紹介するが、以下の通りである。

「ヒルコ=水素(H)」
「アハシマ=ヘリウム(He)」
「アハジ=リシウム(Li)」
「フタナ=ベリリウム(Be)」
「オキ=ホウ素(B)」
「ツクシ=炭素(C)」
「イキ=窒素(N)」
「ツシマ=酸素(O)」
「サド=ホルマリン(E)」
「アキツシマ=ネオン(Ne)」


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これがイザナギとイザナミが生んだ神々の正体であり、この原子の集合体によって国常立尊の肉体である国土や物質、生命が誕生していった。
従って、万物に神が宿っているというのは道理なのだ。
数霊的解釈では、イザナギは「二」、イザナミは「三」で、両者が融合してこの世の根本数「五」となる。
イザナギとイザナミが御柱を廻った融合の儀式「ミトノマグワイ」は陰陽の回転であり、それは虚数の世界(神霊界)から実数の世界(物質界)に現出させる素戔嗚尊の力を生み出しているともいえるのだ。
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